知的所有権判例ニュース |
無効審判と訂正審判 |
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神谷 巌 |
1 事件の内容 |
本件は,大変に複雑な経緯を辿った末の判決なのですが,その趣旨を理解して頂くために,あえて詳細に経過を述べます。読みにくいと思いますが,我慢してください。
原告は,「クリップ」という名称を有する本件発明について昭和47年11月30日に特許出願し,出願公告が昭和52年6月2日になされ,設定登録は昭和54年4月27日になされました。したがって出願公告の日から15年後である平成4年6月2日に,存続期間が満了しました。被告は,設定登録の直後である同年10月3日,原告を被請求人として,特許無効審判を請求し,特許庁は昭和57年4月21日に「本件特許を無効とする」との審決(以下本件審決といいます)をしました。これに対して原告は第1次の審決取消請求訴訟を提起するとともに,第1次の訂正審判を請求しました。 この第1次の審決取消訴訟は,昭和62年4月30日,東京高等裁判所により請求棄却の判決がなされました。この判決に対して原告は第1次の上告をしましたが,その審理中に第1次の訂正審判請求が認められて第1次の訂正許可の審決がなされ確定したので,その旨の登録が昭和62年5月20日になされました。最高裁判所は,この第1次の訂正が行われたことにより,原判決を破棄し,東京高等裁判所に差し戻しました。 そこで被告は,平成2年12月28日に,訂正無効の審判を請求したところ,平成5年3月30日特許庁は,第1次の訂正は無効であるとの審決を下しました。この審決に対して原告は,第2次の審決取消訴訟を提起しましたが,今回も請求を棄却されたので,第2次の上告をし,かつ平成7年1月4日,第2次の訂正審判を請求しました。原告は同年7月11日,第3次の訂正審判を請求して,構成要件を追加して特許請求の範囲を減縮するとともに,同年8月15日,第2次の訂正審判請求を取り下げました。特許庁が第3次の訂正審判請求を許可する旨の第2次の訂正審決をなしたところこれが確定し,その旨の登録が平成7年11月28日になされたので,原告は第2次の上告を取り下げました。 本件判決は,この第1次の審決取消請求訴訟が最高裁判所から東京高等裁判所に差し戻されたので,東京高等裁判所が,平成8年3月13日に,本件審決を取り消す旨の判決を下したものです。 |
2 裁判所の判断 |
本件審決がなされた後の第2次の訂正審決の確定により,本件発明の特許請求の範囲に,「固定部材22はクリップの他の部分とプラスチック材料による一体成形により形成される」ことが明記され,特許請求の範囲が減縮されたことは,当事者間に争いがない。
この事実によると,本件審決は,結果として,本件発明の要旨の認定を誤ったことになる。 そして,本件審決は,本件発明と引用例記載の考案との相違点の判断において,本件発明における固定部材に接着剤を含むこと及び引用例記載の考案においてピン単体の両縁部が接着剤で接着されていることを前提に判断していることは,前記の審決の理由の要旨から明らかである。 そうすると,前記本件発明の要旨認定の誤りは,本件発明の進歩性の判断に影響を及ぼすものと認められるから,本件審決は,違法として取り消しを免れない。 |
3 検討 |
前記の経緯に照らすと,この判決は判例の流れに沿った,かつ妥当な判決であると考えます。
まず,無効審判は,特許権侵害訴訟を提起された場合などに機能します。我が国の判例では,侵害訴訟においては,裁判所は特許無効の判断をすることは許されないものとされています(判例は多数あります。大審院明治37年9月15日判決等)。特許法が,特許庁に対して無効審判を請求できる旨を定めているのは,専門官庁たる特許庁に第1次の判断権限を与える趣旨である,と理解されているからです。ただし裁判所は,侵害訴訟の基礎となった発明が,その出願前公知であった場合は,特許権の権利範囲を極めて狭く解釈して,被告を救済しています(最高裁判所昭和37年12月7日判決等)。進歩性の判断等と違って,新規性がないか否かは,専門官庁ではない裁判所でも判断できる,という理解からのようです。 この無効審判請求に対する防御方法としては,訂正審判がありました。例えば,特許請求の範囲が広すぎて,特許出願以前から公知であった発明を含むという理由で無効審判を請求された場合に,特許請求の範囲にさらに構成要件を加えて,その権利範囲を減縮することにより,当該公知発明を包含しないように訂正して,無効理由をなくす等です。ただし平成5年に特許法が改正され,無効審判の審理中は,訂正審判を起こせなくなり(特許法第126条第1項本文),無効審判の審理中において,訂正を請求できることになりました(同法134条第2項本文)。特許庁は,訂正を許可すべきものであり,この訂正により無効理由がなくなったと判断すれば,無効審判請求を退けます。 本件では,無効審決に対して第1次の審決取消訴訟を提起し,その審理中に第2次の訂正許可の審決が確定しました。この場合,訂正の効果は出願時まで遡及します(特許法第128条)。すると,無効審決において認定した本件発明の要旨は,結果として誤ったものとなり,審決取消理由として考慮の対象となります。しかし,いかなる訂正でも,審決が取り消されるという訳ではありません。訂正によって無効理由が解消されなければ,結局審決取消請求は理由がないことになります。したがって,前記の裁判所の判断を引用するに際して,筆者は2カ所に下線を引きましたが,この両方が揃ってはじめて,審決が取り消されることになるのです。よく判例の紹介で,前者のみを判決要旨として引用されますが,これは妥当なものではありません。例えば,特許請求の範囲の記載の単なる誤記も,訂正審判によって訂正できますが,これによっては通常発明の要旨は変わらないので,無効理由は解消されず,したがって請求棄却の判決が下されることになります。 なお,かつては訂正審判請求に対して特許庁が訂正を認めると判断した時は請求公告をし,3カ月間の異議申立期間があったので,訂正無効の審判を請求するよりも,異議を申し立てるほうが時間的,経済的に有利でありました。平成5年の特許法改正後は,訂正無効の審判は廃止され,無効審判の手続中に訂正の可否を争うか,後に通常の無効審判を起こすべきものとされました。 |