知的財産権判例ニュース |
有効成分を純度で規定した精製医薬組成物の発明の特許が、 無効にされるべきとして差止請求が認められなかった事例 (高純度アカルボース事件) |
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(東京地裁平成20年11月26日判決平成19年(ワ)第26761号) |
生田哲郎/佐野辰巳 |
1.はじめに |
本件は、有効成分を純度で規定した精製医薬組成物の発明の特許権に基づく差止請求に対して、特許無効理由があるとして請求が棄却された事案です。この判例は、新しい理論や考え方が述べられているわけではありませんが、純度規定の精製医薬組成物の発明の新規性判断や限定解釈の可否など興味深い争点があるため、ここに紹介する次第であります。
医薬品では、製品寿命を延命するための手段の一つとして、基本物質発明の出願後、精製方法や精製組成物の発明等を出願することが知られています。本件は、精製組成物の発明を権利行使するにあたっての注意点を示唆する事案でもあります。 |
2.事案の概要 |
(1)本件特許権(特許第2502551号:発明の名称「高純度アカルボース」)は、昭和62年7月10日に出願され(優先権主張日1985年12月13日)、平成8年3月13日に登録され、約2年5カ月の特許権延長がされています。本件特許権に係る明細書(本件明細書)の請求項1は、次のとおりです。
「水とは別に約93重量%以上のアカルボース含有量を有する精製アカルボース組成物。」 なお、本件明細書の請求項4以下には、弱酸性カチオン交換体を利用した精製方法の発明が記載されていますが、被告は強酸カチオン交換体を利用して精製しているため、本件訴訟の対象となっていません。本件訴訟では、左記の請求項1に記載された発明(本件特許発明)のみが対象とされています。 (2)アカルボースは、アクチノプラネス属のアミノ糖産生菌を培養し、その発酵汁を濃縮・精製する工程を経て生産されるもので、原告が出願人である特開昭50−53593号公報(公開日昭和50年5月12日:乙1文献)により開示されています。 (3)被告製剤に含まれるアカルボース組成物のアカルボース含有量が、99.3〜99.7重量%です。 (4)本件訴訟の争点は、 [争点1]被告製剤は、本件特許発明の技術的範囲に属するか(限定解釈の可否)、 [争点2−ア]本件特許発明は、公知文献により新規性を欠くか、 [争点2−イ]本件特許は、平成2年改正前の特許法36条3項または4項に違反するか、 [争点2−ウ]本件特許発明は、進歩性を欠くか、 と多岐にわたりますが、誌面の都合上、本稿では[争点2−ア]新規性を欠くか、に絞って解説します。 |
3.当事者の主張および裁判所の判断 |
上記[争点2−ア]の要旨は、本件特許発明は、特開昭57−185298号公報(乙2文献)、特開昭57−212196号公報(乙3文献)および特開昭58−46013号公報(乙12文献)(いずれも原告が出願人)により新規性が欠けるか、というものです。
以下、当事者の主張および裁判所の判断の要約を記します。 ≪被告の主張≫ 乙2文献および乙3文献には、サッカラーゼ阻害比活性77,700SUI/gのアカルボースが存在していたことが記載されている。(著者注:乙2文献および乙3文献は、アカルボースの誘導体に関する発明が記載されており、比較対象としてアカルボースが記載され、比活性の数値が明記されている。)そして本件明細書の「阻害剤含量は446,550SIUで、純粋な無水アカルボース5.75gに相当した。」旨の記載から、純粋なアカルボースの比活性は77,661SIU/g程度である。そうすると、乙2文献および乙3文献に記載されたアカルボースは純度100%のものであり、これが本件特許の出願前にすでに公知であったことになる。 乙12文献は、「グリコシド水解酵素抑制剤の新規薬剤調製物」を発明の名称とするものであり、当該発明に利用されているアカルボースは純度100重量%のものであった。(著者注:乙12文献には、アカルボースの純度や比活性の数値は記載されていない。) ≪原告の主張≫ 乙2文献および乙3文献の比活性は、純度100重量%のアカルボースを超えることになるから、活性の高い不純物が含まれた結果、純粋な無水アカルボースの比活性を超えたと解釈すべきである。 乙2文献および乙3文献に基づき新規性の欠如を主張するには、これらの文献に純度93重量%以上の精製アカルボース組成物を当業者が作ることができるように記載されていることが必要である。単に刊行物に1行記載があることのみを理由に新規性が否定されるのであれば・・・・・・発明を保護することにならない。しかしながら、乙2文献および乙3文献には、77,700SUI/gのサッカラーゼ阻害活性比を有するアカルボースの具体的精製工程の記載がなく、乙2文献および乙3文献は引用発明としての適格性を欠く。 乙12文献には、当該アカルボースの含有量が記載されていない。 ≪裁判所の判断≫ 乙2文献および乙3文献にアカルボースの純度が明記されていない点について、「乙2文献及び乙3文献に記載されたアカルボースの比活性は、77,700SIU/gであって、前記の方法で算出された純度100重量%のアカルボースの比活性約77,661SIU/gの値と極めて近接していることからすれば、その純度は、厳密には確定できないとしても、100重量%又はそれに極めて近接したものであると認められる」と認定し、乙2文献および乙3文献に記載された比活性の数値が純度100%のアカルボースの値を超える点については、「純度100重量%のアカルボースの比活性約77,661SIU/gと、乙2文献及び乙3文献に記載されたアカルボースの比活性77,700SIU/gとの比活性の差は39SIU/gにすぎず、この程度の差は測定誤差の範囲内と推測され、有意的な差とは認められない」と認定しました。 また、原告の「活性の高い不純物が含まれた結果」との主張に対しては、「アカルボースは、アクチノプラネス属のアミノ糖産生菌を培養し、その発酵汁を濃縮精製して生産するものであり、人間に対する薬剤に用いるためには、その純度を高めることが必要であったということが本件特許の出願前の公知の技術的課題であったのであるから、乙2文献及び乙3文献に記載されたアカルボースに活性が高い不純物が混在していたと考えるのは、不自然であり、また、アカルボースの純度を高めることによりその活性も向上するという本件特許発明の技術的課題とも矛盾する」として、原告の主張を排斥しました。 さらに、乙2文献および乙3文献には具体的精製工程が記載されていない点について、「化学物質は、一般に、大量の原材料を前提として精製を繰り返すことにより、得られる収量はともかく、より高純度のものが取得できる場合が多いことは、当業者にとって技術常識であるところ、本件の場合は、強酸カチオン交換体によるカラムクロマトグラフィーを用いてアカルボースを分離精製する手法が従来から知られており、当該手法を用いてアカルボースの分離・分種(筆者注:原文のまま、「分取」の誤記か)を丹念に繰り返せば、アカルボースの純度を高めていくことが可能であったものと推測される」として、当該技術常識と従来技術を用いるなどして、乙2文献および乙3文献に記載されたアカルボースを精製することは可能であったと認定しました。 他方、乙12文献に対しては、「確かに、乙12文献に記載されている発明は、アカルボースを用いた『新規薬剤調製物』であることから、当該発明において利用されるアカルボースは『人間の薬剤に用いる』ことができるほど高純度のものであったことは、推認することができる。しかしながら、乙12文献の記載内容は・・・・・・その純度はもちろん、比活性すら記載がないから、乙12文献の記載内容に基づいてその純度を認定することはできず、他にその純度を認めるに足る証拠もない」として、乙12文献に基づく被告の主張は認められませんでした。 |
4.考察 |
(1)乙2文献、乙3文献に記載されている比活性の値が純度100%のアカルボースの比活性より大きい点について、測定誤差であり有意の差ではないと認定しています。
乙2文献、乙3文献に記載されている77,700SUI/gとの値は、本件明細書の記載から算出される77,661SUI/gとの値を有効桁数3桁になるように四捨五入した数値と同じであり、高活性となる不純物が生成されることが確認されたなどの特殊事情も認められませんので、両者の数値の差は誤差によるとした裁判所の認定は妥当でしょう。 (2)乙2文献、乙3文献および乙12文献は、いずれもアカルボース組成物の具体的な精製方法が記載されておらず、純度の数値も記載されていない点で共通しています。しかし、乙2文献および乙3文献にはサッカラーゼ阻害比活性の数値が記載されており、純度を推測することがある程度可能であったため、本件特許発明は新規性を欠くことの根拠として認められました。他方で、乙12文献には、高純度であることを推測させる定性的な表現はあっても、純度を定量的に推測することができなかったため、本件特許発明が新規性を欠くことの根拠とは認められませんでした。 純度で規定した発明に対して、公知文献を探す際には、文献に純度を推測させる何らかの定量的記載があるか否かが重要ポイントの一つになると思われます。 (3)乙2文献および乙3文献には、いわゆる1行記載しかなく、具体的な精製方法が記載されていませんでしたが、「精製を繰り返すことにより、得られる収量はともかく、より高純度のものが取得できる場合が多いことは、当業者にとって技術常識である」として、当業者が従来技術を用いて、乙2文献および乙3文献に記載されている高純度アカルボースを精製することができたと認定されました。 精製を繰り返すことにより高純度とする方法は、実験室レベルの技術にすぎず、収率を犠牲にするので、実用的な精製方法とはいえないかもしれません。しかし、本件特許発明は、あくまで物の発明であるため、収率を犠牲にして高純度に精製する先行技術であっても、新規性を欠く根拠となる先行技術として十分であり、裁判所の認定は妥当なものと思われます。 |