発明 Vol.95 1998-9
知的所有権判例ニュース
数値限定発明の数値の臨界性

神谷 巖
1.事件の概要
 原告Xは,発明の名称を「高純度イソマルトースの製造方法」とする発明について,特許出願をしたところ,拒絶査定を受け,その後の不服審判においても請求不成立の審決がなされたので,審決取消請求訴訟を提起しました。この発明は,その名称からも想像される通り,イソマルトースを含有する糖液から高純度イソマルトースを生成する方法の発明です。そしてその特許請求の範囲には,「・・・・・・イソマルトースを・・・・・・7%以上含有する糖液を・・・・・・(ある処理をすることによって)・・・・・・,高純度イソマルトース製造方法」と記載されています。これに対して審決は,「本願発明の原料糖液が『イソマルトースを7%含有する』点について,『目的物であるイソマルトースを分離,採集するのになるべく多量にイソマルトースを含む原料を選択することに格別の創意は認められないし,かつ,本願発明の原料糖液中の7%というイソマルトース濃度が臨界的なものとは認められない』と判断しました。Xは,他の点についても審決の取消事由があると主張したのですが,ここの点が判決の理由になったので,他の事由については,説明を省略します。
 
2.争点
 Xは,審決取消訴訟において,次の通り主張しました。「本願発明の製造方法による場合には,・・・・・・原料糖液中に必要される最低のイソマルトース含有量が明らかにされることによって,・・・・・・効率よく高純度のイソマルトースを高収率で得ることができるのであり,本願発明における『原料糖液中のイソマルトース含有量を7%以上』との限定は,このような技術思想に基づくものである。そして,本願発明において,『7%以上』という限定は,本願明細書中に開示された実験,特に第2表の結果に基づいてなされたものであり,第2表の結果,及びそれをグラフ化した甲第6号証から明らかなように,原料糖液中のイソマルトース含有量が7%以上になれば高純度イソマルトースの収率が急激に変化しており,『7%』という値が臨界的な意味を有することは明白である」と主張しました。

3.判決
 裁判所は,平成10年2月24日,原告の上記の取消事由についての主張を認め,審決を取り消す旨の判決をしました。判決は,先ず原告が主張する第2表を検討しました。その記載は,次の通りです。




(No.)
原糖液のイソマルトース含量(%) イソマルトース高含有画分中のイソマルトース収量(g) 原糖液中のイソマルトースに対する収率(%)
1.1 不可能 不可能
3.6 9.9 45.2
7.1 32.5 75.3
12.7 62.2 80.6
25.5 126.2 81.4

 これに続けて裁判所は,原料中のイソマルトース含有量が3.6%から7.1%に上昇するまでは,原料糖液中のイソマルトース暈に対する収率も直線的に上昇するが(45.2%→75.3%),原料糖液のイソマルトース含有量が7.1%を越えると,12.7%の場合が80.6%,25.5%の場合が81.4%と,高収率が維持されていることが認められる。上記認定の事実によれば,原料糖液のイソマルトース含有量が7.1%の付近を境にしてイソマルトースの収率が急激に変化していることは明らかであり,本願発明における原料糖液中の「7%」というイソマルトース濃度は臨界的数値というべきである,と判示しました。

4.検討
 特許請求の範囲において,特定の量に数値を限定した発明は沢山あります。このような数値限定発明については,その限定数値について,常に臨界性(その数値を境にして,急激に結果の差異が生ずること)を要求する,とする見解があります。しかしその見解は,正しいとは思えません。なぜそのような数値限定がなされたかによって,臨界性が要求される場合と,されない場合があると考えます。判例にも,臨界性が要求されるとする場合と,されないとする場合とがあります。
 先ず,その発明について,数値限界をしなければ,単に公知の発明の一態様にすぎず,そこに何ら進歩性が認められない場合には,数値限定をして初めて特許性が認められるのであり,臨界性が要求されるというべきでしよう。公知発明においても,その発明を実際に実施するに当たっては,関係する各種の「量」について何らかの具体的数値を選択せざるを得ません。したがって,その「量」について,単に数値を選択したからと言って,特許性が発生するものではありません。この場合には,その特定の数値を限定したことによる特段の効果が認めなければならない筈です。
 一方,その様な数値限定をしなくても,特許性(具体的に言えば,新規性と進歩性)が存する発明があります。特別に「量」に関係なく,有用な効果をもたらす新規な組み合わせを発明した場合には,当然に特許性が認められるべき筋合いのものです。ただ,単に「組み合わせた」と言っても,その具体的な量の記載がなくては,発明の趣旨を理解することができない場合があります。例えば,AとBを組み合わせることにより,新たな効用が得られたとしても,構成の一つであるBがいくら少なくても(ほとんどゼロでも)良いとすることはできません。したがって,その量の程度を示すことは発明を具体的に示す上において,やはり一定の意味があるのです。その様な意味で数値を持って構成を具体的に示す場合には,数値の限定をしたことに発明性があるのではありませんから,その数値に臨界的意味がなくても良いのです。
 本件においては,数値限定をすることによって特許性が出てきた場合ですが,問題の第2表を基にグラフを描けば,下図の様になります。
 このような顕著な場合は,判決が判示する通り臨界性を認めるべきであったのであり,判決は妥当だと考えます。この数値の臨界性を特許庁が看過したのは,肯けません。


かみや いわお 1965年東京工業大学理工学部を卒業,67年同大学院修士課程を修了し,直ちにソニー株式会社に研究者として入社。78年同社を退職し,同年司法試験に合格する。81年弁護士登録をし,主に知的財産権関係の事件を扱う。