発明 Vol.103 2006-4
知的所有権判例ニュース
キヤノンインクタンク事件
知財高裁 平成18年1月31日判決 平成17年(ネ)第10021号
原審:東京地裁 平成16年(ワ)第8557号
生田哲郎 森本 晋
1.本件の背景
(1)特許権者等が国内において特許製品(特許発明に係る製品)を譲渡した場合には、当該特許製品については特許権はその目的を達したものとして消尽し、もはや特許権に基づく差止請求権等を行使することはできないと解されています。
 また、国外において特許製品を譲渡した場合も、特許権者は、当該製品について販売先ないし使用地域からわが国を除外する旨の合意をしたり、その旨の表示を行わなければ、当該製品をわが国に輸入し、国内で使用、譲渡等する行為に対して特許権に基づく権利行使をすることはできないと解されています(以上につき、BBS事件最高裁判決(最判H9.7.1)を参照)。
 では、譲渡された特許製品が壊れたり、耐用期間が経過したりした後に、これを再び使用することができるようにする行為は、特許権侵害となるのでしょうか。消尽論との関係で問題となります。
(2)本件は、特許権が消尽せず特許権者が権利を行使できるのはどのような場合であるかという問題について、知財高裁が極めて詳細な判断基準を提供した判決であり、大変意義のある判決です。

2.本件の概要
(1)本件は、インクジェットプリンタ用のインクタンクに関する特許権(特許第3278410号)を有する控訴人(原告)が、被控訴人(被告)が輸入し、販売しているインクタンク(被控訴人製品。使用済みの控訴人製品にインクを再充填するなどして製品化されたもの)及びその製造方法が控訴人(原告)の有する特許権を侵害すると主張して、被控訴人製品の輸入、販売等の差止め及び廃棄を求めたのに対し、被控訴人(被告)が特許権の消尽等を主張してこれを争った事案です。
(特許発明の構成要件については誌幅の関係上、割愛します。)。
(2)原審は、使用済みの控訴人製品にインクを再充填するなどして被控訴人製品としたことは、新たな生産に該当するとは認められないので、特許権は消尽し、原告の権利行使は許されないとして、原告の請求を棄却しました。
(なお、本判決は、特許製品に施された加工又は交換が「修理」であるか「生産」であるかにより、特許権侵害の成否を判断すべきとした原審の判示について、特許製品に物理的な変更が加えられない場合に判断が困難であることなどを理由に、是認することはできないとしています。)。
(3)本判決は、特許権が消尽しないのはどのような場合であるかについて、特許権者等が特許発明に係る物(又は物の生産方法の発明の場合の成果物)を国内で譲渡した場合(国内販売の場合)と、国外において譲渡した場合(国外販売の場合)とに分け、極めて詳細な判示を行っています。
 本稿では、残念ながら本判決の判示事項のすべてを詳細に紹介する誌幅はありません。そのため、以下では、判示事項のうち、国内販売の場合における物の発明の消尽についての判示を中心に紹介することとします。

3.国内販売の場合における物の発明の消尽
(1)特許権が消尽しない2つの類型
 本判決は、以下の2つの類型に該当する場合、特許権は消尽せず、特許権者は、当該特許製品について特許権に基づく権利行使をすることが許されるとしました。
《1》第1類型
 当該特許製品が製品としての本来の耐用期間を経過してその効用を終えた後に再使用又は再生利用がされた場合
《2》第2類型
 当該特許製品につき第三者により特許製品中の特許発明の本質的部分を構成する部材の全部又は一部につき加工又は交換がされた場合
(2)第1類型該当性の判断基準
 本判決は第1類型に該当するか否かの判断基準について次のように判示しています。
ア 第1類型に該当するかどうかは、特許製品を基準として、当該製品が製品としての効用を終えたかどうかにより判断する。
イ 第1類型にいう特許製品が製品としての本来の耐用期間が経過してその効用を終えた場合とは、特許製品について、社会的ないし経済的な見地から決すべきものである。そして、
(a)当該製品の通常の用法のもとにおいて製品の部材が物理的に摩耗し、あるいはその成分が化学的に変化したなどの理由により当該製品の使用が実際に不可能となった場合は、特許製品が製品としての本来の耐用期間が経過してその効用を終えた場合の典型である。
(b)物理的ないし化学的には複数回ないし長期間にわたっての使用が可能であるにもかかわらず保健衛生等の観点から使用回数ないし使用期間が限定されている製品にあっては、当該使用回数ないし使用期間を経たものは、たとえ物理的ないし化学的には当該制限を超えた回数ないし期間の使用が可能であっても、社会通念上効用を終えたものといえる。
ウ 前記イ(a)について
(ア)特許製品につき、消耗部材や製品全体と比べて耐用期間の短い一部の部材を交換し、あるいは損傷した一部の部材につき加工又は交換をしたとしても、当該製品の通常の用法のもとにおける修理であると認められるときは、製品がその効用を終えたということはできない。
(イ)これに対し、当該製品の主要な部材に大規模な加工を施し又は交換したり、あるいは部材の大部分を交換したりする行為は、上記の意義における修理の域を超えて当該製品の耐用期間を不当に伸長するものであるから、当該加工又は交換がされた時点で当該製品は効用を終えたものと解する。
(ウ)当該加工又は交換が製品の通常の用法のもとにおける修理に該当するかどうかは、当該部材が製品中において果たす機能、当該部品の耐用期間、加えられた加工の態様、程度、当該製品の機能、構造、材質、用途、使用形態、取引の実情等の事情を総合考慮して判断する。
(エ)主要な部材であるか、大部分の部材であるかどうかは、特許発明を基準として技術的な観点から判断するのではなく、製品自体を基準として、当該部材の占める経済的な価値の重要性や量的割合の観点から判断する。
(オ)特許製品において、消耗部材や耐用期間の短い部材の交換を困難とするような構成とされているとしても、当該構成が特許発明の目的に照らして不可避の構成であるか、又は特許製品の属する分野における同種の製品が一般的に有する構成でない限り、当該部材を交換する行為が通常の用法のもとにおける修理に該当すると判断することは妨げられない。
 その点にかんがみれば、第三者による部材の加工又は交換が通常の用法のもとにおける修理に該当するか、使用回数ないし使用期間の満了により製品が効用を終えたことになるのかは、特許製品に関する上記の事情に加えて、当該製品の属する分野における同種の製品が一般的に有する機能、構造、材質、用途、使用形態、取引の実情等をも総合考慮して判断されるべきである。
エ 上記イ(b)について
 使用回数ないし使用期間が一定の回数ないし期間に限定されることが、法令等において規定されているか、あるいは社会的に強固な共通認識として形成されている場合が、これに当たる。
(3)第2類型該当性の判断基準
 本判決は第2類型に該当するか否かの判断基準について以下のように判示しています。
ア 第2類型に該当するかどうかは、特許発明を基準として、特許発明の本質的部分を構成する部材の全部又は一部につき加工又は交換がされたかどうかにより判断される。
イ ここにいう本質的部分とは、特許請求の範囲に記載された構成のうち、当該特許発明特有の解決手段を基礎づける技術的思想の中核を成す特徴的部分をいう。

(4)本件へのあてはめ
 本判決は、以上の一般論に基づき、本件で本件発明1(物の発明)に係る特許権が消尽したか否かについて判断し、結論として、第1類型には該当しないものの、第2類型に該当するとして、控訴人による特許権の行使は許されるとしました。
ア 第1類型該当性
 インク費消後の控訴人製品のインクタンク本体にインクを再充填する行為は、インクタンクとしての通常の用法のもとにおける消耗部材の交換に該当する。
 また、インクタンク本体の利用が当初に充填されたインクの使用に限定されることが、法令等において規定されているものでも、社会的に強固な共通認識として形成されているものでもないから、当初に充填されたインクが費消されたことをもって、特許製品が製品としての本来の耐用期間を経過してその効用を終えたものとなるということはできない。
 したがって、本件において、特許権が消尽しない第1類型には該当しない。
イ 第2類型該当性
(ア)本件発明1は、《1》負圧発生部材収納室に2個の負圧発生部材を収納し、その界面の毛管力が各負圧発生部材の毛管力よりも高くなるように、これらを相互に圧接させるという構成(構成《1》)と、《2》一定量のインク、すなわち、液体収納容器がどのような姿勢をとっても、圧接部の界面全体が液体を保持することが可能な量の液体が充填されているという構成(構成《2》)を採用することによって、負圧発生部材の界面に空気の移動を妨げる障壁を形成することとした点に、従来のインクタンクにはみられない技術的思想の中核を成す特徴的部分がある。
(イ)控訴人製品の使用者が本件発明1に係るインクタンクを使用することにより、液体収納室及び負圧発生部材収納室内のインクが減少し、構成《2》の充足性を欠くに至るから、インクが費消された後の本件インクタンク本体が構成《2》の充足性を欠いていることは明らかである。
(ウ)プリンタから取り外された後に1週間ないし10日程度が経過し、圧接部の界面の繊維材料の内部の多数の微細な空隙に付着したインクが不均一な状態で乾燥して固着し、空隙の内部に気泡や空気層ができ、新たにインクを吸収して保持することが妨げられているものと認められるインクタンク本体は、構成《1》を充足しない状態となっている。
(エ)したがって、本件インクタンク本体の内部を洗浄して固着したインクを洗い流したうえ、これに構成《2》を充足する一定量のインクを再充填する行為は、特許発明を基準として、特許発明特有の解決手段を基礎づける技術的思想の中核を成す特徴的部分という観点からみた場合には、控訴人製品において本件発明1の本質的部分を構成する部材の一部である圧接部の界面の機能を回復させるとともに、上記の量のインクを再び備えさせるものであり、構成《1》及び《2》の再充足による空気の移動を妨げる障壁の形成という本件発明1の目的(開封時のインク漏れの防止)達成の手段に不可欠の行為として、特許製品中の特許発明の本質的部分を構成する部材の一部についての加工又は交換にほかならない。
(オ)したがって、本件は第2類型に該当するものとして特許権は消尽せず、控訴人が、被控訴人製品について、本件発明1に係る本件特許権に基づく権利行使をすることは許される。

4.国外販売の場合や、物の生産方法の発明の消尽
 以下では、国外販売の場合や、物の生産方法の発明の消尽に係る判示のうち一般論のみを紹介します。
(1)国内販売の場合の物の生産方法の発明に係る特許権の消尽
ア 成果物の使用、譲渡等物の発明に係る特許権の消尽について判示したところがそのままあてはまる(各類型への該当性は成果物に基づき判断する)。
イ 方法の使用について
 次の場合には、特許権に基づく権利行使が許されない。
(ア)物を生産する方法の発明に係る方法により生産される物が、物の発明の対象ともされている場合であって、物を生産する方法の発明が物の発明と別個の技術的思想を含むものではないとき。
(イ)特許権者又は特許権者から許諾を受けた実施権者が、特許発明に係る方法の使用にのみ用いる物(特許法101条3号)又はその方法の使用に用いる物(我が国の国内において広く一般に流通しているものを除く。)であってその発明による課題の解決に不可欠なもの(同条4号)を譲渡した場合において、譲受人ないし転得者がその物を用いて当該方法の発明に係る方法の使用をする行為、及び、その物を用いて特許発明に係る方法により生産した物を使用、譲渡等する行為については、特許権に基づく差止請求権等を行使することは許されない。
(2)国外販売の場合の物の発明に係る特許権の消尽
 国内販売の場合の物の発明に係る特許権の消尽の場合と同様、第1類型又は第2類型に該当する場合には、特許権者は、当該特許製品について特許権に基づく権利行使をすることが許される
(3)国外販売の場合の物の生産方法の発明に係る特許権の消尽
ア 成果物の使用、譲渡等
 国内販売の場合の物の生産方法発明における成果物の使用、譲渡の場合(4(1)ア)と同様、第1類型又は第2類型に該当する場合には、特許権者は、当該成果物について特許権に基づく権利行使をすることが許される。
イ 方法の使用について
(ア)国内販売の場合について述べたうち、4(1)イ(ア)はそのまま国外販売にも妥当する。
(イ)特許権者又はこれと同視し得る者が、特許発明に係る方法の使用にのみ用いる物(特許法101条3号)又はその方法の使用に用いる物(我が国の国内において広く一般に流通しているものを除く。)であってその発明による課題の解決に不可欠なもの(同条4号)を国外において譲渡した場合において、これらの物を我が国に輸入し国内でこれらを用いて特許発明に係る方法の使用をする行為、及び、国外でこれらの物を用いて特許発明に係る方法により生産した物を我が国に輸入して国内で使用、譲渡等する行為について、特許権に基づく権利行使をすることが許されるかどうかは、判例(BBS事件最高裁判決)とは、問題状況を異にし、なお検討を要する課題である。

5.検討
 インクを再充填する行為は単なる消耗品の補充であり、また、インクを再充填するにあたってインクタンクを洗浄して固着したインクを取り除くことも消耗品の補充に必然的に付随する行為といえそうです。
 また、固着したインクを洗浄し取り除けば機能が回復されるのであれば、インクが固着していても機能そのものは失われていないのであって、洗浄前のインクタンクが本件発明1の構成《1》を充足しない状態にあるとまではいえないのではないかとも思われます(3(4)イ(ウ))。
 以上からすると、本判決の、物の発明の場合の第2類型へのあてはめについてはやや疑問を感じるところです。



いくた てつお
1972年東京工業大学大学院修士課程修了、技術者としてメーカーに入社。82年弁護士・弁理士登録後、もっぱら、国内外の侵害訴訟、ライセンス契約、特許・商標出願等の知財実務に従事。この間、米国の法律事務所に勤務し、独国マックス・プランク特許法研究所に在籍。

もりもと しん
東京大学法学部卒業。2002年弁護士登録。生田・名越法律特許事務所において知的財産権関係訴訟、ライセンス契約案件等に従事。。