知的所有権判例ニュース |
権利失効の原則 |
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水谷直樹 |
[事実関係] | ||||||||||||
原告阪急電鉄株式会社は,鉄道による一般運輸業を主とし,その他スポーツ・娯楽施設,駐車場,食堂および売店の経営,写真業,土地建物の売買・賃貸および建設業,自動車運送業等の多角的な営業目的を有する会社であり,また,原告と親会社・子会社等の資本関係があるか,あるいは原告から分離独立した会社またはこれと資本関係がある会社から構成され,多種多様な事業を行っている企業グループの中核をなす会社である。原告の商号の要部ないしその略称である「阪急」という表示は,元来,原告がその商号を「阪神急行電鉄株式会社」と称していたころ,その略称として用いられ始めたものであるが,以後,同社の発展に伴い,同社または同社関係会社を示す表示として広く使用されるようになり,遅くも阪急百貨店が開業した昭和4年には,「阪急」といえば原告および原告を中核とする阪急グループを指すものとして我が国において広く認識され著名になり,その状態は年を追って増強され現在に至っている。
被告は,昭和26年9月19日,神戸地方法務局伊丹支局において「阪急電機株式会社」の商号(被告商号)で設立登記を了した会社であり,以後,被告商号またはその要部である「阪急電機」を営業表示(被告営業表示)に使用して,電気工事業を行っている。 原告は被告に対し,被告の行為が不正競争防止法第1条第1項第2号に該当することを理由に,被告商号の使用差止と被告商号の抹消登記手続および金7200万円の損害賠償を求めて,本件訴訟を起こした。この訴訟で争点となったのは,
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[裁判所の判断] |
この事件について大阪地方裁判所は,平成5年7月27日判決の言渡しをした。以上に書いた「事件の概要」からも推測できるとおり,裁判所は1の論点に対しては肯定的に,また2の論点については否定的に解した。これらの点については,問題は少ない。本稿は,3の論点について紹介しようとするものである。この点について裁判所は,被告の主張した権利失効の原則を,それ自体としては認めながら,本件にはその適用はできないとした。すなわち,原告の総務部法務部門は,阪急グループ以外の者が原告表示を不正使用していることを発見した時は,警告・訴訟等の方法により表示の使用停止を求めており,これまで約110件の警告をし,約30件の訴訟を提起してきた。また被告が資本金400万円という比較的小規模な会社であり,伊丹市の電話帳に「阪急電機株式会社」の名称で電話番号を掲載等しているほかは,広範囲の広告宣伝活動をしていなかった。そこで原告が平成2年10月ころ被告の社名広告が掲載された都市研究会の機関紙「まりーご一るど」に接するまで,約40年間にわたり被告が被告商号および被告表示を使用していたことに気づかなかったことも無理からぬところがあり,これが原告の懈怠に基づくものとまでいえないうえ,本件全証拠によっても,被告側に,原告との間で被告商号および被告表示の使用について何らかの決着がついていると信ずるのが当然と考えられるような事情も認められない。よって右差止請求権が失効したと認めることはできない,として否定的に解した。また4の点については,これまで直接的な競業関係が生じていなかったから,営業上の損害は生じなかったと判断し,損害賠償の請求は棄却した。
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[解説] |
権利者といえども権利の行使を長期間行使しなかった場合に,権利の時効消滅とは別に,権利が失効することを認める学説,判例がある。これを権利失効の原則という。最高裁判所も昭和30年11月22日の判決で,「権利の行使は信義誠実にこれをなすことを要し,その濫用が許されないことはいうまでもないので,解除権を有する者が,久しきに亘りこれを行使せず,相手方においてその権利はもはや行使せられないものと信頼すべき正当の事由を有するに至ったため,その後これを行使することが信義誠実に反すると認められるような特段の事由がある場合には,もはや右解除は許されないものと解するを相当とする」と述べて,失効の原則が日本においても適用されることを明らかにした。ただしその件で最高裁判所は,権利者が7年8ヵ月にわたり解除権を行使しなかったことに対し,失効の原則の適用はないとした。要するにこの権利失効の原則は,民法第1条第2項の信義誠実の原則の一つの類型であるといえよう。
この後も,権利失効の原則自体は認めながら,その事件への適用を認めなかった判例として,工業所有権関係では,4年余にわたる期間の後特許権に基づく差止請求権の行使が認められた事例(昭和38年9月14日東京地方裁判所判決)が存する。本件訴訟では,原告が常時自己の権利を確保すべく十分な活動をしていたが,被告の営業が目立つものではなく,約40年の間気づかなかったものである。このような場合は,原告は誠実に権利行使をしていなかったとは言えない,と判断されたものである。 |