判例評釈 |
映画の著作物の著作権保護期間について旧著作権法が適用され、 監督の死後38年にあたる平成48年まで著作権が 存続すると判示された事例 |
東京地判平成19.9.14(平19(ワ)第11535号)黒澤明監督作品DVD[角川書店]事件 |
諏訪野大 |
事実の概要 |
1.X(角川映画株式会社)は、日本および外国映画・映像作品の企画、制作、売買および配給等ならびに映画等のコンテンツを収録したDVD等の映像、音声ソフトの企画、製作および販売などを目的とする株式会社である。 |
判旨 請求認容 |
1.争点1−1について
「本件映画は独創性(旧著作権法22条の3第2項)を有する映画の著作物でありBがその映画監督であり本件映画の冒頭部分に『監督B』と表示されているところ、証拠・・・・・・により認められる本件映画の内容を併せ考慮すれば、Bは、少なくとも本件映画の著作者の一人であることが認められる。」 「映画の著作物は、映画製作者が、企業活動として、当初から映画の著作物を商品として流通させる目的で企画し、多額の製作費を投入して製作するものであり、その製作には・・・・・・多数の者が関与しており、その関与の範囲や程度も様々であるという特殊性を有する。しかし、著作者とは元来著作物を創作する者をいうから、映画利用の円滑化を図るために、映画製作者に著作権を帰属させる必要があるとしても、そのことから直ちに映画製作者が映画の著作物の著作者となると解することはできず、映画の著作物の著作者は、新法16条と同様に、映画の制作、監督、演出、撮影、美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に関与した者であると解するのが相当である。」 2.争点1−2について 「Bは本件映画の著作者であったところ、証拠・・・・・・及び弁論の全趣旨によれば、Aは、Bから本件映画についての著作権を承継取得したことが認められる。 仮にB以外に本件映画の著作者がいた場合、それらの者も著作者として本件映画の著作権を原始取得したものであるが、本件映画は、当初から映画製作者であるAが自己の商品として公表することを前提に作製されるものであること・・・・・・、Aが本件映画を興行して公表し、その後、Cが本件映画を複製したDVD商品を販売してきたが、これに対して著作者と主張する者から異議が述べられた形跡は認められないこと・・・・・・からすると、他の著作者も、映画製作者であるAに対し、本件映画の製作に参加した段階で、本件映画の著作物の著作権を譲渡することを約束したことを推認することができる。」 3.争点2について 「本件映画の冒頭部分には、表題に続き、『監督B』と表示されているから、著作者の実名で公表されたものであり、本件映画は、旧法6条にいう団体名義の著作物に当たらない。・・・・・・本件映画の著作権の存続期間については、旧法3条を適用すべきである。・・・・・・Bの死亡時期は平成10年であるから・・・・・・、旧法3条、9条、52条1項によると、本件映画の著作権は、少なくとも著作者の1人であるBの死亡した翌年である平成11年から起算して38年間存続するので、新法附則7条、平成15年改正附則3条により、旧法の規定が適用され、本件映画の著作権は、少なくとも、平成48年12月31日まで存続する。」 |
評釈 |
1.本件は、本件映画の著作権者であると主張するXが、その映画を複製したDVD商品を輸入、販売するYの行為がXの著作権(複製権、著作権法113条1項1号)を侵害するとして、著作権法112条に基づき、当該商品の増製、輸入および頒布の差止めならびに在庫品の廃棄を求めたのに対し、Yが、映画についての著作権は存続期間の満了により消滅したと主張して争った事案である。 著作権法の平成15年改正によって、映画の著作物の保護期間が公表後70年に延長されたが、「ローマの休日」(東京地決平成18.7.11判時1933号68頁・判夕1212号93頁)や「シェーン」(最判平成19.12.18裁判所HP)について、平成15年改正附則2条が適用されず、その保護期間が延長されないとする決定・判決が相次ぎ、文化庁の立法の仕方が議論の的になったことは記憶に新しい。一方、著作権保護期間の延長につき、法律学的観点はもちろん、経済学的観点からもその是非が議論されていることは周知のとおりである。 このような状況下で、今度は映画の著作物の著作者について旧法の昭和6年改正立法担当者の意思を全面的に採用し、保護期間につき新法附則7条および平成15年改正附則3条を適用して、公表後50年以上を経た映画の著作物の保護期間を延ばす旨判示する裁判例が相次いで現れた(知財高判平成20.2.28裁判所HP「チャップリンDVD事件」、東京地判平成19.9.14裁判所HP「黒澤映画DVD[東宝]事件」、東京地判平成20.1.28「黒澤映画DVD[松竹]事件」)。その一つが本件である。 なお、本件においてYは代理人を立てていない。 2.本件映画はそれぞれ1949年、1950年に公開されており、旧法下のものである。 新法では、映画の著作物の著作者は、職務著作の場合は使用者たる法人等であり(15条)、それ以外の場合には、映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者が著作者である(16条)。さらに、映画の著作物の著作者が映画製作者に対し当該映画の著作物の製作に参加することを約束しているときは、当該映画製作者に著作権が帰属する(29条1項)。 しかし、旧法は「活動写真術又ハ之ト類似ノ方法ニ依リ製作シタル著作物ノ著作者ハ文芸、学術又ハ美術ノ範囲ニ属スル著作物ノ著作者トシテ本法ノ保護ヲ享有ス」(22条ノ3)とするのみで、映画の著作物の著作者が誰であるのか明文の規定を欠き、必ずしも明らかではなかった。旧法下で製作・公開された本件映画については、そもそも著作者が誰なのかが問題となる。 この点、判決は「映画の著作物の著作者は、新法16条と同様に、映画の制作、監督、演出、撮影、美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に関与した者であると解するのが相当である。」と判示した。 判決がその判断を正当化する根拠の一つが立法者意思であるが、具体的には、旧法22条ノ2〜22条ノ4が新設された昭和6年改正の立法担当者である小林尋次の見解を指す。すなわち、「自然人でない法人が著作者となることは有り得ない。・・・・・・昭和6年の立法当時は著作者は映画監督であると一応断定し、完成された映画の著作権は映画監督が、原始取得するものであるが、彼は映画会社の被傭者乃至専属契約下に在る者であるから、契約に基き、映画著作権は映画完成と同時に映画会社に移るものとする意見に統一し」たという。 一方、旧法下の学説は、映画の著作物の著作権者について、独創性を有する映画の著作物であることを前提に、映画会社等、現在でいう映画製作者に相当する者とする説(勝本正晃『著作権法』80頁、城戸芳彦『著作権法と著作権条約』124頁、山本桂一『著作権法』255頁)、映画監督とする説(萼優美『条解著作権』174頁)、脚本、監督、音楽家等の共有とする説(飯塚半衛『無體財産法論』380頁)などが出されていた。しかし、これらの学説は映画の著作物の著作権が誰に帰属するかということに焦点を合わせ、その著作者が誰かという点を正面から論じていない。このことは、製作行為自体を映画会社はできないことを前提にするからこそ、著作権の帰属先を問題にしていると解される。つまり、著作者は監督等(その範囲に差があるにしても)であることを前提にしている現れであると思われる。したがって、昭和6年改正の立法担当者の意思も考え合わせれば、Bが著作者(少なくともその1人)であるとの結論となろう。 ただし、旧法の立法者であった水野錬太郎は、「著作權ノ主體ハ必ズシモ自然人ニ限ラス國、府縣、協會、會社等ノ如キ法人モ亦其主體タルコトヲ得例ヘハ此等法人カ其機關タル自然人ヲシテ著作セシメタル場合ニ於テハ著作物ノ著作權ハ其自然人ニ屬セスシテ法人ニ屬スルカ如シ・・・・・・我著作權法ニ於テハ法人ノ原始著作權ヲ認ムルモノノ如シ(第六條)」(水野錬太郎『水野錬太郎著作権シリーズ第四集著作権法(明治三八年法政大学講義録)』八〇頁)と述べている。すなわち、旧法6条を現在の職務著作とほぼ同じ考え方に立って起草している。したがって、自然人である監督から映画会社に著作権が移るものとするほかないとする昭和6年改正の立法担当者とは考えが異なる。仮に、昭和6年改正が旧法6条の趣旨を誤ってなされたものであるとすると、その立法担当者の考えを全面的に採用することに疑問を差し挟む余地もあり得る。 3.判決は「証拠・・・・・・及び弁論の全趣旨によれば、Aは、Bから本件映画についての著作権を承継取得したことが認められる。」とするが、これはXの主張をそのまま採用したものである。 この点、映画業界の慣行については、大河ドラマ「武蔵MUSASHI」事件(控訴審判決知財高判平成17.6.14判例時報1911号138頁、同第一審判決東京地判平成16.12.24裁判所サイト「知的財産裁判例集」)ではBの子が原告であるが、Bが監督した映画「七人の侍」(東宝製作)の脚本については翻案権ならびに氏名表示権および同一性保持権の侵害を主張したが、映画については氏名表示権および同一性保持権の侵害を主張し、翻案権侵害の主張がなかったことは参考になろう。著作権の譲渡があったことを前提にしなければ、このような主張にはならないからである。 また、判決は、仮にB以外に本件映画の著作者がいた場合を想定し、他の著作者もAに対し、本件映画の製作に参加した段階で、本件映画の著作物の著作権を譲渡することを約束したことを推認することができるとするが、これは新法29条と同様の規定がなかった旧法下ではにわかに断定しがたい。 しかし、前述の旧法下における議論を踏まえると、映画監督が著作者であるとする説に従えば、著作者はBであり、そのBが著作権を譲渡したのであるから、Aは単独の著作権者である。著作権の帰属が映画製作者であるとすれば、Aが当然に単独の著作権者である。共有説の論者も「實際に於ては是等の共働者は映画會社に雇はれ、著作權は映画製作会社に屬してゐる」としており(飯塚・前掲380頁)、結論は変わらない。 なお、AからXへ著作権が譲渡されていく過程については、事実として認定されている。 4.以上を前提にすれば、判決の述べるとおり、旧法3条、9条、52条1項が適用され、本件映画の著作権はBの死亡した翌年である平成11年から起算して38年間存続するので、新法附則7条、平成15年改正附則3条により、旧法の規定が適用され、本件映画の著作権は平成48年12月31日まで存続することとなる。 本件と「ローマの休日」事件とで最も対照的なのは、立法担当者の意思の位置づけ方である。「ローマの休日」事件決定では「仮に、現行の著作権法施行の際の適用関係について、当初昭和37年12月31日に保護期間が満了する予定であった著作物を現行の著作権法によって引き続き保護したいという立法者意思を認め、合目的的に、昭和45年12月31日に保護期間が満了する著作物につき昭和46年1月1日に施行された現行の著作権法が適用されると解するとしても、本件改正法附則2条につきこれと同様に解すべき立法者の意思を汲み取ることは困難である。・・・・・・本件改正法の国会における審議の会議録には、本件改正法附則2条の適用関係に関する記載や、保護期間を延長した場合に対象となる映画やその公表時期に関する記載はなく、本件改正法の適用関係について、国会における立法段階での具体的な審議はされていないものと推認される。よって、本件改正法附則2条については、平成15年12月31日に保護期間が満了する著作物を保護するためのものであったという立法者意思を認めることはできない。」とした。昭和6年改正では「著作者は映画監督であると一応断定し、・・・・・・映画著作権は映画完成と同時に映画会社に移るものとする意見に統一して、国会に臨んだのであるが、国会では本件に関する質問を受けなかったので、答弁説明の機会なくして終った」ことを考えると大きな違いである。Yが代理人を立てなかったことも影響しているように思われる。 ただし、本件は、「ローマの休日」事件等とは異なり、平成15年改正附則2条と関係がないことに注意すべきである。本件映画1が平成11年末に、本件映画2が平成12年末に存続期間がすでに満了してからである。本件映画が公表後50年経過後も著作権が存続するためには新法附則7条および平成15年改正附則3条が適用されることが絶対条件であった。 また、1953(昭和28)年に公開された「ローマの休日(Roman Holiday)」のWilliam Wyler監督は1981(昭和56)年に、1953(昭和28)年公開の「シェーン(Shane)」のGeorge Stevens監督は1975(昭和50)年に死亡している。本件の論理を当てはめると、「ローマの休日」は2019(平成31)年まで、「シェーン」は2013(平成25)年まで著作権が存続することとなる。しかし、邦画と洋画の違いもあり、著作者の認定等は国際私法的な観点からの検討も必要であって、単純に本件の論理を導入すべきではない。したがって、本件と「ローマの休日」事件等とは同一平面上で比較されるものではないと解される。 ※紙幅の都合上、争点1−3および争点3については割愛した。 |