発明 Vol.91 1994-7
知的所有権判例ニュース
特許請求の範囲の補正と契約の解釈
神谷 巖
[事実関係]
 被上告人の代表者は,北辰式掘削装置という発明(以下本願発明という)について特許権を取得することを企図し,昭和47年10月14日特許出願をした。
 昭和47年1月から4月までの間に,上告人と被上告人とは,ある契約をした。それは,北辰式掘削装置の発明を実施した装置を被上告人が上告人に発注し,上告人はその装置を製造して被上告人に納入するが,被上告人はその代表者が北辰式掘削装置の発明の特許出願をする準備をしていたため,上告人はその装置を第三者には納入販売しないという,口頭の契約(以下本件契約という)であった。
 その後被上告人代表者は,その特許出願について拒絶理由が通知されたので,昭和52年11月21日,本願発明の特許請求の範囲を補正し,その範囲を減縮した。そしてその内容で出願公告され,昭和55年5月20日,設定登録された(以下この特許を本件特許といい,その発明を本件発明という)。
 上告人は昭和55年6月に,訴訟の対象となった装置(以下被告装置という)を製造・販売した。被上告人は,その装置は北辰式掘削装置であるから,これを第三者に販売したのは契約に違反するとして,同装置の製造販売の差止めと損害賠償の請求を求めて,出訴した。第一審では上告人が勝訴したが,控訴審では被上告人が勝訴した。控訴審では,本件契約の対象は,本願発明を実施した装置である北辰式掘削装置であるが,被告装置は北辰式掘削装置に含まれるとした上で,本願発明につき,出願の過程で明細書の特許請求の範囲が補正された結果,特許請求の範囲が減縮された本件発明として設定登録され,これにより発明の内容が変動しても,その補正前に締結された本件契約の対象となる装置が変動することはないとして,被告装置が本件発明の技術的範囲に含まれるか否か検討することなく,被上告人の請求を認容した。これに対して,上告人は幾つもの上告理由を掲げて,最高裁判所に上告した。最高裁判所は,平成5年10月19日,原判決を破棄する旨の判決を下した。
 
[裁判所の判断]
 上告人はその製造した本願発明の実施に当たる装置を被上告人以外には納入販売しないとの義務を負っていたが,本願発明は出願の過程で明細書の特許請求の範囲が補正された結果,特許請求の範囲が減縮された本件発明として設定登録されたというのである。そして,本願発明は掘削装置の構成に関するものであり,右装置が製造されて工事等に使用されたならば,これを現認した者は容易に発明の内容を知ることができるところ,右発明について特許出願をして独占権が与えられない限り,被上告人は他者の右発明の実施を阻止することができないことは明らかである。そうであるならば,特許出願中の本願発明を実施した装置を上告人に製造させる旨の本件契約は,本願発明につき特許出願がされて将来特許権として独占権が与えられることを前提として,このような発明としての本願発明の実施に当たる装置を対象として締結されたものと解すべきである。ただし,本件契約が,本願発明につき特許出願がされ将来特許権として独占権が与えられるか否かにかかわりなく締結されたとするならば,本件契約に基づいて北辰式掘削装置が製造販売され,本願発明が他者の知るところとなり,他者がその実施をすることが可能となるに至る技術的事項につき,契約当事者である上告人のみが実施を禁ぜられることになり,不合理であるといわざるを得ないからである。したがって,特段の事情が認められない本件においては,本願発明につき,出願の過程で明細書の特許請求の範囲が補正された結果,特許請求の範囲が減縮された場合には,これに伴って本件契約によって披上告人以外に納入販売しないという義務の対象となる装置もその範囲のものになると解するのが相当である。

[解説]
 本件は,特許実施許諾契約の趣旨が争われたものである。出願中の発明についても,実施許諾契約が可能であることは争いがなく,現に多くの契約が結ばれている。本件では出願前の発明について契約したわけであるが,このような契約も可能であることに変わりはない。ただし一体そのような契約は,どういう法的根拠に基づくものであるかについては,必ずしも識者のま見は一致していない。
 本件判決では,このように出願前の発明について実施許諾した場合について,直接的に述べるものではないが,その解釈について判断基準を与えるものである。要するにそのいうところは,実施許諾された発明が出願の過程で変容した場合には,特段の事情がない限り,実施権の範囲は,その変容した範囲に変化することを述べたものである。正当な判決というべきであろう。原審がなぜこの点を意識して判断しなかったか,この判決文だけからは明らかではない。しかし,上告人が提出した上告理由から判断するに,上記の点が明確な形をとって主張されていなかったため,見過ごされたのであろう。
 なお,本件に類似する事案として,特許出願中の発明について実施許諾契約を締結したところ,出願変更があり,実用新案登録出願または意匠登録出願に変更された場合も,実施許諾の範囲はその変更された考案または意匠に変更されたものと解すべきであろう。


かみや いわお 1965年東京工業大学理工学部を卒業,67年同大学院修士課程を修了し,直ちにソニー株式会社に研究者として入社。78年同社を退職し,同年司法試験に合格する。8l年弁護士登録をし,主に知的財産権関係の事件を扱う。