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著名な営業表示である「東急」と、 「TOKYU」ないし「tokyu」とは類似せず、 不正競争防止法2条1項2号には該当しないとした事例 |
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(東京地裁平成20年9月30日判決平成19年(ワ)第35028号) |
生田哲郎/森本晋 |
1.はじめに |
本件は、「東急グループ」の中核企業である原告が、ホームページ上などに「TOKYU」あるいは「tokyu」の営業表示を用いた被告(商号・「藤久建設株式会社」)の行為が、不正競争防止法2条1項1号または2号に該当するものと主張して、被告の行為の差し止めを請求した事案です。
不正競争防止法2条1項2号は、自己の商品や営業の表示(商品等表示)として、他人の著名な商品等表示と類似のものを使用等する行為を不正競争行為として規定しています。 この点、「東急」は全国的に著名であり、また、「東急」と「TOKYU」あるいは「tokyu」とは称呼が共通ですから、本件は、一見、被告の行為は不正競争防止法2条1項2号に該当するものとして、原告の請求を認容すべきかに思える事案です。しかし、裁判所は、原告の請求を棄却しました。 きわめて興味深く、また、表示の類似性判断の大変参考になる一事例としてここに取り上げる次第です。 |
2.裁判所の判断 |
(1)裁判所は、「東急」の表示は、原告の営業表示として全国的に著名であること、被告によるホームページ上などでの「TOKYU」あるいは「tokyu」の表示の使用は、営業表示としての使用と認められること、を認定しました。
(2)次に、裁判所は、表示の類似性の判断基準につき、「ある営業表示が不正競争防止法2条1項2号にいう他人の営業表示と類似のものに当たるか否かについては、取引の実情のもとにおいて、取引者又は需要者が両表示の外観、称呼又は観念に基づく印象、記憶、連想等から両者を全体的に類似のものとして受け取るおそれがあるか否かを基準として判断するのが相当である」として、「マンパワー」事件最高裁判決(最判S58.10.7民集37巻8号1082頁)を引用しました。そして、裁判所は、「東急」と「TOKYU」あるいは「tokyu」とは外観が異なること、他方、両者は「とうきゅう」の称呼が生じる点で共通することを認定しました。 (3)そのうえで、裁判所は、以下のとおり述べて、両者の観念の共通性を否定しました(下線筆者)。 「(ア)前記・・・・・・認定のとおり『東急』の表示は原告及び原告グループの営業表示として著名であることに照らすならば、『東急』の語から原告及び東急グループの観念が生じるものと認められる。」 「(イ)一方、『TOKYU』又は『tokyu』の語は、欧文字5字から成るものであるが、特定の意味を表す英単語その他の外国語の単語として一般の辞書に掲載されていることの立証はされておらず、『TOKYU』又は『tokyu』の語自体が特定の意味内容を有するものと認めることはできない。 また、『東急』の表示は著名な営業表示ではあるものの、『東急』の語をローマ字表記又は英語風の表記にする場合には、『TOKYU』のほかに、『TÔ(※Oの上に^)KYU』、『TOUKYU』、『TÔ(※Oの上に^)KYÛ(※Uの上に^)』、『TOUKYUU』等の表記が可能であること・・・・・・に照らすならば、『東急』の表示が著名であるからといって直ちに『TOKYU』又は『tokyu』の語から原告及び東急グループの観念が生じるということはできない。」 原告が「TOKYU」の表示を使用している例もあるが、それらの例によって、「『TOKYU』又は『tokyu』の語から直接原告及び東急グループの観念が生じると認めることは未だ困難であるといわざるをえず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。」 「(ウ)a 次に、『TOKYU』又は『tokyu』の語は、『ときゅう』等の称呼のほか、『とうきゅう』の称呼も生じることは前記・・・・・・認定のとおりであるので、この称呼に基づく観念について検討する。 甲16(広辞苑第四版)には、『とうきゅう』の読みを持つ見出し語として、『冬宮』(「ソ連、レニングラード(もとペテルブルク)にある宮殿。」の意)、『投球』(「(野球などで)球を投げること。また、その球。」の意)、『討究』(「物事の道理・真相をたずねきわめること。」の意)、『淘宮』(「淘宮術に同じ。」の意)及び『等級』(「(1)上下の位。段階。階級。(2)天体の光度を示す語。」の意)との記載があり、『とうきゅう』の称呼に基づいて上記各見出し語の意の観念が生じることが認められる。しかし、甲16には、『とうきゅう』の読みをもつ見出し語として、『東急』は記載されておらず、他にこれを示した辞典等の証拠は提出されていない。 もっとも、『東急』の表示は原告の著名な営業表示であることに照らすならば、『とうきゅう』という称呼に基づいて『東急』を想起あるいは連想し、ひいては原告及び東急グループを想起し得ることは認められるが、『とうきゅう』という称呼に基づいて想起し得る営業主体は、原告及び東急グループに限られるものではなく、全国の各地域ごとの取引の実情に応じて、原告及び東急グループ以外の営業主体を想起し得るものである。このように原告及び東急グループは『とうきゅう』という称呼に基づいて想起し得る営業主体の一つにとどまり、『TOKYU』又は『tokyu』の語から『とうきゅう』という称呼を通じて原告及び東急グループの観念が生じるとまで断ずることはできない。 b これに対し原告は、『東急』の営業表示が著名であることを考慮すれば、『とうきゅう』という称呼を通じて営業表示として観念される語は『東急』だけであるから、『TOKYU』又は『tokyu』の営業表示と『東急』の営業表示とは、称呼を通じて観念的に類似している旨主張する。 しかし、(1)被告は、昭和51年8月30日に設立後、現在まで32年以上にわたり、『藤久建設株式会社』(読み方・「とうきゅうけんせつかぶしきがいしゃ」)の商号で、宮城県石巻市及びその周辺の地域において建物建築工事、ガーデニング工事等の請負等の取引を行っていること・・・・・・からすれば、石巻市及びその周辺の地域では、『とうきゅう』との称呼から営業主体としての被告を想起する者も相当数存在するものとうかがわれること、(2)加えて、大分県大分市内では、東九興産株式会社が、約38年間営業活動を行い、その商号の『東九』の部分を『とうきゅう』と称していること・・・・・・、岩手県盛岡市内では、昭和63年に設立された株式会社とうきゅう商事が営業活動を行っていること・・・・・・、岡山県倉敷市内では、株式会社東久ストアが営業活動を行い、その商号の『東久』の部分を『とうきゅう』と称していること・・・・・・に照らすならば、『とうきゅう』という称呼に基づいて想起し得る営業主体は、全国の各地域ごとの取引の実情に応じて、原告及び東急グループ以外のものも含まれることは明らかであるから、『とうきゅう』という称呼を通じて観念される営業表示が『東急』だけであるとの原告の主張は採用することができない。」 「(エ)以上によれば、本件証拠上、『東急』の営業表示と『TOKYU』又は『tokyu』の営業表示とが観念において共通するとまで認めるに足りない。」 (4)結論として、裁判所は、「東急」の営業表示と「TOKYU」または「tokyu」の営業表示とは「とうきゅう」の称呼を生じる点で共通点が見いだせるにすぎず、外観において明らかに異なり、観念においても共通するとはいえないから、取引者・需要者が両者の営業表示を全体的に類似のものとして受け取るおそれがあるとまで認めることはできないとして、表示の類似性を否定し、被告の行為は不正競争防止法2条1項2号には該当しないとしました。 |
3.検討 |
被告は石巻市周辺だけで活動しており、従業員も10人程度の零細企業であって、原告との間の競業関係もなかったようであり、本件は、原告・被告間の誤認混同可能性の極めて低い事案であったようです。
このような事実関係を前提としますと、いかに原告の営業表示が著名であるからとはいっても、被告の行為の差し止めを認めることは実質的に妥当とはいえないとの考え方も十分に成り立ち得るところであり、本判決が原告の請求を棄却したその結論は、必ずしも不当ではないと思われます。 ただ、本判決の理由づけには疑問もあります。 本判決は、「東急」の営業表示が全国的に著名であることを認めつつも、「原告及び東急グループは『とうきゅう』という称呼に基づいて想起し得る営業主体の一つにとどまり、『TOKYU』又は『tokyu』の語から『とうきゅう』という称呼を通じて原告及び東急グループの観念が生じるとまで断ずることはできない。」としました。 しかし、原告および東急グループが、「とうきゅう」という称呼に基づいて想起し得る営業主体の一つとして含まれていることは確かであり、また、「東急」の営業表示が全国的に著名であることからすれば、取引者・需要者において「TOKYU」または「tokyu」の語から「とうきゅう」という称呼を通じて原告および東急グループの観念を生じる可能性を否定することは大変難しいように思われます。 本判決は、「『とうきゅう』という称呼に基づいて想起し得る営業主体は、原告及び東急グループに限られるものではなく、全国の各地域ごとの取引の実情に応じて、原告及び東急グループ以外の営業主体を想起し得る」としています。 しかし、本判決は、そこでいう「全国の各地域ごとの取引の実情」として、(1)「被告は、昭和51年8月30日に設立後、現在まで32年以上にわたり、『藤久建設株式会社』(読み方・「とうきゅうけんせつかぶしきがいしゃ」)の商号で、宮城県石巻市及びその周辺の地域において建物建築工事、ガーデニング工事等の請負等の取引を行っていること・・・・・・からすれば、石巻市及びその周辺の地域では、『とうきゅう』との称呼から営業主体としての被告を想起する者も相当数存在するものとうかがわれること」と、(2)「大分県大分市内では、東九興産株式会社が、約38年間営業活動を行い、その商号の『東九』の部分を『とうきゅう』と称していること・・・・・・、岩手県盛岡市内では、昭和63年に設立された株式会社とうきゅう商事が営業活動を行っていること・・・・・・、岡山県倉敷市内では、株式会社東久ストアが営業活動を行い、その商号の『東久』の部分を『とうきゅう』と称していること」を認定しているにすぎません。 本件は、原告と被告の企業規模、営業地域、顧客層などの取引の実情を、さらに詳細かつ具体的に認定したうえで、類似性を判断すべき事案であったように思われます。 |