知的財産権判例ニュース |
使用者が特許発明等を自己実施しているケースで、 当該発明等による独占の利益が存在しないと 認定された事例 |
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(大阪地裁 平成19年7月26日判決 平成18年(ワ)第7073号) |
生田哲郎/森本晋 |
1.本判決の意義 |
従業者が、職務発明について、その発明についての特許を受ける権利を勤務規則等の定めにより使用者に承継させたときは、従業者は、使用者より、相当な対価の支払いを受けることができます(特許法第35条3項)。相当な対価の額は、勤務規則等に対価の定めがない場合や、勤務規則等の定めにより決定された対価が対価決定基準の策定に際しての使用者と従業者との間の協議の状況等に照らして不合理と認められる場合には、「その発明により使用者等が受けるべき利益の額」等を考慮して決定されることになります(同条5項)。
この「その発明により使用者等が受けるべき利益の額」とは、単に使用者が当該発明を実施することにより得るべき利益をいうのではなく、これを超えて、発明の実施を排他的に独占することによって得られる利益(独占の利益)を意味するとされています。これは、使用者は職務発明につき、特許を受ける権利を承継しない場合でも、法定の通常実施権を有するとされている(同条1項)ことから、当該発明により使用者が受けた利益の額の算定に当たっては、この通常実施権の価値を控除すべきであるという理由によるものです。 本判決は、使用者が当該発明を自社で独占して実施し、他社に実施許諾をしていない場合(自己実施のケース)について種々の要素を考慮のうえ、使用者が独占の利益を得ていないと判断した一事例として参考になるものであり、ここに紹介いたします。 |
2.事案の概要 |
本件は、被告の従業員であった原告が、その在職中にしたエレクトレットコンデンサマイクロホン(ECM)に関する職務発明及び職務考案(特許第3387012号及び実用新案登録第2540506号にかかる発明(本件発明)及び考案(本件考案))につき、特許を受ける権利等を被告に承継させたことに対する相当な対価の未払い分の一部である2億円の支払いを請求した事案です。
なお、コンデンサマイクロホンは、外部からの音響(音圧)で振動する振動膜と、固定電極とで、コンデンサを構成し、音響(音圧)を電気信号に変換する方式のマイクロホンです。振動膜が音響(音圧)によって振動すると、固定電極との距離が変動して、コンデンサの静電容量が変化し、この変化を電気信号として取り出す仕組みになっています。 |
3.裁判所の判断 |
(1)本判決は、「その発明により使用者が受けるべき利益」とは、独占の利益を意味すると述べたうえで、以下のとおり、自己実施のケースにおける独占の利益の存否の判断基準を示しました。
「・・・・・・この独占の利益の存否及び額の判断に当たっては、権利承継後の事情を斟酌し得るところ、本件のように使用者等が当該発明等を自社で独占して実施し、他社に実施許諾をしていない場合には、特許権等の効力として他社に当該発明等の実施を禁止したことに基づいて、当該使用者等の売上げが増大したのか否かを考慮すべきである。したがって、当該発明等による独占の利益の存否は、他社が事業活動を展開するに当たって、実際に当該特許権等による制約を受けたと認められるか否かの観点から判断すべきである。」 (2)本判決は、本件考案について、以下の事実を認定し、結論として、本件考案にかかる本件実用新案権により被告が独占の利益を得たと認めるに足りる証拠はないと判断しました。 《1》被告が平成17年4月までに納付すべき9年分の登録料を納付せず、権利期間を1年残して本件実用新案権を消滅させていること、直前の平成16年の1年間に特に本件考案を実施した被告製品の売上げが激減したという事情や、その他本件実用新案権の価値を消滅させるような市場状況の変化が生じたことも窺われないことなどからすると、被告は少なくとも登録料不納付により本件実用新案権を放棄する以前から、本件実用新案権の価値に疑問を抱いてきたものと推認される。 《2》日本国内市場における兼用タイプ(マイクロホンの筺体であるカプセルの前面板<天面>を固定電極とする型のECM。本件考案の実施品)のシェアを被告との間でほぼ二分していると窺われるM社については、 ア)M社製品に追加して本件考案を実施することはできず、M社が本件考案を実施するには製品を別の製品に変更しなければならないが、変更後の製品が従来製品以上の市場シェアを獲得できる保証はなく、M社が仮に本件考案について実施許諾を受けることができる状況にあったとしても、ライセンス料を支払ってまで本件考案を実施する必要性が存したかどうかははなはだ疑問である。また、 イ)本件考案は比較的明らかな無効理由を有するにもかかわらずM社が本件実用新案登録の無効審判請求を行っていないことなどからすると、M社は、本件考案の実施品に対しては、自社製品によって十分対抗できると認識していたと考えられ、本件考案をライセンス料を支払ってまで実施する必要性を感じていたとは考えがたい。 以上からすれば、M社は、本件実用新案権によってその事業活動に何らかの抑制を受けたとは認められないから、同社に対する関係で、被告に本件考案による独占の利益があったと認定することはできない。 《3》他のECMメーカーは兼用タイプの製品市場に参入していないが、その主たる理由は、M社発明にかかる特許権の存在、兼用タイプの品質、製品市場自体の事業上の魅力に存すると考えられ、当業者に比較的明らかな無効理由のある本件実用新案権によって、他のECMメーカーの事業活動が抑制され、本件実用新案権によって被告に独占の利益があったと認めるには足りない。 (3)また、本判決は、本件発明について、以下のとおり述べて、本件発明によって被告に独占の利益があったとは認められないとしました。 「先に述べたとおり、被告は、本件発明の方法を実施しておらず、本件発明による数値範囲外の方法を実施していると認められる。一般に営利を追求する企業は、その能力の範囲内で、品質や費用等の面から最も自己に有利な効果を奏する技術を実施するものであるから、被告が、本件発明による特許権を有していることにもかかわらず、その数値範囲外の技術を実施しているということは、本件発明の方法よりも、実際に被告が実施している方法の方が品質や費用等の面から優れているということを推認させるものである。 そうすると、被告が現に実施している、よりすぐれた方法については、本件発明の効力は何ら及ばず、したがって競業者も自由に実施することができるのであるから、本件発明の存在によって他のECMメーカーの事業活動が抑制され、本件発明によって被告に独占の利益があったとは認められないというべきである。」 (4)結論として本判決は「本件実用新案権及び本件特許権には独占の利益が認められないから、本件考案及び本件発明により被告が受けるべき利益の額があるとは認められない」と述べ、原告の請求を棄却しました。 |
4.検討 |
使用者が独占の利益を得ているか否かについては、使用者が他社に特許の実施許諾を行っている場合(他社実施のケース)には、他社から得たライセンス料がそのまま特許による独占の利益であると考えられるので、独占の利益の算定は比較的容易であるといえます。
しかしながら、本件のように、使用者が他社に実施許諾を行わず、自社のみで特許発明を実施している自己実施のケースについては、本判決のように種々の事情を考慮して使用者が独占の利益を得ているか否かを判断せざるを得ず、事案ごとの個々の判断とならざるを得ません。 また、使用者が他社に実施許諾を行うとともに、自らも特許発明を実施しているケースにおける、自己実施分についての独占の利益の有無についても、事案ごとに個々に判断せざるを得ません。このケースについては、東京地裁平成18年6月8日判決(平成15年(ワ)第29850号)が、《1》特許権者が開放的ライセンスポリシーを採用しているか、あるいは、限定的ライセンスポリシーを採用しているか、《2》当該特許の実施許諾を得ていない競業会社が一定割合で存在する場合でも、当該競業会社が当該特許に代替する技術を使用して同種の製品を製造販売しているか、代替技術と当該特許発明との間に作用効果等の面で技術的に顕著な差異がないか、《3》包括ライセンス契約あるいは包括クロスライセンス契約を締結している相手方が当該特許発明を実施しているか、あるいはこれを実施せず代替技術を実施しているか、《4》特許権者自身が当該特許発明を実施しているのみならず、同時にまたは別な時期に、他の代替技術も実施しているか等の事情を総合的に考慮して独占の利益を得ているかどうかを判断すると判示しています(結論として自己実施分についての独占の利益は存在しないと判断)。 使用者が独占の利益を得ているか否かの判断基準は、裁判例により徐々に明らかにされつつあるものの、個々の事案ごとの判断とならざるを得ませんので、さらなる判例の蓄積が望まれます。 |