発明 Vol.93 1996-6
知的所有権判例ニュース
営業秘密の第三者への開示が不法行為
に該当することが認められた事例
水谷 直樹

1.事件の内容
 原告三和化工(株)は,独自のポリエチレン製造技術を有しておりましたが,これは原告が有していた特許発明をさらに改良したものでした。
 原告は,この改良技術およびこれに関連する生産設備の中国山東省及びハルピンへの輸出について,同省等の間で交渉中でした。
 被告は,原告の取締役として,この交渉を担当しておりましたが,交渉進行中に原告を退職し,その後,吉井鉄工(株)が,山東省から原告技術と同一の技術及び生産設備の引き合いを受けていることを知り,結果としてこれに協力して,吉井鉄工(株)が同省等との間で契約を締結した後は,生産設備の現地での設置,技術ノウハウ,サービスの提供等を行いました。
 原告は,結果として,中国への技術輸出等を行えない結果となりました。
 そこで,原告は,被告に対して,不法行為に基づく損害賠償として金6600万円余の支払いを求めて,平成3年に,京都地方裁判所に訴訟を提起しました。
 京都地方裁判所は,平成3年12月26日に判決を言い渡し,原告の請求を棄却したため,原告は,さらに,大阪高等裁判所に控訴しました。
 
2.争点
 控訴審での本事件の争点は,
《1》原告技術は原告の営業秘密(不正競争防止法第2条4項)にあたるか。
《2》被告は,原告との間で,特別の約定なくして原告を退職しているが,この場合にも被告には秘密保持義務が課せられるか。
《3》本件において不法行為の成立が認められるか。

3.裁判所の判断
 大阪高等裁判所は,平成6年12月26日に判決を言い渡し,《1》の争点については,種々細かい事実認定を行ったうえで,
 「以上のとおり,本件技術は,控訴人(原告−解説者注)の開発にかかり,我が国では控訴人以外にはこれを有しない,控訴人の営業に不可欠の有用な技術であり,かつ,控訴人は,それに相応しい秘密管理をしてきたものであって,これに対する不正行為から正当な保護を受けるに値する営業秘密ないし秘密ノウハウと認められる。」
と判示して,本件技術が控訴人に帰属する営業秘密であることを認め,被控訴人(被告−解説者注)からの,本件技術は本来被控訴人自身に帰属すべきとの主張に対しては,
 「(被控訴人は)部門の管理者として,実験の立会いや特許出願についての取りまとめ等実務的な面での関与がほとんどであって」  「被控訴人の本件技術の研究開発への具体的な関与は前記認定したところを越えるものとは認められず,被控訴人は本件技術の本源的保有者として,これを当然に使用し得るとの前記被控訴人の主張は採用することができない。」
 と判示して,これを付けております。
 次に判決は,《2》の争点について,
「定めや特約がない場合であっても,退職,退任による契約関係の終了とともに,営業秘密保持の義務もまったくなくなるとするのは相当でなく,退職,退任による契約関係の終了後も,信義則上,一定の範囲ではその在職中に知り得た会社の営業秘密をみだりに漏洩してはならない義務をなお引き続き負うものと解するのが相当であるし,従業員ないし取締役であった者が,これに違反し,不当な対価を取得しあるいは会社に損害を与える目的から競業会社にその営業秘密を開示する等,許される自由競争の限度を超えた不正行為を行うようなときには,その行為は違法性を帯び,不法行為責任を生じさせるものというべきである。」
「被控訴人は,控訴人に在職,在任中,本件技術及び生産設備の海外輸出業務の担当責任者として,本件技術が,我が国では控訴人だけが有する技術で,これに関する情報が控訴人の事業にとって重要かつ不可欠の営業秘密であることを知悉していたばかりか,控訴人のためそれら営業秘密を管理する立場にあったのであって,そのような地位にあった被控訴人としては,控訴人を退任,退職後もその職務上知り得た本件技術に関する営業秘密をみだりに公開する等して控訴人に損害を与えてはならない信義則上の義務を負っていたものである。」
 と判断して,特別の合意が存在しない場合にも秘密保持義務を負うことを認めております。
 判決は,以上の判示を前提として,不法行為の成否につき,
 「右被控訴人の行為は,自由競争の範囲内として許容される正当な競業行為の限界を超えるものであって,違法性を帯び,不法行為を構成するものというべく,被控訴人には控訴人が被った損害を賠償すべき責任がある。」
と判示して,被控訴人に対して金5280万円の損害賠償を命じております。

4.検討
 本事件では,会社の取締役が,会社との間で特別の約定を交わすことなく退職した場合にも,当該取締役は,会社に対して,在職時代に取り扱った情報につき秘密保持義務を負うか否かが争点となっております。  本判決は,前記引用したとおりの理由で,この秘密保持義務の存在を認めておりますが,全体として妥当な判断であると考えられます。  本事件は,元取締役についての事案でありますが,役員でなくとも,企業の重要な技術情報に接する立場にある者については,企業を退職した後も,本事件の場合と同様に,当該情報に対する秘密保持義務を負うと判断されることが多いものと考えられますので注意が必要です。
 なお,本事件では,被控訴人が,技術情報の本源的所有者であるのか否かについても問題とされておりますが,従業員が作出した営業秘密については,これが誰に帰属するのかについて,法律中に明文が存在しないことから,企業内に対応する規則等が存在しない場合には,今後さらに問題となることがあるように考えられます。

みずたに なおき 1973年,東京工業大学工学部卒業,1975年,早稲田大学法学部卒業後,1976年,司法試験合格。1979年,弁護士登録後,現在に至る(弁護士・弁理士)。知的財産権法分野の訴訟,交渉,契約等を数多く手がけてきている。