知的所有権判例ニュース |
新規性喪失の例外規定と優先権主張 |
---|
神谷 巖 |
1 事件の内容 |
原告Xは,ある発明について,1976年(昭和51年)1月2日フランス国で特許出願をし,これに基づく優先権を主張して,同年12月28日に我が国でも特許出願をしました。この発明は,第1072819号として,特許されました。
被告Yら3名は,この特許に対して無効審判を請求し,審理の結果,平成6年12月28日に,無効審決がなされました。これに対してXが,審決取消訴訟を提起したのが,本件です。 審決の趣旨は,次の通りです。本件発明は,ある学会誌に記載された発明と同一の発明である。この学会誌は,上記のフランス国での特許出願の前である昭和50年12月11日に,我が国のある大学に受け入れられた。よって特許法第29条第1項第3号の規定によって,特許を受けられない。 |
2 争点 |
これに対して,Xは次のように主張しました。本件発明は確かに上記文献に開示されたが,これは,その発明者が発明の対象物について第三者に試験を依頼したところ,その第三者が無断で学会発表をし,その発表要旨が1975年9月30日に発行された学会誌に掲載されてしまったもので,特許法第30条第2項に規定する「特許を受ける権利を有する者の意に反して公知になってしまったのである。しかし原告は,その日から6月以内にフランス国に特許出願し,パリ条約に基づく優先権主張期間内に我が国でも特許出願したものである。
そして,新規性喪失の例外規定(特許法第30条第2項)の規定の解釈に当たって,その「特許出願の日」という要件は,優先権を主張して特許出願をした場合には,我が国における現実の出願日ではなく,優先権主張の基礎となった特許出願と見るべきである。もしここで特許法第30条第2項の規定を適用しないならば,同盟国の国民に対する内国民待遇を否定し,優先権制度の趣旨を覆滅するものである。 そしてXは,この主張を裏付けるべく,甲第5号証として,判例タイムズ288号第277頁以下の判例と,甲第6号証として,判例時報第691号第129頁以下を提出した。これらは,特許法第104条の新規物質についての生産方法の推定が働くためには,新規物質が優先権主張日以前に公知になっていなければ良く,我が国での現実の出願曰以前に公知になっていても,生産方法推定の規定は適用されるとした判例と,同種の判例に対する解説です。 これに対してYらは,この特許法第30条第2項の規定は,内国民に対しても外国人に対しても適用されるのであり,別にパリ条約第2条に違反しない。またパリ条約第4条は,第1国出願より前になされた行為が,後の出願にどの様な影響を及ぼすかを規定するものではない。原告の主張によると,新規性喪失の例外期間を,後の出願の1年6月前にまで認めることに帰し,特許を受ける者に不当な利益を与えるものである。 結局争点は,上記新規性喪失の例外規定にある「特許出願の日」とは,優先権主張に基づいて出願された場合は,その優先権主張日であるのか,それとも現実の我が国における出願日であるかです。 |
3 裁判所の判断 |
裁判所は平成9年3月13日に判決を下し,結論としては新規性喪失の例外規定である特許法第30条第2項にいう「出願の日」は,我が国における現実の出願の日であり,優先権主張の日ではない,として,請求を棄却しました。
パリ条約第2条(1)は,「同盟国の国民は,内国民に課される条件及び手続に従う限り,内国民と同一の保護を受け」と規定している。しかし上の結論の通りの解釈をしても,それは内国民に対しても,外国民に対しても同一の取り扱いがなされるのであるから,パリ条約第2条に違反するものではない。 次にパリ条約第4条のBは,「A(1)に規定する期間の満了前に他の同盟国においてされた後の出願は,その間に行われた行為,例えば,他の出願,当該発明の公表または実施・・・・・・によって不利な取扱いを受けないものとし,またこれらの行為は,第三者のいかなる権利または使用の権能をも生じさせない」と規定している。しかしながら,これらの規定は,第1国出願の出願人が条約に定める期間中優先権を有することを定めたものであり,第2国出願の出願日が当然に第1国出願の出願日にまで遡及することまでも定めたものではない。 特許法第30条第2項の規定は,新規性喪失の例外規定であって,優先権主張をを伴う特許出願について,同項に規定する「特許出願」は第1国出願の出願後の意味に解すると,新規性喪失の例外期間を1年6月まで拡大することになり,特許を受ける権利を有する者に不当な利益を得せしめる結果となる。 原告が提出した甲第5号,第6号証は,生産方法の推定と優先権の関係を論じたものであって,事案を異にする。 |
4 検討 |
筆者は,この判例には疑問を持ちます。
(1) パリ条約が定める優先権の趣旨は,「第1国出願をベースにして,そのときに全部の同盟国に同時には出願ができないという事情,少なくともそれが困難な,至難なことであるという事情から,第2国に出願をするについての猶予期間を設け」るという趣旨です(発明協会発行,後藤晴男著,パリ条約講話,第130頁)。即ち,現実に,各国用に訳文を作り,各国の代理人と各国の出願関連法令を検討して出願をするのは,困難であるという認識があるのです。してみれば,その様な各国への同時出願が困難であるという状況は本件においても全く同じですから,新規性喪失の例外規定の場合も,同様に考えて良いはずです。 (2) しかも,出願人が自ら発明を公表した場合の特許法第30条第1項の場合と違って,第2項の出願人の意に反して第三者が無断で公表したような場合は,出願人には用意がなく,突然に各国に出願をせざるを得ないという,事情があります。従って判旨は,出願人に酷です。 (3) 本件判決が,事案が違うとした例においても,新規物質の生産方法の推定規定の解釈において,出願人が被る利益と,第三者が被る不利益とを比較考量して,検討しています。本件についていうと,出願人は,第1国出願をしておけば,他の国においても優先権を主張して出願できるという合理的期待を有していたのであり,この期待を他人の行為によって奪い去ることは,合理的とは思えません。 |