発明 Vol.100 2003-9
判例評釈
造形美術におけるアイデア・表現
と翻案権侵害の判断基準
−舞台装置デザイン事件−
〔東京高判平成12年9月19日判時1745号128頁,東京高裁平成11年(ネ)第2937号,
各損害賠償等請求控訴事件,同第4828号,同附帯控訴事件(原判決変更)〕
三浦 正広
【事実の概要】

 造形美術作家X(原告,控訴人)は,平成2年5月までに,「復活を待つ群」と題する一連の造形美術作品の一部である本件著作物(衝立状造形美術作品25点)を創作した。一方,美術家Y(被告,被控訴人)は,平成7年1月9日までに,Y作品「祈り」を制作し,発表した。
 平成7年11月3日から,Y(劇団スコット)制作,Y作,演出による舞台演劇「赤穂浪士」(本件演劇)が上演された。その舞台には,Y作品を組み込んだ舞台装置が使用された。
 平成7年11月10日,本件演劇の初日終演後,Xは,Yの事務局長に対し,本件舞台で使用されているY作品は,Xの作品の盗作ではないかという指摘をしたうえ,同月21日,Xは,X,Xとともに記者会見を行ない,「劇団SCOTによる舞台美術剽窃事件に関する記者会見のお知らせ」という文書を事前に配布し,Y作品が本件著作物を盗用,剽窃したものであり,YおよびYには盗用,剽窃の責任がある旨発表した。
 これについて,Xは,Y作品を制作したYの行為は,本件著作物を複製したものといえるから,Xが本件著作物について有する同一性保持権,複製権,翻案権を侵害したとして,Yらに対し,制作の差止め,作品の廃棄,損害賠償(500万円)および謝罪広告を請求した(第2事件)。
 他方,Yらは,Xらに対し,Xらが行なった記者会見は,Yらの名誉毀損に当たるとして,損害賠償(708万円)および謝罪広告を請求した(第1事件)
 なお,Xらが主張する本件著作物の特徴として,本件著作物は,《1》内側に∩状先端を有する円柱様形態を配した独創的な構図,《2》藍染の地色に金泥で着彩した大胆な配色,《3》プリミティブな紋様,《4》偏平,等辺又は不等辺山形の先端を持つ縦長の群立させた衝立上の全体的形状,という新鮮で洗練された特徴を備える造形美術作品であるとする。
 原審は,第1事件においてYの請求を一部認容し,名誉毀損による損害賠償請求(Xら連帯して50万円)を認めたが,第2事件については翻案権侵害の判断基準としての依拠性についてのみ判断し,次のように述べて,Xの請求を棄却した
 「Y作品を構成する個々の板状作品及び本件著作物を構成する各板状作品を対比すると,細部に至るまで,共通の特徴を有するものが存在する。しかし,・・・このような共通の特徴があることをもって,YがY作品の制作に当たり,本件著作物に接したものと根拠づけることはできない。・・・Yが本件著作物に依拠して作品を制作したと認めることはできない」。
 これに対して,Xらは原判決を不服として控訴するとともに,請求を追加し,Yらは損害額および謝罪広告について附帯控訴した

【判 旨】

 原判決変更(Xら連帯して140万円の損害賠償,謝罪広告の掲載を認める)。

1.類似性について
 「著作権法によって著作権者に専有権の与えられている複製あるいは翻案(以下,これらをまとめて「複製・翻案」という。)とはどういうものであるかを具体的にいうと,既存の著作物に依拠してこれと同一のものあるいは類似性のあるものを作製することであり,ここに類似性のあるものとは,『既存の著作物の,著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとしての独自の創作性の認められる部分』についての表現が共通し,その結果として,当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に類似したものであるということになる(最高裁判所昭和55年3月28日第三小法廷判決・民集34巻3号244頁参照)。
 なお,ここで注意すべきことは,複製・翻案の判断基準の一つとしての類似性の要件として取り上げる『当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に』との要件(直接感得性)は,類似性を認めるために必要ではあり得ても,それがあれば類似性を認めるに十分なものというわけではないことである。すなわち,ある作品に接した者が当該作品から既存の著作物を直接感得できるか否かは,表現されたもの同士を比較した場合の共通性以外の要素によっても大きく左右され得るものであり(例えば,表現された思想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデア自体が目新しいものであり,それを表現した者あるいはそれを採用した者が一人である状態が生まれると,表現されたものよりも,目新しい思想又は感情あるいは手法やアイデアの方が往々にして注目され易いから,後に同じ思想又は感情を表現し,あるいは同じ手法やアイデアを採用した他の者の作品は,既存の作品を直接感得させ易くなるであろうし,逆に,表現された思想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデア自体がありふれたものであり,それを表現した者あるいはそれを採用した者が多数いる状態の下では,思想又は感情あるいはアイデアが注目されることはないから,後に同じ思想又は感情を表現し,あるいは同じ手法やアイデアを採用した他の者の作品が現われても,そのことだけから直ちに既存の作品を直接感得させることは少ないであろう。),必ずしも常に,類似性の判断基準として有効に機能することにはならないからである。
 著作権法による保護を,このようなものとして把握する場合,特許法,実用新案法が思想(技術的思想)までを保護する(特許法2条,実用新案法2条参照)のとは異なり,思想や感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出すアイデアが保護されることはなく,その結果,著作権法による保護の範囲が,見方によれば狭いものとなることがあることは事実であろう。しかしながら,それは,著作権法の趣旨から当然のことというべきである。すなわち,著作権法においては,手続的要件としても,特許法,実用新案法におけるような権利取得のための厳密な手続も権利範囲を公示する制度もなく,実体的な権利取得の要件についても,新規性,進歩性といったものは要求されておらず,さらには,第三者が異議を申し立てる手続も保障されておらず,表現されたものに創作性がありさえすれば,極めてと表現することの許されるほどに長い期間にわたって存続する権利を,容易に取得することができるのであり,しかもこの権利には,対世的効果が与えられるのであるから,不可避となる公益あるいは第三者の利益との調整の観点から,おのずと著作権の保護範囲は限定されたものとならざるを得ないからである。換言すれば,著作権という権利が右のようなものである以上,これによる保護は,それにふさわしいものに対してそれにふさわしい範囲においてのみ認められるべきことになるのである。それゆえにこそ,著作権法は,『表現したもの』のみを保護することにしたものと解すべきであり,前述のとおり,著作者の思想又は感情を創作的に表現したものと同一のものを作製すること,あるいは,これと類似性のあるもの,すなわち,著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとしての独自の創作性の認められる部分についての表現が共通し,その結果として,当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に類似したものを作製することのみが複製・翻案となり得るのである」。
 「本件著作物とY作品とを対比した場合,一見,後者から前者が直接感得できるように感じられるのは事実である。しかし,これは,本件著作物における,頂部が偏平,等辺又は不等辺の山形とされた縦長の四角形あるいは五角形のパネルに,『内側に∩状先端を有する円柱様形態』の円柱様の造形物を描き,その彩色を濃い藍色と金色とするという表現手法あるいはアイデアについて,Y作品も共通しており,しかも,右表現手法あるいはアイデアが本件著作物において目新しいものであったことによるものと考えられる。しかし,たとい右表現手法あるいはアイデアに創作性が認められるとしても,それ自体としては著作権法上の保護の対象となり得ないことは,前述のとおりである。
 一般論としては,著作物の保護範囲を決する際に行われる類似性の判断に当たって,表現手法あるいはアイデアにおける創作性が何らかの影響を与える可能性があることは,当然に予想されるところである。しかし,本件において,この点を検討してみても,右表現手法あるいはアイデアにおける創作性が,・・・類似性の判断を左右するような事情は,見出すことができない。
 仮に,前記表現手法やアイデアについて,著作権法上の保護を与えるならば,以後極めて長い期間にわたって,著作権者以外の何人も,頂部が偏平,等辺又は不等辺の山形とされた縦長の四角形あるいは五角形のパネルに,『内側に∩状先端を有する円柱様形態』の円柱様の造形物を描き,その彩色を濃い藍色と金色とするという表現手法やアイデアと同一あるいはこれと類似の表現手法やアイデアを含む創作活動を行うことができないこととなる。これが著作権という権利としてふさわしい範囲の保護といえないことは自明であり,著作権法1条にいう文化的所産の公正な利用に反し,文化の発展に寄与することを目指す著作権法の目的にも反するものというべきである」。

2.依拠性について
 「Y作品は,表現手法あるいはアイデアにおいて本件著作物と共通している部分があり,そのために,原審以来,右共通点の生じたいきさつをめぐって,依拠性が激しく争われてきたものである。しかし,前述のとおり,表現手法あるいはアイデアは著作権法上の保護の対象となり得ず,両者の『表現したもの』を対比すると,いずれも類似しているとはいえないのであるから,依拠の点は論ずるまでもなく,本件著作物を複製・翻案したものとはいえないことが明らかである」。

3.名誉毀損について
 「Xらは,記者会見の席を設けて,Y作品はXの作品を盗作したものであり,Yらに責任があるなどの事実を告知し,これが,朝日新聞,産経新聞,讀賣新聞,東京新聞,統一日報によって,全国に広く報道されるところとなった。また,その結果,Y及びYがXの作品を『盗作』をしたのではないかとの疑いの目,好奇の目にさらされることになったことは容易に推測し得るところであり,Yらの名誉,声望が著しく毀損されたことは明らかというべきである。
 本件著作物とY作品とは,一見しても,いわゆるデッドコピーでないことは明白であり,直ちに著作権法上の『複製』や『翻案』に該当することにはならないのであるから,著作権法上の『複製』や『翻案』に該当するかどうか慎重に検討する必要があるのであり,Xらが,敢えて,Yらが著作権を侵害していると公に発表しようというのであれば,十分な裏付けを基に慎重のうえにも慎重になすべきことであったというべきである。
 ところが,Xらは,本件著作物を含むX制作の『復活を待つ群れ』と題する一群の造形美術作品と本件舞台装置との比較で,基本的な構図,色彩等が共通しているところにのみ着目して,短絡的に,Y作品が本件著作物を複製・翻案したものに当たると即断し,右共通性が真に著作権法にいう『複製』や『翻案』に当たるかどうかについての検討を一切せず,Yから,作者同士で話し合おうとの提案がされていたにもかかわらず,これを拒否し,一方的に,Yらを糾弾すべく記者会見を催したのであるから,これが,不法行為の要件としての違法性のある行為を故意によって行った場合に該当することは明らかである。
 右のとおり,Xらの行為は,不法行為を構成するものであるから,Xらは,右行為によってY及びYに生じた損害を賠償する義務がある」。

【評 釈】

1.本判決の位置づけおよび理論構成
 本件は,著作物の複製権および翻案権侵害が問題となった事例において,従来の裁判例において用いられてきた複製権および翻案権侵害の判断基準である先行著作物への依拠性および当該両著作物の同一性ないし類似性について検討が加えられている。ただし,本件原判決は,もっぱら依拠性についてのみ判断し,表現上の特徴が共通しているからといって依拠性を推認することはできないとして,Xの請求を棄却した。したがって,本件著作物とY作品の類似性については判断していない。
 ところが,本判決は,原判決とは論法が異なり,著作権法によって表現は保護されるが,アイデアは保護されないというアイデア・表現二分論の立場から,まず両著作物の類似性について検証し,「表現」が類似しているとはいえない以上,依拠性については論ずるまでもないと判示した。すなわち,《1》本件著作物とY作品におけるアイデアの共通性は認めるものの,翻案権侵害を認めるに足る表現の類似性は認められない,《2》「直接感得性」は類似性を認めるための必要条件ではあり得ても,必要十分条件ではない,《3》著作権は,「公益性あるいは第三者の利益との調整の観点から」,その保護範囲は限定されたものとならざるを得ない,《4》表現手法やアイデアを保護することは,「著作権法1条にいう文化的所産の公正な利用に反し,文化の発展に寄与することを目指す著作権法の目的にも反するものというべきである」などと述べ,損害賠償額に変更を加えるにとどめ,基本的にXらによる控訴を棄却した。
 本稿は,複製権および翻案権侵害の判断基準としての依拠性および類似性について論考し,また,アイデア・表現二分論に対する批判的な立場から,翻案著作物における創作性について検討を加えることとする。

2.翻案権侵害事例の判断基準
(1) 依拠性の要件
 かつて最高裁は,音楽著作物における複製権侵害が争われたワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー事件判決において,「著作物の複製とは,既存の著作物に依拠し,その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することをいうと解すべきであるから,既存の著作物と同一性のある作品が作成されても,それが既存の著作物に依拠して再製されたものでないときは,その複製をしたことにはあたらず,著作権侵害の問題を生ずることはない」と判示し,複製権侵害の判断基準として,いわゆる「依拠性」の要件を提示した。その後,この依拠性要件は,複製権侵害事例のみならず,著作物の類似性が争われる翻案権侵害事例においても準用されるようになる
 本件原審は,依拠性について判断し,結論として,著作物への依拠がなかったと認定し,翻案権侵害を否定した。

(2) 類似性の要件
 本判決は,類似性の要件について吟味するにあたり,パロディ写真事件における最高裁判決を引用し,複製あるいは翻案とは,「既存の著作物に依拠してこれと同一のものあるいは類似性のあるものを作製することであり,ここに類似性のあるものとは,『既存の著作物の,著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとしての独自の創作性の認められる部分』についての表現が共通し,その結果として,当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に類似したものであるということになる」と述べる。
 かつて学説において,「翻案」とは,「既存の著作物の内面形式は維持しながら,外面形式を大幅に変更すること」をいうとされたが,最近の判決においては,この内面的表現形式と外面的表現形式という区別は利用されていないようである。
 「翻案」概念は,著作物の類型によって異なり,一様ではない。テレビドラマのシナリオの翻案権が争われた事例において,下級審判決は,「『翻案』とは,翻訳,編曲,変形,脚色又は映画化と同じように,いずれか一方の作品に接したときに,接した当該作品のストーリーやメロディ等の基本的な内容と,他方の作品のそれとの同一性に思い至る程度に当該著作物の基本的な内容が同一であることを要するというべきであり,また,本件のようなドラマやその脚本においては,主題,ストーリー,作品の性格等の基本的な内容が類似することを要する」と定義づけ,また,最高裁は,「北の波濤に唄う」事件において,「言語の著作物の翻案(著作権法27条)とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう」と定義づけている
 著作物の翻案といっても,その翻案の内容や方法は多種多様であり,また著作物の存在形態においても翻案の範囲や方法は異なってくる。著作権法上,「翻案」という行為のなかにはすでに「創作性」という要件が加味されており,原著作物を「翻案」すると,そこには新たな創作性が認められ,二次的著作物が成立する。原著作物のアイデアを利用しながら,表現形式に変更を加える行為が「翻案」とされるが,原著作物のアイデアを利用していても,アイデアを利用したことを明示せずに表現を変更した場合は,「翻案」とはいえない著作物が成立する場合がありうる。著作物に表現されているアイデアを利用していながら,「翻案」著作物が成立する場合としない場合がありうることになるが,これは,ただ単にアイデアを利用したことを明示しているかいないかの違いによるものであるということになる。アイデア・表現二分論を前提とすると,アイデアを利用していても,そのことを明示せず,表現形式さえ変更すれば,翻案権侵害の問題は生じない可能性が高くなるという不合理な結果が生じることになる。しかし,このような場合にまで,著作権侵害を肯認しないのは決して著作権法の趣旨に合致するものではなく,また,二分論の意図するところでもないように思われる。このような場合には,従来の翻案権概念を拡大し,アイデアを利用していると認められる場合には,表現形式に創作的な変更が加えられたとしても翻案権侵害となるような理論構成を採用するか,新たな概念を設けて著作権侵害となるような理論構成が必要とされよう。
 たとえば,映画やテレビドラマのシナリオ,ノンフィクション,漫画など,ストーリーの展開を伴なう著作物について,先行著作物と類似した著作物との間で著作権侵害の争いが生じた場合は,複製権もしくは翻案権侵害の問題として議論される。判決において,翻案権概念は極めて狭く解釈されており,同じアイデアにもとづく表現であっても,表現形式が異なっていれば翻案権侵害とはならない場合がほとんどである。しかし,メディアの多様化により,著作物の種類や著作物の利用形態が多様化するにつれて,「翻案」の内容が拡大している状況においては,ある著作物が他の著作物の「翻案」に該当するといえるか否かという判断基準にはそもそも無理があり,現行著作権法の解釈論で十分な対応ができるとは思えない。アイデアを利用していると認められながら表現を改変する行為,先行著作物におけるアイデアおよび表現をなしくずし的に利用する行為に対しては,これまでの裁判例をみても明らかなように,翻案権侵害を認定することは極めて困難であり,従来の翻案権理論で対応するには理論的にもかなり無理がある。このような場合における著作権侵害の判断基準としては,依拠性あるいは類似性という翻案権侵害の要件を充たしているか否かということだけで判断するのではなく,創作的なアイデアが利用されているか否か,またそのような著作物に創作性を認めるべきか否かを基準として判断する必要があろう10
 アイデアを利用していながら,そのことを明示せずに表現形式を変更した場合,すなわち著作物を「悪意的に改変」させたといえる場合,あるいは,著作物をなしくずし的に利用しているといえる場合,その表現には創作性を認めることができない場合があると構成することも可能ではないかと考える。

3.著作物におけるアイデアと表現
 (1) 本判決におけるアイデアと表現の二分論についての認識
 著作権法におけるアイデア・表現二分論について,本判決は,著作権法と特許法および実用新案法との保護範囲や手続的要件の違いを前提として,「著作権には,対世的効果が与えられるのであるから,不可避となる公益あるいは第三者の利益との調整の観点から,おのずと著作権の保護範囲は限定されたものとならざるを得ない。それゆえにこそ,著作権法は,『表現したもの』のみを保護することにしたものと解すべき」であるという認識を示した。そこで,アイデアと表現の二分論について考察する。

 (2) アイデアと表現の二分論11
 著作権法が保護の対象としているのは,著作者の思想または感情の創作的な「表現」であって,「アイデア」ではない12。アイデアは人類の共有財産であり,法律による保護には馴染まないというのが世界の通説であるといえよう13
 わが国の通説も,原則としてアイデアと表現の二分論を維持し,アイデアの保護を認めていない14。また裁判例も,アイデアと表現の二分論の立場にたち,一貫してアイデアの保護を否定してきた。しかし,アイデアの利用あるいは翻案権の侵害が争われた事例をみると,著作権の保護という観点からすると,二分論が合理的に機能していると思われる場合と,必ずしも合理的に機能しているとは思われない場合が,複製権および翻案権侵害のケースにおいて数多く見受けられる。「表現は保護するが,アイデアは保護しない」という前提にとらわれすぎて,本来著作権法によって保護されるべき法益が保護されていないような状況が,しばしば現われている。
 解釈論的にみると,著作権法によって保護される「表現」のなかには,「思想又は感情」あるいはアイデアが創作的に反映されている必要がある(著作権法2条1項1号)。すなわち,著作権法で保護されるのは「アイデアにもとづく表現」であることがわかる。少なくとも著作権法によって保護される著作物であるためには,表現のなかにアイデアが含まれている必要があるということになる。

 (3) アイデアと表現の連続性
 著作物のなかでアイデアがどのように表現されているか。アイデアと表現のかかわり方は著作物の種類や態様によって一様ではないため,もちろん一般的にいえることではない。アイデアはさまざまな形で著作物に反映され,表現される。
 裁判例に現われた事例をみても,たとえば,小説,音楽や映画の著作物のように,ストーリーや論理の展開を伴なう形式の著作物において,アイデアは,著作物のテーマ,内容,構成,ストーリーや論理の展開などに反映され,また,美術や写真の著作物においては,構図,色彩,被写体の選択,配置などに反映される。ストーリー展開を伴なう著作物と,美術や写真の著作物とでは,表現形式上の本質的特徴の感得の程度や度合いは異なる。時間的継続性がなければ知覚しえない表現によって構成されている著作物と,瞬間的に知覚しうる表現によって構成される著作物とでは,アイデアと表現の結びつきの程度はおのずと異なってくる。前者の著作物においては,アイデアと表現の関係から「表現形式上の本質的特徴」を理解することは比較的容易であると考えられるのに対し,後者の著作物においては必ずしも容易ではなく,アイデアが利用されていても,それが著作物における創作的表現のなかで利用されているか否かは微妙である15
 著作物におけるアイデアや表現の利用に関する翻案をめぐり,著作権の侵害が問題となる事例においては,少なくとも著作物の種類や態様,アイデアと表現の結びつきの度合いなどを考慮に入れて,権利侵害の有無を判断する必要があるのではないかと思われる。アイデアと表現の結びつきの程度が非常に強い場合は,表現の利用とはいえなくても,アイデアが利用されていると判断されるときは,積極的に著作権の侵害を認めるべきであろう。これは,理論的にも決してアイデアそのものを保護したことにはならない。
 いずれにしても,著作物におけるアイデアと表現は,時間と空間のように連続したものであり,アイデアと表現を機械的に分離することはできないのであるから,表現は保護するけれどもアイデアは保護しないと決めこむことは,著作物の本質,特性を理解していないといわざるをえない。これまで理解されてきたアイデアと表現の二分論の考え方を貫くと,創作的な表現を保護することを目的とする本来の著作権法の趣旨が生かされないことがある。

 (4) アイデアおよび表現における「創作性」16
 著作権法によって保護される表現は,「創作的な表現」である。他の著作物の「表現」を利用する行為は,複製,引用,翻訳,翻案などさまざまな形態が考えられるが,翻訳,翻案などの場合には,原著作物の利用に際して新たな創作性が加えられると,二次的著作物が成立する。原著作物における原著作者のアイデアに変更は加えられていないが,二次的著作物として表現形式に変更が加えられると,新たな著作物として認知される。それは,著作物としての表現に創作性が認められるからである。しかし,その新たな著作物には二次的著作物というレッテルが貼られ,著作者は,自己の著作物とはいえ,その利用には制限が課されることになる。
 しかし一方で,アイデアを利用して表現形式に変更を加えても,「翻案」の範囲に含まれないと判断される場合には,二次的著作物としてではなく,まったく別個の著作物として認識される。既存の著作物を利用するという行為を前提としていながら,その著作物に忠実に,著作者の意図するところにもとづいて改変するような翻案行為によって作成される著作物は二次的著作物となり,既存の著作物の存在を尊重せず,巧みに「表現」を変更する行為によって作成される著作物はまったく別個の著作物になるという不合理な結果を生じさせることになる。これは,明らかに著作権法の趣旨に反する行為であるといえよう。すなわち,表現方法や表現形式が異なっていても,創作的なアイデアを利用していると認められる場合には,その「表現」には創作性を認めるべきではない場合があるといえる。その場合は,表現における創作性の判断基準として,アイデアの創作性を考慮する必要があるのではないかと考える。創作的なアイデアを利用して作成された著作物であると判断された場合,表現はアイデアと連続し,アイデアにもとづいてなされるものであるから,その著作物における表現の創作性の基準は厳格に判断されるべきであろう。
 アイデアが利用され,アイデア自体に創作性がない場合でも,同じアイデアを利用した著作物としての表現に創作性が認められるとするならば,著作物としてのアイデンティティに何ら影響を与えるものでないことは,いうまでもない。
 著作物を変更するという行為は,新たな著作物の創作とは言い難く,また,著作物としての表現を改変するという行為にとどまらず,その表現のモティベイションとしてのアイデアの利用を含めて,表現を改変するという行為であるといえる。自由利用の範囲を超えて,著作物を利用していることに変わりはないにもかかわらず,「翻案」に当たらないから翻案権の侵害とはならず,著作権侵害とならないというのは脱法行為的な行為であるともいえる。このような状況を踏まえると,著作権法が保護していないのはアイデアそのものであり,アイデアが著作物のなかに表現されている場合に,著作物の悪意的な改変による利用から著作物を保護するためには,著作物のなかに表現されたアイデアの保護を通して著作物の創作性を保護することが,著作権法の本来の趣旨に適ったものであるといえよう。

4.著作権法1条における著作権法の目的
 著作権法の目的を規定する著作権法1条の解釈として,著作物との関係における著作者の人格的利益および財産的利益を保護することが,ひいては文化の発展に寄与することになるという趣旨を規定したものと解するのが賢明であろう。したがって,「文化の発展」という文言は,第一義的には,著作物が創作されることによってもたらされる文化の発展を意味していると考えるべきであり,著作物が広く利用されることが文化の発展に寄与することになるというのは第二義的な意味であると解される。著作権法の本来の趣旨からすると,まず著作者の権利を保護したうえで,次に著作物利用者との間の利益バランスを調整することが必要になると考える。
 ところが,本判決は,本件著作物とY作品とを対比した場合,Y作品から本件著作物が直接感得できるように感じられるのは,両作品における表現手法やアイデアが共通しているからにすぎない,表現手法やアイデアは,そこに創作性が認められるとしても,著作権法の保護の対象にはならない,そのような表現手法やアイデアを保護することは,創作活動を妨げることでしかなく,「著作権法1条にいう文化的所産の公正な利用に反し,文化の発展に寄与することを目指す著作権法の目的にも反する」と述べている。
 本判決は,本件の問題点を著作物の利用という観点から捉えていると思われる傾向が強く,アイデアと表現の連続性や創作の保護といった側面はあまり考慮されていない。表現とアイデアを切り離して,表現のなかのアイデアの共通性を認めながら,表現の類似性を否定するという結論を導き,これを著作権法の保護範囲の問題として把握するという論法は,著作物の創作を保護することを目的とする著作権法1条の趣旨からみても妥当とはいえないということになろう。

5.名誉毀損について
 本判決が,本件著作権侵害について,Y作品はXが本件著作物について有する著作権を侵害したという結論に達したのであれば,Xらが記者会見において指摘したとおり,Y作品は本件著作物を盗作したものであるという事実が証明されたことになり,名誉権侵害の構成要件を欠き,Xらの行為は不法行為を構成しないということになろう。
 しかし,Xらからみて,Y作品が本件著作物を盗作したものであると断定したとしても,判決が述べるように,「Xらが,敢えて,Yらが著作権を侵害していると公に発表しようというのであれば,十分な裏付けを基に慎重のうえにも慎重になすべきことであったというべきであ」り,Xらが判決を待たずに記者会見を行ない,Y作品は本件著作物の盗作であると断じた行為がYらの名誉や声望を侵害していることは明らかであるうえ,判決が,Y作品は本件著作物に関するXの著作権を侵害していないと判断した以上,名誉毀損による損害賠償を認容した本判決の結論は当然の帰結ということになろう。




(みうら まさひろ:岡山商科大学法経学部助教授)


《注》

 本稿においては,著作権侵害について争われた第2事件を中心に考察することとする。
 東京地判平成11年3月29日判時1689号138頁,判夕1001号218頁。
 なお,本件は上告棄却,上告不受理決定となっている。
 最決平成14年9月24日(平成13年(オ)第6号,平成13年(受)第1号)判例集未登載。
 最判昭和53年9月7日〔ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー事件〕民集32巻6号1145頁。
 最判昭和55年3月28日〔パロディ写真事件〕民集34巻3号244頁,判時967号45頁。
 半田正夫『著作権法概説(第10版)』92頁以下(一粒社,2001年),橋本英史「著作権(複製権,翻案権)侵害の判断基準について(上,下)」判時1595号20頁および判時1596号11頁(1997年),同「著作物の複製と翻案について」清永利亮・設楽隆一編『現代裁判法体系26知的財産権』374頁(新日本法規,1999年),西田美昭「複製権の侵害の判断の基本的考え方」斉藤博・牧野利秋編『裁判実務大系27』117頁(青林書院,1997年),牛木理一「著作権の成立と保護範囲」知財管理2001年10月号(50巻10号)1547頁など参照。
 東京地判平成6年3月23日〔「ぼくのスカート」事件〕判時1517号136頁。
 最判平成13年6月28日〔「北の波濤に唄う」事件〕判時1754号144頁および最判昭和55年3月28日〔パロディ写真事件〕民集34巻3号244頁,判時967号45頁。
 そのほか翻案権侵害が争われた事例として,名古屋地判平成6年7月29日〔「春の波濤」事件〕判時1540号94頁,京都地判平成7年10月19日〔行灯アンコウ事件〕判時1559号132頁,東京地判平成8年9月30日〔「北の波濤に唄う」事件(第1審)〕判時1584号39頁,東京地判平成10年6月29日〔「先生,僕ですよ!」事件〕判時1667号137頁,最判平成13年6月28日〔「北の波濤に唄う」事件(上告審)〕判時1754号144頁,東京高判平成14年9月6日〔「どこまでも行こう」事件(第2審)〕判時1794号3頁などがある。
 橋本・前掲註(6)判時1596号11,15頁以下,小泉直樹「二次的著作物について」コピライト2002年6月号(494号)13頁(社団法人著作権情報センター)参照。
 三浦正広「著作権法によるアイデアの保護−アイデア・表現二分論の批判的考察−」半田正夫先生古稀記念論集『著作権法と民法の現代的課題』(法学書院,2003年)88頁参照。
 たとえば,典型的なアメリカ合衆国著作権法102条b項は,「いかなる場合にも,著作者が作成した創作的な著作物に対する著作権による保護は,アイデア,手順,プロセス,方式,操作方法,概念,原理または発見には及ばない。著作物のなかで,これらが記述され,説明され,図解され,または具体化される形式の如何を問わない」と,アイデアと表現の二分論を明文で規定し,著作権法によるアイデアの保護を否定している(山本隆司・増田雅子共訳「外国著作権法令集(29)−アメリカ編−」(社団法人著作権情報センター,2000年)参照)。また,ドイツ著作権法においても,「単なるアイデアは,著作権法の保護の対象とはなりえない。抽象的な思想やアイデアは,原則として公共の利益のために自由でなければならず,著作権法による独占権が認められるべきではない」と考えられている(Vgl.Schricker,Loewenheim,Urheberrecht,S.72,2.Aufl.,1999.)。
 See,Nimmer on Copyright,§16.01.
 アイデア・表現の二分論にもとづき,著作権法によるアイデアの保護は,解釈論として不可能であるという前提に立ちながらも,何らかの方法でアイデアを保護すべきであるいう見解もまた通説的な見解であるといえよう。阿部浩二「アイディアの保護」『著作権とその周辺』25頁(日本評論社,1983年),半田正夫「アイデアの保護」コピライト1992年4月号(373号)1頁(社団法人著作権情報センター),中山信弘「著作権法における思想・感情」特許研究2002年3月号(33号)5頁など参照。
 アイデアの保護が否定された裁判例として,神戸地姫路支判昭和35年2月29日〔簿記仕訳盤事件(第1審)〕下民集11巻2号447頁,大阪高判昭和38年2月29日〔簿記仕訳盤事件(第2審)〕下民集14巻3号509頁,東京地判昭和40年8月31日〔船荷証券ひな型事件〕下民集16巻8号1377頁,判時424号40頁,大阪地判昭和59年1月26日〔万年カレンダー事件〕判時1102号132頁,東京地八王子支判昭和59年2月10日〔ゲートボール競技規則事件〕無体裁集16巻1号78頁,東京地裁平成元年10月6日〔タロットカード解説書事件〕判時1331号120頁,東京地裁平成4年10月30日〔観光タクシー料金タリフ事件〕判時1460号132頁,東京地判平成10年5月29日〔知恵蔵事件〕判時1673号130頁,東京地判平成13年12月18日〔スーパードリームボール事件〕最高裁ホームページなどがある。しかし,東京高判平成13年6月21日〔スイカ写真事件(第2審)〕判時1765号96頁が,「被写体の決定自体に著作権法上の保護に値する独自性が与えられているとき,・・・これを再製又は改変することは許されない」と述べているのは,直接的に著作権法によるアイデアの保護を認めているようにも読める。
 著作物における表現と創作性の関係について,野一色勲「著作物における表現の創作性」知的財産法研究127号1頁(2003年4月)参照。