発明 Vol.91 1994-11
知的所有権判例ニュース
審判請求人の誤記
神谷 巖
[事実関係]
 原告上野製薬株式会社は,名称を「食品の防腐方法」とする発明について特許出願をしたが,拒絶査定を受けたので拒絶査定不服の審判を請求した。その際,審判請求人欄を「株式会社上野製薬応用研究所」と誤記したまま審判請求書を特許庁に提出した。本件審判請求代理人は審判長から,「本願の出願人と本件審判請求人が相違している」とする求釈明を受け,「株式会社上野製薬応用研究所」の記載は「上野製薬株式会社」の誤記である旨回答し,同時に審判請求人を「上野製薬株式会社」と補正した「訂正審判請求書」(案)を提出した。これに対して審判長は,手続補正指令書(方式)で,「審判請求人の名称を正確に記載した適正な審判請求書」の提出を求め,併せて「株式会社上野製薬応用研究所の不存在を示す書類,および上野製薬株式会社の存在を証明する書類」の提出を求めた。
 原告は,「株式会社上野製薬応用研究所も存在するため,不存在を証明する書類を提出することはできない」旨の上申書及び登記簿抄本を添付した,審判講求人の名称を「上野製薬株式会社」と訂正した審判請求書を提出した。本件審決は,審判請求人の名称を「株式会社上野製薬応用研究所」から「上野製薬株式会社」に補正することは,前記の上申書の記載からも単なる誤記の訂正とはいえず,請求人を実質的に変更する補正であり,請求の趣旨を変更するものであるから,特許法131条2項に違反し,認めることはできないものであり,本件審判請求は請求人適格を欠く者からなされた不適法な請求であって,その欠缺は補正することができないから,特許法135条により却下すべきものとした。
 原告は,本件審判請求は原告の出願に係る本件特許出願に関するものであり,同出願代理人として,原告の訴訟代理人に対する委任状が特許庁に提出されていたところ,この委任状における委任事項の範囲は,本件特許出願の拒絶査定に対する審判請求も含まれていること,本件審判請求書には,審判請求人の名称こそ誤記したものの,特許出願の番号,発明の名称,代理人の住所,氏名が正確に記載されていたこと,もし株式会社上野製薬応用研究所が審判請求人であるならば,審判請求代理人の代理権限を証する書面として上記研究所の原告訴訟代理人宛の委任状が提出されているはずであるのに,このような委任状の提出もないことを挙げ,原告の名称の誤記であることは一見して明白であると主張した。
 これに対して被告特許庁長官は,「株式会社上野製薬応用研究所」は本件審判請求書に記載された住所に実在する法人であって,原告とは別人格の法人である。なお審判請求人の訂正の適否については,当事者の名称の訂正(更正)という点において共通性を有する特許登録名義人の更正の登録申請手続が参考になるところ,該手続においては,更正の事実を証明することができる書面の添付を必要とする(特許登録令35条,同38条)。しかして,その際に必要な添付書面として,登録された住所に登録名義人の名称(更正前の名称)と同一の者が存在しなかったことを証明する書面(不存在証明等)の添付が求められている,と主張した。
 
[裁判所の判断]
 東京高等裁判所は,平成6年6月7日,原告の請求を認容する旨の判決を下した。その趣旨は,次のとおりである。
 原告訴訟代理人が,本件特許出願について,原告を代理して拒絶査定に対する審判の請求等を行うことの授権を内容とする原告の住所,名称及び代表者名を記載した委任状を添付して,特許庁長官に対し代理人受任届を提出したこと,原告訴訟代理人は本件審判請求書に,審判事件の表示として「特願昭59−31513号拒絶査定に対する審判事件」,発明の名称として「食品の防腐方法」,審判請求人として「住所大阪府大阪市中央区高麗橋2丁目4番8号,名称株式会社上野製薬応用研究所,代表者上野隆三」,代理人として原告訴訟代理人の住所,氏名をそれぞれ記載して提出したこと,株式会社上野製薬応用研究所が上記記載の住所地に実在しているが,本件審判請求に当たり同研究所から特許庁に宛て,本件審判請求書の代理権を原告訴訟代理人に対して授権したことを証する書面の提出はなかったことが認められる。
 そこで検討するに,特許出願に対する拒絶査定は,特許出願に係る発明に特許権を付与しない旨の行政処分であって,これにより不利益を受けるのは当該特許出願人であるから,通常当該特許出願人以外の第三者が拒絶査定を争う利益を有するものではなく,このような観点から,特許法121条1項は,拒絶査定に対する審判請求人を「拒絶すべき旨の査定を受けた者」に限定しているところである。以上のような拒絶査定を巡る利害関係に照らすと,拒絶査定を受けた出願人以外の第三者が当該拒絶査定に対して審判を請求するというには,通常,かかる請求の利益を基礎付ける特段の事情が存するものと解するのが相当であるところ,株式会社上野製薬応用研究所は,本件特許出願の出願人ではなく,本件全証拠を検討しても同研究所が本件審判請求を行う利益を有することを窺わせる特段の事情を認めるに足る何らの証拠を見いだし得ないばかりか,同研究所から特許庁に対し,原告訴訟代理人に本件審判請求を委任する旨の委任状の提出すらないのである。
 これに対して,原告は本件特許出願に対し拒絶査定を受けた者であるから,審判を請求する利益を有するうえ,原告から原告訴訟代理人に対する本件特許出願の拒絶査定に対する審判請求についての授権を含む内容の委任状が本件審判請求前に既に特許庁に提出されていたことの各事実が存し,これに前記説示のとおり,株式会社上野製薬応用研究所を本件審判請求人とみることには重大な疑問が存したことを勘案すると,本件審判請求書の審判請求人欄の前記記載のみを根拠に,同研究所を本件審判請求人とみることは相当ではなく,本件審判請求書の前記審判請求人の名称の記載は,原告の名称の明白な誤記であると認めるのが相当であるというべきである。

[解説]
 一般の民事訴訟においても,当事者名の誤記等により,誰が当事者であるかがよく問題になる。これについては,原告の意思によって定まるとする意思説,訴訟上当事者らしく振る舞いまたは当事者として取り扱われた者が当事者であるとする行動説,訴え提起行為の内容である訴状の記載に照らして定めるべきであるとする表示説が対立しているが,表示説が最も単純明快である。この表示説にも2通りあり,形式的表示説は,訴状の当事者の欄に記載される名称だけを形式的に基準とする。これに対して,実質的表示説は,当事者の記載は請求の趣旨等の表示等とともに,当事者確定の一つの判断資料とする。本判決はこの実質的表示説に従い,審判請求書等の全資料の趣旨から当事者を定めるものである。当事者の意思を汲み取った合理的な解釈であると言えよう。


かみや いわお 1965年東京工業大学理工学部を卒業,67年同大学院修士課程を修了し,直ちにソニー株式会社に研究者として入社。78年同社を退職し,同年司法試験に合格する。81年弁護士登録をし,主に知的財産権関係の事件を扱う。