発明 Vol.99 2002-7
判例評釈
ファービー人形について著作権の成立を認めなかった事例
(山形地裁平成13.9.26平11(わ)184号,判例時報1763号212頁)
山田 恒夫
〔事実の概要〕

 本件公訴事実は「被告人(株)甲野は,大阪市平野区に本店を置き,玩具の販売等を営むもの,被告人Bは,被告人会社の常務取締役として,商品の販売等の業務全般を統括するものであるが,被告人Bは,被告人会社の業務に関し,商品名『ポーピィ』と称する玩具が,タイガー・エレクトロニクス・リミテッド社が著作権を有する『ファービー』の容貌姿態等を模したもので,同社が有する著作権を侵害して製造されたものであることの情を知りながら,平成11年7月23日ころ,東京台東区所在の玩具等の販売等を業とする有限会社乙山に対し,上記玩具2400個を代金合計360万円で販売し頒布し,もって上記タイガー・エレクトロニクス・リミテッド社の著作権を侵害した・・・・・・」というものである。
 なお,「ファービー」の権利関係については,1998(平成10)年10月26日,米国イリノイ州に所在するタイガー・エレクトロニクス・リミテッド社が,そのデザイン形態について米国の連邦政府機関であるコピーライト・オフィスに著作権の登録をして同国における著作権を取得し,我が国においては,株式会社トミーが上記タイガー・エレクトロニクス・リミテッド社から「ファービー」の独占的販売権を取得してこれを販売していることが認められている。
 本件における争点は,「ファービー」のデザイン形態に著作物性が認められるか否かという点である。
 検察官側は,「ファービー」は使用者がこれを観賞することによりペットを飼っているかのような楽しみを感じさせることを意図して製作された玩具であるところ,その容貌姿態は使用者の感情に訴えかけるという製作者の思想を具体的に表現したものである・・・・・・として,著作物性を認めている。
 これに対して被告人の各弁護人は,「ファービー」のデザインは電子玩具として産業上の利用を目的に制作されたものであり,玩具としての機能を離れて美的鑑賞となし得るものではない上,顔部に玩具としての仕掛けがあり,技術的要請に基づく制約があるから,専ら美の表現を追求したものであるということはできず,美術性が認められないし,「ファービー」の容貌姿態は,映画「グレムリン」に登場するキャラクターである「ギズモ」に酷似するなど独創性においても問題があるなどとして,「ファービー」のデザイン形態に著作物性は認められない,と主張している。



〔判 旨〕
 無罪。
 判旨は,まず第1に,日本国内で著作権法上保護されるための要件を明らかにし,第2に,「ファービー」のデザイン形態が我が国の著作権法上の著作物に該当するかを判示し,第3に,本件のような事案において,広く著作権の成立を認め,これを保護するのが社会的要請であり,また国際的要請でもあるか否かについて判断している。それらの要旨は次のとおりである。

1.米国法上著作権を取得している「ファービー」のデザイン形態について,日本国内で著作権法上保護されるための要件
 我が国の著作権法六条三号は,同法により保護される著作物として「条約によりわが国が保護の義務を負う著作物」を挙げるところ,我が国及び米国はいずれも文化的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約(以下「ベルヌ条約」という。)に加盟していることから,上記著作権法六条三号にいう「条約」はベルヌ条約を指すことになるが,同条約五条(1)項,(2)項,二条(7)項によれば,結局,「ファービー」のデザイン形態が日本国内において著作物として保護されるか否かは,我が国著作権法上の解釈によることとなる。

2.「ファービー」のデザイン形態が我が国の著作権法上の著作物に該当するか
 著作権法二条一項一号は,保護の対象たる著作物について「思想又は感情を独創的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するもの」とし,同条二項は,「この法律にいう美術の著作物には,美術工芸品を含む」と規定している。
 ところで,一般に美術は,個々に制作された絵画など,専らそれ自体の鑑賞を目的とし,実用性を有しない純粋美術と,実用品に美術の感覚技法を応用した応用美術に分けられる。そして,純粋美術が思想,感情の創作的表現として美術の著作物に該当すること,また,応用美術のうち,美術工芸品,すなわち美術の感覚や技法を手工的な一品製作に応用したものが美術の著作物に該当することは明らかであるが,応用美術のうち,本件「ファービー」のような工業的に大量生産された実用品に美術の感情や技法を応用したものが美術の著作物に該当するかどうかは条文上必ずしも明らかでない。
 しかしながら,本件「ファービー」のように,
《1》 工業的に大量生産された実用品のデザイン形態は,本来意匠法の保護の対象となるべきものであること,
《2》 現行著作権法の制定過程において,意匠法との交錯範囲について検討されたが,その際,同法により保護される応用美術について,広く美術の著作物として著作権法上も保護するという見解は採用されなかったこと,
《3》 応用美術全般について著作権法による保護が及ぶとすると,両者の保護の程度の差異(意匠法による保護は,著作権法の場合と異なり設定登録を要する上,保護される期間も15年間であり,著作権法の50年間と比較して短い。)からして,意匠制度の存在意義を著しく減殺することになりかねないこと,
 などを考慮すると,工業的に大量生産された実用品のデザイン形態については原則として著作権法の保護は及ばないと解するのが相当である。
 このような実用品のデザイン形態であっても,客観的に見て,実用面及び機能面を離れ独立して美的鑑賞の対象となる美的特性を備えているものについては,純粋美術としての性質を併有しているといえるから,美術の著作物として著作権法の保護が及ぶと解される。これを本件「ファービー」についてみると,・・・・・・,その容貌姿態が愛玩性を高める一要素となっていることは否定できないが,全身を覆う毛の縫いぐるみから動物とは明らかに質感の異なるプラスチック製の目や嘴等が露出しているなど,これを玩具としての実用性及び機能性を離れ独立して美的鑑賞の対象となる美的特性を備えているとは認め難いのであって,本件「ファービー」のデザイン形態が,我が国著作権法の保護の対象となる美術の著作物ということはできない。

3.本件のような事案において,広く著作権の成立を認め,これを保護するのが社会的要請であり,また国際的要請でもあるか
 なるほど,検察官の主張するように,他人の創造的所産である商品を模倣することにより利益を横取りしようとする行為が社会的に不相当であることは論をたない。
 しかし,模倣商品の譲渡行為自体は,別途平成5年に改正された不正競争防止法によって規正されている上(同法二条一項三号),同改正時において,模倣商品の譲渡行為に対する罰則規定の制定が見送られていることに照らせば,本件のような場合において,直ちに著作物の範囲を広く捉えて刑罰を科すことが社会的要請であるとは必ずしもいい得ない。
 また,ベルヌ条約上,応用美術の保護範囲や意匠法との関係等については条約締結国の法制に委ねられている上(同条約二条(7)項),証人Cの供述によっても,本判決と同様の立場をとる従来の裁判例が同条約の趣旨に反するとして国際的な批判を受けているといった事情は認められないことからすると,本件のような事案において,広く著作権の成立を認めてこれを保護するのが国際的要請であると断じることもできない。

〔評 釈〕
 刑事事件として著作物性が争われた事件は非常に少ない。今までの主な事例を一瞥してこれに該当すると見られるのは次の3件である。
《1》「桃中軒雲右衛門」事件 大判大正3年7月4日(刑録20,1360頁)
(大正3年(れ)第233号著作権侵害被告事件)演奏に関する音楽的著作物性が否定され,無罪。
大家重夫「演奏−桃中軒雲右衛門」事件 百選,162頁参照。
《2》「地球儀用世界地図」事件 東京高判昭和46年2月2日(判時643号,93頁)
(昭和44年(う)第1883号著作権法違反被告事件)
編集地図の著作物性が肯定され,有罪。
千野直邦「編集地図−地球儀用世界地図」事件 百選 24頁参照。
《3》「キャンディ・キャンディ」刑事事件 大阪地判昭和54年8月14日
(昭和53年(わ)大4299号)(判夕396号,64頁)キャラクターの2次的著作物性が肯定され,有罪。
牛木理一「キャラクター戦略と商品化権」167頁,2000.11,発明協会
 本判決は「ファービー」の著作物性を否定して無罪とした点で,左記《1》と同じである。本件「ファービー」はキャラクターか異なる人形かの検討は後述するとしても,具体“物”の著作物性が問われた刑事事件としては,初めてのものである。

(1) 米国法上著作権を取得している「ファービー」のデザイン形態について,日本国内で著作権法上保護されるための要件
 「ファービー」を検察官主張のごとく,単体で,米国法上著作権を取得している「一つの著作物」として捉えるならば,判示のとおり,我が国著作権法の解釈によって,日本国内において著作物として保護されるか否かを判断しなければならない。これは,日本国著作権法第六条三号に,この法律により保護を受ける著作物として「条約によりわが国が保護の義務を負う著作物」を明定しているからにほかならない。
 ベルヌ条約第5条(1)項は,「著作者は,この条約によって保護される著作物に関し,その著作物の本国以外の同盟国において,その国の法令が自国民に現在与えており又は将来与えることがある権利およびこの条約が特にあたえる権利を享有する。」と定めており,(2)項は「(1)の権利の享有及び行使には,いかなる履行の方式をも要しない。その享有及び行使は,著作物の本国における保護の存在にかかわらない。したがって,保護の範囲及び著作者の権利を保全するために著作者に保障される救済の方法は,この規定によるほか,専ら,保護が要求される同盟国の法令の定めるところによる。」と定めている。そこで,本件にあっては,「ファービー」が我が国で著作物に該当するか否かを検討することになったものと考えられる。この検討に際し,山形地裁は,“応用美術の範ちゅうに属するか否か”ということを判断すべきであると判断している。このことはベルヌ条約第2条(7)をも判旨で示していることからも明らかである。因みに,同条約第2条(7)項は,「応用美術の著作物及び意匠に関する法令の適用範囲並びにそれらの著作物及び意匠の保護の条件は,第7条(4)の規定に従うことを条件として,同盟国の法令の定めるところによる。
 本国において専ら意匠として保護される著作物については,他の同盟国において,その国において意匠に与えられる特別の保護しか要求することができない。ただし,その国においてそのような特別の保護が与えられない場合には,それらの著作物は,美術的著作物として保護される。」と定めている。
 本件をこのようなアプローチの方法で考えていくならば,判旨(2)で示した事項が検討されなければならないことになる。
 ベルヌ条約は,要するに応用美術も保護するのが原則であるから,日本の著作権法で,「ファービー」が応用美術に該当するか否かを判断しなければならないということで,この点に関する判旨は妥当である。

(2)「ファービー」のデザイン形態が我が国の著作権法上の著作物に該当するか
 この点につき判旨は,まず「一般に,美術は,個々に製作されて絵画など,専らそれ自体の鑑賞を目的とし,実用性を有しない純粋美術と,実用品に美術の感覚技法を応用した応用美術に分けられる。そして,純粋美術が思想感情の創作的表現として美術の著作物に該当すること,また,応用美術のうち,美術工芸品,すなわち美術の感覚や技法を手工的な一品製作に応用したものが美術の著作物に該当することは明らかであるが,」と述べている。ここに示されている内容は,加戸守行著「著作権法逐条講義 改訂新版」45頁以下,著作権情報センター,平6.10,斉藤博著「著作権法」78頁以下,有斐閣,平13.5,半田正夫著「著作物の利用形態と権利保護」58頁以下,一粒社,平6.8等に照らしても,おおむね妥当である。ただ,その後のくだり「応用美術のうち,本件『ファービー』のような工業的に大量生産された実用品に美術の感覚や技法を応用したものが美術の著作物に該当するかどうかは・・・・・・」については,本件「ファービー」が最初から大量生産されたか否かについて何ら明らかにせず,大量生産された実用品と断定している点が気になる。「ファービー」は弁護人も述べているとおり,アメリカで,映画「グレムリン」のキャラクター「ギズモ」を模して作られたのであって,その時から大量生産を行ったか否かは明らかでない。我が国で公訴された時点では,既に大量生産されていたというのであれば,その点を判示しておくべきではなかろうか。
 次に判旨は「ファービー」の著作物性を否定する理由の第1に「工業的に大量生産された実用品のデザイン形態は,本来意匠法の保護の対象となるべきものであること」を挙げている。
 この量産品に関するものについては,純粋美術としての性質を有するもの(例えば三越の包装紙)以外は意匠法で保護するという形が一般化したのは,昭和41年4月20日に文部大臣に対して著作権制度審議会が行った,応用美術の著作物の保護に関する答申(2)「図案その他量産品のひな型または実用品の模様として用いられることを目的とするものについては,著作権法においては特段の措置を講ぜず,原則として意匠法等工業所有権制度による保護に委ねるものとする。ただし,それが純粋美術としての性質を有するものであるときは美術の著作物として取り扱われるものとする。」に根ざしているものと思われる(この答申の出された経緯については,前掲 半田,58頁以下,木村豊「応用美術の保護−現行著作権法制定の経緯を中心として」半田正夫教授還暦記念論集 580頁以下,法学書院,平5.2等に詳述されている)。
 この点に関する判例は,量産品であっても著作物性を認めるものと,それを否定するものとがあり,応用美術の保護についての判例の積み重ねの真っ最中といえ,妥当な解釈が社会的に定着しているとは未だいえない。例えば博多人形事件(長崎地裁佐世保支部昭和48年2月7日決定,昭和47年(3)第53号著作権侵害停止仮処分申請事件−無体例集5巻1号18頁,判例百選(第二版)22頁以下)においては「美術的作品が,量産されて産業上利用されていることを目的として製作され,現に量産されたということのみを理由としてその著作物性を否定すべきいわれはない。」と判示しており,木目化粧紙事件(東京高裁平成3年12月17日判決)(平成2年(ネ)第2733号木目化粧紙発行差止等請求公訴事件−知的裁集23巻3号808頁,判時141号120頁,百選(第3版)28頁以下)においては「応用美術のうち,例えば実用品の模様などとして用いられることのみを目的として製作されたものは,本来,工業上利用することができる意匠,すなわち工業的生産手段を用いて技術的に同一のものを多量に生産することができる意匠として意匠法によって保護されるべきであると考えられる。・・・・・・」と判示しており,量産されていることも,著作物性を否定する理由の一つになっている。本件にあっては,この量産の点については,木目化粧紙事件と同じ立場を採ったものと見ることができる。
 次に判旨は現行著作権法の制定過程において,意匠法により保護される応用美術については,広く美術の著作物として著作権法上も保護するという見解は採用されなかったし,応用美術全般について著作権法が及ぶとすると,意匠制度の存在意義を著しく減殺することになりかねない旨を判示している。
 この点に関しては前掲斉藤,81頁に次のようにその見解が示されている。
 「意匠法の及ぶべき領域にも著作権法が及ぶのか。この点につきベルヌ条約は,応用美術の著作物を保護する旨の原則を定める一方(2条1項),本国においてもっぱら意匠として保護される著作物については,他の同盟国においても,意匠に与えられる特別の保護を求めうるにすぎない旨定める(同条7項)。意匠法で保護する限り著作権法によっては保護しないということで,その限りでは,意匠法は著作権法の特別法となる。筆者は,長い間,このベルヌ条約の線に沿って,両法の重なり合う領域には意匠法の適用を優先すべきとの考えに立ってきた。しかし,近年,重複保護の可能性を模索するようになった。量産化,実用化という作成の意図が意匠法による保護とを区分するものとはいえないからである。それならば,両法の適用を分ける尺度が他にあろうか。いずれの法でも保護できそうなデザインが多々ありうるとすれば,両法の適用を分ける明確な尺度は見出し難い。そうであれば,少なくともわが国のデザインについては,それぞれの法の求める要件を充たす限り,両法による重複保護もありうるのかもしれない。」
 また,三宅正雄元東京高裁判事は,椅子,喫煙のパイプ,腕時計などを例に挙げて,「実用的な物は意匠法だ」という説があるが,実用性と美術性を兼備した物は,それぞれの側面に着目して,複数の法律の保護を受けるのは,むしろ当然ではあるまいか,と述べておられる(三宅正雄著「著作権法雑感」8頁,(社)発明協会,平9.10)。
 さらに判旨は実用品のデザイン形態であっても,美的鑑賞の対象となる美的特性を備えているものについては,純粋美術としての性質を併有しているといえるから,美術の著作物として著作権法の保護が及ぶと解される,とも述べている。これらの判断基準については,仏壇彫刻事件(神戸地裁姫路支部昭和54年7月9日判決,昭和49年(ワ)第291号著作権侵害排除等請求事件−無体例集11巻2号371頁)の判示を踏襲しているのであって,特に問題はない。仏壇彫刻にあっては「本件彫刻は仏壇の装飾に関するものであるが,表現された紋様・形状は仏教美術の一端を窺わせ,単なる仏壇の付加物ないしは慣行的な添物というものでなく,それ自体美的鑑賞の対象とするに値するのみならず,・・・・・・,彫刻に立体観・写実観をもたせるべく独自の技法を案出駆使し,精巧かつ端整に作品を完成し,誰がみても,仏教美術的色彩を背景とした,それ自体で美的鑑賞の対象たりうる彫刻であると観察することができるものであり,その対象・構成・着想等から,専ら美的表現を目的とする純粋美術と同じ高度の美的表象であると評価しうるから,本件彫刻は著作権法の保護の対象たる美術の著作物であるといわなければならない。」として,応用美術に純粋美術と同じ美的特性を備えていると判示している。」(紋谷暢男「仏壇彫刻事件」百選(第二版),20頁以下)。これに対して本件「ファービー」にあっては,「その容貌姿態が愛玩性を高める一要素となっていることは否定できないが,全身を覆う毛の縫いぐるみから動物とは明らかに質感の異なるプラスチック製の目や嘴等が露出しているなど,これを玩具としての実用性及び機能性を離れ,独立して美的鑑賞の対象となる美的特性を備えているとは認め難い・・・・・・」として,著作物性を否定した。
 この点に関しては,紋谷先生が先の百選でも示されているごとく,「その対象・構成・着想等から,専ら美的表現を目的とする純粋美術と同じ高度の美的対象であると評価しうるから,」との判示は適当ではないにもかかわらず,本判示は,この点を判断したと見ることができる。純粋美術と同視しうるか否かの判断基準は,まさに,それ自体が物品の実用面から分離して認識することができ,そのものだけで独立して美的鑑賞の対象となしうるか否かに求めるべきである。現に,本件「ファービー」についても,数種類の色彩のファービーを並べて飾っておくと,高度か否かの判断を別にすれば,それなりに“美しい”と思えるという声も聴かれるところではある。
 そこで問題になるのは,美術性に高いとか低いとかの判断を下すことが妥当か否か,あるいは,その判断基準は何かということである。我が国の著作権法2条2項には,美術の著作物に美術工芸品も含むことが明定されている。この点については,一品製作の手工的な美術作品に限って,応用美術作品ではあるが純粋美術あるいは鑑賞美術の作品と同視するという考え方を採り,著作権法上の美術の著作物に含ましめている(加戸,前掲45頁以下参照)。けれども,一品製作物に限らず大量生産される工芸品であっても鑑賞的色彩の強いものは美術の著作物に該当すると判断できる場合もあるわけで,鑑賞的色彩が強いか強くないか,言葉をかえていえば,美術性の高低ということが問われることとなるわけである。我が国における従来の判例の立場は,どちらかというと,ある程度の独創性まで要求する高度の美術性を要求するドイツ法の影響を受けていると見ることができよう。純粋美術と応用美術をどのような点で区別するかは,現在の状況では,必ずしも明確であるとはいえない。
 フランスのように,純粋美術と応用美術というような特段に区別することなく,基本的に全部保護するという政策を採っていれば格別,美的な感覚で著作物となるか否かが判断される状況にあっては,本件「ファービー」が日本の著作権法では著作物に該当しないとした本件判決は一概に不適切であるとは断じ得ないのではなかろうか。

(3)「ファービー」を「ギズモ」の二次的著作物とするか否かのアプローチ
 本判決は,「ファービー」の著作物性を応用美術に該当するか否かというアプローチで判断している。けれども,弁護人も主張しているように,「ファービー」の容貌姿態は,映画「グレムリン」に登場するキャラクターである「ギズモ」に酷似している。だとすれば,「ファービー」自体の美術性を問うアプローチ以外に,まず第1に「ギズモ」が日本の著作権法における著作物に該当するか否かを判断し,第2に「ファービー」が「ギズモ」の二次的著作物か否かを判断するというアプローチもあり得る。

《1》「ギズモ」の著作物性
 「ギズモ」は,被告人弁護人も主張しているとおり,映画「グレムリン」に登場するキャラクターであることは明らかである。映画「グレムリン」はアメリカ映画であり,キャラクター「ギズモ」については米国においては,映画「グレムリン」の製作会社がその著作権を有する。
 映画「グレムリン」は日本においても広く上映され,現在もそのビデオテープが,いわゆるビデオショップで貸し出されている。そこで,日本において「ギズモ」が著作物として著作権が保護されるか否かについて検討する。
 まず,「グレムリン」は日本においても映画の著作物である。そうするとそのキャラクター「ギズモ」も当然に,その母体たる映画フィルムから離れかつ独立して著作権を取得することができるかについては,最高裁平成9年判決のポパイ・ネクタイ事件(最小判平9.7.17,平成4年(オ)第1443号著作権侵害差止等請求事件,民集51巻6号2714頁)から判断する限り“否”といわざるを得ない。同事件判決で最高裁は「一話完結形式の連載漫画においては,当該登場人物が描かれた各回の漫画それぞれが著作物に当たり,具体的な漫画を離れ,右登場人物のいわゆるキャラクターをもって著作物ということはできない。けだし,キャラクターといわれるものは,漫画の具体的表現から昇華した登場人物の人格ともいうべき抽象的概念であって,具体的表現そのものではなく,それ自体が思想又は感情を創作的に表現したものということができないからである。」として,キャラクターの著作物性を否定しているからにほかならない。
 しかりながら,これより以前に,キャラクターの著作物性を肯定するかのごとき判決が,下級審でなかったわけではない。この点に関し,牛木理一氏はその著「キャラクター戦略と商品化権」において,「ゲッター」・「ゲッターZ」・「グレートマジンガー」事件(東京地裁昭和50年(ヨ)2513号,昭和50年3月31日決定・認容)に関する記述の中で「漫画映画に登場しその一部を構成しているキャラクターが,その母体たる映画フィルムから離れかつ独立して存在し,それ自体で独立した著作権を取得することができるかどうかであるが,本決定は必ずしも明らかではない。
 しかし,客観的に判断すれば,この仮処分の決定の裏には,・・・・・・,映画に登場する各々のキャラクターについても独立した1個の著作と認め,これと同じ人形を製作することは,著作権の侵害となるとの判断があったものと思われる。」と述べている。また,ライダーマン事件(東京地裁昭和52年11月14日判決,昭和49年(ワ)第5415号,著作権に基づく差止請求権不存在確認請求事件,無体例集9巻2号717頁,判時869号38頁)の解説では「本件で原告が製造販売したものは,テレビ映画に登場した人物「ライダーマン」が登場する映画の著作物の著作権であった。つまり,原告が模倣したものは,映画の著作物の中に登場する人物の衣装の一部品であった。
 判決は,ヘルメット部分に関する映画の著作物の右のような事実関係を検討することなく,原告のお面の製造行為を,「本件映画に登場する『ライダーマン』を見たうえで,これを参考にし,これに準拠して」と述べている。ということは,映画の著作物を映像の連続によって表現された全体についてのものとする通説に反して,そこに登場する人物自体およびその人物が着用する衣裳部品についても,独立して映画の著作物であると考えている。したがって,映画の著作物全体に対する著作権とは別に,登場人物やかれが着用する衣裳部品の各々にも,映画の著作権が成立するという考え方を採る。この考え方は,映画の著作物の概念についての通説から見れば,著作権の一部侵害を認めているようにもとれる。しかし,映画の著作物の著作権に対する一部侵害とは,映画フィルムの1カットの無断使用の場合を通常意味するから,一部侵害の成立を認めたものとは違う。
 判決の理由には,本件お面の製造が,なぜ映画の著作物の著作権の侵害になるのかについての論理の展開がない。両者の関係をあえていっているとすれば,「これに準拠して」という表現しかない。しかし,本件の場合,単に「準拠して」いるという理由だけで,映画の著作物の著作権が侵害されたと考えることは無理である。この考え方の中には,著作権侵害とは別に,一般的な不法行為論の導入があるように見える。
 判決は,「準拠して」いるから,ライダーマンのキャラクターを利用していることになり,このような利用行為は,「とりもなおさず被告が有する本件映画の著作物の著作権を侵害するもの」だという。ということは,映画の著作物の前記のような各構成要素についても,映画の著作物に与えられる著作権の効力が個別的に及ぶと解しているようにみえると述べている(百選,44頁以下)。
 このような視点から「ギズモ」の著作物性について考えると,映画「グレムリン」のキャラクターの著作物性という視点で検討しなければならない。ポパイ・ネクタイ事件で最高裁が判示しているのは,一話完結形式の連載漫画のキャラクターの著作物性であって,映画のキャラクターについては,別に新たな判断が必要である。
 前掲「キャンディ・キャンディ」刑事事件において大阪地裁は次のように判断している。
(1) 動画は,原作映画の単なる複製ではなく,独自の脚本・音楽・声の出演・写真などを付加し駆使してできた二次的著作物であり,原画の単なる複製物ではなく,独自の著作権が発生する。
(2) 主人公の女の子に付与されているその人物の性格,役割,動作,容貌などの特徴(いわゆるキャラクター)の原型は,原作映画において創作されたものであるにせよ,本件映画のキャラクターは,原作映画によって作出されたもの以上に生き生きと実在性を帯びている。
(3) したがって,原作映画のキャラクターが「生みの親」であるとすれば,本件映画はその「育ての親」であるから,この両者にそれぞれ独自の創作性を認めるべきである。
(4) 被告人の本件所為は,本件映画を映画そのものとして複製利用したものではなく,その一コマに含まれる「キャンディ・キャンディ」の静止した姿態,すなわち,原作映画の一場面に含まれると同様な姿態を複製頒布したにすぎないのであるが,その実質は右姿態によって表象される「キャンディ・キャンディ」のキャラクターを利用したものにほかならないというべきところ,その姿態によって表象されるキャラクターの作出については本件映画の製作者にも独自の創作性があり,その創作性が本件映画の創作性のひとつの内容をなしているのであるから,被告人の判示所為は,原著作物たる原作映画の著作権を侵害することはもちろん,二次的著作物たる本件映画の著作権をも侵害する。
 つまり,テレビ漫画映画「キャンディ・キャンディ」のキャラクターに著作物性を認めている。
 「ギズモ」についてみるに,「ギズモ」を媒体として,映画「グレムリン」を通して,ひとつの思想が表現されていることは明らかであって,「ギズモ」には著作物性があり,ひとつの著作物であると判断せざるを得ない。ここでいう思想については,中山信弘「著作権法における思想・感情」特許研究33,平成14.3,発明協会,参照。

《2》「ギズモ」が日本著作権法で著作物であるということになれば,次に,「ファービー」の著作物性が判断されなければならない。
 映画「グレムリン」を見た人は誰でも,「ファービー」を見れば「ギズモ」を想起することに異論はないといえよう。だとすれば,キャラクターの名称変更が著作物性にどのように影響を与えるかを検討しなければならない。
 キャラクターの名称保護については,牛木前掲書3章3節に詳しいが,本件「ファービー」にあっては,もし「ファービー」に著作物性が何らかの形で認められるとするならば,「ギズモ」に別名「ファービー」が付与されたとみることが妥当なようにも考えられなくはない。「グレムリン」は「ギズモ」が悪魔化したときの「ギズモ」の別名であって「ファービー」は「ギズモ」が玩具化したときの名前である考えるならば,ポパイ表示事件で最高裁判示の名称と想起される人物像との不可分一体性の点は克服できるのではなかろうか。つまり,「ファービー」は「ギズモ」の裏面である「グレムリン」を取り去った名称と考えるわけである。
 名称の点をこのような点で考えるならば,「ファービー」は「ギズモ」の二次的著作物と見ることも可能になる。すなわち,「ギズモ」の「グレムリン」面を排除したものであって,映画の画面上のものを具体物に表現したところに創作性を認めるわけである。
 キャラクターの人形化についての判例は,たいやき君事件(東京地裁昭和52年3月30日判決,昭和51年(ワ)第3895号著作権侵害差止請求事件,著研9号233頁,著判I巻713頁)がある。この事件は,被告が下請会社に製造させて販売した縫いぐるみ人形が,原告の専有する「たいやきくん」の絵(原画)の著作権を侵害したことに対する差止めと損害賠償の請求事件である。これに対する判旨は「本件縫いぐるみは,縫いぐるみ人形であって,数種の色彩,柄の布地を裁断して縫製し,その内部に綿類等の芯を詰め入れ,魚の顔,体を形成しているが,その形体,表情は,本件原画のそれと殆んど同一であることが認められ,他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。
 右認定の事実によれば,本件縫いぐるみは,本件原画に依拠して,これを変形して製造されたものと認めるのが相当である。
 以上の事実によれば,被告の本件縫いぐるみの製造,販売は,原告の本件著作権を侵害したものというべきであり,・・・・・・」と述べて,キャラクターの人形化したものには著作権を認めていない(百選(第二版),46頁−染野啓子,牛木,前掲書121頁)。
 たいやき君人形と本件「ファービー」人形との本質的な相違は,思想・感情を表現しているか否かにある。たいやき君人形はアニメーションのキャラクターの人形化であって,変形といえるまでの創作性は認められないということである。
 「ファービー」は「ギズモ」の悪魔性の部分を除いた面の人形化であると見るならば,人形化したこと自体に創作性を認めることが妥当な判断といえる。つまり,「ファービー」を見た者が少なくとも映画「グレムリン」を見ていれば,「ギズモ」を想起することは間違いない。そうすると「ファービー」人形を通して,映画の製作者が表現せんとした思想をも想起することになるから,「ファービー」は「ギズモ」の二次的著作物であるといえるということである。

(4)おわりに
 「ファービー」のコピー商品については,ファービッシュ,ハビー,ドゥビー,ポーピー,クーキー,クービー,コーキーなどの名称で日本全国に出回り,なかには短期間で数億円を荒稼ぎする業者もあった。事態を重く見た関係各社及び各管轄警察署が99年後半から一斉に調査,摘発を開始し,これまでに刑事事件,民事事件,民事係争,税関差止めなどを含め,100件近くが何らかの措置を受けている(「ファービー裁判」にみる玩具の権利保護のあり方,Chara Biz“活用する”キャラクタービジネス誌8号,2001.11,興和(株)IT本部営業部)。
 このような状況にあるにもかかわらず,本件は「ファービー」は美的条件を備えておらず,著作物としての保護対象の美術工芸品ではない実用品であるとして,無罪判決を言い渡した。山形地検は直ちに控訴したが,現在は未だ控訴審判決は出されていない。業界も注目しているところではある。
 応用美術か否かという点で検討していけば,我が国の著作権法の現状及びそれらの解釈・運用の発露たる判例から判断すると,学説では著作物性を肯定する見解も多く見られるが(本文中に記載の文献参照),著作物性を否定する判断も一概に否定することはできないようにも思える。
 少なくとも本件「ファービー」人形にあっては,「ギズモ」の二次的著作物に該当するというアプローチで著作物性を認めて,有罪とすべきではなかろうか。


(やまだ つねお:東京理科大学経営学部教授)