知的所有権判例ニュース |
先願発明との同一性の判断 |
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神谷 巖 |
1 事件の概要 |
原告Xは,発明の名称を「カット野菜パックの製造方法」とする特許第2046054号の特許権を有していました。これに対して被告Yは,特許無効審判を請求し,特許庁は「特許第2046054号発明の明細書の請求項第1項ないし第2項に記載された発明についての特許を無効とする。」との審決をしました。その理由は,概括していえば,本件発明の出願後公開された先願発明と同一である,とするにあります。本件発明は,容易に理解できるものなので,その発明の趣旨を簡単に紹介します。要するに,カット済みの野菜は時間と共に急速に劣化するので,カット後洗浄脱水したカット済み野菜を低温に保った雰囲気の中で秤量,小分け袋への充填,真空包装する,というものです(なお,特許請求の範囲には真空包装を低温化で行う旨の記載がありませんが,審決はこの点を相違点として認定しています)。
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2 審決の要旨 |
本件では,冒認出願とか,請求項1の発明に更に要件を付加した請求項2についての議論などもあるのですが,本稿では,それらの点は省きます。
審決は,先願発明には本件発明の請求項1記載の発明の大部分の構成が記載されているが,次の(イ),(ロ)の2点で相違するとしました。 (イ)最終洗浄装置と遠心脱水機との間の自動搬送装置をネットコンベアにした点, (ロ)秤量,袋への充槇,真空包装の作業の雰囲気を低温にした点。 そして,相違点(ロ)について検討をしています。明細書にはその発明の本質について当業者が容易に理解することができる程度に詳細,かつ明瞭に記載しなければならず,またその発明を当業者が実施する上で必要な事項を詳細かつ明瞭に記載しなければならないが,しかし,その発明と技術的に関連する技術常識やこの常識を参酌することによって容易に明細書または図面から読みとれること,その発明の実施に当たっては当然に採用されることが自明のことまでも記載する必要はない。したがって,従来周知の事項等の当業者の常識を参酌することによって,先願の明細書または図面の記載から推認される(読みとれる)技術的事項,その発明の実施に当たって当然に採用されることが自明の事項は,これに記載された事項の範囲内のことと解するのが相当である。相違点(ロ)について,先願発明には,坪量,充填,真空包装を低温下で行う旨の記載はないが,洗浄後の野菜についても,それがカットされたものであるか否かに拘わりなく,低温状態に保持されることがその鮮度低下を避ける上で望ましいのであるから,野菜の鮮度保持のためには洗浄はもちろん,遠心脱水,搬送等の各工程を低温状態にすることが望ましいとは自明のことである。カット済みの野菜の秤量,袋詰め及び真空包装の一連の工程を常温下で行うことは不可能ではないが,先願発明に記載されたカット済み野菜自動化生産方法にあっては,特にこれら一連の作業を常温下で行うものであると解すべき特段の事由もない。更に先願発明では,真空冷却装置によって十分に冷却された後,直ちに計量,袋詰め,真空包装の一連の作業雰囲気が積極的に冷却されるものではないにしても,当該作業工程においてカット済み野菜は十分に低温状態にあり,低温下において上記一連の作業がなされるものと推測されないものでもない。したがって,相違点(ロ)は先願発明のカット済み野菜の自動化生産方法において,その前提技術を参酌しつつ常識的に読みとれる範囲である。よって先願発明と実質上同一発明であるということができる。 |
3 審決取消訴訟における相違点(ロ)に関する主張 |
原告Xは,「特許法第29条の2の規定にいう『明細書または図面に記載された発明または考案』には,明細書または図面に記載された発明または考案から推考できる技術的事項は含まれない。しかるに審決は,・・・・・・と説示して,相違点(ロ)は先願明細書から読みとれる範囲内の事項である旨の結論を導いている。この判断は,先願明細書の記載から推考できる事項を先願明細書に記載された事項に取り込んでいることが明らかであって,誤りである。」
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4 裁判所の判断 |
東京高等裁判所は平成10年10月13曰,審決を取り消す旨の判決を下しました。その要旨は,次の通りです。
「本件発明の特許請求の範囲には,前記のように『低温下で秤量し』,『低温下で小分け袋に充填し』と記載されているから,本件発明の発明者が秤量工程及び充填工程を低温下において行うことに特別の技術的意義を認めていることが明らかである。」「先願発明の特徴は,カット済み野菜の秤量工程及び充填工程の後に冷却工程を行う従来技術を,まずカット済み野菜をまとめて冷却した後に秤量工程及び充填工程を行う構成に改良することによって,秤量工程及び充槇工程の自動化を容易にした点にあることが明らかであって,秤量工程及び充槇工程をどのような作業雰囲気において行うかについては特別の問題意識はなかったと解するのが相当である。 したがって,相違点(ロ)は先願発明の記載から常識的に読みとれる範囲内のことであるとした審決の判断は,先願明細書の記載を離れたものであって,誤りというべきである。」 「確かに審決が説示するように『洗浄後の野菜についても,それがカットされたものであるか否かに拘わりなく,低温状態に保持されることがその鮮度低下を避ける意味で望ましい』ことは,当業者が援用する証拠を待つまでもなく,一般的な常識に属する事項である。しかしながら,先願発明において,カット済みの冷却工程の後に,常温下で秤量工程及び充槇工程を行うことは当然に可能であり,かつ,それが技術的に不合理といえないことも明らかであるところ,先願明細書には,カット済み野菜をまとめて冷却することは記載されているのに,その後の秤量工程及び充填工程については低温下で行うことは記載されていないのである。したがって,前記の常識に属する事項を論拠として,先願明細書にはカット済み野菜の秤量工程及び充填工程を低温下で行うことが記載されているに等しいとみることはできないものというべきである。」 |
5 検討 |
判旨には,やや疑問を覚えます。一般的に特許出願の際添付される明細書には,明示してはいない事項であっても,当業者が容易に理解でき自明の事項は,記載してあるのと同様に扱うべきものとされてきました。当業者にとっては自明の事項を長々と記載することは,徒に記載が長くなるからです。本件の場合,裁判所は秤量・充填を低温下で行うことは技術的常識である,と認めた訳ですから,この常識(周知技術)により先願発明を補って理解しても差し支えなかったのではないでしょうか。
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