発明 Vol.100 2003-11
判例評釈
本願発明(細粒核/特許2576927)の特許出願の
願書には,原告が本件発明の共同発明者とし
て記載されており,原告は本件発明の真の発
明者であるとの原告の主張が退けられた事例
(東京地裁平成14年8月27日民46部判決,平成13(ワ)7196号,特許権譲渡対価請求事件,
判例時報1810号102頁,判例タイムズ1117号280頁)
山田 恒夫
〈事実の概要〉

 原告Xは,平成元年に被告Y会社に入社し,平成12年3月に退社するまで,ほぼ一貫して製剤部門の研究・開発に従事していた。
 被告Y社は,世界有数の米国ファイザー製薬(「Pfizer Pharmaceuticals Inc.」。以下「米国ファイザー」という。)の我が国における100%子会社であり,医療品,医薬用具の製造・販売・輸出入等を業としている。

 本件特許権
 発明の名称    細粒核
 特許番号     第2576927号
 出願日      平成4(1992)年5月15日
 登録日      平成8(1996)年11月7日
 特許権者     Y社
 発明者      X他A,B2名
 特許請求の範囲
【請求項 1】
 主薬と少なくとも26重量%の結晶セルロースとを含み,かつ80〜400μmの平均粒子径を有することを特徴とする細粒核。
【請求項 2】
 前記結晶セルロースの含有量が60重量%以上であることを特徴とする請求項1記載の細粒核。
【請求項 3】
 前記主薬が,スルタミシリンまたはその薬学的に許容される塩であることを特徴とする請求項1または2記載の細粒核。
【請求項 4】
 攪拌造粒法により請求項1記載の細粒核を製造することを特徴とする細粒核の製造方法。
【請求項 5】
 攪拌機(アジテーター)の回転速度が25〜600回転/分であり,粉砕機(チョッパー)の速度が0〜4600回転/分であることを特徴とする請求項4記載の細粒核の製造方法。
【請求項 6】
 請求項1または2記載の細粒核をコーティングしてなることを特徴とする細粒剤。

 1.平成元年12月ころ,米国ファイザー社から,Y社に対して,ジクロルメタンを使用しない細粒剤の製造方法を開発するようにとの要請があった。
 2.このような事情から,当時,Y社の製剤研究室長であったXは,部下の訴外Aとともに,製造コストの低減及びジクロルメタンの排除を可能にする細粒剤の製造方法の開発に取り組み始めた。
 3.平成2年初めころ,コーティング可能な真球度の高い細粒核を高収率で得ることを課題とし,そのような細粒核の製造に関して,造粒過程や造粒終点,また操作条件(とりわけアジテーターやチョッパーの回転速度)や結合材の添加方法との関係を実験結果に基づいて分析し,報告した,寺下論文「高速攪拌型造粒機の造粒過程及び造粒終点」と題する論文及び「標準処方を用いた攪拌造粒−粒度分布に及ぼす操作条件の影響−」と題する論文を見つけ,Aに交付した。
 4.Aは,Xから交付された寺下論文の内容等を参考にして,平成2年4月ころまでに,製造コストが低く,かつ,ジクロルメタンを使用しない細粒剤の製造方法に関する資料を作成して,Xに交付した。
 同資料記載の方法
 対策1.コーティングの溶媒としてジクロルメタンの代わりに水−エタノール系を用いるもの。
 対策2.ジクロルメタンの代わりにエタノールを用いるもの。
 対策3.バルク・コーティング法に代えて高速攪拌造粒機による造粒を行うとともに,水−エタノール系を用いるもの。
 対策4.押出造粒機及びマルメライザーによる造粒を行い,水−エタノール系を使用するもの。
 5.平成2年8月9日,Aは深江工業に出張し,同社に設置された高速攪拌造粒機を用いて,細粒核の製造実験を行った。この実験で,アジテーターの回転速度を300〜400rpmとし,チョッパーの回転速度を2000〜3600rpmとすること,結晶セルロース(アビセル)を69%用いることなどは,深江工業の訴外Nの発案に基づくものであった。その結果,真球度の高い細粒核が高収率で得られた。
 6.Aは深江工業における実験で好結果を得た旨をXに報告,平成2年11月ころから,Xと適宜協議しつつ,同実験で得られた細粒核の最適化実験を重ね,結晶セルロースの処方量を多くすれば,コーティングに適した粒径の小さい核が多く得られることを発見した。
 7.平成3年8月末,XはAに対し,上記実験で得られた細粒核の特許出願を勧めるとともに,自らも出願を推進すべく,Y社特許部と折衝を重ねた。
 Aは公知例との比較データを得るための実験プロトコールを作成して特許部に提示したが,同部の担当者であった訴外Bは,これを不十分とみて自らプロトコールを作成し,X及びAに実験を促した。Aはこれを受けて,さらに公知例や比較例に関する実験を行った。
 8.X,A及びBは,この実験過程で,平成2年10月及び平成3年10月に粉体工学会(製剤と粒子設計部会)主催のシンポジウムの講演要旨集において,結晶セルロースを100%用いた造粒方法,結晶セルロース25%,コーンスターチ75%を用いた攪拌造粒方法が紹介されていることを知った。
 そこで,特許部長及びBは,Xと協議のうえ,専ら公知例との抵触を避け,かつ,特許発明の範囲を最大とする目的で,結晶セルロースの重量%を「少なくとも26%」と限定して特許請求の範囲を画することにした。
 9.このような過程を経て,Y社は平成4年5月15日に本件発明を特許出願した。
 当時,Y社においては,国内出願の優先権に基づく米国出願を行う可能性のある発明については,国内出願の段階から願書に記載する発明者として真の発明者を表示することを厳格に行っていたが,そうでない場合には,社内において,特許部に対して特許出願を依頼する文書が管理職を共同発明者として提出されれば,特許部において特段の確認を行うこともなく,その者を共同発明者として願書に記載して出願を行っていた。本件発明については,米国における出願は予定されておらず,国内においてのみ出願するものであったので,新薬開発センターから提出されていた米国ファイザーあての特許出願依頼書にXとAが共同発明者として記載されていたことから,Y社特許部は,この両名を共同発明者とし,さらに実験プロトコールを案出して本件発明の特許出願に貢献したBをも共同発明者の一人に加え,結局,願書に共同発明者としてこの3名を記載して,本件発明についての特許出願を行った。
 10.Xは平成12年3月にY社を退社した。Xは,本件発明はXがY社に従業員として在籍当時に他の従業員と共同で発明した職務発明であるところ,特許を受ける権利の譲渡に対する相当な対価が支払われていないと主張して,特許法35条3項に基づき,7000万円の支払いを請求したのが本件である。
 争点は次の2点である。
 (1) Xは本件発明の共同発明者か。
 (2) Xが共同発明者である場合,特許法35条3項の「相当の対価」の額はいくらか。


〈判 旨〉

 請求棄却。
 Xは本件発明の共同発明者か。
 1.本件発明の特徴は,結晶セルロースを26重量%以上用いることにより,真球度が高く,粒度分布の小さい主薬を含有する細粒核を提供するという効果を得られることを見いだした点にあるというべきである。
 しかしながら,このうち結晶セルロースの重量%を「少なくとも26%」と定めた点は,前記認定のとおり,公知例との抵触を避け,かつ,特許発明の範囲を最大とすることのみを目的として,机上で決定されたものであり,実験による技術上の裏付けを全く欠いたものである。すなわち,本件明細書中の「結晶セルロースが26重量%より少ない場合には,従来の核と同様,核表面が粗く,摩損し易いため,コーティングとの均一性が損なわれ,過剰のコーティング材料を必要とし,作業時間も長いなどの問題点が生じ,効率が悪いという問題を有する。」との記載は,実験により確認されたものではなく,上記の目的から机上で決定された「26%」という数値を,あたかも技術的な理由があるかのように見せるために,根拠なく作成された文章である。
 上記のとおり,「少なくとも26%の結晶セルロースを含み」(特許請求の範囲【請求項1】)という点は,その理由として明細書に記載された内容は事実に反するもので,実際には全く根拠を有しない架空の数値であるから,この数値の決定をもって,「技術的思想の創作」(特許法2条1項)と評価することはできず,当該数値の決定に関与したことをもって,本件発明の共同発明者と認めることもできない。
 2.そうすると,仮に本件発明に何らかの特許性を認め得るとすれば,それは,「本発明において,結晶セルロースは,・・・・・・60重量%以上用いることが特に好ましい。」(本件明細書段落【0012】)という点,すなわち,「結晶セルロースの含有量が60重量%以上であることを特徴とする」(特許請求の範囲【請求項2】)という点にあるというべきである。しかるに,この点は,Xが着想したものではない(X自身も,本人尋問において,結晶セルロース(アビセル)を多量に使用する点はAからサジェスチョンがあったこと,結晶セルロースが多いと細粒収率が劇的に向上するという報告をAから受けていたことを述べている〔X本人尋問調書59頁〕。)。賦形剤として,このように多量の結晶セルロースを用いるという着想は,深江工業での実験において,賦形剤である結晶セルロース(アビセル)を,69重量%という従来例に比して格段に多量に処方した場合に,真球度の高い細粒核を高収率で造粒できたことによって,得られたものと認められるが,前記認定のとおり,同実験において,結晶セルロース(アビセル)を69%用いたこと,アジテーター及びチョッパーの回転速度を前記認定のように設定したことは,いずれも深江工業の専門技術者であるNの発案に基づくものであった。
 これらの事情に照らせば,本件発明について,最も大きな寄与をしたのはNであって,本件発明については,Nの発明又はNとAの両名による共同発明ということはできても,Xが共同発明者の一人として関与したということはできない。
 3.Xは,主薬と賦形剤を混合して細粒核を製造する技術と,寺下論文に開示された真球度の高いコーティング用細粒核を高収率で得る技術とを組み合わせる着想が本件発明の特徴であるから,この着想を提供したXは共同発明者であると主張する。
 しかしながら,主薬と賦形剤を混合して細粒核を製造すること,及び,寺下論文に開示されたように,結晶セルロース(アビセル)等数種の賦形剤を混合し,アジテーターの回転速度を300〜500rpmにするなどの条件設定をしたうえ,高速攪拌造粒機を用いて造粒すれば,真球度の高い細粒核が高収率で得られることは,いずれも公知であった。また,寺下論文において示された条件設定の下で,主薬を含む真球状の核の造粒実験をすること自体は,さほど困難なことではなかった。しかしながら,実際の実験においては,各種混合物の比率,温度,アジテーターの回転速度,攪拌条件等の違いで結果が左右されることから,真球度の高い細粒核を高収率で得るための最適な実験条件を見つけ出すことは,困難であった。
 上記によれば,平成元年当時Y会社が抱えていた課題(真球度の高い細粒核を高収率で得ること)の解決のためには,攪拌造粒法における最適な実験条件を見つけ出すことが重要であり,当時公知であった主薬と賦形剤を混合して細粒核を製造する方法と,寺下論文に開示された真球度の高いコーティング用細粒核を高収率で得る方法とを組み合わせて主薬を含む真球状の細粒核を製造しようとすることは,それ自体が発明と呼べる程度に具体化したものではなく,課題解決の方向性を大筋で示すものにすぎない。したがって,Xが上記着想を得たからといって,本件発明の成立に創作的な貢献をしたということはできず,Xを共同発明者と認めることはできない。
 なお,一般に,発明の成立過程を着想の提供(課題の提供または課題解決の方向づけ)と着想の具体化の2段階に分け,
 《1》 提供した着想が新しい場合には,着想(提供)者は発明者であり,
 《2》 新着想を具体化した者は,その具体化が当業者にとって自明程度のことに属しない限り,共同発明者である,
 とする見解が存在する。
 上記のような見解については,発明が機械的構成に属するような場合には,一般に,着想の段階で,これを具体化した結果を予測することが可能であり,上記の《1》により発明者を確定し得る場合も少なくないと思われるが,発明が化学関連の分野や,本件のような分野に属する場合には,一般に,着想を具体化した結果を事前に予想することは困難であり,着想がそのまま発明の成立に結び付きにくいことから,上記の《1》を当てはめて発明者を確定することができる場合は,むしろ少ないと解されるところである。本件についても,上記のとおり,主薬と賦形剤を混合して細粒核を製造する方法と寺下論文に示された方法を組み合わせるという着想は,それだけでは真球度の高い粒核を高収率で得られるという結果に結び付くものではなく,また,当該着想自体も当業者であればさほどの困難もなく想到するものであって,創作的価値を有する発想ということもできないのであるから,Xをもって,本件発明の共同発明者と認めることはできない。

〈評 釈〉

 本判決の位置づけ。
 本判決は,元従業員による会社に対する在職中の職務発明の相当対価(特許法35条3項)の請求につき,Xは,特許出願に際して願書に共同発明者として記載されているものの,発明の内容及び発明のされた経緯を詳細に認定するとともに,発明へのXの具体的関与状況を認定したうえで,共同発明者とは認められないとして,請求が棄却された事例である。
 特許法35条に定める相当の対価請求については,従業者等が対価請求権を有効に放棄するなど,特段の事情のない限り,従業者等は該社内規定に基づき使用者等の算出した額に拘束されることはなく,同条3項,4項による「相当の対価」を使用者等に請求することができることは,ピックアップ装置事件(オリンパス事件−東京高判平成13年5月22日判事1753号23頁)において判示されているところである。
 本判決は,この東京高判の判示内容適用についての制限を示す初めての事例といえよう(控訴審係属中)。

1.判旨1.について
 判旨1.は,結晶セルロースが26%以上と記した【請求項1】は実験的裏付けがなく,根拠なく作成された文章であって,この点に関する限りは「技術的思想の創作」と評価することはできないから,この数値決定に関与したことをもって共同発明者であるとは認められないことを述べている。
 この点に関しては,粉体工学会(製剤と粒子設計部会)主催のシンポジウムの講演要旨集において,
《1》 賦形剤として,白糖やコーンスターチなどを用いず,結晶セルロース(アビセル)を100%用いた造粒方法(平成2年10月24日,25日開催第7回製剤と粒子設計シンポジウム講演要旨集〔平成2年10月発行〕)
《2》 結晶セルロース(アビセル)200g及びコーンスターチ600gを賦形剤として用いた(結晶セルロースの重量%は25%)攪拌造粒方法が紹介されていること(平成3年10月23日,24日開催第8回製剤と粒子設計シンポジウム講演要旨集〔平成3年10月発行〕146頁)
 が公知となっているのであるから,結晶セルロースが25重量%以上100%まで使用可能であることが既に示されているものと見るべきではなかろうか。
 本判決で判旨1.に判示のような,明細書記載の内容は事実に反するもので,実際には全く根拠を有しない架空の数値であるというよりも,むしろ,結晶セルロースが25重量%未満の場合に,「従来の核と同様,核表面が粗く,磨損し易いため,コーティングの均一性が損なわれ,過剰のコーティング材料を必要とし,作業時間も長いなどの問題点が生じ,効率が悪いという問題点を有する」ことが,上記平成2年10月24日,25日の第7回シンポジウムで述べられたのであろうことが推量できる。
 この訳は,特許法36条3項3号に定める発明の詳細な説明に記載する,その発明に関連する文献公知発明に関する情報の所在(特36条4項2号)として,本件発明の特許公報に記載されているものは,第5回製剤と粒子設計シンポジウム要旨集,第6回製剤と粒子設計シンポジウム要旨集,第8回製剤と粒子設計シンポジウム要旨集,薬学雑誌107巻317号等であって,第7回製剤と粒子設計シンポジウム要旨集は記載されていないからである。
 だとすれば,数値限定発明には実験的裏付けが必要であるが,既存の,あるいは,公知のデータから当然に推察できる場合があるということを考慮に入れても,判旨も述べているごとく,“この数値の決定をもって「技術的思想の創作」(特2条1項)”と評価することはできず,結晶セルロースが26%以上と記した【請求項1】は,進歩性を認め得るか否かの点で,若干の疑問を禁じ得ない。
 したがって,この点に関する限りにおいては,当該数値の決定に関与したことをもって,本件発明の共同発明者と認めることはできないというよりも,むしろ,【請求項1】だけでは,本件発明の特許要件を欠くということができよう。審査の段階で,進歩性について何も問題にならなかったか否かの疑問が残る。
 ただ,本件にあっては,Xが共同発明者か否かという観点で判断したのであって,特許発明に該るか否かという点についての判断は全く考慮の外に置かれていたのかもしれない。

2.判旨2.について
 判旨は,特許請求の範囲の請求項2に記載されている「結晶セルロースの含有量が60重量%以上であることを特徴とする請求項1記載の細粒核」には特許性を認めている。けれども,この点については,Xの着想によるものではなく,出張実験を行った,攪拌機メーカーである深江工業の訴外Nの発案に基づくものであるから,本件発明について最も大きな寄与をしたのはNであって,本件発明については,Nの発明またはNとAの共同発明ということはできても,Xが共同発明者の一人として関与したとはいえないと述べている。
 Xが共同発明者でないということになると,本件発明の特許出願に記載された発明者とは何かの問題が生ずる。旧法の下では,大審院判例において,発明者の表示に実体的違法がある場合にはその出願自体が違法となることが示されているが(大審院昭和3年4月16日第一民事部判決(昭和3年(オ)第65号実用新案登録無効請求事件)−民集7巻4号209頁,別冊ジュリストNo.86,特許判例百選第二版30頁所収),この判決の考え方は,旧法の下では賛否両論があり,現行法の下では49条4号と123条1項6号ではっきり否定されたと考えられている(出願における発明の表示方法−発明者の表示−,兼子一他著,発明,特許法セミナー(1),173頁,昭和47年有斐閣)。例えば,123条1項6号では「その特許が発明者でない者であって,その発明について特許を受ける権利を承継しない者の特許出願に対して」無効審判請求ができることを定めている。したがって,発明者欄に記載された氏名が実際の発明者と異なっても,無効審判請求の原因とはならないといえよう。
 発明者の表示の問題は,表示自体の問題にとどまらず,Yが誰から特許を受ける権利を譲渡されたのか,あるいは承継したのかの問題も生ずる。この点は,我が国にあっては,仮に明示されていなくても,出願としては有効かつ適法とみることができようが,少なくとも審査の段階で,発明者欄に記載されている氏名が実際の発明者と異なると判断されていた場合は,その点についての補正を要したのではないかとも考えられる。しかしながら,発明者表示は,発明者の名誉保持ということだけであれば,実際上は発明者でない者の氏名が記されていても,特許付与という制度目的からみて,何ら問題はないのかもしれない。
 ただ,本件にあっては,Xが共同発明者でないということで,Xの請求を棄却しているので,明瞭な判断は下されていないのであるが,争点(2)の中で,YからXに,出願時に1万円,退職後に6000円支払われていることは当事者間に争いのない事実である。そうすると,この1万6000円という金額は一体どういう性質の金であるのかの疑問を禁じ得ない。
 発明者が誰であるかの認定判断については,技術的思想の創作自体に実質的に関係しない者,例えば単なる管理者,補助者あるいは後援者・委託者等は発明者ではない。着想を提供した者と着想を具体化した者が異なる場合,着想が新規なときは着想を提供した者が発明者であり,その着想の具体化が当業者にとって自明程度の事項に属しないときは,着想を具体化した者も発明者であるといわれている(吉藤,特許法概説(九版)143頁以下)。
 本件にあっては,少なくとも【請求項2】に関する限り,Xが着想したものではないし,実験にも参加しておらず,数値設定は出張実験した先の訴外Nの発案に基づくものであるから,Nの発明またはAとNとの共同発明たり得ても,Xが共同発明者として関与したとはいえないから,Xは共同発明者たり得ない旨を判示している。
 NはAが実験のため出張した先の攪拌機メーカーの従業員である。この攪拌機メーカーへは,本件被告のY社だけでなく,多くの製剤会社が実験に出かけている会社ではあるが,製剤会社ではない。したがって,Nは製剤に関しては,専門外の技術者である可能性が高い。この点に関しての事実認定は本判決には示されていない。
 実用新案登録がなされた考案が属する技術分野に関しては,専門外の被告が呈示した基本的な課題と素朴なアイデアに基づいて,同技術分野の専門家である原告が産業上利用できるような構成として具体化し完成したという事案について,事実の経過を詳細に認定して,考案者は原告であるか被告であるか,あるいは原被告の共同考案とみるべきかを判断した事例(審決取消請求事件,東京高裁平2(行ケ)46号,平成3年12月24日民事六部判決,判時1417号108頁)においては,「本件考案の技術的課題(目的)は被告が極めて素朴な形で呈示したアイデアを基礎として,藤井(原告会社の代表取締役−筆者注記)がこれを具体化し産業上利用できるような構成として完成したものと見るのが相当である。したがって,被告は,藤井が本件考案をするに当って具体的着想を示すことなく,単に基本的な課題とアイデアのみを示し,専ら藤井においてこれを技術的思想の創作として完成したものであって,創作過程において藤井に意見を述べたことがあったとしても,単なる製作依頼者としての助言にとどまり,結局,本件考案は被告が単独で考案したものとは徹底認め難く,藤井と被告を共同の考案者ということもできないというべきである」と判示している。
 本件は給付判決の理由の中で,Nが発明者であることを判示しているのであるから,本件特許権に既判力が及ぶことがないことは当然であるので,Nが発明者であることを判示しても特に問題はない。けれども,本件発明がNの発明またはNとAの共同発明ということになれば,発明者からY社への特許を受ける権利の譲渡について若干の疑問が生じてくることは否めない。だとすれば,本件にあっては【請求項2】についても,Xの貢献度は限りなく0に近いという判断にとどめておいても良かったのかもしれない。
 なお,特許出願中の発明につき,特許を受ける権利の帰属が争われ,承継人(本訴原告)の権利が否定され,反訴原告(未出願)の特許を受ける権利の確認請求が認容された事例としては,東京地裁昭和52年(ワ)第1107号,同53年(ワ)第1416号,特許登録を受くる権利の確認請求,同反訴事件,昭和54年4月16日民事第29部判決「穀物の処理方法等事件」がある(判夕No.395,155頁)。

3.判旨3.について
 判旨は,平成元年当時Y社が抱えていた課題(真球度の高い細粒核を高収率で得ること)の解決のためには,攪拌造粒法における最適な実験条件を見つけ出すことが重要であり,当時公知であった主薬と賦形剤を混合して細粒核を製造する方法と,寺下論文に開示された真球度の高いコーティング用細粒核を高収率で得る方法とを組み合わせて主薬を含む真球状の細粒核を製造しようとすることは,それ自体が発明と呼べる程度に具体化したものではなく,課題解決の方向性を大筋で示すものにすぎず,したがって,Xが上記着想を得たからといって,本件発明の成立に創作的な貢献をしたということはできず,Xを共同発明者と認めることはできない旨を判示している。この点については,認定された事実からも明らかなとおり,Aは深江工業における実験で好結果を得た旨をXに報告,平成2年11月ころから,Xと適宜協議しつつ,同実験で得られた細粒核の最適化実験を重ね,結晶セルロースの処方量を多くすれば,コーティングに適した粒径の小さい核が多く得られることを発見したわけである。ここで重要な点は,AはXと適宜協議しつつ,細粒核の最適化実験を重ねていったという点である。判示のように,Xは課題解決の方向性を大筋で示しただけなのかどうかは,Aの実験結果報告とXの述べた意見・考えとの詳細な記録を見るか,聴くかしなければ明らかではないようにも考えられる。一般的には,このようなケースでは,共同研究という判断を下しても,異論のないところであろうと考えられる。
 判旨3.に示された発明の成立過程を着想の提供と着想の具体化の2段階に分けて考えるくだりは,既述の吉藤説を採用しているものと考えられる。ただ,発明が機械的構成に属するような場合には,一般に,着想の段階で,これを具体化した結果を予測することが可能であり,提供した着想が新しい場合には,着想した者が発明者であると確定し得る場合も少なくないと思われるという点については,若干の疑問なしとしない。例えば,新たな原動機出力制御法を着想した場合,その着想だけではとても発明と呼ぶことはできず,具体的にその制御法が実施可能であることを実験で確認しなければならない。このような場合は着想した者とその実施の可能性を確認するための実験装置を設計・製作した者との共同発明ということになる。その実験装置を使って実際に実験した者は,共同発明者とはならない。このように機械的構成に関する方法の発明にあっては,着想だけでは発明とはならない場合が多いと考えられる。
 かかるが故に,どの領域は着想だけでも発明者となるが,どの領域では実験まで携わらなければ発明者とはならないというような大雑把な考え方は適切でない。最近,発明が着想され,特許権を取得するまでの知的活動を工学的切り口で分析・研究する学問−特許工学が提唱され始めている(谷川英和,河本欣二著,特許工学入門−発明の着想から特許権取得までのプロセス論,平成15年5月10日,中央経済社)。この特許工学的見地に立つと,従来の着想とその具体化だけで,着想した者が発明者か否かを判断することは若干思慮不足というか,過程の分析が不十分なようにも思える。いかに簡単な着想でも,着想があって特許技術が生まれてくるものであるから,本件にあっても,主薬と賦形剤を混合して細粒核を製造する方法と寺下論文に示された方法を組み合わせるという着想は,それだけでは真球度の高い粒核を高収率で得られるという結果に結びつくものではなくても,また,当該着想自体も当業者であればさほどの困難もなく想到するものであっても,創作的価値を有する発想ということはできないとはいえないのであって,少なくとも発明者として氏名が書かれ,異議申立もなく,無効審判請求もなされていなければ,共同発明者であることは認めてもよいのではないかと思料する。
 本件は,特許権譲渡対価請求事件,すなわち,特許を受ける権利を使用者に譲渡したことに対する特許法35条3項,4項に定める相当の対価請求事件であるから,Xの本件発明に対する貢献の程度を評価するアプローチでも,Xの請求を棄却することも可能であったとも考えられる。

4.むすびにかえて
 現在,我が国は知的財産戦略会議を設けて,知的財産立国を推進しつつある。国際競争力の強化,経済の活性化の観点から知的財産を見ても,やはり,その中心をなすのは特許権であることは否めない。特許権を生ぜしめるには,何といっても発明の着想が重要である。発明の着想ができるだけ保護されれば,技術者,技術研究開発者の研究意欲,開発意欲を鼓舞することにもつながる。
 実際,本件にあっても,粉体工学会のFound−ing Memberの一人で,現在名誉会員である微粒子設計の権威者も,本判決については,まず,Xが共同発明者でないという判断には同意できず,本件発明に何の貢献もしていないという判断にも疑問を投げられているところではある。
 ある発明について,発明者が誰であるかを認定しようとする場合は,法律家が法律的な眼で発明過程等について分析・判断するだけでなく,それぞれの技術分野の専門家の眼も借りて判断することが,これからますます要求されるようになってくるのではないかと思料する。
 さらに,職務発明については,35条全般を見直して,新たな立法も考えられている時期でもあり,発明者として記載されている従業員等から,相当の対価請求がなされることは,当然のことといわなければならない。共同発明者でない者が発明者として記載される場合があることに矛盾があるのであって,出願書類の記載事項も含めて,新たな職務発明に関する立法がなされる必要があろう。


(やまだ つねお:東京理科大学経営学部教授)