発明 Vol.101 2004-10
知的所有権判例ニュース
特許料を納付した旨の通知書が送付された
事実を基に特許権設定登録後,特許公報発行前の
被告の過失を認めた事例
「平成16年7月26日 大阪地裁判決 平成14年(ワ)第13527号事件」
生田哲郎 森本晋
第1.本判決の意義

 特許法103条は,特許発明の内容が特許公報により公示されることを一つの根拠として,特許権侵害行為について過失があったことを推定する規定をおいています。それでは,特許権設定登録後,特許公報発行前の侵害行為について特許法103条の推定規定は適用されるのでしょうか。本判決は,特許料を納付した旨の通知書が被告に送付された事実を基に,特許権設定登録後特許公報発行前の行為について被告の過失を認めた事例です。特許出願をした発明について,これを無断で実施している者に対する金銭的請求はいつの時点の行為についてこれを行うことが可能なのか,また,その要件はどのようになっているかについて理解を深めていただきたく,本判決を紹介する次第です。
 また,本判決は,特許の出願公開後特許権の設定登録前の実施行為に対する補償金請求を認容した一事例としての意義をも有しています。

第2.事案の概要

 (1) 本件特許発明は「置棚」に関するものであり(特許第3358173号),その特許請求の範囲の記載(請求項1)は次のとおりです(図1)。
 A:左右の支脚間に前後に架橋した棚受用横桟上に適宜着脱自在な取替棚を掛止してなる置棚において,
 B:上記棚受用横桟は外管に内管を伸縮可能に挿通してなると共に,
 C:上記外管の伸縮方向に一定長を有する固定棚は,その後方裏面に設けた取付穴に内管側の支脚を嵌入すると共に,
 D:当該固定棚の先端の支持部に対して上記外管をその伸縮に応じて摺動自在に挿通して該固定棚を水平に支持し,
 E:所定枚数の取替棚を前後の外管上に掛止した
 F:ことを特徴とする置棚



 (2) 被告は二種類の組み立て式の置棚を製造又は輸入し,販売していました。そのうちの一種類の置棚(イ号物件)は,これを組み立てた場合,本件特許発明の構成要件をすべて充足し,本件特許発明の技術的範囲に属するものでした(被告は,本件訴訟提起後に販売を中止しました)。他方,もう一種類の置棚(ロ号物件)は外管(図1の2a)を固定棚(図1の3)の支持部(図1の3b)よりも更に外側にまで伸長させることができる(置棚を71.5cmから102cmの幅で用いる場合は,外管2aは固定棚の支持部3bに挿入されないこととなる)ものでした。
 (3) 原告は,被告がイ号物件を販売していることを知り,弁理士に依頼して,被告に対し,以下のとおり警告書等を送付しました(図2)。
 《1》 警告書1:本件特許の出願公開後に送付したもの。イ号物件が出願中の本件特許発明の技術的範囲に属すること,及び,その特許権設定登録後には補償金請求権が発生すべきことを記載。公開特許公報を添付。なお,その後,特許請求の範囲の記載は補正された。
 《2》 通告書:最初の特許料納付後,特許権設定登録前に送付したもの。本件特許出願について特許すべきものとした審決を受けたこと,及び,最初の特許料を納付したことを記載。特許請求の範囲の記載が出願後に補正されていたため,補正後の特許請求の範囲を記載。
 《3》 警告書2:本件特許権の設定登録後特許公報発行前に送付したもの。本件特許権の設定登録がされた旨を記載。
 (4) 原告は,本件訴訟において,被告に対し,ロ号物件の製造販売等の差止めやロ号物件の廃棄を求め,さらに補償金(イ号物件について)及び損害賠償(イ号物件及びロ号物件)の支払い(合計7680万円余)を求めました。



第3.問題の所在

 (1) 特許権の設定登録後特許公報発行前の過失の有無
 特許権に基づく損害賠償請求権は,その法的性質は不法行為に基づく損害賠償請求権であると理解されています。民法上の不法行為に基づく損害賠償請求権においては,加害者の故意・過失の立証責任は被害者にありますが,特許法はこれについて特則を設け,特許権侵害者はその侵害行為について過失があったものと推定して立証責任を転換しています(特許法103条)。
 このような過失の推定の根拠は,特許発明の内容は特許公報等により公示され,しかも,特許権侵害者は事業者に限られる(特許法68条参照)ので,事業者には新たに実施しようとする製品や方法が他人の特許権を侵害することとならないかどうかを特許公報等により調査する注意義務があると考えられる点にあるとされています。
 しかし,特許権の設定登録がなされ(この時点で特許権の効力は生じ(特許法66条1項))ても,特許公報が発行されるまでには一定の時間を要します(通常,2〜3カ月程度かかります。)。この間に権限なく特許発明を実施している者は特許法103条の特許権侵害者に当たりそうですが,特許公報が未だ発行されていない以上,上記の過失の推定の根拠が当てはまらないとも考えられ,過失を認めるべきではないのではないかという疑問が生じます。
 (2) 補償金請求
 特許の出願公開の後であっても,特許権の設定登録がなされるまでの間は特許権の効力は生じませんから,その間に権限なく特許発明を実施したとしても,「特許権の」侵害行為であるとはいえません。しかし,公開された発明が他人によって勝手に実施される事態を放置すれば,出願人はその他人の実施がなければ出願人がより多く得たであろう利益を喪失することとなってしまいます。
 そこで,特許法は,特許出願人が特許出願に係る発明の内容を記載した書面を提示して警告をすることを条件として(例外的に警告をしなくても補償金請求ができる場合について特許法65条1項後段を参照),特許権設定登録後に実施料相当額の補償金の請求を行うことができる旨を規定しています(特許法65条1項,2項)。
 本件では,最初の警告書送付後通告書の送付前に特許請求の範囲について補正がなされ,最初の警告書において示された発明の内容が本件特許発明と異なるものとなるため,補償金請求権は発生しないのではないかが問題となりました。

第4.裁判所の判断

 (1) ロ号物件の構成要件該当性
 裁判所は,本件特許発明の特徴は,「収納空間の幅はそれぞれの建物によって異なるところ,あらゆる寸法の収納空間に適用可能な置棚を得るために,その長さを調節可能とし,さらに,固定棚と取替棚を常に水平かつ段差なく支持し,加えて,棚の積載荷重を大きくとるために,固定棚及び取替棚を外管のみで支持すること」にあるとし,したがって,ある置棚が構成要件D,Eを充足するといえるためには,その置棚が通常用いられる,調節可能な長さの全範囲において,構成要件D,Eを常に充足する必要があるとしました。
 そして,ロ号物件は,置棚を71.5cmから102cmの幅で用いる場合は,外管2aは固定棚の支持部3bに挿入されないこととなり,固定棚は水平に支持されないこととなって構成要件Dを満たさず,また,この場合,取替棚のいずれかの一端又は両端は外管2a上に掛止されないこととなって構成要件Eを充足しないこととなるので,結局ロ号物件は本件特許発明の技術的範囲には属しないと判断しました。
 (2) 権利濫用の抗弁(進歩性)
 被告は,本件特許発明は,本件特許出願前に公知であった英国特許出願公開明細書等に基づいて当業者が容易に発明することができたものであると主張しました。
 これに対し,裁判所は,上記のとおり本件特許発明の特徴は「収納空間の幅はそれぞれの建物によって異なるところ,あらゆる寸法の収納空間に適用可能な置棚を得るために,その長さを調節可能とし,さらに,固定棚と取替棚を常に水平かつ段差なく支持し,加えて,棚の積載荷重を大きくとるために,固定棚及び取替棚を外管のみで支持すること」にあるところ,本件に現れた全証拠によっても,本件特許出願以前において,本件特許発明における「固定棚及び取替棚を外管のみで支持する」との構成が公知であったと認めることはできないとして,被告の主張を排斥しました。
 (3) 特許権の設定登録後特許公報発行前の過失の有無
 裁判所は,本件特許出願について特許審決がなされ最初の特許料が納付された事実が記載された通告書が被告に到達していたことを指摘し,その上で,一般に,特許査定ないし特許審決がされ,特許料が納付されれば,特段の事情がない限り,早晩特許権の設定登録がなされるのであるから,被告は,通告書の到達時点で本件特許出願について早晩特許権の設定登録がなされるであろうことを高い確度をもって予見できたものと認めることができるとしました。そして,被告は,近い将来において特許権設定登録がなされ,その結果,自己の販売行為が原告の特許権を侵害する行為となり,原告に損害を与えることとなることを高い確度をもって予見でき,しかも適法に販売行為ができる期間の正確な終期(特許権設定登録時)を知らなかったのであるから,被告としては自らの違法な行為によって原告に損害を生じさせることを避けるためにその時点(通告書の到達時)において販売行為を中止する注意義務を負っていたというべきであり,被告がイ号物件の販売を継続した行為については,かかる注意義務に違反した過失が認められるとしました。
 (4) 補償金請求権の成否
 本件では,特許請求の範囲が出願公開後に補正され,公開特許公報に掲載されたもの(警告書1に記載されたもの)と登録時のものとが異なっていました。この点,裁判所は,特許出願人が出願公開後に発明の内容を記載した書面を提示して警告した後,特許請求の範囲が補正された場合において,《1》その補正が元の特許請求の範囲を拡張,変更するものであって,警告を受けた者の実施品が補正前の特許請求の範囲の記載によれば発明の技術的範囲に属しなかったのに,補正後のそれによれば発明の技術的範囲に属することとなる場合は,改めて警告を行うなどして警告を受けた者に対して補正後の特許請求の範囲の内容を知らせる必要があるが,《2》その補正が,最初の明細書,図面の範囲内において補正前の特許請求の範囲を減縮するものであり,警告を受けた者の実施品が補正の前後を通じて発明の技術的範囲に属する場合は,改めて警告を行う等しなくても,その者に対して補償金を請求することができるとしました。そして,本件では,補正は特許請求の範囲を減縮するものであったと認められ,イ号物件は補正の前後を通じて本件特許発明の技術的範囲に属するものであったと認定し,最初の警告書を根拠とする補償金請求を認めました。
 なお,補償金請求に際しての実施料率としては,本件特許発明の進歩性及び作用効果の程度,また,被告が本件訴訟提起後にイ号物件の販売を中止しこれに代えてロ号物件の販売を開始しているところ,被告がロ号物件についてイ号物件と同一の製品番号を付し,同一の箱を使用して,イ号物件と同等品(ないし同一品)として販売していることなどに照らし,卸売価格の3%が相当であるとしました。
 (5) まとめ
 結論として,裁判所は,ロ号物件の製造販売等の差止め,廃棄の請求及びロ号物件にかかる損害賠償の請求についてこれを棄却し,イ号物件にかかる補償金及び損害賠償の請求について5058万円余を認容しました。

第5.検討

 前記のとおり,特許の出願公開後特許権の設定登録前の特許発明の実施行為については,実施料相当額の補償金請求が可能ですが,補償金請求権が認められるためには,原則として,特許出願に係る発明の内容を記載した書面を提示して警告を行うことが必要です。
 また,本判決においては,本件特許出願について特許すべき旨の審決がなされ,原告が最初の特許料を納付した事実を記載した通告書が被告に到達していることから,被告が通告書の到達時点において本件特許出願について早晩特許権の設定登録がなされるであろうことを高い確度をもって予想することができたことを,特許権設定登録後特許公報発行前における被告の過失を認める根拠としています。したがって,仮に,本判決の事例において前記のような通告書が被告に送付されていなければ,本判決の論理からは,特許権設定登録後特許公報発行前の実施について被告に過失がないとされる余地もあることになります。
 したがって,特許の出願後は,漫然と権利化を待つのではなく,他人により特許発明が無断で実施されていないかを監視し,他人による実施を発見したときは,弁護士等の専門家に依頼して(本判決では,被告の過失を認める前提として,一般に,弁理士が依頼者を代理して警告書等を送付する際に,その中に客観的事実として記載された事項は,一応信頼するに足りる場合が多いと認められるとしています。)相手方に対する警告を行っておくことが重要といえます。



いくた てつお 1972年東京工業大学大学院修士課程を修了し,メーカーに技術者として入社。82年弁護士・弁理士登録後,もっぱら,国内外の侵害訴訟,ライセンス契約,特許・商標出願,異議等の知的財産権実務に従事。この間,米国の法律事務所に勤務し,独国マックス・プランク特許法研究所に滞在。
もりもと しん 東京大学法学部卒業。2002年弁護士登録。同年より生田・名越法律特許事務所において知的財産権侵害訴訟。ライセンス契約等の案件に従事。