発明 Vol.97 2000-6
知的所有権判例ニュース
侵害訴訟における特許無効の主張

神谷巖
1.事件の概要
 被告Yは,昭和35年2月6日に米国における特許出願に基づく優先権を主張して,特許出願(以下原々出願といいます)をし,昭和39年1月30日にこの原々出願を親出願として分割出願をし(以下原出願といいます)をし,さらに昭和46年12月21日に再度分割出願(以下本件出願といいます)をしました。この本件出願は出願公告され,その後特許されました(特許第320275号,以下本件特許権といいます)。被告Yは本件特許権に基づき,原告Xの製造・販売する半導体装置がこの技術的範囲に属することを主張し,原告Xに対して実施料相当額の支払いを要求しました。そこで原告Xは,被告Yに対して,本件特許権の侵害による損害賠償義務を負うものではない,と主張し,債務不存在確認請求事件を東京地方裁判所に対して起こしました。第一審東京地方裁判所は,審理の上,平成6年8月31日に判決を下し,原告の請求を棄却しました。これに対して被告Yが東京高等裁判所に控訴しましたが,東京高等裁判所は平成9年9月10日,被告Yの控訴を棄却する判決を下しました。被告Yはさらに最高裁判所に上告しましたが,最高裁判所は平成12年4月11日,上告棄却の判決をしました。
 第一審の東京地方裁判所の判決は,イ号物件,ロ号物件ともに,本件発明のある構成要件を充足しないから,その技術的範囲に属するものではない,というものでした。
 これに対して,東京高等裁判所の判決は,次のように判示しました。
 A 本件出願は,これが原出願の適法な分割出願であるとすれば,旧特許法第9条第1項の規定により,原出願の時にされたものとみなされる。しかし,本件出願は,分割出願として不適法であるから,原発明と同一の発明につき原出願に遅れて出願したものであり,本件特許は,特許法第39条第1項の規定により拒絶されるべき出願に基づくものとして,無効とされる蓋然性が極めて高いものである。
 B また,本件発明は,公知の発明に基づいて容易に発明することができることを理由として拒絶査定が確定している原出願に係る原発明と実質的に同一であるから,本件特許には,この点においても無効理由が内在するものといわなければならない。
 C このような無効とされる蓋然性が極めて高い本件特許権に基づき第三者に対し権利を行使することは,権利の濫用として許されるべきことではない。
 これに対して被告Yは,上告理由として次のように主張しました。「特許権侵害訴訟においては,特許権を有効なものとみなして対象物件が技術的範囲に属するか否かを判断するべきであるにもかかわらず,本件特許権を実質上無効とする判断を行った原判決には,法令違反,審理不尽及び理由不備の違法がある。」。
 
2.最高裁判所の判断
 a 特許法は,特許に無効理由が存在する場合に,これを無効とするためには専門的知識経験を有する特許庁の審判官の審判によることとし(特許法第123条第1項,第178条第6項),無効審決の確定により特許権が初めから存在しなかったこととみなすものとしている(同法第125条)。したがって,特許権は無効審決の確定までは適法かつ有効に存続し,対世的に無効とされるわけではない。しかし本件特許のように無効理由が存在することが明らかで,無効審判請求がされた場合には無効審決の確定により当該特許が無効とされることが確実に予見される場合にも,その特許権に基づく差止め,損害賠償等の請求が許されると解することは,次の諸点にかんがみ,相当ではない。
 b このような特許権に基づく当該発明の実施行為の差止め,これについての損害賠償等の請求を認容することは,実質的に見て,特許権者に不当な利益を与え,右発明を実施する者に不当な不利益を与えるもので,衡平の理念に反する結果となる。また紛争はできる限り短期間に一つの手続で解決するのが望ましいものであるところ,右のような特許権に基づく侵害訴訟において,まず特許庁における無効審判を経由して無効審決が確定しなければ,当該特許に無効理由の存することをもって特許権の行使に対する防御方法とすることが許されないとすることは,特許の対世的無効までも求める意思のない当事者に無効審判の手続を強いる結果となり,訴訟経済にも反する。
 c したがって,特許の無効審決が確定する以前であっても,特許侵害訴訟を審理する裁判所は,特許に無効理由が存在することが明らかであるか否かについて判断することができると解すべきであり,審理の結果,当該特許に無効理由が存在することが明らかであるときは,その特許権に基づく差止め,損害賠償の請求は,特段の理由がない限り,権利の濫用に当たり許されないと解するのが相当である。このように解しても,特許制度の趣旨に反するものとはいえない。大審院大正6年4月23日判決その他右見解と異なる大審院判例は,以上と抵触する限度において,いずれもこれを変更すべきである。

3.検討
 最高裁判所の判決は,それ自身が物語っているとおり,無効理由を有する特許に基づく権利行使を禁じたものであり,しかも侵害訴訟を担当する裁判所が無効理由を判断する道を開いたものです。従来,上記大審院の判例以降,無効理由が存するか否かは特許庁の専権事項である,という論理が一般的に通用してきました。しかしそのために,例えば新規性がない発明については,特許権の技術的範囲をその実施例に限るとするなど,論理的に整合性がない判決が相次いだのです。例えば,ある人間が他人の実施する新発明を見て,該他人が実施するとおりの実施例を掲げて特許権を取得した場合,当該特許権の範囲を実施例に限定しても,当該他人を救済することはできないのです。
 本判決は,特許庁の手続により特許を対世的に無効とすることと,侵害問題を扱う裁判所で当該事件の限りにおいて特許を無効とすることを区別しているように見えます。ちょうどそれは,かっての刑法第200条(尊属殺)の規定が,憲法の保障する法の下の平等に違反するとして,ある事件限りにおいて無効とされながら,刑法上はそれが廃止されるまで,法としては存在したのと同じことです。問題は,特許庁から調査官が派遣されている東京地方裁判所や大阪地方裁判所ではあればともかく,それらの態勢が整っていない他の裁判所では,無効理由(特に進歩性の判断)に対する判断までなし得るのか,という点です。


かみや いわお 1965年東京工業大字理工学部を卒業,67年同大学院修士課程を修了し,直ちにソニー株式会社に研究者として入社。78年同社を退職し,同年司法試験に合格する。81年弁護士登録をし,主に知的財産権関係の事件を扱う。