知的所有権判例ニュース |
詩集の編集著作権が争われた事件 |
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水谷直樹 |
1 事件の内容 |
本事件は、詩人高村光太郎の著名な詩集『智惠子抄』の編集著作権の帰属が争われた事件です。
すなわち、高村光太郎の相続人は、自己名義で著作年月日登録をした澤田伊四郎氏および同氏が代表取締役を務める(株)龍星閣に対して、澤田氏が行った『智惠子抄』の著作年月日登録の抹消および(株)龍星閣による『智惠子抄』の出版の差止めを求めて、昭和四一年に、東京地方裁判所に訴訟を提起いたしました。 |
2 争点 |
この事件で争点となった主要な点は、『智惠子抄』の編集著作権が、もともと誰に帰属していたのかとの点でした。
すなわち、『智惠子抄』は、高村光太郎の創作した詩の中から、高村智惠子に関する詩を集めて編集した作品ですが、もともとは、澤田伊四郎氏が高村光太郎に対して、その編集を働きかけ、第一次案も澤田氏が作成したとの点があったために、編集著作権がいずれに帰属するのかが争われたものです。 |
3 判決の内容 |
(1)以上の争点について、東京地方裁判所は、二十余年が経過した後の昭和六三年二一月二三日付判決で、詳細な事実認定をしたうえで、「『智惠子抄』の編集経過に照らせば、『智惠子抄』を編集著作したのは光太郎であると認められる」と判断し−(事実認定の内容は、大変詳細であるため、その紹介を省略させていただきます)、高村氏側の請求を認容しました。
(2)そこで澤田伊四郎氏側が東京高等裁判所に控訴しましたが、東京高等裁判所においても平成四年一月二一日付判決で、右争点について、 「著作者が企画案ないし構想を提供する第三者の進言により、はじめて著作を決意し、その協力により著作物を完成するという経過をたどることは、決して稀ではなく、その場合進言をした第三者が当然に著作権者となるものではない。著作物をもととして完成される編集著作物について、第三者が進言した場合でも同様である。編集物で著作物として保護されるのは、「その素材の選択又は配列によって創作性を有する」ことが必要であるから(著作権法一二条一項)、澤田が「智惠子抄」の編集著作権者であるというためには、その素材となった智惠子に関する光太郎の作品を自ら選択し配列したと認められることが必要である。すなわち、澤田の編集著作というためには、「荒涼たる歸宅」のように後日制作された作品を除き、可能な限り、智惠子に関する作品全てを認識し把握したうえで、これら作品について必要な取捨選択を経て配列を完成するという作業が澤田自身によりなされることが何よりも先ず必要であって、それによってはじめて控訴人らが主張する光太郎と智惠子の愛を浮き彫りにした創作性ある編集著作がなされたと認め得る余地があるのであり、かかる作業がなされないまま、光太郎の作品の一部を集めても、それは光太郎と智惠子の愛を浮き彫りにするという編集著作という観点からは、企画案ないし構想の域にとどまるにすぎないものというべきである。」 と判断されたため、澤田氏は『智惠子抄』の編集著作行為を行ったとは認められず、編集著作権も帰属していないと認定されました。 (3)これに対して、澤田氏は、この判断を不服として、更に最高裁判所に上告しましたが、最高裁判所は平成五年三月三〇日付判決で、右争点について、 「(1)収録候補とする詩等の案を光太郎に提示して、「智惠子抄」の編集を進言したのは、上告人澤田城子の被承継人であり、龍星閣の名称で出版業を営んでいた澤田伊四郎(以下、単に「澤田」という。)であったが、「智惠子抄」に収録されている詩等の選択は、同人の考えだけで行われたものではなく、光太郎も、澤田の進言に基づいて、自ら、妻の智惠子に関する全作品を取捨選択の対象として、収録する詩等の選択を綿密に検討した上、「智惠子抄」に収録する詩等を確定し、「智惠子抄」の題名を決定した、(2)澤田が光太郎に提示した詩集の第一次案の配列と「智惠子抄」の配列とで一致しない部分がある、すなわち、詩の配列が、第一次案では、光太郎が前に出版した詩集「道程」の掲載順序によったり、雑誌に掲載された詩については、その雑誌の発行年月順に、同一の雑誌に掲載されたものはその掲載順に配列されていたのに対し、「智惠子抄」では「荒涼たる歸宅」を除いては制作年代順の原則に従っている、(3)澤田は、第一次案に対して更に二、三の詩等の追加収録を進言したことはあるものの、光太郎が第一次案に対して行った修正、増減について、同人の意向に全面的に従っていた、というのである。 右の事実関係は、光太郎自ら「智惠子抄」の詩等の選択、配列を確定したものであり、同人がその編集をしたことを裏付けるものであって、澤田が先太郎の著作の一部を集めたとしても、それは、編集著作の観点からすると、企画案ないし構想の域にとどまるにすぎないというべきである。原審が適法に確定したその余の事実関係をもってしても、澤田が「智惠子抄」を編集したものということはできず、「智惠子抄」を編集したのは光太郎であるといわざるを得ない。したがって、その編集著作権は光太郎に帰属したものであると判断し、東京高等裁判所の結論を維持しました。 |
4 検討 |
本事件は、詩集『智惠子抄』の編集著作権の帰属が争われた事件です。
すなわち『智惠子抄』を構成する各作品が高村光太郎の創作によるものであることは争いのないことを前提として、これらの詩を集めた『智惠子抄』の編集著作についての著作権が、誰に帰属するのかが争われたものです。 このような事例での判断はあくまでも具体的な事実に基づいて、ケース・バイ・ケースでなされるものであることはいうまでもありません。 しかし、やはり重要なことは、編集行為に主体的に関与したのは誰であったのかという点であるものと考えられます。 本事件はこのようなケースについて、詳細な判断を加えた一事例として、今後十分に参考になるものと考えられます。 |