知的所有権判例ニュース |
「スチールバンド」なる構成を 「樹脂製バンド」に置き換えた被告製品について 均等論の適用が認められた事例 |
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「平成15年2月10日 名古屋地裁判決 平成8年(ワ)第2964号事件」 |
生田哲郎 池田博毅 |
1.事件の概要 |
本件は,圧流体シリンダに関する実用新案権(実用新案登録第2035182号)を有する原告が,被告に対し,その製造販売する圧流体シリンダが原告の権利を侵害するとして,損害賠償等の支払いを求めた事案で,基本的な構成は同じでクレームにおける「スチールバンド」なる構成を「樹脂製バンド」に置き換えた被告製品につき均等論の適用が認められたケースですが,第5要件の解釈および適用につき,特許権者が「より広義の用語を使用することができたにもかかわらず,過誤によって狭義の用語を用い,かつ広義の用語への訂正をしない」ケースについて,「均等論は,限定された場面であるにせよ,正しくこのような場合における権利の救済を認める法理である。」として被告による意識的除外ないし包袋禁反言の主張を排斥した興味深いケースです。 原告の実用新案権の実用新案登録請求の範囲を構成要件に分説すると,次のとおりです(なお,下線は筆者が付した。)。 A バレルの側壁に軸方向にスリットを有し,該スリットよりバレル内の遊動ピストンに連設されたドライバーの先端が突出し,スリットはスチールバンドにて密封されるようになっている所謂ロッドレスシリンダにおいて, B バレルのスリットを挟んだ両側の側壁の一方のみには,その一方の側壁から下方に延びる側壁の下方部にベースを一体に突設し,そのベースの上にピストンの軸芯と平行な棒状の案内レールを一体に突設し, C その案内レールには,前記スリットの幅方向の両外側に前記軸芯と平行な案内面を夫々備え, D これらの案内面に案内される案内面を有する案内子を前記ドライバーに設けたことを特徴とする圧流体シリンダ。 本件では,《1》構成要件AないしDの各充足性の有無,《2》進歩性欠如または改正前の法5条4項,37条1項3号違反の無効理由の有無,《3》損害の発生および額の3つが争点として争われました。 これらのうち,《1》に関しては,構成要件Aにおける「スチールバンド」に相当する被告製品の構成が樹脂製バンドであることから,充足性が否定され,かかる構成の置換についての均等論の適用の有無が問題となりました。 |
2.裁判所の判断 |
いわゆるボールスプライン軸受事件における均等論に関する最高裁判例(最高裁判所平成10年2月24日第3小法廷判決・民集52巻1号113頁)を引き,同判例が示した規範に沿って判断しました。 まず第1要件の非本質的部分該当性について,「本質的部分とは,登録請求の範囲のうちで,先行技術と対比して当該考案特有の課題解決手段を基礎づける特徴的な部分,言い換えれば,当該部分が他の構成に置き換えられるならば,全体として当該考案の技術的思想とは別個のものと評価されるような部分をいうものと解される。」と一般論を述べました。そして,明細書の記載から,本件考案の特徴を,「バレルのスリットを挟んだ両側の側壁の一方のみに,その側壁から下方に延びる側壁の下方部にベースを一体に設け,その上に棒状のスリット幅方向の両外側に案内面をそれぞれ備えた案内レールを一体に突設して,片持ち状態でドライバーを案内することによって,装置を小型化しつつ,圧流体が供給されてピストンの軸芯に負荷が作用してもドライバーが左右に傾倒することなく,摺動抵抗を極めて小さくして,ドライバーを支障なく正確に案内できるようにしたことにある」と認定し,「ロッドレルシリンダにおいて,スリットを密封し,バレル内に供給された圧流体を封じ込めるものとして,スチールバンドを用いることは,本件考案の本質的部分でない」と認定しました。 ![]() なお,いわゆる「おいて書き」に記載される部分は本質的部分であるとする被告の主張に対し,本質的部分か否かは,その記載形式だけで決定されるものではないとして被告の主張を排斥しました。 次に,第2要件の置換可能性については,本件考案の「目的,作用効果を達成するためのバンドが鋼製でなければならないという技術的理由は見当たらず,イ号物件の樹脂製のベルトも,同様の目的,作用効果を有していることは,その構成から明らかである」として置換可能性を認めました。 なお,樹脂製バンドが「スチールバンド」と比較して種々の利点を有するので作用効果の同一性を否定すべきであるとの被告の主張については,本件考案における「スチールバンド」が果たす役割を果たしていれば足り,樹脂製バンドが「スチールバンド」が有しない利点を持っているとしても置換可能性は否定されないとして排斥しました。 さらに,簡潔に,第3要件の置換容易性を認定し,第4要件の被告製品の公知技術からの容易推考性については否定しました。 最後に,第5要件の包袋禁反言(意識的除外)については,被告は,原告はスリットを密封するものとして「シールバンド」を使用すべきところを誤って「スチールバンド」の名称を使用しながら,これを訂正することなく放置しているとして,不作為による意識的除外ないし包袋禁反言の法理を援用しましたが,裁判所は,次のように判示してかかる被告の主張を排斥しました。 すなわち,「原告が,本件考案の出願手続において,樹脂製バンドによる構成を意識的に除外したと認めるに足りる証拠はない(中略)上,上記の法理は,例えば出願中の審査官からの登録拒絶通知又は無効理由通知に対応して,権利者がその権利の登録ないし存続を図るべく,権利の範囲を限定し,あるいはそれを明確ならしめる特定文言を付加したなどの事情が存する場合に,後日,これに反する主張をすることは,信義則によって禁じられるという内容であるところ,本件のように,より広義の用語を使用することができたにもかかわらず,過誤によって狭義の用語を用い,かつ広義の用語への訂正をしない(このような訂正が許されるか否かはともかく)というだけでは,均等の主張をすることが信義則に反するといえないことは明らかである(均等論は,限定された場面であるにせよ,正しくこのような場合における権利の救済を認める法理である。)。」と判示しました。 このようにして,上記置換された被告製品の構成(=樹脂製バンド)は構成要件Aの「スチールバンド」と均等であるとしました。 また,構成要件BないしDの充足性については肯定し,進歩性否定の無効理由の有無については,提出された引用文献のいずれにも構成要件Bに相当する構成が記載も示唆もされていないとして否定し,考案の構成に欠くことのできない事項が記載されていないとする無効理由も否定し,権利侵害を認めました。 さらに,損害論については,実用新案法第29条1項の適用を否定し,同条3項に基づいて相当実施料率を10%と認定するなどし,1億7383万9240円の損害額を認定しています(うち弁護士費用1000万円。なお,請求額は4億2614万4000円。)。 |
3.検討 |
(1) 均等論 均等論は,文言侵害が認められない場合に主張されることがしばしばありますが,前記最高裁判決以降も,均等論の適用が認められ侵害とされたケースは決して多いとは言えません(平成15年の地裁判決で均等論の適用が認められたケースとしては,本件のほかに大阪地判平成15.3.13や東京地判平成15.3.26があります。)。 本件では,前記最高裁判決が示す規範のいわゆる第1,第2および第5要件が特に問題となっています。 これらのうち,第1および第2要件についての上記判断は,一般論においても具体的な適用においても特に問題はないと思われます。 しかし,第5要件についての前記判断の一般論の部分には疑問が残るところです。 本件判決は,「本件のように,より広義の用語を使用することができたにもかかわらず,過誤によって狭義の用語を用い,かつ広義の用語への訂正をしない(このような訂正が許されるか否かはともかく)というだけでは,均等の主張をすることが信義則に反するといえない」(注:下線は筆者が付した。)と述べています。 しかし,前記最高裁判決においては,均等論の根拠として「特許出願の際に将来のあらゆる侵害態様を予想して明細書の特許請求の範囲を記載することは極めて困難であり,相手方において特許請求の範囲に記載された構成の一部を特許出願後に明らかとなった物質・技術等に置き換えることによって,特許権者による差止め等の権利行使を容易に免れることができるとすれば,社会一般の発明への意欲を減殺することとなり,発明の保護,奨励を通じて産業の発達に寄与するという特許法の目的に反するばかりでなく,社会正義に反し,衡平の理念にもとる結果となる」ことが挙げられています。 これによれば,均等論が特許権者の「過誤」によるクレーム構築の失敗を救済するものとは必ずしもいえないと思われます。むしろ,特許権者において出願の際に広義の用語を用いることが極めて困難であることを基礎づける事情がない限り,均等論の適用は認められないというべきでしょう。実質的な価値判断としても,特許権者自身の過誤の責任は本来特許権者自身が負担すべきであるといえるでしょうから,狭義の用語を用いたことが特許権者の「過誤」による場合にまで均等論による救済を認めることには疑問が残るところです。 前記最高裁判決によれば,均等論の第5要件の存在理由は「特許出願手続において出願人が特許請求の範囲から意識的に除外したなど,特許権者の側においていったん特許発明の技術的範囲に属しないことを承認するか,又は外形的にそのように解されるような行動をとったものについて,特許権者が後にこれと反する主張をすることは,禁反言の法理に照らし許されない」ことにあります。 本件のように,出願経過における特許権者の積極的な行為が存在しない場合であっても,明細書の発明の詳細な説明や図面に開示されている広い発明を,特許請求の範囲により限定して記載した場合の特許請求の範囲に記載されなかった部分の発明については,意識的に除外されたものとして取り扱うべきであるとする見解があります。 出願人は出願時には自己の裁量で自由に請求の範囲を構築でき,かつ,個々の用語を意識的に取捨選択して請求の範囲を構築するのが通常であり,その結果構築された請求の範囲の文言から外れる構成については,特許権者が意識的に除外したものとして取り扱うべきと考えることも可能と思われます。少なくとも,上記見解のような部分の発明については,特許権者が意識的に除外したという事実上の推定が働くものと思われます。さらに,明細書に明記されているもの以外でも,出願当時当業者にとって自明であった構成についても,意識的除外の対象となるか否かについては今後の議論が待たれるところです。 本件では,判決文上からは明らかではありませんが,明細書の発明の詳細な説明にスチールバンド以外のシールバンドの記載があるか否か,ないとしても出願当時当業者にとってスチールバンド以外のバンドをシールバンドとして用いることが自明であったか否かについての主張を通して均等論の第5要件についての慎重な判断がなされるべきであったものと思われます。 (2) 均等論の適用方法について 本件では,裁判所の判断の冒頭で,被告製品の「樹脂製バンド」が構成要件Aの「スチールバンド」と均等か否かを論じています。 この点,前記最高裁判決は,「特許請求の範囲に記載された構成中に対象製品等と異なる部分が存する場合であっても,(中略)ときは,右対象製品等は,特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして,特許発明の技術的範囲に属するものと解するのが相当である。」と判示しています。 これによれば,均等か否かは対象製品等と特許請求の範囲に記載された構成とについて検討すべきであり,置換された構成間のみで均等を検討すべきではないと思われます。 もっとも,結論においては,置換された構成間の均等と,被告製品全体と特許請求の範囲に記載された発明との均等は一致するので,実際上の問題は少ないですし,また,これまでの裁判例でも,置換された構成について均等と判示するものもあります(たとえば,東京地判平成15年3月26日など)。 (3) 実用新案法第29条1項について 本件では,原告は,実用新案法第29条1項および3項に基づく損害額の推定を主張しました(それぞれ特許法第102条1項および3項に相当する規定です。)。 これに対して本件判決は,原告が製造・販売している製品が本件考案の実施品でないことを認定したうえで,「このような場合には,原告製品と侵害製品とが市場において競合し,侵害製品がなかったならば原告製品の販売量が増加するとの関係が相当な確度でもって認められない限り,原告製品の単位利益額をもって,法29条1項に基づく損害の請求をなし得ないと解すべき」としたうえで,かかる関係が認められない以上同条項による損害額の推定を否定し,同条3項により損害額を認定しました(相当な実施料率は10%としました。)。 実用新案法29条1項と同趣旨の規定である特許法102条1項の適用に関して,「販売することができた物」の文言の解釈につき争いがあることは周知の通りです。本件判決は,問題となっている発明や考案の実施品に限定されるわけではなく,競合品でもよいが,侵害製品の不存在と原告製品の販売量増加との間の相当因果関係を原告側で主張立証することが必要であるとしています。実施品に限定されないとする見解に立つ裁判例としては,たとえば,東京高判平成11年6月15日判時1697号96頁があり,逆に実施品に限定されるとする見解に立つ裁判例としては,たとえば東京地判平成13年7月17日(平成11年(ワ)第23013号事件)があります。 |