知的所有権判例ニュース |
著名な名称の冒用 |
---|
神谷 巖 |
[事実関係] |
この事件は,第一審が千葉地方裁判所松戸支部であり,原告が不正競争防止法に基づき営業表示の使用差止めと損害賠償の請求をしたが,使用差止めは認められたが,損害賠償としては1000万円の請求に対し200万円しか認められなかったので,原告がこれを不服として東京高等裁判所に控訴し,被告が付帯控訴をした事件である。原告の主張は,次のとおりである。
原告はスイス法人であるが,フランスのシャネルエスアーなどのシャネル・グループの商標権その他知的所有権を有し,その管理を行っている。そしてシャネル社は,ファッション・デザイナーであるガブリエル・シャネルが1914年にフランスのパリ市に帽子店を開店したことに始まるが,1916年に同女が1回目のコレクションを発表して以来,シャネルの商標を付した製品は,高級婦人服のみならず,香水,化粧品,ハンドバッグ,靴,アクセサリー,時計等にわたり,いずれも独創的なデザイン,最高の品質により,世界中で高い信頼を獲得し,いわゆるパリ・オートクチュールの老舗として世界的に知られている。1921年に同女が開発した「シャネル5番」と称する香水は,現在に至るまで世界的なベストセラーを続けている。わが国においては,昭和8(1933)年にシャネル製の香水が輸入,販売されたのを皮切りに営業が開始され,それ以来,独自のマーケティング戦略と厳格な品質管理により高い評価が形成されている。かくしてわが国においても,シャネル社の営業表示である「シャネル」は,遅くとも昭和30年代の初めにかけて周知となっていた。 被告は,「スナックシャネル」の屋号で飲食店を経営している。被告は平成5年7月に,上記飲食店に使用していたサインボードのうちの1枚を「スナックシャレル」という表示に変更したが,残り3枚のサインボードについては,現在でも「スナックシャネル」という表示を使用しているが,これらの表示はいずれもシャネル社の営業表示に類似している。ファッション関連業界をはじめとして経営が多角化する傾向にあること,およびシャネル営業表示の周知性の高さを考慮すると,被告の行為は,一般消費者に対し,被告が原告を含むシャネル社と業務上,経済上あるいは組織上何らかの関係を有するものと誤認させ,もって原告の営業上の施設または活動と混同を生じるおそれが大きい。 |
[裁判所の判断] |
東京高等裁判所は,平成6年9月29日に,原告(控訴人)の請求を棄却するという旨の判決を下した。その中で,裁判所は次のように述べた。
「スナックシャレル」という営業表示のうちの「シャレル」と「シャネル」とは,同数の3音より構成されるところ,構成音中の最初の「シャ」および最後の「ル」の音は同一であり,また2番目の音において「レ」と「ネ」は共に母音「e」を共通にし,歯茎で調音される音質に近似したものであるうえ,中間にあって明瞭に聴取されにくい音であることよりすれば,「シャレル」と「シャネル」とは,一連に称呼したときは,その語調,語感が極めて近似しているものと認めるのが相当である。「スナック」の部分は軽い食事や飲物を供する店のことを示すにすぎず,「スナックシャレル」という営業表示はシャネル社の営業表示に類似している。 被告は,昭和59年12月に,肩書住所地の小さな飲食店が密集する古びた建物の2階部分を賃借して(賃料月額12万3000円)飲食店「スナックシャネル」を開店した。店舗の面積は約32m2(約9.8坪)である。同店は,1日の数組の客に対し酒類と軽食を供し,カラオケ設備を設けている。同店には,被告のほか従業員1名とアルバイト1名が従事している。同店の昭和61年から平成4年までの1年間の平均売上高は約870万円である。このような被告の営業の種類,内容および規模から照らすと,被告が本件営業表示を使用することにより,原告がパリ・オートクチュールの老舗として世界的に知られ,高級婦人服をはじめとして,高級品のイメージが持たれているシャネル社と業務上,経済上あるいは組織上何らかの関係を有するものと一般消費者において誤認するおそれがあるとは到底認め難い。 もっとも,シャネル社の営業表示のような著名な営業表示と同一または類似の営業表示を使用しているにもかかわらず,「混同を生ぜしめる行為」には当たらないとして不正競争防止法の責任を問い得ないとすると,著名な営業表示を有する者の保護に欠ける場合が生ずることは否定できないが,新法で,著名表示冒用行為については混同を要件としないものとして規定されたことにより解決された。 |
[解説] |
平成6年5月1日から施行されている新不正競争防止法では,判旨も述べているように,著名な営業表示については,その冒用行為が混同を起こさなくても不正競争行為とされる。したがって本件は,新法が適用されるとすれば,原告の訴えは認められることになるが,新法の付則第3条の第1号によると,著名表示冒用行為が新法施行前から継続している場合には,差止請求も損害賠償請求も認められないこととなっている。したがって本判決が確定すると,原告は被告の行為を止めさせることができないので,原告は上告した。旧法下では,シャネルに関して幾つかの判例がある。昭和53年5月31日の東京地方裁判所判決(シャネルハンドバッグ事件)では,シャネルの名称は世界的に著名であるが,日本に輸入されたハンドバッグはわずか700個にすぎないとして,周知性が否定されたが,昭和62年の3月25日の神戸地方裁判所の判決(ホテルシャネル事件)では,ホテルにシャネルの名称が使用された場合でも,混同が起きるものとされ,判断が分かれていた。
|