知的財産権判例ニュース |
出願当時に容易に想到し得る構成を特許請求の範囲に 含めなかったというだけでは、かかる構成を特許請求の範囲から 意識的に除外したということはできないとした事例 |
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(知財高裁 平成18年9月25日判決 平成17年(ネ)第10047号) (原審 東京地裁 平成13年(ワ)第3485号) |
生田哲郎/森本晋 |
1.本判決の意義 |
(1)特許発明の技術的範囲は、明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて画定され、特許請求の範囲の記載の文言に含まれないものは、特許発明の技術的範囲に含まれないとされるのが原則です。しかしながら、特許請求の範囲に記載された構成中に対象製品等と異なる部分が存する場合であっても、一定の要件を満たす場合には、対象製品等は、特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして、特許発明の技術的範囲に属するものと解されています。このように、一定の要件のもとで特許発明の技術的範囲を拡張することを認める理論を均等論といい、わが国では、ボールスプライン事件の最高裁判決(最高裁平成10年2月24日第三小法廷判決)において判例上確立しています。
(2)ボールスプライン事件の最高裁判決が示す均等論適用のための要件は次の5つです。 《1》対象製品等との相違部分が特許発明の本質的部分ではないこと。 《2》相違部分を対象製品等におけるものと置き換えても、特許発明の目的を達成することができ、同一の作用効果を奏すること(置換可能性)。 《3》相違部分を対象製品等におけるものと置き換えることが、対象製品等の製造等の時点において容易であったこと(置換容易性)。 《4》対象製品等が、特許発明の出願時における公知技術と同一、または公知技術から容易に推考できたものではないこと。 《5》対象製品等が特許発明の出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情がないこと。 (3)これら5つの要件のうち、第5の要件(意識的除外)については、どのような場合に対象製品等が特許請求の範囲から意識的に除外されたとして均等論の適用が否定されるのかは、必ずしも明らかとはいえない状況にあります。 具体的には、主に、以下の2つの場合に、意識的除外として均等論の適用が否定されるか否かが問題とされます。 第1:特許請求の範囲を減縮する補正・訂正がなされた場合に、減縮した部分について均等の主張が許されるか。 新規性、進歩性を獲得するための補正・訂正の場合には均等を主張できないという点では概ね異論は見られないようですが、例えば、明細書等の記載要件に合致させるための補正の場合等、補正等の目的や内容いかんによっては均等を主張できる場合もあるとする見解と、補正等の趣旨を問わず、特許請求の範囲の記載を減縮する補正等がなされた以上、特許権者はもはや減縮された部分について均等を主張できないとする見解とが対立しています。 第2:出願当時の公知技術等に照らして容易に想到し得る構成を特許請求の範囲に含めなかった場合に、当該構成が特許請求の範囲から意識的に除外されたといえるか。 本判決は、第2の論点について、出願当時の公知技術等に照らして容易に想到し得る構成を特許請求の範囲に含めなかったというだけでは、かかる構成を特許請求の範囲から意識的に除外したということはできないと判示したものであり、大きな意義を有しています。 |
2.事案の概要 |
(1)本件は、椅子式エアーマッサージ機についての特許権(特許第3121727号。本判決での表記に従い「本件特許権5」といいます。また、その特許請求の範囲記載の発明を「本件発明5」といいます。)その他4件のエアーマッサージ装置等に関する特許権(「本件特許権1ないし4」)を有する被控訴人(第一審原告)が、控訴人(第一審被告)に対し、控訴人が控訴人製品1ないし4を製造、販売等する行為が被控訴人の有する本件特許権1ないし5を侵害すると主張して、製造、販売等の差し止め、控訴人製品の廃棄及び損害賠償金等の支払いを求めた事案です。
第一審判決は、控訴人製品3及び4について、製造、販売等の差し止め請求及び製品の廃棄請求を認容し、更に、損害賠償等として15億4700万円余の支払いを控訴人に命じました。そこで、控訴人は、第一審判決を不服として控訴しました。 (2)なお、本件特許権1ないし4については、無効審判等を経て、第一審判決後に特許の無効が確定しています。そのため、本判決では、本件特許権5の侵害のみが問題となりました。 (3)本件発明5の構成要件は以下のとおりです。 A1 圧搾空気の給排気に伴って膨縮し、膨張時に使用者を押し上げる座部用袋体が配設された座部、 A2 及びこの座部の後部に所定の傾斜角度をもって設けられた背もたれ部とを有する椅子本体と、 A3 前記座部の前部に設けられ、かつ、圧搾空気の給排気に伴って膨縮し、膨張時に使用者の脚部をその両側から挟持する脚用袋体が配設された脚載置部と、 A4 圧搾空気を供給する圧搾空気供給手段と、 A5 この圧搾空気供給手段からの圧搾空気を給排気管を介して前記各袋体に分配して供給する分配手段と、 A6 前記座部用袋体への圧搾空気の給排気動作に同期させて前記脚用袋体への給排気を行う動作モードを含む複数の動作モードを入力する入力手段と、 A7 この入力手段から前記動作モードの中から所望の動作モードが入力されたときこの動作モードに応じて前記袋体への給排気を行うように前記圧搾空気供給手段及び分配手段を制御する制御手段とを備え、 B 前記座部用袋体への圧搾空気の給排気動作に同期させて前記脚用袋体への給排気を行う動作モードにおいて、前記脚用袋体が膨張して使用者の脚部を挟持した状態で、前記座部用袋体が使用者を押し上げるように膨張することを特徴とする C 椅子式エアーマッサージ機。 |
3.裁判所の判断 |
(1)本判決は、控訴人製品1ないし4のいずれもが、本件発明5の技術的範囲に属すると判断しました。本判決は、本件発明5の構成要件A3の「使用者の脚部をその両側から挟持する脚用袋体が配設された脚載置部」とは、左右脚部のそれぞれの両側に脚用袋体が配設されていることを意味すると解し、脚部の両方の側壁の一方に袋体ではないチップウレタン等を配設している控訴人製品3及び4は、構成要件A3を充足しないものの、本件発明5と均等であり、その技術的範囲に属すると判断しています。
(2)控訴人は、均等論の第5要件につき、本件特許5の出願当時、マッサージ機の脚受部に中間壁を設けることや、身体の各部との接触を緩和する材料としてチップウレタン等を採用することが公知の技術であったにもかかわらず、被控訴人は、袋体が各脚部の両側に配設される構成のみを選択したのであるから、脚部の一側方のみが袋体である構成を本件発明5から意識的に除外したものと評価できると主張しました。 しかし、本判決は以下のように判示して、控訴人の主張を退けました。 「しかしながら、特許侵害を主張されている対象製品に係る構成が、特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたというには、特許権者が、出願手続において、当該対象製品に係る構成が特許請求の範囲に含まれないことを自認し、あるいは補正や訂正により当該構成を特許請求の範囲から除外するなど、当該対象製品に係る構成を明確に認識し、これを特許請求の範囲から除外したと外形的に評価し得る行動がとられていることを要すると解すべきであり、特許出願当時の公知技術等に照らし、当該対象製品に係る構成を容易に想到し得たにもかかわらず、そのような構成を特許請求の範囲に含めなかったというだけでは、当該対象製品に係る構成を特許請求の範囲から意識的に除外したということはできないというべきである。」 (3)本判決は、控訴人製品3及び4について、製造等の差し止め請求及び製品の廃棄請求を認容しました。損害賠償請求については、第一審判決から大幅に減額し、控訴人に対し、1148万円余の支払いを命じました。 このように、損害賠償金額が第一審判決と大きく異なることになった最大の要因は、第一審判決後、本件特許1ないし4の無効が確定し、本判決では、本件特許権5の侵害のみが問題であったことにあります。 本判決は、本件発明5に係る作用効果が椅子式マッサージの作用としては付随的でありその効果も限られたものであること、控訴人製品は、本件発明5とは異なる特徴的な機能を備えており、これらの機能を重視して消費者は控訴人製品を選択したと考えられることなどの諸事情を総合考慮し、特許法102条1項但書に基づき、控訴人各製品の譲渡数量の99%を、被控訴人が販売することができなかったと認められる数量として控除しています。 |
4.検討 |
(1)本判決で問題となった、出願当時の公知技術等に照らして容易に想到し得る構成を特許請求の範囲に含めなかった場合に、当該構成が特許請求の範囲から意識的に除外されたといえるかどうかという論点については、そのような場合も意識的除外に当たり、均等を主張できないとする見解も有力に主張されています。
しかしながら、本判決で知財高裁は、出願当時の公知技術等に照らして容易に想到し得る構成を特許請求の範囲に含めなかったというだけでは、かかる構成を特許請求の範囲から意識的に除外したということはできないという立場を明らかにしました。 特許請求の範囲の記載にあたっては、権利としての保護を求める範囲を漏れなく記載すべきであり、かつ、記載できたはずであることからすれば、有力説の立場にも一理あります。 しかしながら、有力説のような厳格な考え方は、具体的結論において妥当でない結論となるケースが生じてくるようにも思われますので、本判決のように解するのが無難と考えます。 (2)なお、本判決の射程は、補正等の目的や内容のいかんによっては意識的除外に該当しないとして均等を主張できる場合があるかという論点には及んでいません。今後の裁判例の蓄積が待たれます。 |