知的所有権判例ニュース |
優先権主張の記載忘れ |
---|
神谷 巖 |
1 事件の内容 |
原告は,平成4年3月13日に意匠登録出願をしましたが,その際,パリ条約による優先権を主張する旨の記載と,第1国出願国名および出願日の記載をせず,単に「添付書類の目録」の欄に,「優先権証明書およびその訳文各1通(追完する)」とのみ記載しました。そしてその日から3月以内である同年4月15日付で,優先権を主張する旨の記載のある訂正された意匠登録願と共に,手続補正書および優先権証明書提出書を提出しました。原告は,その手続補正書において,「本願の出願時において願書の『添付書類の目録』の欄に『優先権証明書およびその訳文』を追完する旨を記載することによりパリ条約による優先権主張を行う意志があることは表示しておりましたが,時間的制約から出願を急ぐあまり優先権主張の基礎となる第1国出願の国名及び日付の表示を行うことを失念しました。そこで,今般,第1国出願の国名及び日付を適正に表示した訂正願書を提出しますので,上記事情を参酌の上,今般の手続補正書を受理して頂きますよう,お願い申しあげます」と記載しました。
これに対して特許庁は,上記各書面を受理しない旨の処分をしました。原告は,本件処分に対して,行政不服審査法による異議申立をしましたが,特許庁は,この異議申立を棄却する旨の決定をし,これを不服とした原告は,東京地方裁判所に,本件処分の取消を求めて出訴しました。 |
2 争点 |
意匠法第15条第1項で準用する特許法第43条第1項の規定によりますと,「優先権を主張しようとする者は,その旨並びに最初に出願をし・・・・・たパリ条約の同盟国の国名及び出願の年月日を記載した書面を特許出願と同時に特許庁長官に提出しなければならない。」と規定しています。この書面を提出する代わりに,願書にその旨の記載をしても足りることとなっています(改正前特許法施行規則第27条の4)。また意匠法第60条の3には,「意匠登録出願・・・・・手続をした者は,事件が審査,審判又は再審に係属している場合に限り,その補正をすることができる」と規定しています。争点は,優先権主張が,補正を許す手続か否か,という点です。
|
3 裁判所の判断 |
東京地方裁判所は,平成8年8月30日,原告の請求を棄却する旨の判決を下しました。その主な理由は,次のとおりです。
(1)優先権の主張は,意匠法上,意匠登録出願と共になすべき要式行為とされている。 (2)優先権の主張がなされるか否かは,当該出願の登録要件の有無の判断の基準日がいつになるか,優先期間中に行われた行為に基づく第三者の権利及び使用の権能の発生の有無等,社会,第三者に及ぼす影響が大であるから,優先権の主張は書面により又は願書に記載して明白に行うことを要する。 |
4 検討 |
(1)まず上記の第1番の点ですが,例えば,意匠登録出願も要式行為です。そして,例えば,出願人の代表者の氏名を記載することも要求されています(意匠法第6条第1項第1号)。しかし,願書提出時に代表者の氏名が分からなければ,後に補正して,訂正願書を提出することは認められています。要式行為一般について,補正が認められていない訳ではありません。むしろ,要式行為だからこそ,補正が認められる意味があります。従って,要式行為てあることを理由に,手続補正書の受理を拒絶してもよいということには,一般的には,なりません。
(2)よって,より実質的な意味がある第2点について,考察します。まず,意匠登録出願については,出願公開とか,出願公告といった制度はありません。登録された意匠権が突然に現れるだけで,登録以前にどのような手続がなされても,第三者に知らされる訳ではありません。むしろ意匠法によれば,秘密意匠という,第三者の地位を著しく不安定にする制度が認められているくらいです。従って,それ以前の段階において,優先権主張があったことを主張したとしても,それだけで第三者の地位を不安定にする,ということはありません。 (3)むしろ問題なのは,優先権主張があったことにより,その優先権主張期間内にした第三者の行為により,いずれが先願者であるかの問題が生じる,出願前公知であったか否かの登録要件の有無が影響を受ける,又は先使用権の発生が左右される,といった問題が重要です。しかしいずれにしても,第三者は,優先権主張がなされたか否かは,その行為の段階では分からず,法的位置を後から判断されるのです。してみれば,出願時において,優先権主張をする意志がはっきりとさえしていれば,その後の補正を許しても,格別第三者に影響することはありません。 (4)本件では,原告は,「添付書類の目録」の欄に,優先権主張をする意志があることを表示する趣旨の記載をしました。判決も,「願書に優先権を主張する旨その他必要事項を記載し忘れたのではないかと推測する根拠とならないわけではない」と判断しています。過去にも,優先権主張日の記載のミスについて,優先権主張の効力を認めた,昭和48年7月24日の東京地方裁判所の判例があります。 (5)ただ,特許庁は,大量の出願を,迅速に処理しなければならないという,大事な役目があります。この点,一件一件充分な時間をかけて審理する裁判所とは違う,という考え方もあり得ましょう。ただ本件では,現実に,優先権証明書提出期限である3月以内に,訂正願書を提出しており,しかもその提出は,審査に着手する前なのです。優先権があることを念頭において審査すべし,といっても,審査官に不意打ちの負担を負わせるものではありません。よってこの判決は,やや原告に酷な気がします。 (6)なお,本件においては,原告は,被告特許庁が,意匠法第60条の3の解釈適用を誤ったことを主張したのですが,裁判所はこの点については,明確には答えませんでした。あるいは,上記の2番目の点についての判断により,実質的に答えていると考えたのかも知れません。しかし,本件は,どのような行為について補正が許されるのかという,大事な問題ですので,できれば正面から答えて欲しかったと思います。原告は控訴し,東京高等裁判所の判決が,今年の4月24日に言い渡されるとのことなので,この記事が載るころには,結果が分かるでしょう。 |