発明 Vol.95 1998-1
知的所有権判例ニュース
医薬品製造承認を目的とした試験・研究

神谷 巖
1 事件の概要
 原告Xは,ある化合物(薬剤)についての2件の特許権者でありましたが,それらの特許権はいずれも平成8年4月28日に期間満了により消滅しました。被告Yは,それら特許権が消滅した後に当該薬剤の製造・販売をする目的で,その特許権存続期間中に試験をし,平成4年3月4日に医薬品製造承認を受けました。そして,上記特許権が期間満了により消滅した後,同薬剤を製造・販売しました。
 原告は,次のように主張しました。本件におけるXのような薬剤の先発メーカーは,薬事法により,基礎研究に2〜3年,動物での前臨床試験に3〜5年,臨床試験に3〜7年,承認審査に2〜3年を要する。従って,その薬剤に関する発明について特許を受けても,薬事法との関係上特許発明を独占的に実施する期間が通常の特許発明に比べて短い。これに対して,Yのような後発メーカーは,既に同薬剤の効能などが先発メーカーによって明らかにされているので,承認申請に要する資料はごく少ない。以上,Yが医薬品の製造承認を得る目的でした各種試験は,技術の進歩を目的とするものではなく,特許法第69条第1項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」には当たらない。
 これに対して被告は,後発メーカーが存続期間満了後製造・販売に必要な試験をすると少なくとも2年間かかり,それにより独占的利益を受けるとしても,それは特許法が目的とし保障する利益ではなく,反射的利益にすぎない,被告の行為は特許法第69条第1項にいう試験又は研究のための特許発明の実施に当たる,等と主張しました。
 本件では,このほかに特許権が期間満了により消滅した後であっても,薬剤に関する発明の実施についての諸事情の下で,信義則上差止請求が認められるか,といった争点もありましたが,この争点については裁判所の判断はなされなかったので,ここではこれ以上触れないこととします。
 
2 裁判所の判断
 裁判所は平成9年7月18日に,次のように述べて,被告の行為は,特許法第69条第1項により,侵害行為ではないとしました。
 (1) 特許制度はわが国の諸法制の一分野であって,他分野と関係なく存在するものではなく,他分野の法制と整合,調和して存在すべきものである。・・・・・・特許法第69条第1項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」の意味の解釈にあたっては,特許法自体の諸規定と特許制度に関する諸制度との整合性を考慮しつつ特許権者の利益と第三者ないしは社会一般の利益との調整を図るという観点から考量して決するべきものと解される。
 (2) 特許権者の実施行為と直接競業することになる実施行為や,譲渡の対価,使用による便益の対価および製造物の蓄積・保存などの直接の利益を目的とする実施行為は,試験又は研究の名目で行われたとしても,特許法69条1項所定の「試験又は研究のためにする特許発明の実施行為」に該当しない。
 (3) 明細書に基づいて,その特許発明の実施を追試験し,実施上の問題点を認識,解決し,効率的な実施の具体的条件を探知するための試験,研究,言い換えれば当該特許発明の技術レベルに達するための試験,研究のためにする特許発明の実施は,特許法69条1項により特許権の効力が及ばないものと解するのが相当である。
 (4) 特許発明が実施可能であるか否か,従来技術と対比して新規性,進歩性があるか否かを認識するための試験,研究も,特許法69条1項所定の試験又は研究に該当する。
 (5) 以下の諸点に鑑みると,被告が行った本件製造承認申請のための試験は特許法69条1項所定の「試験又は研究」に該当する。
 一 存続期間が経過すれば,何人であっても特許されていた発明を自由に実施することができる。
 二 被告は,医薬品製造承認を得るために,その限りで本件発明を実施したが,これによって直接収益を得たわけでもなく,本件特許発明の実施によって特許権者であった原告と直接競業したものでもない。
 三 薬事法が,後発製造者に対し,医薬品製造承認にあたり,一定の年月を要する各試験の実施およびそのデータの添付を求め,相当の期間をかけて審査を行うのは,先発品と同様の有効性,安全性があることを担保するためであり,当該医薬品に関する特許権者又は先発品製造者の独占的地位を保護することを目的とするものではない。
 四 原告の主張に従って,医薬品製造承認に添付すべきデータを得るための試験が特許権存続期間終了後に開始すべきものとすることは,特許権者が特許権の存続期間の終了後もなお,当該発明の実施を排他的に実施できる結果となる。
 五 薬事法に基づく規制と特許制度との調整が必要であるが,特許法にはその調整に関する規定がある。

3 検討
 この判決は,特許法第69条第1項の解釈に関する先例である,昭和62年7月10日の東京地方裁判所の判例を変更する結果となりました。これは,昭和62年当時は,現在の特許法第67条第2項,第67条の2が規定している特許権の存続期間延長制度が導入される前であったことと関係がありそうです。その存続期間延長制度は,昭和63年1月1日から施行された昭和62年改正法により行われています。当時は,ことに薬剤について顕著だったのですが,特許権者が特許権により排他的実施可能期間がかなり短いことがあって,特許権者にとって酷な状態でした。現在ではそのような考慮をしなくてもよくなった点で,特許法第69条第1項の解釈にも大きな影響を与えているようです。なお,本件訴訟で問題となった特許権の存続期間は,製造承認に2年間に満たない時間しかかからなかったため,延長されることがなく,出願日から20年で満了し,抹消されています。
 ただその点は別として,試験・研究に限って特許権の行使が制限された趣旨は,やはり上記昭和62年の判決が述べているように,技術の進歩を目的とする特許法の精神から考えて,そのような目的に奉仕するためにのみ設けられた例外規定だということを認めるべきものでしょう。本件などの場合,後発の薬剤メーカーは,先発メーカーが多大の時間と労力をかけて準備し提出した技術資料(本件の場合,特許権者は,本件発明を完成して特許出願した後,臨床試験に約3年間,製造承認を得るのに約2年間かけています)にただ乗りして製造承認を受けるのであり,その保護をもっと考えてもよかったのではないでしょうか。


かみや いわお 1965年東京工業大学理工学部を卒業,67年同大学院修士課程を終了し,直ちにソニー株式会社に研究者として入社。76年同社を退職し,78年司法試験に合格する。81年弁護士登録をし,主に知的財産権関係の事件を扱う。