知的財産権判例ニュース |
インクタンク事件最高裁判決 |
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最高裁平成19年11月8日判決平成18年(受)第826号 (原審:知財高裁平成18年1月31日判決平成17年(ネ)第10021号) |
生田哲郎/森本晋 |
1.はじめに |
本件インクタンク事件は、知財高裁の3件目の大合議事件として審理され、また、第一審と控訴審とで結論を異にしたこともあり、社会的にも注目された事件ですが、今般、最高裁判決が下されましたので、ここに紹介する次第です。
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2.事件の概要 |
(1)本件は、インクジェットプリンタ用のインクタンクに関する特許権(特許第3278410号)を有する被上告人(原告)が、上告人(被告)が輸入し、販売しているインクタンク(上告人製品。被上告人が販売し使用済みとなったインクタンク本体にインクを再充填するなどして製品化されたもの)が被上告人の有する特許権を侵害すると主張して、上告人製品の輸入、販売等の差し止めおよび廃棄を求めた事案です。
(2)本件発明の構成要件は、以下のとおりです。 「互いに圧接する第1及び第2の負圧発生部材を収納するとともに液体供給部と大気連通部とを備える負圧発生部材収納室と、該負圧発生部材収納室と連通する連通部を備えると共に実質的な密閉空間を形成するとともに前記負圧発生部材へ供給される液体を貯留する液体収納室と、前記負圧発生部材収納室と前記液体収納室とを仕切るとともに前記連通部を形成するための仕切り壁と、を有する液体収納容器において、前記第1及び第2の負圧発生部材の圧接部の界面は前記仕切り壁と交差し、前記第1の負圧発生部材は前記連通部と連通するとともに前記圧接部の界面を介してのみ前記大気連通部と連通可能であると共に、前記第2の負圧発生部材は前記圧接部の界面を介してのみ前記連通部と連通可能であり、前記圧接部の界面の毛管力が第1及び第2の負圧発生部材の毛管力より高く(筆者注:構成要件H)、かつ、液体収納容器の姿勢によらずに前記圧接部の界面全体が液体を保持可能な量の液体が負圧発生部材収納室内に充填されている(筆者注:構成要件K)ことを特徴とする液体収納容器。」 (3)本件で、上告人は、被上告人が被上告人製品を譲渡した時点で、被上告人の特許権は消尽しており、権利行使は許されないと主張しました。 特許権の消尽とは、特許権者または特許権者から許諾を受けた実施権者が国内において特許製品(特許発明に係る製品)を譲渡した場合には、当該特許製品については特許権はその目的を達したものとして消尽し、もはや特許権に基づく差止請求権等を行使することはできないとする考え方をいい、判例上確立した理論です。また、わが国の特許権者またはこれと同視し得る者が国外において特許製品を譲渡した場合も、原則として特許権は消尽するものと解されています(最高裁平成9年7月1日判決、BBS事件)。 |
3.第一審、原審の判断 |
(1)第一審判決(東京地裁平成16年12月8日判決)は、特許製品に施された加工または交換が新たな生産と評価できる行為であるか、それとも、それに達しない修理の範囲内であるかによって、特許権侵害の成否を判断すると判示しました。そして、本件のようなリサイクル品について、新たな生産か、それに達しない修理の範囲内かの判断は、特許製品の機能、構造、材質、用途などの客観的な性質、特許発明の内容、特許製品の通常の使用形態、加えられた加工の程度、取引の実情等を総合考慮して判断すべきである、と判示しました。
結論としては、インクそれ自体は特許された部材ではないことなどから、使用済みの原告(被上告人)製品にインクを再充填するなどして被告(上告人)製品としたことは、新たな生産に該当するとは認められないので、特許権は消尽し、原告(被上告人)の権利行使は許されないとして、原告(被上告人)の請求を棄却しました。 (2)原審判決(知財高裁平成18年1月31日判決)は、わが国の特許権者等が国内外で特許製品を譲渡した場合には、原則として特許権は消尽するが、《1》特許製品が製品としての本来の耐用期間を経過してその効用を終えた後に再使用または再生利用がされた場合(第1類型)、または、《2》当該特許製品につき第三者により特許製品中の特許発明の本質的部分を構成する部材の全部または一部につき加工または交換がされた場合(第2類型)には、特許権は消尽せず、特許権者の権利行使が許されると判示し、以下のとおり、本件は第2類型に該当するとして、控訴人(原告、被上告人)の請求を認容しました。 回収されたインクタンクの内部を洗浄してこれに新たにインクを注入するという、上告人製品の製品化の工程は、本件発明の本質的部分である構成要件Hおよび構成要件Kを充足しない状態となっている本件インクタンク本体について、その内部を洗浄して固着したインクを洗い流したうえ、これに構成要件Kを充足する一定量のインクを再充填するという行為を含むものである。そして、この行為は、再び圧接部の界面の機能を回復させて空気の移動を妨げる障壁を形成させるものであり、被上告人製品中の本件発明の本質的部分を構成する部材の一部についての加工または交換にほかならない。したがって、上告人製品は、国内および国外で販売された被上告人製品のいずれを利用したものに関しても、上記第2類型に該当するものとして特許権は消尽せず、特許権の行使は制限されない。 |
4.最高裁の判断 |
(1)最高裁は、わが国の特許権者等が国内外で特許製品を譲渡した場合には、原則として特許権は消尽するとしつつ、わが国の特許権者等が国内外において「譲渡した特許製品につき加工や部材の交換がされ、それにより当該特許製品と同一性を欠く特許製品が新たに製造されたものと認められるときは、特許権者は、その特許製品について、特許権を行使することが許されるというべきである。」と判示しました。
そして、「上記にいう特許製品の新たな製造に当たるかどうかについては、当該特許製品の属性、特許発明の内容、加工及び部材の交換の態様のほか、取引の実情等も総合考慮して判断するのが相当であり、当該特許製品の属性としては、製品の機能、構造及び材質、用途、耐用期間、使用態様が、加工及び部材の交換の態様としては、加工等がされた際の当該特許製品の状態、加工の内容及び程度、交換された部材の耐用期間、当該部材の特許製品中における技術的機能及び経済的価値が考慮の対象となるというべきである。」と判示しました。 (2)そのうえで最高裁は、以下のとおり、本件では特許権は消尽せず、被上告人による特許権の行使は許されると判断しました。 「前記事実関係等によれば、被上告人は、被上告人製品のインクタンクにインクを再充てんして再使用することとした場合には、印刷品位の低下やプリンタ本体の故障等を生じさせるおそれもあることから、これを1回で使い切り、新しいものと交換するものとしており、そのために被上告人製品にはインク補充のための開口部が設けられておらず、そのような構造上、インクを再充填するためにはインクタンク本体に穴を開けることが不可欠であって、上告人製品の製品化の工程においても、本件インクタンク本体の液体収納室の上面に穴を開け、そこからインクを注入した後にこれをふさいでいるというのである。このような上告人製品の製品化の工程における加工等の態様は、単に消耗品であるインクを補充しているというにとどまらず、インクタンク本体をインクの補充が可能となるように変形させるものにほかならない。 また、前記事実関係等によれば、被上告人製品は、インク自体が圧接部の界面において空気の移動を妨げる障壁となる技術的役割を担っているところ、インクがある程度費消されると、圧接部の界面の一部又は全部がインクを保持しなくなるものであり、プリンタから取り外された使用済みの被上告人製品については、1週間〜10日程度が経過した後には内部に残存するインクが固着するに至り、これにその状態のままインクを再充てんした場合には、たとえ液体収納室全体及び負圧発生部材収納室の負圧発生部材の圧接部の界面を超える部分までインクを充てんしたとしても、圧接部の界面において空気の移動を妨げる障壁を形成するという機能が害されるというのである。そして、上告人製品においては、本件インクタンク本体の内部を洗浄することにより、そこに固着していたインクが洗い流され、圧接部の界面において空気の移動を妨げる障壁を形成する機能の回復が図られるとともに、使用開始前の被上告人製品と同程度の量のインクが充てんされることにより、インクタンクの姿勢のいかんにかかわらず、圧接部の界面全体においてインクを保持することができる状態が復元されているというのであるから、上告人製品の製品化の工程における加工等の態様は、単に費消されたインクを再充てんしたというにとどまらず、使用済みの本件インクタンク本体を再使用し、本件発明の本質的部分にかかる構成(構成要件H及び構成要件K)を欠くに至った状態のものについて、これを再び充足させるものであるということができ、本件発明の実質的な価値を再び実現し、開封前のインク漏れ防止という本件発明の作用効果を新たに発揮させるものと評せざるを得ない。 これらのほか、インクタンクの取引の実情(筆者注:被上告人が使用済みインクタンクの回収活動への協力を呼びかけていること等を指す)など前記事実関係等に現れた事情を総合的に考慮すると、上告人製品については、加工前の被上告人製品と同一性を欠く特許製品が新たに製造されたものと認めるのが相当である。」 |
5.検討 |
最高裁判決は、第一審判決とほぼ同様の判断基準を採用しつつ、第一審判決とは逆の結論を導きました。このように結論を異にすることとなったポイントは、上告人製品の製品化の工程でインクを注入するためにインクタンク本体に穴を開けている点の評価もさることながら、インクを再充填することにより、発明の本質的な構成要件である構成要件H、Kを再び充足させていることを重視している点にあります。
すなわち、第一審判決は、インクそれ自体は特許された部材ではないことを判断要素の一つとして重視して、上告人製品の製品化の工程は新たな生産に該当しないとの結論を導いています。これに対し、最高裁判決では、一定量以上のインクが充填され保持されている状態が、本件発明の本質的部分であると認定したうえで、インクの再充填行為が、本件発明の本質的部分にかかる構成(構成要件Hおよび構成要件K)を欠くに至った状態のものについて、これを再び充足させるものであることを判断要素の一つとして重視して、上告人製品の製品化の工程は新たな製造に該当しないとの結論を導いています。 このように、本件では、消耗品であるインクとその作用を取り込んだ構成(構成要件H、K)を含むクレームを作成しておいたことが勝敗を分けるポイントになっています。したがって、クレームの作成に当たっては、本件発明のように、消耗品やその作用を取り込んだクレームを作成することも十分に検討すべきであるといえるでしょう。 |