発明 Vol.102 2005-11
知的所有権判例ニュース
科学技術論文の著作者人格権侵害が
否定された事例
「大阪高等裁判所 平成17年4月28日判決」
水谷直樹
1.事件の概要

 原告は,大学の研修員として,被告である教授の指導の下に研究活動を行っておりました。
 ところが,原告は,同教授らが発表した論文が,原告の論文内容に依拠して作成されたものであるとして,同教授らの論文は,原告の論文である著作物を複製,翻案しており,著作者人格権を侵害していると主張して,損害賠償の支払い,名誉声望の回復措置等を求めて,平成15年に大阪地方裁判所に訴訟を提起いたしました。

2.争点

 本事件での争点は,
《1》 原告の著作者人格権の侵害の有無
《2》 著作権法115条に基づく措置の要否
 でした。

3.裁判所の判断

 大阪地方裁判所は,平成16年7月29日に判決を言い渡して,原告の請求を棄却いたしましたため,原告は大阪高等裁判所へ控訴いたしました。
 大阪高等裁判所は,平成17年4月28日に判決を言い渡し,上記《1》の争点につき,
「(1) 言語の著作物の翻案とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものである(2条1項1号参照)から,既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案には当たらないと解するのが相当である(最高裁判所第一小法廷平成13年6月28日判決・民集55巻4号837頁参照)。
 なお,既存の著作物に依拠し,その表現上の本質的な特徴の同一性のあるものを作成する行為のうち,新たな思想又は感情の創作的な表現が加えられていない場合は,複製に当たる。
 (2) そうすると,被告論文に,原告論文に記載されているのと同一の自然科学上の知見が記載されているとしても,自然科学上の知見は表現それ自体ではないから,このことをもって直ちに被告論文が原告論文の複製又は翻案であるとはいえず,原告の著作者人格権が侵害されたということもできない。被告が被告論文を作成し,発表したことが,原告論文についての原告の著作者人格権としての氏名表示権ないし同一性保持権を侵害したものであるか否かを判断するためには,原告論文の表現と被告論文の表現とを対比するのが相当であって,両論文に記載されている自然科学上の知見,すなわち研究の過程や成果についての内容を対比すべきものではない。
 原告論文及び被告論文は,いずれも英文の論文であり,対比すべきは上記のとおり両論文の記載内容ではなく表現それ自体であるから,その対比は,原文である英文同士で行うのが相当である。
 これに対し,原告は,実験分野の論文では,何よりもその表現によって裏付けられている論理の過程そのものがより重要な要素であるから,表現上の相違があるからといって著作者人格権を侵害していないとはいえないなどと主張するが,上記主張は前記説示に照らして採用することができない。
 (3) また,前記のとおり,表現それ自体の同一性が認められる場合であっても,当該記述が,表現上の創作性がないものであるときには,当該記述は著作権法の保護を受けることができない。
 自然科学論文,ことに本件のように,ある物質の性質を実験により分析し明らかにすることを目的とした研究報告として,その実験方法,実験結果及び明らかにされた物質の性質等の自然科学上の知見を記述する論文は,同じ言語の著作物であっても,ある思想又は感情を多様な表現方法で表現することができる詩歌,小説等と異なり,その内容である自然科学上の知見等を読者に一義的かつ明確に伝達するために,論理的かつ簡潔な表現を用いる必要があり,抽象的であいまいな表現は可能な限り避けられなければならない。その結果,自然科学論文における表現は,おのずと定型化,画一化され,ある自然科学上の知見に関する表現の選択は,極めて限定されたものになる。
 したがって,自然科学論文における自然科学上の知見に関する表現は,一定の実験結果からある自然科学上の知見を導き出す推論過程の構成等において,特に著作者の個性が表れていると評価できる場合などは格別,単に実験方法,実験結果,明らかにされた物質の性質等の自然科学上の知見を定型的又は一般的な表現方法で記述しただけでは,直ちに表現上の創作性があるということはできず,著作権法による保護を受けることができないと解するのが相当である。
 これに対し,原告は,自然科学上の知見の表現においては,表現技法は,論理性,一義性,明確性等の要請があり,当該自然科学上の知見を一般的に認識し得るようにするための論理的かつ簡潔な表現技法も,著作権法上保護されるべきものであると主張する。
 しかしながら,原告主張のような表現技法について著作権法による保護を認めると,結果的に,自然科学上の知見の独占を許すことになり,著作権法の趣旨に反することは明らかである。
 したがって,原告の上記主張は,採用することができない。」
 と判示しました。
 裁判所は,上記の前提のもとで,控訴人が著作者人格権が生じていると指摘している個別の部分を検討しましたが,その一例を示すと,
「ア 原告論文の《1》部分の意味内容は,『インド人参の二つの主成分であるウィタフェリンA及びWS−4(ウィタノサイドVI)は,クロニジンによって誘発される耐性を減弱化させた』という自然科学上の知見を記述したものであり,被告論文の《1》部分の意味内容も,ほぼ同旨の自然科学上の知見を記述したものであると認められる。
 イ しかしながら,原告論文の《1》部分には,特に原告の個性が表れた表現は見当たらず,同部分は,前記自然科学上の知見を読者に一義的かつ明確に伝達するために,一般的に用いられる表現を用いているにすぎないと認められる。
 そうすると,原告論文の《1》部分は,表現上の創作性があるとはいえない。
 ウ また,前記イの点をおいても,被告論文の《1》部分は,原告論文の《1》部分と異なり,クロニジンによって誘発される耐性について,『試験管内の実験において,モルモット回腸の電気刺激で』(on electrically stimulated guinea−pig ileum in vitro)という説明がされていること,原告論文の《1》部分と被告論文の《1》部分は,英文表現の構文において全く異なること,例えば『耐性』という単語につき,原告論文は『toler−ance』,被告論文は『tachyphylaxis』を用いているなど,具体的な表現において異なったものとなっていることが認められる。
 してみると,被告論文の《1》部分のうち,原告論文の《1》部分と同一性を有する部分は,表現それ自体ではない部分(自然科学上の知見)にすぎず,他方,上記相違点を考慮すれば,被告論文の《1》部分の表現から原告論文の《1》部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないというべきであるから,原告論文の《1》部分と被告論文の《1》部分は,表現上の本質的特徴の同一性があるということもできない。」
 として,控訴人が,自己の論文中で著作者人格権が侵害されたと指摘している部分については,もともと創作性が認められない部分であったり,あるいは控訴人の論文と被控訴人の論文との間に表現上の本質的な特徴につき同一性が認められない部分であると判断しております。
 大阪高等裁判所は,上記のとおり判示したうえで,控訴人の控訴を棄却いたしました。

4.検討

 本事件は,科学技術論文の著作権侵害の有無が争われた事例です。
 科学技術論文においては,いうまでもありませんが,文学作品とは異なり,表現それ自体よりも,表現されている内容,すなわちアイデアが重視されます。
 また,科学技術論文においては,アイデアをいかに正確に表現するのかが重要であり,文学作品に見られるような修飾や比喩は重視されません。
 本判決は,このような前提のもとで,著作者人格権が侵害されたのか否かが問題になった科学技術論文につき,控訴人が著作者人格権を侵害されたと主張している部分につき,表現上の創作性を否定し,あるいは控訴人論文と被控訴人論文との間の表現上の本質的特徴の同一性の存在を否定しているものであります。
 本事件における実質的な争点は,科学技術論文のコピーの点というよりも,科学技術論文中のアイデアのコピーの点にあるものと考えられます。
 これは,著作権侵害の有無の問題というよりも,学説のプライオリティの帰属のいかんの問題ということになりますが,科学技術論文のプライオリティをめぐっての紛争は,著作権侵害の有無という衣を被って,法廷に登場することがあります。多くの場合に著作権侵害が否定されており,本事件もその1つということが可能です。
 著作権侵害が否定される結果に帰着することが多い理由は,この種の紛争における本来の争点が,著作権侵害の有無にあるのではなく,学説のプライオリティが誰にあるのかという点(著作権法上は,多くの場合にアイデアの帰属先が誰であるのかという点に帰することになります)にあるためであり,著作権侵害の有無が本来の争点ではないことによるためであると考えられます。


みずたに なおき 1973年,東京工業大学工学部卒業,1975年,早稲田大学法学部卒業後,1976年,司法試験合格。1979年,弁護士登録後,現在に至る(弁護士・弁理士)。知的財産権法分野の訴訟,交渉,契約等を数多く手がけてきている。