知的所有権判例ニュース |
損害額の推定 |
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(東京地方裁判所平成8年9月27日制決/東京高等裁判所平成10年2月12日判決) |
神谷 巖 |
1.事件の概要 |
原告X1は,名称を「O脚歩行矯正具」とする考案(以下本件考案といいます)について,実用新案権を有していました。この考案は,その名称からも知られるように,O脚の人が履いた際にこれを矯正することができるように工夫された,靴の中敷きに関するものです。
X1は原告X2に対して独占的通常実施権を設定し,X2は本件考案の実施品であるO脚歩行矯正具を製造販売していました。 一方Y1は,本件侵害訴訟の対象となった靴の中敷き(以下イ号物件といいます)を製造販売し,Y2はこれを仕入れて卸販売をしていました。X1とX2とは,イ号物件の製造・販売の中止,イ号物件製造用の金型の廃棄,X2に対して,Y1は約435万円,Y2は約811万円を支払えとの損害賠償を請求して,東京地方裁判所に実用新案権侵害差止等請求事件を提起しました。本件訴訟では,イ号物件が本件考案の技術的範囲に属するかという点と,X2が被った損害額は幾らであるかという点の2点が争われました。本稿では,前者についての説明を省略し,後者の点について紹介します。 |
2.争 点 |
Y1は,イ号物件の販売により約1730万円の売上を上げましたが,その製造原価は約1294万円であり,差し引き約435万円の粗利益を得ました。またY2は仕入れたイ号物件の大部分を卸し売りし,2281万円の売上を挙げましたが,その仕入額は上記の通り約1730万円であり,在庫の存在を考えると差し引き約811万円の粗利益を得ました。
被告は,製造原価としては,金型費用(Y1について,約436万円)と販売費(Y1について総売上の16.4%,Y2について総売上の16.0%)及び一般管理費を算入すべきであり,こうするとY1の利益はなく,Y2の純利益は約446万円にとどまり,この純利益が実用新案法第29条第1項の「利益」に当たると解すべきである,と主張しました。 これに対してX1,X2は,次のように主張しました。《1》実用新案法第29条第1項は,権利者が具体的な損害を立証することは極めて困難であるから,侵害者が侵害行為によって受けている利益の損害額と推定するという政策的な配慮に基づく規定と解される。この規定の前提には,侵害者によって得られた利益は,本来であれば実用新案権者がその考案の実施によって得ることのできた利益に相当するという蓋然性が存在するものというべきである。《2》X2は,本件考案に基づくO脚歩行矯正具の原材料を自ら購入し,これを下請会社に供給してここの製品として完成させ,第三者に販売しているから,X2においては,金型費用はもとより,Y1,Y2が主張している抽象的な販売費及び販売管理費は何ら費やされていない。《3》侵害訴訟においては,侵害品たる対象物件の製造に要した金型は廃棄の対象物であって,このような廃棄の対象物は法的保護に値しないから,金型費用を製造に要した費用として計上することが是認されるのであれば,当該経費分だけ損害賠償責任を免れ,ひいては金型に投資した経費が法的に保護されることと同一の結果に帰する。この点からしても,Y2が主張する金型費用は控除されるべきではない。 |
3.裁判所の判断 |
東京地方裁判所は,平成10年5月29日,X1,X2の主張を認める判決を下しました。その要旨は次の通りです。
実用新案法第30条により準用される特許法第103条の推定規定の根拠が,特許発明の存在及び内容が公示されていることにあり,それが何人の権利であるかが公示されていることにはないから,特許発明の権利者として公示されない独占的通常使用権者の法的利益の侵害行為についても,上記規定を類推適用すべきである。従って,Y1,Y2がX2の独占的実施権を侵害した行為は,過失に基づくものと推定されるから,Y1,Y2はX2に対し,Y1,Y2の行為によって蒙った損害を賠償すべき義務がある。 実用新案法第29条第1項の規定の趣旨から見て,権利者において,登録実用新案の実施品の開発やこれに要する投資を完了し,実際に営業的製造販売を行っている場合に,新たな開発のための投資や従業員の雇傭を要さず,そのままの状態で製造販売ができる個数の範囲内では,権利者の逸失利益とは,右実施品の売上額から材料価格や包装費用等の販売のための変動経費のみ控除した販売利益と考えるべきである。そして推定の対象となる利益が右のようなものである限り,侵害者が侵害物品の製造に供した金型の費用や売上額の多寡に関わらず発生しうる販売費及び一般管理費等は,控除の対象とはしないものと解するのが相当である。 |
4.検 討 |
損害額の推定規定(特許法第102条第1項,実用新案法第29条第1項等)の適用に当たっては,これまでの裁判所の扱いは,これらが「損害の推定」ではなく「損害額の推定」と規定していることから,損害の存在は推定されておらず,権利者が自ら実施しているなどの事情があって,実際に損害が発生していることを主張・立証しなければその適用はないとするものでした。本判決はこの先例に倣って,独占的実施権者が自ら実施している場合は,この推定規定の適用がある,としたものです。
次に,これらの規定にある「利益」について,粗利益を以てする,と判示しました。これまでこの「利益」について,純利益だとみるなどの幾つかの判例があり,判例として統一されていない感がありました。本判決は,権利者が自ら実施しうる態勢にある以上,侵害者が挙げた利益額は,権利者が挙げることができた利益であり,これが逸失利益として損害額に当たる,としたものです。来年年初から施行される特許法の改正規定を先取りしたものといえましょう(もっとも,「利益」をどう解するかは,判例に委ねられました)。よく知られていますが,裁判所はこれまで損害賠償額についての認定が厳しく,権利者に酷である,と思われる判例が少なくありませんでした。特に特許権侵害事件においては,侵害が成立することを立証することも困難であり,しかも認定される損害賠償額が少なすぎる場合が多かったのです。そしてこの故を以て,特許発明の実施をしたい者は,権利者から実施許諾を求めるよりも侵害してしまったほうが有利であり,侵害し得である,という批判が絶えなかったのです。改正特許法はこの点に配慮したものですが,「利益」をどう判断するかについては明確に規定しておらず,まだまだ不十分で。判例の集積が待たれます。 |