発明 Vol.98 2001-7
判例評釈
民事訴訟法一七条にいう「その他の事情」と
知的財産権専門部のある裁判所への移送
〔東京高裁平一〇(ラ)第二三三六号,移送決定に対する抗告事件,平10・10・19第四
民事部決定,抗告棄却・確定,原審長野地裁飯田支部平一〇(モ)第五二号,平一
〇(モ)第五四号,平10・9・17決定,判タ1039号(2000年11月1日)268頁〕
【参照条文】民事訴訟法一七条
石川 明
〔事件の概要〕

 抗告人X(本店長野県飯田市)は本件本案訴訟の原告で,相手方Y(本件本案訴訟の被告,本店大阪市)が買い受けて使用している製袋機は,Xの有する製袋機に関するノウハウを不正に使用しているとして,不正競争防止法に基づく,製造,使用等の差止めおよび損害賠償請求を長野地裁飯田支部へ提起した。
 これに対し,Yは民訴法一七条に基づき大阪地裁への移送を申し立て,同支部は大阪地裁へ移送する旨の決定をした。これに対してXは,この決定を不服として東京高裁へ抗告した。この抗告事件が本件である。なお,Y(本件訴訟の共同被告,本店は新潟県白根市)も移送申立てをしたことが窺われるが,これは民訴法一六条一項による新潟地裁への移送申立てであったようである。前掲判タからはその理由を読み取ることができない。
 東京高裁は本件抗告を棄却した。


〔判 旨〕
 民事訴訟法一七条は,「第一審裁判所は,訴訟がその管轄に属する場合においても,当事者及び尋問を受けるべき証人の住所,使用すべき検証物の所在地その他の事情を考慮して,訴訟の著しい遅滞を避け,又は当事者間の衡平を図るため必要があると認めるときは,申立てにより又は職権で,訴訟の全部又は一部を他の管轄裁判所に移送することができる。」と規定するところ,ここにいう「その他の事情」には,当該事件がその処理に高度の専門的知識を有する裁判所が処理するのが適切な種類の事件であり,移送先とされる裁判所がその種類の事件を処理する専門部を有していることも含まれるものと解するのが相当である(そのことは移送申立ての可否を判断する要素の一つとして考慮されるのであり,その事情があれば必ず移送するというものでないことは当然である。)。
 けだし,その処理に高度の専門的知識を有する裁判所が処理するのが適切な種類の事件をその種類の事件を処理する専門部で処理することが,同条に具体的に挙げられた証拠調上の便宜と同様に,訴訟の著しい遅滞を避けるために必要な場合があるものと考えられるからである。
 本件の本案事件は,製袋機の技術上の情報についての営業秘密の不正開示,不正取得を理由とする不正競争防止法に基づく差止等の請求事件であり,技術内容の理解,秘密性を含む営業秘密の要件の認定判断……(中略)……訴訟進行に関する指揮が的確に行われることが肝要であること等を考慮すれば,知的財産権事件の処理についての専門部で処理するのが適切な種類の事件と認められ,かつ,大阪地方裁判所には不正競争防止法に基づく請求を含む知的財産権事件処理の専門部が設けられていることは当裁判所に顕著である。
 原決定の理由及びこれを布衍して……(中略)……判断したところ,右に認定した事情を併せて考慮すれば,本案訴訟の著しい遅滞を避けるために,大阪地方裁判所に移送することが相当であることは,一層明らかである。」

〔評 釈〕
一.(1) 本件決定の重要な判示部分である前掲判旨について論評する。問題は,民訴法一七条にいわゆる「その他の事情」に移送先とされる裁判所に専門部があるという事情が含まれるか否かという点である。本件決定は前記のとおりこの点肯定的に解している。つまり専門部による審理・判断によって同条にいわゆる訴訟の著しい遅滞を回避できるがゆえに一七条による移送が許されるという解釈である。そしてその理由として不正競争防止法による差止め等の請求事件にあっては,技術内容の理解,秘密性を含む営業秘密の要件の認定判断,書証・人証等の証拠調べをめぐる訴訟進行が的確に行われることが重要であることを挙げている。以下,その当否について検討してみよう。

 (2) そこでとりあえず,一七条の立法理由すなわち,一七条が移送するか否かについての考慮事情を例示的・具体的に規定した理由を考慮しておく必要がある(以下,特に法務省民事局参事官室編『一問一答新民事訴訟法』(商事法務研究会,平成九年五月刊)四二〜四三頁による)。
 旧法三一条は,移送の可否の判断事情として,「著キ損害又ハ遅滞ヲ避クル為必要アリト認ムルトキ」と規定するにとどめ,その具体的内容については規定していなかったのである。新法一七条は移送の可否の基準の具体例を挙げて規定している。
 しかし,「当事者間の衡平」という要件は,旧法三一条にいわゆる「著キ損害」という要件よりもさらに広い概念であるので,その意味をより明確にし,この規定の適切な運用を図るためには,考慮事情を規定することが望ましい。また,考慮事情を規定する場合には,「著キ遅滞」についても,同様に,考慮すべき事情を具体的に規定することが,規定を理解しやすくする。
 かかる理由から一七条は移送の可否について考慮すべき事情を具体的に規定したのである。
 当事者間の衡平を図るために移送の必要があるか否かの判断基準として,当該訴えをこれが提起された裁判所で審理・判断すると,他の管轄裁判所で審理・判断する場合と比較して,訴訟の追行に関わる労力,出費等の点で当事者間の衡平を害することになるか否かによって決まることになる。
 訴訟の追行に必要とされる労力および出費のうち主要なものは,当事者の出頭に要する労力および出費,当事者が予納すべき証人の旅費,日当および宿泊料(民訴費用法第一二条・第一一条第一項第一号・第一八条),裁判所外での検証にあたり当事者が予納すべき裁判官・裁判所書記官の出張旅費および宿泊料(同法第一一条第一項第二号)である。また,証人が裁判所から遠隔の地に居住するときは,その出頭の確保も困難になるので,証人の裁判所からの遠近は,当事者間の衡平の有無の検討にあたり,重要な考慮事情となる。さらに,当事者が出頭に要する労力および出費の検討にあたり,当事者の住所が一般的な考慮要素となり,また,証人の裁判への出頭に要する労力および費用の検討にあたり,証人の住所が一般的な考慮要素となる。
 著しい遅滞を避けるための移送の必要の存否は,当該訴えを,これが提起された裁判所で審判すると,他の管轄裁判所で審判する場合と比較して,訴訟の完結までに著しく時間がかかるか否かによって決まる。
 訴訟においては,基本的に当事者双方が裁判所に出頭する必要があり,訴訟の完結時期の判断にあたり,当事者双方の裁判所への出頭の難易は重要な考慮事情であり,その難易の検討にあたって,当事者の住所が一般的な考慮要素となる。また,証拠調べに要する期間も訴訟の完結時期に影響を及ぼすので,尋問を要すべき証人の出頭の難易その他必要な証拠の証拠調べの難易も重要な考慮事情となり,証人の住所や検証物の所在地がその検討のための一般的な考慮要素となる。
 このように,主要な考慮要素は,「当事者間の衡平」においても,「著しい遅滞」においても,当事者の住所,尋問を受けることが予定される証人の住所,検証をすることが予定される検証物の所在地となり,「当事者及び尋問を受けるべき証人の住所,使用すべき検証物の所在地」を考慮要素として例示したのである。
 なお,ここで特に注意すべきことは,「その他の事情」としては,前掲書によれば,当事者の身体的な事情,訴訟代理人の有無およびその事務所の所在地,当事者双方の経済力等が挙げられている点である。
 本件決定は既述のとおり,一七条による移送の積極的根拠として,主として(1)証拠調べ上の便宜と,(2)大阪地裁にある専門部によって迅速適正な裁判が可能である旨を挙げている。(1)は一七条に例示列挙されているものであるから問題はないにしても,(2)がその他の事情に該当するといえるか否か問題である。既述のとおり「その他の事情」としては,立法者意思によれば,当事者の身体的事情,訴訟代理人の有無およびその事務所の所在地,当事者双方の経済力等が挙げられているが,移送先の管轄裁判所における専門部の有無は挙げられていない。すなわち,専門部の有無は立法者意思によれば,「その他の事情」に明示的には含まれていないのである。なおこれに対して,専門部の有無が含まれると解する見解として,山下孝之「訴訟の移送」新民訴法大系 I 148頁がある。

   (3) 本件決定の説くように,仮に移送先裁判所における専門部の有無が含まれると解釈すると,次のような問題点が生じる。
 民訴法六条は,特許権等に関する訴えの管轄について特段の定めを置いて,この種の訴えについては本来の管轄裁判所に加えて,次の要件の下に東京・大阪の両地裁に管轄権を認めているのである。その目的は専門部による適正,迅速な裁判を受ける機会を原告に与えるという点にある。この種の訴えについて原告は本来の管轄裁判所に加えて,六条の管轄裁判所に訴える権限を与えられたことになる。この種の訴えについて原告は本来の管轄裁判所あるいは六条の管轄裁判所のいずれかに訴えを提起する選択権を与えられている。原告が六条の各裁判所をあえて選ばず,本来の管轄裁判所に訴えを提起したにもかかわらず,一七条で移送を認めることになると,原告が望まないのに本件の場合は大阪地裁に移送がなされることになる。ここで,当該訴えを提起した管轄裁判所において裁判を受ける原告の権利という相対立する利益相互間の調整,換言すれば一七条にいう当事者間の衡平が問題になる。原告があえて本来の管轄裁判所である長野地裁に訴えを提起しているにもかかわらず,特に専門部があるという理由に限ってみるかぎり(証拠調べの問題は別として),本件を大阪地裁に移送することは原告の利益を不当に害していることになるのではないかという問題である。そうであるとすれば,たまたま大阪地裁に専門部があるという理由で事件の移送を認めることには問題があるのではないかと考えることもできそうである。大阪地裁に専門部があるという事情よりも,原告が本来の管轄裁判所である長野地裁に訴えを提起しているにもかかわらず,むしろ移送を認める根拠になる,より重要な事情は,証拠の関係からみて大阪地裁のほうが長野地裁より審理・裁判に適しているという点に求められるのではないかと思われる。本件の場合,専門部のある大阪地裁にもたまたま管轄権があったために移送を正当化する事由がもう一つ加わって,移送が認められたものとみるべきで,専門部があるということは移送を正当化する第一次的根拠というよりはむしろ追加的根拠とみるべきではないか。別の表現をすれば,移送先の裁判所に専門部がなければ専門部による適正迅速な事件処理がなされるという特段の事情はないのであるから,専門部の存在は一般的には「その他の事情」には入らないというべきで,それが入るのは移送先が東京・大阪地裁に限られる特殊事情というべきなのであろう。本件判示は,この特殊事情を「その他の事情」の概念に含ませるとしながらも,原告の上記利益について本件判示がカッコ書きのなかで「そのことは移送申立ての可否を判断する要素の一つとして考慮されるのであり,その事情があれば必ず移送するというものではない」としているが,ここで長野地裁で裁判を受けるという前記原告の利益は考慮されることになるのであろう。それを否定しないのは当然であり,移送決定に当然,裁量の一要素として,原告の長野地裁において裁判を受ける権利ないし利益を十分に尊重すべきであると考える。
 しかしながらさらにつきつめて考えると,専門部の存在をその他の事情に含ませることが果たして妥当なのであろうか。次のような疑問もある。
 すなわち,第一に本件判旨の背景には知的財産権関係事件の管轄に関する民訴法六条の考え方があると推察することができるかもしれない。六条には,本件で問題とされたノウハウをめぐる請求は含まれていないが,知的財産関係事件は専門部で取り扱うという六条の根底にある発想がこれである。その発想もわからないものではないが,逆にいうと,六条の場合,慎重にノウハウ関係事件を規定の対象から除いているという点からみて,ノウハウ関係事件である本件に前記の発想が当てはまらないということもできる。そのように考えるほうが六条の趣旨には合致するように思うし,さらには文理にも忠実である。かかる観点からすると,六条の根底にある発想を本件のごときケースにおける移送の根拠とすることもできない。このように考えてくると,本件判旨は六条の趣旨を拡大して,それに乗って一七条の移送を認めてしまったというきらいがあるのではないかという疑念を抱かざるを得ないのである。
 第二に,一七条には「著しい遅滞を避け」と,規定しているのであるから,軽度の遅滞をもって移送する場合,当然移送は違法であるし,当該移送決定をなした裁判所とそれを受けた裁判所と,両者の審理の長短を単に比較し,後者での審理が前者における審理より短いというだけで移送を認めることは違法である。移送決定にあたり一七条の要件を厳格に遵守しないと,訴えを提起した裁判所において原告が裁判を受ける利益を侵害する結果になることを考える必要があることは既述のとおりである。さらに一七条は移送の要件として「著しい遅滞を避け」と「当事者間の衡平を図る」という2つの要件を「又は」で結んでいるから,前者の要件さえあれば,後者は全く無視してよいとの論理も成り立ちそうであるが,そういうことにはならないのではないかと思われる。移送により著しい遅滞を避けることはできても,当事者間の衡平が著しく害されることになれば,その移送は違法というべきであろう。
 第三に,一七条の要件を緩やかに運用すると,専門部のある裁判所についても管轄がある場合,別の管轄裁判所に原告が訴えを提起しても移送される可能性が高くなり,そのことは専門部のある裁判所に専属管轄に近い管轄を認めるのと大差がなくなるという問題も生じるであろう。
 かようにみてくると,本件ノウハウ関係事件について,本件決定が移送を認めた点について,率直にいって若干の疑問を感じる。長野地裁飯田支部における審理・判断を回避してしまったことに移送決定の安易さを感じられないわけではない。

二.(1)なお,このほか本件移送決定の若干の論点について言及しておきたい。本件決定は以下のようにも述べている。すなわち,「右のうち,相手方らの製袋機の内少なくとも一台は相手方株式会社星野洋紙店方に設置されているものとみられるから,それについては長野地方裁判所飯田支部,大阪地方裁判所ともに証拠調に便宜であるとはいえないが,相手方昭和精密の開発担当者は,大阪府又はその周辺に居住するものと考えられるので,長野地方裁判所飯田支部への出頭よりも大阪地方裁判所への出頭の方が遙かに容易であることは明らかである」と。
 このうち,文脈からいって長野地裁飯田支部,大阪地裁ともに証拠調べに便宜であるとはいえないという部分は,検証についての便宜性を考えているのではないかという推測もできなくないと思われる。検証不要というなら,このような記述は不要である。それともこの部分は,検証は不要ではあるが,仮に必要とした場合,両裁判所ともそれに便宜ではないという趣旨なのであろうか。あるいはY星野洋紙店にも証人として開発担当者がいるということを前提とした記述なのであろうか。後者であれば,検証の必要性を否定した論理を貫いたことになるが,前者のように理解すると検証の必要性を前提としたことになる。この記述がいずれの意味か必ずしも明らかではないことを指摘しておこう。

(2) 本件判示4において示された抗告人主張およびこれに対する裁判所の判断は以下のとおりである。
 「抗告人は,大阪地方裁判所に移送された場合,事実上は,専門部に係属するかも知れないが,新民事訴訟法を類推適用することには抵抗せざるを得ない旨主張する。その主張の趣旨は明らかではないが,原決定は,相手方昭和精密の主たる事務所又は営業所の所在地及び民事訴訟法七条により本案事件が大阪地方裁判所の管轄に属すると認めた趣旨であることは明らかであり,民事訴訟法六条を類推適用したものではない。大阪地方裁判所において本案事件を知的財産権事件専門部に配填するか否かは,同裁判所の事務分配規定の問題であり,民事訴訟法所定の管轄の問題ではない。抗告人の主張は失当である。」
 ここで抗告人が主張したかったことは,察するに以下のことではないであろうか。すなわち,移送によって事件の性質上それが,大阪地裁の専門部に配填されれば,そのことが裁判の適正性,並びに迅速な手続きにつながるかもしれない。しかし,大阪地裁に移送がなされても専門部に事件が配填されるという保証はないのであるから,大阪地裁への移送が訴訟の著しい遅滞を避けることができるか否か確かではないという主張であると思われる。Xは,一七条による移送の要件に欠ける旨を主張していることが推測される。六条を類推適用して本件移送を認めたことが不都合であるといっているのではないように思われる。そのように解するならば,4に述べられている裁判所の判示には問題が残ると思われる。
 原審は知的財産権関係事件は専門部に配填されることを前提にして,一七条による移送を認めたものであると考えれば,この点で抗告人の4の主張は理由がないと考えることができる。


(いしかわ あきら:朝日大学教授)