知的所有権判例ニュース |
発明の詳細な説明の参酌 |
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神谷 巖 |
[事実関係] |
原告は,一定範囲の少量のべリリウム及びコバルトを含む銅合金を,析出硬化に寄与する合金成分の再結晶化及び固溶体化を生じさせるために十分な時間一定の高温度に保った後,室温まで急速に冷却し,冷間加工し,一定の中間温度で時効することにより,特性の優れた銅合金を製造する方法を発明し,特許出願した。しかし拒絶査定を受けたため,査定不服の審判を請求したが,本件審判の請求は成り立たないとの審決があったので,審決取消訴訟を提起した。この訴訟において原告は,他の取消事由とともに,次の取消事由を主張した。
上記の「合金成分」とは,明細書の中の実施例の説明の「溶体化処理は(中略)完全な再結晶をもたらさない」との記載に照らして,合金成分の一部であると解するのが相当であるのに対し,引用例記載の発明では特に断り書きがないため,合金全部であると解するのが相当である。 また,上記の「十分な時間」とは,析出硬化に寄与できる合金成分の一部の再結晶化及び固溶体化を生じさせるための時間であり,具体的には明細書の実施例の説明の「この圧延されたストリップは(中略)急冷される」との記載に照らして,約15分間と解されるのに対して,引用例記載の発明では1時間である。 |
[裁判所の判断] |
平成5年12月21日,東京高等裁判所は次のように述べて,原告の請求を棄却した。
発明の要旨の認定,すなわち特許請求の範囲に記載された技術的事項の確定は,まず,特許請求の範囲の記載に基づくべきであり,その記載が一義的に明確であり,その記載により発明の内容を的確に理解できる場合には,発明の詳細な説明に記載された事項を加えて発明の要旨を認定することは許されず,特許請求の範囲の記載文言自体から直ちにその技術的範囲を確定するのに十分といえないときにはじめて発明の詳細な説明中の発明の技術的課題(目的)・実施例等に関する記載を参酌することができるにすぎないと解される。 そこでこの観点から,本願発明の特許請求の範囲に記載された文言を検討すると,まず,上記の「合金成分」は「析出硬化に寄与する合金成分」でありさえすればよいことは文理上明白であり,その量がいかほどであるべきかを限定する文言はないから,これを「合金成分の一部」と解すべき理由はない。 次いで,上記の「十分な時間」についてみると,本願発明の特許請求の範囲の文言上,「析出硬化に寄与する合金成分の再結晶化及び固溶体化を生じさせるために十分な時間」として明確に理解できるから,これを「約15分間」と限定する理由もない。 |
[解説] |
発明の要旨の認定には,まず第一に特許請求の範囲に記載された文言を重視しなければならない。これは特許法第72条第1項に規定されている。
しかし,特許請求の範囲の意義を正確に解釈するには,発明の詳細な説明を参酌すべきである。それは,ほとんどの文言は多義的であり,また仮に一義的であるとしても,その程度,範囲は,発明の詳細な説明を参酌しなければ確定できないからである。良い例として,刑法における「暴行」の意義が,その規定する犯罪ごとに異なって解釈されていることが挙げられる。また,発明の詳細な説明の中には,その明細書で用いる特定の文言について定義をしている場合がある。この定義を無視しては,特許請求の範囲の意義を正確に把握できないことはいうまでもあるまい。したがって,本件判決が一般論として,特許請求の範囲の記載が一義的に明確であり,その記載により発明の内容を的確に理解できる場合には,発明の詳細な説明に記載された事項を加えて発明の要旨を認定することはできない,と述べているのは,やや問題である。 欧州特許条約第69条第1項は,「欧州特許又は欧州特許出願により付与される保護範囲は,クレームの文言によって決定されなければならない。ただし(明細書の)記載及び図面は,クレームを解釈するために使用されなければならない。」と明確に定めている。 ただし本件判決は,上記の理由付けだけを述べているのではない。例えば「合金成分」についてみると,判決は続けて次のように述べている。 「そのうえ,本願明細書の発明の詳細な説明中『合金成分』に関するものとして原告が摘示する部分には,『溶体化処理は約1450°F(790℃)あるいは1500°F(815℃)から約1700゜F(930℃)あるいは1850°F (1000℃)の温度で達成される。その最も低い温度では,ある合金においては完全な再結晶をもたらさない。』(補正明細書15頁9行ないし14行)との記載があるが,この記載の趣旨は,文脈から判断して,ここで示される溶体化温度であっても,その下限,すなわち約1450°Fあるいは1500゜F程度のときは,ある合金では十分な再結晶をもたらさないことに留意すべきであるということであって,その記載を素直に反対解釈すれば,最も低い温度以外では普通は完全な再結晶をもたらすとの趣旨を読み取ることができる。したがって,上記『合金成分』に関する原告の主張は失当というほかはない。」 この理由付けは,特許請求の範囲に加えて発明の詳細な説明をも考慮に入れて本願発明を理解しているのであり,正当である。 要するに,本件判決は,その一般論において賛同し難い部分もあるが,実質的には一般的解釈に即した判断をしているといえよう。 |