発明 Vol.95 1998-11
知的所有権判例ニュース
誤記の訂正

神谷 巖
1.事件の概要
 原告Xは,名称を「脇下汗吸収パッド」とする考案について,登録を受けていました。この考案は,その名称の通り,衣服の脇の下の部分に取り付けて,汗を吸収するパッドの吸収効率を良くするものです。その要旨を簡単に述べます。従来三日月形のパッドが存在しましたが,三日月形をしていると両端の部分が幅が狭く,汗を吸収する能力に欠けます。そこで,一定幅の円弧状にすることも考えられますが,それでは美観が良くありません。そこで下図1の袖と身頃の境目に当てる部分4(判決では「湾曲連結部」と呼ばれています)の曲率半径より小さい曲率半径で3つの円弧を描いて,他方の外縁を形成する,とするものです。
こうすれば,汗吸収能力が大きく,かつ外縁が花びらのような形になってデザインが良くなります。しかるに原告Xは,上記「曲率半径」と記載すべきところを,「曲率」と記載してしまったのです。
 Xはこの考案について,訂正審判を請求し,曲率が小さいと記載したのでは,曲率半径が大きいと誤解させる虞れがある,と述べて,「明瞭でない記載の釈明」を目的とし,「曲率」を「曲率半径」と訂正することを申し立てました。この訂正審判請求は認められ,その訂正審決は確定しました。
 これに対して,被告Yは訂正無効審判を請求し,曲率が小さいとは曲率半径が大きいという意味であり,これを曲率半径が小さい,と訂正するのでは,意味が反対になり,要旨の変更に当たると主張しました。特許庁はこの主張を認め,次のように述べて,訂正無効の審決をしました。「三日月形のパッドに対して汗吸収性を向上する構成は,両端部に汗吸収性を向上させる吸収面幅が形成される湾曲状に広がった部分を有すればよいことが理解され,該湾曲の形状は,湾曲連結部の曲率に対して大きい場合でも小さい場合でも前記吸収面幅を大きく取るための設計は可能である」「『曲率の小さい』の用語は技術的意味が明瞭であり,その概念が『曲率半径の小さい』とは逆の意味であることも明らかである」「『曲率の小さな』とあるのを『曲率半径の小さな』と訂正することは,明瞭でない記載の釈明を目的とするものとはいえないから,本件訂正は実用新案法39条1項3号の規定に該当しない」
 これに対してXは審決取消訴訟を提起し,「曲率」と「曲率半径」とでは意味が逆になることは認めながらも,これは錯誤による誤記であるから,やはり訂正は有効である,と主張しました。これに対して被告Yは,「誤記」というのは,単なるタイプミスのように,その記載自体から明らかな書き誤りをいうのであって,出願人の無知あるいは誤解に基づく間違いはこれに含まれない,と主張しました。
 
2.裁判所の判断
 東京高等裁判所は平成10年3月17日に,次のように判示して原告Xの請求を棄却しました。
 @ 実用新案に係る考案とは,物品に具体化された技術思想の創作であるから,当該物品の形状等が美観に優れているか否かを,考案における技術的課題(目的)と考えることはできない。
 A 本件考案において,袖添付け部と身頃添付け部の縁部を形成する3つの湾曲の曲率半径が湾曲連結部の曲率半径に対して大きい場合であっても,本件考案に係る汗吸収パッドを構成することができるから,それが美観上は問題があるとしても,これを直ちに産業上利用することができないとまでいうことはできない。
 B 実用新案法126条1項2号の規定に基づき,明細書の実用新案登録請求の範囲又は考案の詳細な説明を,誤記を理由に訂正することが認められるためには,当業者において当該実用新案登録請求の範囲又は考案の詳細な説明をみた場合に明らかに誤記と認め得るものであることを要し,たとえ出願人の意図とは異なった記載がなされてしまった場合であっても,当該実用新案登録請求の範囲又は考案の詳細な説明の記載の字義どおりに解しても,当業者において,技術的意義を理解でき,当該考案を実施することができるときは,誤記を理由に訂正することはできないというべきであって,その場合に,図面の記載のみを根拠に訂正を認めることができないことは訂正制度の趣旨からして明らかである。

3.検討
 まず@の点について,判決が,美観が良いか悪いかは,考案の技術的課題とはなり得ない,というのは,妥当だと考えられます。物の形状について,実用新案法は技術的側面を保護し,意匠法は美観の側面を保護するものであることは,実用新案法第1条,第2条と,意匠法第2条の条文を対比すれば,明らかです。
 次にAの点については,筆者は疑問を感じます。確かに明細書には,美観上の問題も記載されていましたが,従来技術の問題点として,三日月形の脇下汗吸収パッドは,中央部に比べて両端部に至るに従い吸収面積が急激に減少する,とも記載してあります。このような観点からみると,被告Yが審判段階で提出した下図2は,
中央部に比べて両端部における吸収面積が急激に減少しており,これでは技術的課題の解決にはなりません。よって,本件考案の明細書は,「曲率半径が小さい」と記載したかったのに,「曲率が小さい」と書き損じたことが明らかです。従って本件判決には,明らかな事実誤認があります。
 判決が述べているBの議論は,それ自体としては妥当です。誤記の結果としての明細書がそれ自体技術的意味があり,従って誤記であることが明細書から当然に理解できるのでない場合は,「誤記の訂正」として訂正することは許されないものです。有名な例としては,温度を表示するのにセ氏と華氏との誤記について,裁判所が誤記の訂正を許さなかった事例があります。誤って華氏で温度範囲を限定したものも,それなりに技術的に意味がある発明だと理解できたからです。


かみや いわお 1965年東京工業大学理工学部を卒業,67年同大学院修士課程を修了し,直ちにソニー株式会社に研究者として入社。78年同社を退職し,同年司法試験に合格する。81年弁護士登録をし,主に知的財産権関係の事件を扱う。