知的所有権判例ニュース |
商標権の乱用 |
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神谷巖 |
1.事件の概要 |
原告Xは,平成4年9月30日に第42類の「電子計算機のプログラムの設計・作成又は保守」を指定役務とする「ウイルスバスター」商標の登録出願をし,平成8年3月29日にその登録を得ました。これに対し被告Yは,平成3年4月頃から,「ウイルスバスターVer.5」等の商標を付したコンピュータウイルス対策用ソフトウェアを記憶させたフロッピーディスク又はCD−ROMを製造・販売しました。これに対してXが,主位的請求として被告商品の製造・販売の差止,予備的請求として被告製品に,「ウイルスバスター」は原告の登録商標(役務)である趣旨の表示を付するよう,請求して東京地方裁判所に訴えを提起しました。
この訴訟では,被告商品に被告商標を付して製造・販売する行為が,上記役務商標に類似する役務の提供に当たるか,被告は原告が上記商標の登録出願前から被告商標を使用したことによって先使用権又は継続的使用権を有するか,本件商標は特別顕著性を有しないのではないか,原告の権利行使は権利の乱用ではないか,等の多岐に亘る論点がありました。本稿では,誌面の都合上,先使用権に関する部分は,ここには述べません。 |
2.審決の要旨 |
東京地方裁判所は,平成11年4月28日,原告の請求を棄却する判決を言い渡しました。その要旨は次の様です。
《1》指定役務と商品の類似性について 被告が被告商標を,コンピュータウイルス対策用ソフトを記憶させた磁気ディスクに付して販売等をしたことは,ウイルス対策用ディスクという「商品」に使用したものである。 原告は,ウイルス対策用ディスクの販売の本質は,コンピュータウイルス対策用ソフトウェアの設計・作成又は保守という役務の提供そのものであるから,上記被告の行為は本件指定役務の提供に当たると主張するが,被告は,ウイルス対策用ディスクを販売しているのであって,そのディスクに記憶されたソフトウェアを設計又は作成したのが被告であり,このディスクを買い受けた者がこのソフトウェアを電子計算機のプログラムの保守に使用するとしても,被告の行為が本件指定役務の提供に当たるということはできない。 役務が商品に類似するとは,当該役務と当該商品に同一又は類似の商標を使用した場合に,当該商品が当該役務を提供する事業者の製造又は販売に係る商品と誤認されるおそれがあることをいうものと解される。ウイルス対策用磁気ディスクと本件指定役務はその内容からともにコンピュータ利用者を需要者とするものであると認められるから,両者は需要者が同一である上,ウイルス対策用ディスクは,電子計算機のプログラムの保守に使用されるものである。よってウイルス対策用ディスクの商品の内容と本件指定役務の内容は共通することを考慮すると,ウイルス対策用ディスクに本件商標に類似する被告商標を使用すれば,本件指定役務を提供する事業者においてこれを製造又は販売しているものと需要者に誤認されるおそれがあるものと認められる。したがってウイルス対策用ディスクは本件指定役務に類似する商品に当たるというべきである。 《2》継続的使用権について 被告は,被告商標を被告商品に付し,被告商品及びその被告商品に関する広告,価格表,取引書類又は説明書類に被告商標を付したものを展示し又は頒布しているところ,このような被告の行為は,「商品」について被告商標を使用するものであり,本件指定役務について被告商標を使用するものということはできない。 《3》権利の乱用について 証拠によると,・・・被告商品「ウイルスバスター」は,コンピュータ利用者の間において,被告の販売するウイルス対策用ディスクを表示する著名な商標であると認められ,これに反する証拠はない。 原告は,平成7年4月,片仮名で「ウイルスバスター亅と横書きした商標について,指定商品を第9類の「電気通信機械器具,電子応用機械器具及びその部品」として商標登録の出願をした。これに対して平成10年8月28日発送日の拒絶理由書により,この商標出願に係る商標は,「ウイルスを撃退する」の意味合いを認識させる「ウイルスバスター」の文字を書してなるところ,これをその指定商品中,例えば「電子計算機用プログラムを記憶させた記録媒体」に使用するときは,「コンピュータウイルスを撃退するためのソフトウェア」であろうと理解させるにすぎず,単に商品の品質,用途を表示するにすぎないものと認める。したがって,この商標登録出願に係る商標は,商標法第3条第1項第3号に該当し,前記商品(役務)以外の電子応用機器及びその商品に使用するときは商品(役務)の品質の誤認を生じさせるおそれがあるから,商標法第4条第1項第16号に該当する」との拒絶理由を受けた。よって本件商標は,それ自体としては,一般的に出所識別力が乏しいといわざるを得ない。 原告は,本件商標の登録出願をした平成4年9月30日以降,本件商標を本件指定役務に使用したことはない。したがって,本件商標には原告の信用が何ら化体されていないものと認められる。 以上,本件商標は一般的に出所識別力が乏しく,被告は,原告が本件商標の登録出願をする前から継続的に使用してきており,現在では被告商標は一般消費者が直ちに被告商品であることを認識できるほど著名な商標であるから,原告の被告に対する本件商標権の行使は権利の濫用として許されない。 |
3 検討 |
本件では,まず役務商標と商品商標の類似性が問題になっており,なかなか興味深いものです。
次に本件訴訟では,継続的使用権の抗弁が認められませんでした。平成3年法律第65号により役務商標の登録が認められた際に,経過規定として附則第3条第1項により,「役務」についてのみ継続的使用権が認められている法制上,仕方がなかったといえます。 最後に裁判所は,権利濫用の抗弁を採用しました。従来から,商標権者が登録商標を使用していない商標権の行使に反対する学説が有力に展開されていました。しかしこれに反対する学説もありました。登録商標が使用されていない場合には,商標法の建前上,商標の取消審判を請求し,取消審決が確定してから主張できることとされているので,単に使用していないから,といって権利の行使ができないとする訳にはいかない,という考え方でしょう。本件では,いまだ登録から3年間が経過しないうちに訴訟が起きたので,積極説を採らないと被告を保護することができなかったのです。それに,本件ではこれに付加して,むしろ問題の商標に被告への信頼が形成されていた事案だったので,積極説を認めやすかったのでしょう。 |