知的財産権判例ニュース |
《1》「所定の空間」の意義の解釈 《2》先使用権の有無が問題となった事例 |
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(東京地裁 平成19年7月26日判決 平成17年(ワ)第10223号) |
生田哲郎/齋藤祐次郎 |
1.本判決の意義 |
特許請求の範囲の記載において、具体的数値等で規定せずに、「所定の」という用語を使用して対象物の範囲を表現することがよくあります。しかし、「所定の」という用語の意義の解釈は必ずしも明確ではなく、当該特許発明の技術的範囲に争いが生じる可能性は高いといえます。
本判決は、「所定の空間」という用語の意義について、明細書の記載を参酌し、発明の効果を奏するか否かという観点を判断要素の一つとして取り入れて解釈したものであり、「所定の」という用語の解釈について今後の判断に参考になるものと思い、紹介いたします。 また、対象とされた物件の製造元・販売元の先使用権を認めている点においても、今後の参考になるものと思われます。 |
2.事案の概要 |
本件で対象となった特許は、プラズマエッチング設備におけるエンドポイントの検出装置に関する第3148128号の特許(以下、「本件特許」といい、その特許権を「本件特許権」、請求項1の特許発明を「本件特許発明」という)であります。
そして、事案の概要は、本件特許権を有する原告が、本件で対象物件とされたプラズマエッチング装置(以下、「イ号物件」という)を使用している被告に対し、当該使用行為は本件特許権を侵害すると主張して、イ号物件の使用の差し止め、イ号物件の廃棄、ならびに一部請求として2億6600万円及び遅延損害金の支払いを求めた事件です。 なお、被告は、訴外米国の法人(以下、「AM社」という)が製造販売したイ号物件について、AM社製品を日本で販売している法人から購入して、使用していました。 |
3.争点と当事者の主張 |
本件では、
《1》イ号物件が本件特許発明の技術的範囲に含まれるか 《2》AM社ないし被告が先使用権を有しているか の2点について主に争われました。 《1》の争点について、当事者で争いになったのは、本件特許発明の構成要件F「かつ前記ブラケットは反応室内のプラズマとの間に設けられる電界の強さを減らすことができるように前記感知窓を前記ブラケットとの間に所定の空間を確保して取り付けられる」(下線筆者)の解釈及び構成要件充足性であります。 以下に示す本件明細書の図2が従来技術に基づく概略図で、図4が本件特許発明に基づく概略図です。図5は図4の点線個所を拡大したものです。 図中の番号「10」が「反応室」、「20」が「感知窓」、「40」が「ブラケット」であります。また、図5の「L」の矢印が付されている個所が「所定の空間」であります。 原告は、「所定の空間」について、感知窓とブラケットとの間に設けられた空間で、反応室内のプラズマとの間に設けられる電界の強さを減らすことができる程度の大きさを有する空間であれば足りると主張し、原告が実施したシミュレーションの結果からイ号物件の「空間」も電界強度を減らすに足りることは明らかであると主張しました。それに対し、被告は、「電界の強さを減らすことができる程度の大きさ」という表現が抽象的であり、本件明細書及び図面の記載を参酌してもなおその意義は不明瞭であって、その意義を把握することはできないと反論しました。また、原告のシミュレーション結果の信用性などについても反論をしました。 一方、《2》について被告は、本件特許の優先日の14カ月前から、AM社は、本件特許発明の内容を知らないで、イ号物件を製造販売し、被告は、AM社からイ号物件の内容を知得し、イ号物件の使用を継続していたのであるから、AM社ないし被告は、本件特許発明について先使用に基づく通常実施権(特許法第79条)を有していると主張しました。それに対し、原告はAM社のビッグユーザーであって、常に製造装置の改良等について情報交換を行ってきたのであり、優先日前から製造していたことから直ちにAM社の善意が推定できるわけではないなどと原告は反論しました。 |
4.裁判所の判断 |
まず、《1》の争点について、本判決は、「所定の空間」の大きさについては「明確に規定されているわけではなく、本件明細書には、図5記載Lの距離が5mm以上であることが望ましいと記載されているものの」「その根拠は不明であり、5mm以上でなければならない(5mm以上でなければ所期の目的を達することができない)と規定されているわけでもない」という前提で、「所定の空間」について、「感知窓が反応室壁の外に突出した部分の外周とブラケットの内周との間に設けられた空間で、感知窓とブラケットとが接触しないようにするものであり、これにより反応室内のプラズマとブラケットとの間に形成される電界の強度が減少するとの効果を奏するものをいうと解するべきである」(下線筆者)と判示しました。
そして、イ号物件における「空間」について、「反応室内のプラズマとブラケットとの間に形成される電界の強度が減少することは明らかである」として、本件特許発明の構成要件Fにいう「所定の空間」に該当するとしました。 一方、《2》の争点については、「原告が本件特許発明の優先日の14月よりも前に本件特許発明を完成していたにもかかわらず、これを出願していなかったとか、出願もせずにこれをAM社に教示し、AM社のみが本件特許発明を実施していたとは、到底考えにくいことからすれば、AM社は、本件特許発明の内容を知らないで自らその発明をし、イ号物件を製造販売したものと認めるのが相当である」などとして、AM社の先使用権を認めました。 そして、結論としては、「先使用権者が製造販売した製品を使用する行為が特許権侵害行為に当たらないことは明らかであ」り、被告がイ号物件を使用する行為が本件特許権を侵害しないことも明らかであるとして、原告の請求をいずれも棄却しました。 |
5.検討 |
本判決の内容について、AM社が本件特許の優先日の14月前、すなわち1年以上も前から、イ号物件を製造販売していたという事実が認定されており、かかる前提事実からすれば、特段の事情がない限りAM社に先使用権が認められるべきであります。したがって、当該特段の事情を立証できなかった原告の請求が棄却されたという結論については、妥当であると解されます。
なお判決を見る限り、AM社の先使用権の認定には、被告が現在使用している製品の購入情報が証拠として提出されたものと思われますが、これは今後先使用権の証拠として参考になるものと思われます。 一方、争点《1》の判断については再考の余地があるものと解されます。 すなわち、構成要件Fは、具体的な構造として規定された構成ではなく、いわゆる機能的クレームと解することもでき、かかる機能的クレームについては、明細書に具体的に開示された実施例とその「均等物」(実施例の自明な変形物)に限定するのが判例・通説であります。したがって、本判決においても、明細書に具体的に開示された実施例とその「均等物」に該当するか、という観点から検討されるべき事案であったとも解されます。 また、本判決は、「反応室内のプラズマとブラケットとの間に形成される電界の強度が減少することは明らかである」として、イ号物件においても本件特許発明の効果が奏することを認定していますが、なぜ「明らかである」のか判決を読む限りでは不明であります。 被告が原告のシミュレーション結果などに対して異論を唱えていることからすると、単に「明らかである」として認定するのではなく、その理由についても詳細に検討すべきであり、またそれを判決の理由中で触れるべきであったと解されます。 もっとも、たとえ上記のような検討をして仮にイ号物件が本件特許発明の技術的範囲に含まれないという結論を導いたとしても、原告の請求棄却という結論に異なるところはなく、より判断が明確な先使用権のところで結論を導きたかった、という政策的な考慮が影響しているのかもしれません。 |