知的所有権判例ニュース |
特許事務所が使用している標章の 商標権侵害が争われた事例 |
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「東京地方裁判所 平成17年6月21日判決」 |
水谷直樹 |
1.事件の概要 |
原告は現役の弁理士であり,下記登録商標を有しております。
商 標:IP FIRM 指定役務:第42類「工業所有権に関する手続の代理又は鑑定その他の事務,訴訟事件その他に関する法律事務,著作権の利用に関する契約の代理又は媒介」 これに対して,被告も現役の弁理士であり,標章「TOKYO IP FIRM」を,業務上使用しております。 そこで,原告は,被告標章は,原告商標権を侵害しているとして,その使用の差止めを求めて,平成17年に東京地方裁判所に訴訟を提起いたしました。 |
2.争点 |
本件事件での争点は,以下の3点でした。
(1)本件登録商標と被告標章は類似しているか (2)本件登録商標は,「その商品又は役務の普通名称を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標」(商標法3条1項1号)又は「需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができない商標」(商標法3条1項6号)に該当するか (3)原告が本件商標権を取得した経緯などに照らすと,原告の本訴請求は,権利の乱用に当たり許されないか |
3.裁判所の判断 |
東京地方裁判所は,平成17年6月21日に判決を言い渡し,左記(2)の争点に関し,「IP」,「FIRM」の用語の意義につき,証拠に基づき認定をしたうえで,
「『IP FIRM』を構成する『IP』,『FIRM』の訳語及びこれらが結合された語の示す概念,上記のわが国及び諸外国におけるこれらの語句の理解及び利用状況並びに本件商標権の指定役務である第42類(工業所有権に関する手続の代理又は鑑定その他の事務,訴訟事件その他に関する法律事務,著作権の利用に関する契約の代理又は媒介)の需要者等として想定される者を総合考慮すると,本件需要者等は,『IP』について,『Intellectual Property』(知的財産)を,『FIRM』については,『Law Firm』の場合と同様,『事務所』をそれぞれ想起するものというべきである。したがって,『IP FIRM』は,知的財産を意味する『IP』と,事務所を意味する『FIRM』が単純に結合された2語からなる標章であり,本件登録商標の査定時(平成16年6月14日。甲1の2)には,本件需要者等において,これらの語句の意味を結合させた,『知的財産権を取り扱う事務所』を意味するものであると認識されていたものというべきである。したがって,『IP FIRM』との語は,まさしく本件商標権の指定役務を提供する事務所であることを一般的に説明しているにすぎず,本件需要者等において,指定役務について他人の同種役務と識別するための標識であるとは認識し得ないものであるから,本件指定役務について使用されるときには,自他役務の出所識別機能を有しないものと認められる。」 「本件商標権の指定役務は,弁理士が主体となって開設する特許事務所や,いわゆる知的財産事件を担当する弁護士が開設する法律事務所が提供する役務であるから,本件需要者等は,工業所有権の取得又は著作権の利用を希望するか,あるいはこれらの権利に関する紛争解決を希望する個人又は法人であり,これらの個人又は法人の担当者は,知的財産権に関しては相応の関心と知識を有している者であることは明らかである。そして,これらの者にとって,前記のとおり,『Law Firm』が『弁護士事務所』を意味する英熟語として知られていることも考慮すれば,これらの本件需要者等が,『IP FIRM』について,インターネットプロトコル,インクジェットプリンタを取り扱う事務所として理解したり,『FIRM』につき,英単語のつづりが異なる『農場』(Farm)の意味において認識するとは容易に想定することができない。原告も,知的財産権に携わる一定の者においては,『IP』を『知的財産』の意味に,『FIRM』を『事務所』の意味に理解するものであることを認めているのであって,本件商標権の指定役務においては,その需要者等の間において,『IP FIRM』が知的財産権を担当する事務所の意味として理解されるものである以上,それが広く国民全般に認識されているか否かは上記結論を左右するものではない。」 「また,原告が指摘する『IP FIRM』との語は『International Patent Firm』,すなわち『国際特許事務所』の意味で使用されているという点についても,確かにわが国において,『国際特許事務所』という名称を付した特許事務所が多数存在し(乙1),その事務所名の英語表記において,『International Patent Office』を使用する多数の特許事務所が存在すること(甲12,13)からすれば,『IP FIRM』との語は,むしろ従来から多数存在していた『国際的な特許を取り扱う事務所』を意味するものとしても使用されているものと認めることができる。しかし,『工業所有権に関する手続の代理』業務においては,国際的な出願をすることは一般的なことであり,本件商標権の指定役務との関係では,『国際的な特許を取り扱う事務所』とは,まさしく同指定役務を提供する事務所であることを一般的に説明しているにすぎず,本件需要者等において,指定役務について他人の指定役務と識別するための標識であるとは認識し得ないものであるから,『IP FIRM』との語が,『知的財産権を取り扱う事務所』を意味するものであるか,あるいは『国際的な特許を取り扱う事務所』を意味するものであるかにかかわらず,『IP FIRM』との語を本件指定役務について使用するときには,自他役務識別機能を有しないというべきである。」 「以上によれば,本件商標権は,商標法3条1項6号に定める『需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができない商標』というべきである。」 と判示したうえで,このことを前提にして, 「商標法39条が準用する特許法104条の3の規定により,原告の被告に対する本件商標権に基づく権利行使は許されない。したがって,その余の点について判断するまでもなく,原告の被告に対する本訴請求はいずれも理由がない。」 と判示して,原告の請求を棄却しました。 |
4.検討 |
本判決は,現役の弁理士間で生じた訴訟の判決であり,特許事務所名に関連する標章の商標権侵害が争われた事件に関するものであります。
本判決は,「IP FIRM」の意義につき,「IP」とは知的財産権を意味し,「FIRM」は事務所を意味することから,「IP FIRM」とは“知的財産権を取り扱う事務所”を内容としていると認定しております。 また,これと共に,“国際的な特許を取り扱う事務所”を内容としているとも認定しております。 もっとも,いずれを前提にした場合にも,「IP FIRM」は,「工業所有権に関する手続の代理又は鑑定その他の事務」に代表されるような指定役務を提供する事務所であることを説明する用語であるにすぎないから,商標法3条1項6号所定の「需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができない商標」に該当すると判断しております。 本判決は,上記を前提にしたうえで,商標法39条が準用する特許法104条の3の規定により,原告の商標権行使を権利濫用であると認定しております。 本判決は,現役の弁理士間の訴訟という稀有な事件に関するものでありますが,商標法の基本を理解するうえで参考になるものと考えられます。 |