知的所有権判例ニュース |
パラメータ発明における明細書のサポート要件の 適合性について判断した事件 |
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平成17年11月11日 知的財産高等裁判所判決 平成17年(行ケ)第10042号 「特許取消決定取消請求事件」 |
生田哲郎 美和繁男 |
1.事件の概要 |
本件は、知的財産高等裁判所(以下、知財高裁)における審決等の取消訴訟に関して最初の大合議事件であり、また従来その特許性についての判断が問題とされていた、いわゆるパラメータ特許の有効性について判断した極めて重要な判例です。
原告は、「偏光フィルムの製造法」と題する発明につき特許出願をし、特許庁は、特許をすべき旨の査定をしました。その後、平成15年改正特許法の施行前に本件特許について特許異議の申し立てがなされ、特許庁は、明細書の記載不備を理由に本件特許を取り消すとの決定をしました。 これに対し、原告が、決定の判断の誤りを主張して、知財高裁にその取消しを求めたのが本件事案です。 本件訴訟においては、いわゆるパラメータ特許の明細書の記載の適法性、すなわち、明細書に特許による独占的、排他的な保護に見合う発明が特許法36条の規定に適合するように開示されているかをめぐり、《1》明細書のサポート要件の適合性の有無、《2》実験データの事後的な提出による明細書の記載内容の補足の可否、《3》特許・実用新案審査基準の遡及適用の可否が主な争点となりました。 |
2.本件発明の内容 |
1.特許請求の範囲の記載
本件発明は「偏向フィルムの製造方法」に関するものであり(特許第3327423号)、その特許請求の範囲の記載(請求項1)は次のとおりです。 『ポリビニルアルコール系原反フィルムを一軸延伸して偏光フィルムを製造するに当たり、原反フィルムとして厚みが30〜100μmであり、かつ、熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)との関係が下式で示される範囲であるポリビニルアルコール系フィルムを用い、かつ染色処理工程で1.2〜2倍に、さらにホウ素化合物処理工程で2〜6倍にそれぞれ一軸延伸することを特徴とする偏光フィルムの製造法。 Y>−0.0667X+6.73……(I) X≧65……(II) 但し、X:2cm×2cmのフィルム片の熱水中での完溶温度(℃) Y:20℃の恒温水槽中に、10cm×10cmのフィルム片を15分間浸漬し膨潤させた後、105℃で2時間乾燥を行った時に下式浸漬後のフィルムの重量/乾燥後のフィルムの重量より算出される平衡膨潤度(重量分率)』 |
3.特許庁の取消決定の理由 |
特許庁の取消決定の理由の要旨は以下のとおりです。
《1》本件発明は、原反フィルムとして、熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)との関係が、Y>−0.0667X+6.73(I)及びX≧65(II)で示される範囲であるポリビニルアルコール系フィルム(PVAフィルム)を用いることを構成要件とするものであるところ、これらの二式が規定する範囲は、広範囲に及ぶものであり、この数式を満たすものがすべて偏光性能及び耐久性能が優れた効果を奏するとの心証を得るには、実施例が十分ではなく、また、他に本件明細書の記載及び当該分野の技術常識に照らして、上記二式を満足するものが上記の優れた効果を奏するとの確証を得られるものではなく、上記二式が、どのようにして導き出されたのか、その根拠、理由が不明であるから、特許法旧36条5項1号の規定に違反する。 《2》請求項1に規定する上記二式が満たす範囲は広範囲に及ぶところ、どのような製造条件であれば、上記二式を満たし、かつ、偏光性能及び耐久性能が優れたフィルムが得られるのか、本件明細書の発明の詳細な説明を参酌しても不明瞭であるから、特許法36条旧4項に違反する。 |
4.裁判所の判断 |
本件では裁判所が判断した主要な争点について判旨を紹介します。
1.明細書のサポート要件の適合性 裁判所は、特許法旧36条5項1号(現36条6項1号)所定の明細書のサポート要件について、以下のとおり解釈し、本件明細書の特許請求の範囲の記載は、明細書のサポート要件に適合しないと判示しました。 (1)「特許制度は、発明を公開させることを前提に、当該発明に特許を付与して、一定期間その発明を業として独占的、排他的に実施することを保障し、もって、発明を奨励し、産業の発達に寄与することを趣旨とするものである。そして、ある発明について特許を受けようとする者が願書に添付すべき明細書は、本来、当該発明の技術内容を一般に開示するとともに、特許権として成立した後にその効力の及ぶ範囲(特許発明の技術的範囲)を明らかにするという役割を有するものであるから、特許請求の範囲に発明として記載して特許を受けるためには、明細書の発明の詳細な説明に、当該発明の課題が解決できることを当業者において認識できるように記載しなければならないというべきである。特許法旧36条5項1号の規定する明細書のサポート要件が、特許請求の範囲の記載を上記規定のように限定したのは、発明の詳細な説明に記載していない発明を特許請求の範囲に記載すると、公開されていない発明について独占的、排他的な権利が発生することになり、一般公衆からその自由利用の利益を奪い、ひいては産業の発達を阻害するおそれを生じ、上記の特許制度の趣旨に反することになるからである。 そして、特許請求の範囲の記載が、明細書のサポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであり、明細書のサポート要件の存在は、特許出願人……又は特許権者……が証明責任を負う」 (2)「本件発明は、……いわゆるパラメータ発明に関するものであるところ、このような発明において、特許請求の範囲の記載が、明細書のサポート要件に適合するためには、発明の詳細な説明は、その数式が示す範囲と得られる効果(性能)との関係の技術的な意味が、特許出願時において、具体例の開示がなくとも当業者に理解できる程度に記載するか、又は、特許出願時の技術常識を参酌して、当該数式が示す範囲内であれば、所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に、具体例を開示して記載することを要する」 (3)「本件明細書の発明の詳細な説明には、従来のPVA系偏光フィルムが有する課題を解決し、耐久性及び偏光性能に優れ、かつ製造時の安定性に優れた性能を有する偏光フィルムを製造するための手段として、本件請求項1に記載された構成を採用したことが記載されているものの、その構成を採用することの有効性を示すための具体例としては、特定の完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)の値を有するPVAフィルムから、高度の耐久性を持ち、かつ、高延伸倍率に耐え得る偏光フィルムを得たことを示す実施例が二つと、特定の完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)の値を有するPVAフィルムから、耐久性が十分でなく、高延伸倍率に耐えられない偏光フィルムを得たことを示す比較例が二つ記載されているにすぎない。 他方、本件発明は、原反フィルムとして用いられるPVAフィルムが満たすべき完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)とが、本件請求項1に規定された、Y>−0.0667X+6.73〔式(I)〕及びX≧65〔式(II)〕の二式で画定される範囲に存在する関係にあることにより、上記所望の性能を有する偏光フィルムが得られるというのであるところ、少なくとも、上記範囲が、式(I)の基準となるY=−0.0667X+6.73の式及び式(II)の基準となるX≧65℃の式を基準として画されるということが、本件出願時において、具体例の開示がなくとも当業者に理解できるものであったことを認めるに足りる証拠はない。また、PVAフィルムの熱水中での完溶温度(X)を60℃〜100℃のX軸、平衡膨潤度(Y)を1.0〜3.0のY軸に取ったXY平面に、式(I)の基準式を斜めの実線で、式(II)の基準式を縦の破線で表した上、これに上記実施例及び比較例で用いられたPVAフィルムの熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)の値をプロットした別紙1の第1図に見るとおり、同XY平面において、上記二つの実施例と二つの比較例との間には、式(I)の基準式を表す上記斜めの実線以外にも、他の数式による直線又は曲線を描くことが可能であることは自明であるし、そもそも、同XY平面上、何らかの直線又は曲線を境界線として、所望の効果(性能)が得られるか否かが区別され得ること自体が立証できていないことも明らかであるから、上記四つの具体例のみをもって、上記斜めの実線が、所望の効果(性能)が得られる範囲を画する境界線であることを的確に裏付けているとは到底いうことができない。 そうすると、本件明細書に接する当業者において、PVAフィルムの完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)とが、XY平面において、式(I)の基準式を表す上記斜めの実線と式(II)の基準式を表す上記破線を基準として画される範囲に存在する関係にあれば、従来のPVA系偏光フィルムが有する課題を解決し、上記所望の性能を有する偏光フィルムを製造し得ることが、上記四つの具体例により裏付けられていると認識することは、本件出願時の技術常識を参酌しても、不可能というべきであり、本件明細書の発明の詳細な説明におけるこのような記載だけでは、本件出願時の技術常識を参酌して、当該数式が示す範囲内であれば、所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に、具体例を開示して記載しているとはいえず、本件明細書の特許請求の範囲の本件請求項1の記載が、明細書のサポート要件に適合するということはできない。」 ![]() 2.実験データの事後的な提出による明細書の記載内容の補足の可否 裁判所は、原告が異議申立の審理の段階で提出した、実験成績証明書記載の10点の実験データを参酌できるかについて、下記のとおり参酌することは許されないと判示しました。 (1)「本件発明のようないわゆるパラメータ発明において、特許請求の範囲の記載が、明細書のサポート要件に適合するために、発明の詳細な説明に、特許出願時の技術常識を参酌してみて、パラメータ(技術的な変数)を用いた一定の数式が示す範囲内であれば、所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に、具体例を開示して記載することを要すると解するのは、特許を受けようとする発明の技術的内容を一般に開示するとともに、特許権として成立した後にその効力の及ぶ範囲(特許発明の技術的範囲)を明らかにするという明細書の本来の役割に基づくものであり、それは、当然のことながら、その数式の示す範囲が単なる憶測ではなく、実験結果に裏付けられたものであることを明らかにしなければならないという趣旨を含むものである。そうであれば、発明の詳細な説明に、当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる程度に、具体例を開示せず、本件出願時の当業者の技術常識を参酌しても、特許請求の範囲に記載された発明の範囲まで、発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できるとはいえないのに、特許出願後に実験データを提出して発明の詳細な説明の記載内容を記載外で補足することによって、その内容を特許請求の範囲に記載された発明の範囲まで拡張ないし一般化し、明細書のサポート要件に適合させることは、発明の公開を前提に特許を付与するという特許制度の趣旨に反し許されない」 3.特許・実用新案審査基準の遡及適用の可否 裁判所は、本件特許の出願後に定められた明細書の記載要件に関する特許・実用新案審査基準を遡及適用することの適法性について、下記の理由をあげて違法の問題は生じないと判示しました。 (1)「特許・実用新案審査基準は、特許要件の審査に当たる審査官にとって基本的な考え方を示すものであり、出願人にとっては出願管理等の指標としても広く利用されているものではあるが、飽くまでも特許出願が特許法の規定する特許要件に適合しているか否かの特許庁の判断の公平性、合理性を担保するのに資する目的で作成された判断基準であって、……、法規範ではないから、本件特許の出願に適用される特許・実用新案審査基準に特許法の上記規定の解釈内容が具体的に基準として定められていたか否かは、(前記)の解釈を左右するものではない。」 (2)「平成15年10月改訂に係る特許・実用新案審査基準…が特許法旧36条5項1号の規定の趣旨に沿うものであることは、……明らか」 |
5.検討 |
1.裁判所は、本件のようなパラメータ発明において、明細書のサポート要件に適合するためには、《1》発明の詳細な説明は、その数式が示す範囲と得られる効果(性能)との関係の技術的な意味が、特許出願時において、具体例の開示がなくとも当業者に理解できる程度に記載するか、又は、《2》特許出願時の技術常識を参酌して、当該数式が示す範囲内であれば、所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に、具体例を開示して記載することを要すると判示しました。本件のように実施例と比較例をあわせても4点のプロットしかない場合は、前記二式を導くのに不十分であることは明らかですが、逆に、どの程度であれば開示として十分であるかの判断は微妙です。パラメータ発明では、出願人としては可能な限り実験データを挙げることが望ましいといえるでしょう。
2.裁判所は、前記のとおり実験データの事後的な提出による明細書の記載内容の補足をすることを否定しました。事後的な実験データの提出によりサポート要件に適合させることはできないということであり、留意すべき点といえます。 3.裁判所は、前記のとおり特許・実用新案審査基準の遡及適用の可否について違法の問題は生じないと判示しました。確かに、出願人としては、審査基準に則り出願を行う以上、酷とも思われますが、判示のとおり審査基準は、法規範でない以上、裁判所がそれに拘束される理由はないといえます。出願にあたっては、審査基準に記載しているか否かにかかわらず、特許法の趣旨に則り明細書への開示は十分行う必要があるといえます。 |