発明 Vol.98 2001-4
判例評釈
競走馬のパブリシティ権
−ギャロップレーサー事件−
〔名古屋地判平成12年1月19日判例集未登載名古屋地裁
平成10年(ワ)第527号製作販売差止等請求事件〕
三浦 正広
<事実の概要>

 競走馬の所有者である原告Xらは,競馬のゲームソフトの製造販売を業とする被告Yに対して,Yが製作したゲームソフトのなかで,Xらが所有する競走馬の馬名等を使用したのはパブリシティ権の侵害にあたるとして,本件各ゲームソフトの製作,販売の差止め,および不法行為に基づく損害賠償を請求した。
 本件ゲームソフト「ギャロップレーサー」は,プレーヤーがジョッキーになり,自分の選択する競走馬に騎乗し,実際の競馬場を再現した画面においてレースを展開する家庭用および業務用のゲームソフトであり,「ギャロップレーサーII」には,2人が対戦して遊ぶことができる機能が付加されていた。画面に登場する馬には,「オグリキャップ」「トウカイテイオー」「ビワハヤヒデ」「ライスシャワー」など実在する馬の名前が使用され,プログラムには先行逃げ切り型などの各馬の特徴が設定されていた。
 パブリシティ権の対象は人に限定されるものではなく,競走馬の馬名もパブリシティ権の対象となり,その所有権に基づいてパブリシティ権も発生するというXらの主張に対し,Yは,パブリシティ権は,「著名人がその氏名,肖像から生じる顧客吸引力の持つ経済的利益,ないし価値を排他的に支配する財産的権利」であり,人でない馬の名前について,パブリシティ権が発生することはないなどと反論していた。


<判旨> 請求一部認容
1.競走馬の馬名のパブリシティ権−権利の性質,内容と成立要件および存続期間について
 「パブリシティ権が認められるに至ったのは,著名人に対して大衆が抱く関心や好感,憧憬,崇敬等の感情が当該著名人を表示する氏名,肖像等に波及し,ひいては当該著名人の氏名,肖像等と関連づけられた商品に対する関心や所有願望として大衆を当該商品に向けて吸引する力を発揮してその販売を促進する効果をもたらす結果,氏名,肖像その他の顧客吸引力のある個人識別情報そのものが経済的利益ないし価値を有するものと観念されるに至ったものである。
 そうであるとするならば,大衆が,著名人に対すると同様に,競走馬などの動物を含む特定の物に対し,関心や好感,憧憬等の感情を抱き,右感情が特定の物の名称等と関連づけられた商品に対する関心や所有願望として,大衆を当該商品に向けて吸引する力を発揮してその販売促進に効果をもたらすような場合においては,当該物の名称等そのものが顧客吸引力を有し,経済的利益ないし価値(パブリシティの価値)を有するものと観念されるに至ることもあると思われる」
 「『著名人』でない『物』の名称等についても,パブリシティの価値が認められる場合があり,およそ『物』についてパブリシティ権を認める余地がないということはできない。また,著名人について認められるパブリシティ権は,プライバシー権や肖像権といった人格権とは別個独立の経済的価値と解されているから,必ずしも,パブリシティの価値を有するものを人格権を有する『著名人』に限定する理由はないものといわなければならない。
 このような物の名称等がもつパブリシティの価値は,その物の名声,社会的評価,知名度等から派生するものということができるから,その物の所有者(後述のとおり,物が消滅したときは所有していた者が権利者になる。)に帰属する財産的な利益ないし権利として,保護すべきである。
 このような,物の名称等の顧客吸引力のある情報の有する経済的利益ないし価値を支配する権利は,従来の『パブリシティ権』の定義には含まれないものであるが,これに準じて,広義の『パブリシティ権』として,保護の対象とすることができるものと解される(以下『パブリシティ権』とは,断らない限り,広義のそれを意味するものとする。)」。
 「たしかに,『物のパブリシティ権』は新たな権利であり,公示手段の不明確性とあいまって種々の問題があり,その権利の主体や客体,成立要件や権利期間,譲渡方法,公示方法,侵害手段等が明確にされる必要がある。
 しかし,社会状況の変化により,新たな権利が認められてきたことは,歴史的事実であって,その価値ないし利益が社会的に容認されるものであり,かつ,その社会において成熟したものであれば,これを保護する必要があり,また社会的正義にもかなうものと解される」。
 「著名人に関するパブリシティ権は,人格権として認められるプライバシー権や肖像権とは別個独立の経済的価値として把握されるものの,パブリシティの価値が著名人自身の名声,社会的評価,知名度等から派生することから,著名人がこれを自己に帰属する固有の利益ないし権利と考えるのは自然であるとして,その発生の時から人格権の主体である当該著名人に帰属するものとされており,人格権の帰属と表裏一体の密接な関係を有するものとして認められる。これに対し,物については,人格権を観念することはできず,物に対する所有権との関係で考慮する必要がある」。
 「所有権は,有体物をその客体とする権利であるから(民法206条,85条),パブリシティ価値のような無体物(無体財産権)を権利の内容として含むものではない(最高裁昭和59年1月20日判決民集38巻1号1頁参照)。したがって,パブリシティ価値は,所有権の内容の一部であるとは観念できず,所有権とは別個の性質の権利であると解するほかない。ただし,パブリシティ価値は,飽くまでも物自体の名称等によって生ずるのであり,所有権と離れて観念することはできないものといわざるを得ず,所有権に付随する性質を有するものと解される。
 よって,著名人のパブリシティ権と,物についてのパブリシティ権とでは,その性質が人格権との密接な関係か,所有権との密接な関係かで,差異が生ずるものと解される」。
 「(一)成立要件
 物に関する名称等にパブリシティ権が成立するための要件としては,著名人にパブリシティ権が成立する要件と同様となるものと解される。つまり,大衆が,特定の物に対し,関心や好感,憧憬,崇敬等の感情を抱き,右感情が特定の物の名称等と関連づけられた商品に対する関心や所有願望として,大衆を当該商品に向けて吸引する力を発揮してその販売促進に効果をもたらすような場合であって,物の名称等が固有の名声,社会的評価,知名度等を獲得して,それ自体が顧客吸引力を持つと客観的に認められることが必要であるものと解される。
 そして,物がそのような顧客吸引力を有すると認められる場合,これを経済的に利用できる者は, その物の所有者であるから,パブリシティ権は, その物の所有者に帰属するものである。
 (二)権利の移転
 物に関するパブリシティ権は,その物が顧客吸引力を有している限り,日々発生するから,物の譲渡などにより,所有権が移転した場合には,特段の合意がない限り,移転の日以前の分は,以前の所有者に残るが,以後のパブリシティ権は新所有者に移転する。
 (三)権利対象の消滅
 物に関するパブリシティ権は,対象が消滅した場合であっても,パブリシティ価値が存続している限り,対象が消滅した時点における所有者が,パブリシティ権を主張できるものと解する。
 (四)救済手段
 物に関するパブリシティ権が侵害された場合に権利者がとり得る手段としては,不法行為に基づく損害賠償を請求することは認められるものの,差止めは許されないものと解する。
 たしかに,パブリシティ権を排他的支配権と理解すれば,これを侵害する者に対し,その排除を求めることができるとすることが権利の実効性を果たすために必要である。物権に基づく妨害排除請求権や知的所有権や人格権に基づく差止請求権が認められる理由の一つもこのようなものである。
 しかしながら,差止めが認められることにより侵害される利益も多大なものになるおそれがあり,不正競争防止法による差止請求権の付与など,法律上の規定なくしては,これを認めることはできず,物権や人格権,知的所有権と同様に解するためには,それと同様の社会的必要性・許容性が求められる。
 ましてや,物権法定主義(民法175条)により新たな物権の創設は原則として禁止されているのであり,所有権と密接に関わる権利である物についてのパブリシティ権は,慎重に考える必要がある。
 結局,物のパブリシティ権が経済的価値を取得する権利にすぎないことを考慮すると,現段階においては,物についてのパブリシティ権に基づく差止めを認めることはできないものと解する。
 ただし,物についてのパブリシティ権であっても,不法行為に基づく損害賠償の対象としての権利ないし法律上保護すべき利益には該当するものと認められるから,損害賠償は認められるものと解する。
 ・・・・・・<認定事実>によれば,(三)の(4)と(6)に記載した各競走馬について,右各競走馬の所有者であると主張する『X』らは,右各ゲームソフトが発売された当時,当該各競走馬を所有していないから,右各競走馬についてパブリシティ権を取得するものとは認められない。その余の本件各競走馬については,該当する各ゲームソフトにつき,別紙一覧表の『X』欄記載のXらがパブリシティ権者であると認められる。
 なお,Yは,引退した馬にはパブリシティ権は成立しないかのように主張するが,引退の有無が顧客吸引力に影響するとしても消滅するものとは解されない」。

2.競走馬の馬名の使用によるパブリシティ権侵害の成否
 「物についての名称,肖像等の使用がパブリシティ権の侵害として不法行為を構成するか否かは,物についての名称,肖像等を使用する目的,方法及び態様を全体的かつ客観的に考察して,右使用が物の名称,肖像等のパブリシティ価値に着目してその利用を目的とするものであるといえるか否かにより判断すべきである」。
 「本件各競走馬は,いずれも中央競馬におけるいわゆる重賞レース(G1, G2, G3を含む。)に出走した経験を有する馬であり,重賞レースは,その一部がテレビ・ラジオで実況されたり,スポーツニュース等で放送されるものであり,雑誌等でも取り上げられ,G1レースについては, いわゆるスポーツ新聞以外の一般新聞においても取り上げられることがあることは明らかである。したがって,少なくともG1レースに出走したことがある競走馬ついていえば,大衆がこれらマスメディアを通じて認識し,これに関心,好感,憧憬等の特別な感情を抱くこともあり得る」
 「よって,G1に出走したことがある競走馬については,顧客吸引力があるものとしてこれを無断で使用した場合,パブリシティ権の侵害になるものと解する」

<評釈>
1.本判決の位置づけ
 本件は,競走馬の馬名がゲームソフトのなかで登場する競走馬の馬名として利用されていることに対し,実存する競走馬の所有者たちが,ゲームソフト製作会社に対し,「物のパブリシティ権」の侵害を理由として,損害賠償およびゲームソフトの販売差止めを請求した事案において,「物のパブリシティ権」という権利が判決によって初めて承認されたケースである。
 本判決は,Xらの主張を認容して,物のパブリシティの権利を積極的に認めただけではなく,判決理由において「物のパブリシティ権」という権利の内容について詳細に論じている。すなわち,本判決は,これまでのパブリシティ権を狭義のパブリシティ権,物のパブリシティ権を含めた広い意味におけるパブリシティ権を広義のパブリシティ権として把握し,その違いを識別したうえで,物のパブリシティ権の内容および法的性質を明らかにし,そして,成立要件を確認している。さらに,権利が侵害された場合の救済手段,権利譲渡の効果,最後に権利の存続期間にまで言及している。
 人の氏名や肖像に関するパブリシティ権は,学説や数多くの裁判例によって承認されてきたが,「物のパブリシティ権」については,従来の裁判例のなかに「物のパブリシティ権」と同様の効果を認めた判決が数件見られるだけである。しかも,それらの判決は物のパブリシティ権の根拠を「所有者の権利」と表現するにとどまり,必ずしも明確には示していなかった。しかし,これまでにも,肖像権,氏名権,プライバシー権やパブリシティ権などのように,制定法によっては認められていないが,判決によって確立されてきた「権利」は数多くみられるところである。これらの権利も,それぞれの利益保護の主張が繰り返されることによって,そして,時代や社会の変化を反映して確立されてきたものである。IT(情報技術)革命といわれる現代情報社会において,「情報」は財産そのものであるといえるが,情報によってもたらされる物の付加価値は,従来の伝統的な財産権理論や既存の無体財産法体系によって保護されえないことは明らかである。そこでは,杓子定規な理論的な視点だけではなく,時代や社会の変化をも考慮に入れた,長期的な視野に立った判断が必要とされる。そのような意味において,時代や社会,そこにおける人々の権利意識の変化のなかで本判決をみると,本判決はきわめて重要な意味をもつといえよう
 ここでは,物のパブリシティ権についての学説および判例の流れを概観したうえで,本判決が示した「物のパブリシティ権」の内容を確認するとともに,本判決の意義について検討することとする

2.物のパブリシティ権に関する裁判例およ学説
 過去の裁判例をみると,従来「物のパブリシティ権」に関する理解は,「所有権」自体の効果ではなく,「所有者の権利」の一内容であるという理解に基づいていたと考えることができる。過去のケースはいずれも所有物の写真が営利目的に利用されたケースであり,その判決内容をみると,物のパブリシティ権に関する事例であると認識することは可能であるが,訴訟における当事者の主張や判決理由などからは,「物のパブリシティ権」という概念が認識されているかどうかは必ずしも明らかではない。たとえば,無断撮影された広告用ガス気球の写真が,宣伝用のポスターに利用されたことに対して,ガス気球の所有者である原告が,そのポスターを宣伝用に無断利用した被告らに対し,800万円の損害賠償を請求したケースについて,裁判所は,「そもそも,所有者は,その所有権の範囲を逸脱しもしくは他人の権利・利益を侵奪する等の場合を除いて,その所有物を,如何なる手段・方法によっても,使用収益することができる(従って,所有物を撮影してその影像を利用して使用収益することもできる。),と解すべきである。さらに,第三者は(所有者から使用収益権能を付与されもしくは使用収益自体を承認されている場合を除いて),他人の所有物を如何なる手段・方法であっても使用収益することが許されない(従って,所有物を撮影してその影像を利用して使用収益することも許されない。),と解すべきである。されば,本件において,被告らは本件気球の『影像』を利用したにすぎないものではあるけれども,その手段の故を以って,かかる利用が許される,と判断することはできないものである」と判示し,所有物の影像を利用して使用収益する権限を認めている
 また,永年の努力の積み重ねの結果,独特の優美さを兼ね備えるようになった長尾鶏の写真が絵葉書等に複製されて販売されたケースについて,裁判所は「本件長尾鳥には,前示の如く独特な美しさがあり,その管理,飼育にもそれなりの工夫と人知れぬ苦労があり,永年の努力のつみ重ねの結果,ようやくにしてこれが育て上げられたものであることを考えると,本件長尾鳥を写真にとったうえ絵葉書等に複製し,他に販売することは,右長尾鳥所有者の権利の範囲内に属するものというべく,その所有者の承諾を得ることなくして右写真を複製して絵葉書にして他に販売する所為は,右所有権者の権利を侵害するものとして不法行為の要件を備えるものとみられ,右権利を侵害した者はその損害を賠償する義務がある」と判示し,やはり所有権者の権利に対する侵害となることを明言している。
 さらに,ホテルのシンボルとして使用していたクルーザーの写真が,被告が発行する雑誌に掲載され,しかも販売広告用に使用されたために,読者に誤解を生じさせ,原告が所有する本件クルーザーがホテルの経営の悪化により売りに出されているなどの噂が広がり,原告の営業上の信用,名誉が著しく侵害されたというケースについても,裁判所は,「原告は,本件クルーザーの所有者として,同艇の写真等が第三者によって無断でその宣伝広告等に使用されることがない権利を有していることは明らかである」と判示し,所有者としての権利に基づく損害賠償請求を認容している。
 以上のように,実際には「物のパブリシティ権」を認めていると思われる判決でも,正面から「物のパブリシティ権」とは言明せずに,パブリシティ価値をもつ「物」の所有者の権利として認めているにすぎなかったが,その権利の内容は,明らかに,本判決が述べている「物のパブリシティ権」であると,認識することができる。
 ただ,キング・クリムゾン事件第一審の東京地裁判決は,レコードのジャケット写真であっても,パブリシティ価値が認められる場合には,パブリシティ権によって保護されるべき対象に含まれるということを述べている。すなわち,本来的な意味における「パブリシティ権」は「人の氏名や肖像のもつ財産的価値を保護する排他的な権利」であると把握されるが,東京地裁判決は,パブリシティ権の対象は必ずしも人の氏名や肖像に限定する必要はなく,「著名人が獲得した名声,社会的評価,知名度等から生ずる経済的な価値で,顧客吸引力が認められる場合には,それをもパブリシティ権の内容に含まれると解すべきである」と判示し,氏名や肖像といった人の人格要素以外の要素,すなわちパブリシティ価値をもつ「個人情報」をもパブリシティ権の対象として考えることができるということを述べている。これらは,「所有者の権利」に基づく「物のパブリシティ権」と類似した性質をもつ「情報パブリシティ権」として把握することができる。
 物に関するパブリシティ権や,情報に関するパブリシティ権の保護を求める主張の増加は,パブリシティ価値を生じさせるまでにそれ相当の金銭や労力が消費され,そのようにして得られたパブリシティ価値を無断で利用されたのでは,本来それを利用することによって得られるはずの利益が損なわれうるということによるものである。すなわち,人の褌で相撲を取られてはたまらないということである。たとえば,データベースの著作物は,著作権法によって保護されてはいるものの,著作物性のないデータべースは,理論的には著作権法によっては保護されえない。しかしながら, そのようなデータべースといえども,その開発や製作にあたっては,データベースの著作物と同様に,莫大な金銭や労力が投資される場合もあり,法的保護の必要性が認められている。そして,著作権法では保護しえない著作物性のないデータベースについては,新たな権利を創設することによって,そのような利益の保護を図る方策が採られることになる。「物のパブリシティ権」の対象である無体物についても,これと同様のことがいえる。物のパブリシティ権が侵害された場合には,無体財産権としての特許権や著作権が侵害された場合と同様の権利侵害が行われると考えることができる。このように考えると,パブリシティ価値を有する「物」についても,「権利」として認められるか否かは別としても,なんらかの形で保護せざるをえない。しかし,人の氏名や肖像そのものではないため,従来の狭義のパブリシティ権では対応しきれず,また,物自体の利用ではないために,「所有権」も機能しない。そのような状況においてこそ,まさに「物のパブリシティ権」を認める意義があるといえる。有体物自体が利用される場合は,所有権の問題ということになるが,写真などの影像による利用の場合には,所有権は機能せず,無体財産権としての物のパブリシティ権の問題ということになる。

3.物のパブリシティ権の内容および法的性質
(1) 所有権との関係
 物のパブリシティ権は,特定の有体物から生ずるパブリシティ価値をその保護法益として構成されるので,有体物の存在なくしては成り立ちえない。その場合に,物の所有権とパブリシティ権の関係が問題となるが,所有権と著作権の関係をみても明らかなように,2つの権利は原則として支配権能を相互に侵すことなく併存しうるものである。物の所有権とパブリシティ権の関係についても同様のことがいえる。しかし,物のパブリシティ権は,著作権とは異なり,物自体の価値を保護の対象とするのではなく,物から生ずる付加価値,すなわちパブリシティ価値を保護の対象としている。パブリシティ価値に対する所有権の支配権能は及ばず,物のパブリシティ権は所有権概念とは異なる権利概念として構成せざるをえない。しかしだからといって,所有権概念とまったく切り離して観念することもできない。
 物のパブリシティ権は,所有権概念と切り離して観念することはできないけれども,所有物が滅失したからといって,それによってパブリシティ権も消滅するとはかぎらないということになる。物の名称や肖像の利用,物の複製物による利用は,物自体の価値を利用しているのではなく,その物から生ずる情報の価値を利用していると構成することができる場合が多い。したがって,物自体が物理的に消滅しても,物に関する情報の財産的価値,すなわち物から生じた情報のパブリシティ価値だけが存続し,法的保護の対象になると考えることも可能である。
 物のパブリシティ権によって保護される利益は,あくまでもその「物」から生ずるパブリシティ価値であって,「物」それ自体ではない。所有権は有体物を客体とする権利であるにすぎず,パブリシティ価値のような無体財産をも権利の内容として含むものではない。すなわち,パブリシティ価値を所有権概念に含めて観念することができないので,所有権と別個の性質を有する権利であると解するほかないが,パブリシティ価値が物自体から生ずるものである以上,所有権概念とかけ離れて観念することも不可能であるといわざるをえない。とどのつまり,判決が述べるように,「所有権に付随する性質を有する」権利であると認識せざるをえないであろう。しかし,所有権の客体であるすべての有体物が物のパブリシティ権の対象となると考えるのは妥当ではなく,具体化された特定物の所有権から派生する権利であると理解するのが妥当であろう。物のパブリシティ権は有体物である物の存在を前提とする権利ではあるが,物それ自体の支配権能をコントロールするわけではないので,その物の所有権とは抵触することはない。たとえば,美術の著作物の原作品に対する所有権と著作権との関係と同様であると考えることができる。
 支配的な見解によれば,本来的なパブリシティ権の対象は,人格的要素そのものである人の氏名や肖像であるが,権利の性質としては,純粋な財産権として構成される。また,物のパブリシティ権においては,権利の対象からも人格的要素は完全に払拭され,やはり純粋な財産権であると把握される。完全な財産権であるから譲渡することも可能である。物の所有権を移転せず,物のパブリシティ権のみを譲渡することも可能となる。しかし,著作物の原作品を譲渡しても,必然的に著作権の譲渡が伴うわけではないが,物のパブリシティ権に関しては,パブリシティ価値が物から生ずるものである以上,著作権の場合とは異なり,特約がないかぎり,物の譲渡によって物のパブリシティ権も移転すると考えるのが妥当である。物のパブリシティ価値は,所有権の客体である有体物の存在なくしては生じえないが,いったん発生したパブリシティ価値は,物とかけ離れて独立した財産的価値となり,物の物理的存在は必ずしも必要ではないということになる。

(2)物の「アイデンティティ」と特定物
 物のパブリシティ権が所有権ときわめて密接な関係にあることはすでに述べたが,だからといって,所有権の客体となりうるすべての有体物が物のパブリシティ権の対象となると考えることはできない。
 パブリシティ権についていえば,人の氏名や肖像は人のアイデンティティそのものであり,その人の個性であるがゆえに,それらの経済的利用にあたり,独占的な利用権を認めて無断利用を排除しようというのが,パブリシティ権を認める趣旨である。物のパブリシティ権についても同様のことがいえる。すなわち,物のパブリシティ権についても,単なる「商品」のような種類物や所有権の客体としての物すべてがパブリシティ権の対象となるのではなく,「物」として個性を与えられた物,「アイデンティティ」を認められた物に限定して考えるのが妥当であろう。物のパブリシティ権が「パブリシティ権」として認識されうるのは,その物に顧客吸引力を生じさせるパブリシティ価値が認められるからであり,その物の個性に着目して初めて認められるのであって,個性やアイデンティティの認められない物は,物自体の財産的価値の有無を問わず,パブリシティ価値があるとは認められない。したがって,物のパブリシティ権の保護の対象とはなりえないと考えるべきであろう。すなわち,物のパブリシティ権の対象となる「物」は,「商品」として扱われる種類物ではなく,パブリシティ価値をもった「特定物」に限定されるものとして理解するのが妥当であろう。そして,そのパブリシティ価値が利用されたときに初めてパブリシティ権の侵害となりうる。物のパブリシティ権の対象を種類物にまで拡大し,その対象が広くなりすぎると,ただでさえ不明確な権利概念がよりいっそう曖昧なものとなるだけでなく,所有権理論やその他の法理論による保護が重複し,物のパブリシティ権を認める意義が希薄なものになってしまうからである。特定物のパブリシティ価値ではなく,物の商品としての付加価値が利用されたにすぎない場合は,商標法や不正競争防止法によって保護されうる可能性が高く,あえて物のパブリシティ権理論を持ち出すまでもないということになる。

(3)著作権との関係
 パブリシティ価値をもつ物が保護されるのは,物のパブリシティ権が,その物にパブリシティ価値を生じさせるにいたった財産的な投資を保護することを目的とするからである。著作物の場合は,時間や労力をかけずに創作されたものであっても,それに創作性が認められれば著作物として著作権法による保護を受けることになる。そして通常の場合は,著作権の保護期間が満了することによって初めてその著作物は公有に帰し,著作者人格権を侵害しないかぎり,原則的に自由に利用できることになっている。しかし,著作権の存続期間が満了し,公有に帰した著作物であっても,それが「原作品」であって,なおかつその所有権者によって付加価値が付与され,パブリシティ価値を生じさせるにいたった場合には,物のパブリシティ権の対象となる可能性も考えられる。たとえば,保護期間が満了したある著作物に,その所有者が相当の時間,労力,金銭を費やして付加価値を生じさせ,それが顧客吸引力を有するパブリシティ価値と認められる場合,その著作物に物のパブリシティ権による保護を認めることは,少なくとも物のパブリシティ権理論からみれば,不合理とはいえないであろう。しかしながら,人の氏名や肖像に関するパブリシティ権と同様に,物のパブリシティ権についてもその保護期間が不明確であるということから考えても,保護期間が満了して公有に帰した著作物にパブリシティ価値が認められるからといって,これを物のパブリシティ権によってさらに保護しようというのは,権利の存続期間を規定している著作権法の趣旨を踏みにじるものであり,著作権法体系との整合性の観点からみてもまったく妥当とはいえない。したがって,物のパブリシティ権については,公有に帰した著作物は,有体物として所有権の支配の対象とはなりえても,物のパブリシティ権の対象とはなりえないとする考え方は,物のパブリシティ権の独自性を強調することになる。
 また,物のパブリシティ権は著作権とは異なり,複製権を内容とするものではない。したがって,パブリシティ価値のある物の影像による複製が直ちにパブリシティ権の侵害になることはない。物のパブリシティ価値の利用は,物それ自体の利用によってではなく,物の名称や影像から生ずる財産的価値の利用を意味し,物の名称や影像を商品や広告などに利用した場合に問題となる。物の所有権を侵害することなく複製された物の影像などの利用は,もちろん所有権を侵害することにはならないが,場合によってはパブリシティ価値の利用ということになると考えられる。たとえば,著作権の保護期間が満了して公有に帰した美術の著作物の原作品は,著作者人格権が行使される場合を除いて,所有権による排他的支配が行われるにすぎない。単にその物を影像によって複製しただけでは,パブリシティ価値が利用されたということはできず,必ずしもパブリシティ権の侵害となるわけではない。複製した影像が直接的に,あるいは間接的に商品として利用されたり,広告として利用される場合に,パブリシティ価値の利用があったと認めることが可能となる。本件のように,ゲームソフトのなかで馬名を利用することは明らかに商品への利用であり,パブリシティ価値を利用したものと判断されてしかるべきである。

4.物のパブリシティ権の譲渡の効果および存続期間
 物のパブリシティ権は,その対象である「物」の所有権から派生する権利であると考えられるから,物の所有権が移転した場合には,当事者間に特約がないかぎり,物のパブリシティ権も所有権とともに移転し,物の新所有権者が物のパブリシティ権者になると解するのが妥当である。パブリシティ価値を有する物を譲渡するに際しては,その物自体の財産的価値に加え,当然にパブリシティ価値をも含めた財産的価値を評価すると考えるのが自然だからである。当事者間の契約により,物のパブリシティ権を留保して,その物の所有権のみを譲渡することも可能であろうし,また,所有権を留保して,物のパブリシティ権のみを譲渡することも可能であると考える。
 物のパブリシティ権の対象が有体物である場合,物のパブリシティ権は,その物の所有権を前提として存在する権利であるから,物の消滅によって所有権が消滅すると,物のパブリシティ権も所有権に付随して消滅すると考えることも可能であるが,物のパブリシティ権の対象である物が物理的に消滅したとしても,その物から生じたパブリシティ価値がなお存続する場合も考えられる。いったん発生したパブリシティ価値は,物自体の財産的価値から独立した付加価値であり,パブリシティ権の客体そのものである。したがって,たとえパブリシティ価値を生じさせた物が物理的に消滅したとしても,パブリシティ権自体は消滅せず,パブリシティ権の「対象が消滅した時点における所有者が,パブリシティ権を主張できる」と考えてよいと思われるが,判決が述べるように,「パブリシティ価値が存続する限り」パブリシティ権を主張することができるというのはいいすぎであろう。これは,パブリシティ権の存続期間の問題であり,著作権法やその他の無体財産権法における保護期間とのバランスを考慮しなければならない。
 本来的な,人の氏名や肖像に関するパブリシティ権の存続期間に関する学説は大きく3つに分類される。まず,パブリシティ価値を有する自然人の死亡とともにパブリシティ権も消滅するとする考え方,次に,パブリシティ権は自然人の氏名および肖像を権利の構成要素とするものの,権利の性質上その主体は当該自然人本人である必要はないから,自然人本人の死後であっても,その氏名・肖像がパブリシティ価値をもつかぎり存続するとする考え方,そして,著作権と同様に,一定の存続期間の経過によりパブリシティ権も消滅するとする考え方である。もちろん,物のパブリシティ権とは対象が異なるので, この議論がそのまま当てはまるわけではない。
 人の氏名・肖像に関する本来のパブリシティ権の場合も物のパブリシティ権の場合も,その公共性を根拠として,著作権と同様に一定の存続期間の経過により消滅すると考えるのが妥当であろう。とりわけ物のパブリシティ権については,物自体の価値は所有権による保護が可能であり,そのパブリシティ価値を半永久的に保護することは,他の無体財産権の保護期間とのバランスを失することになり,妥当とはいえない。しかしだからといって,一定の存続期間が具体的にどの程度の期間を意味するかについて,現段階で結論を出すことは早計にすぎる。これまで,パブリシティ権の保護期間について争われた事例はなく,具体的な裁判例の蓄積を待って議論を深める必要がある。

5.物のパブリシティ権が侵害された場合の済方法
 通説的な見解によれば,物のパブリシティ権は,人の氏名や肖像に関する本来的なパブリシティ権と同様に,純粋な財産権であり,排他的支配権である。したがって,権利が侵害された場合には,不法行為に基づく損害賠償請求はもちろんのこと,物権的請求権や人格権に基づく差止請求と同様に,権利の実効性を確保するために差止請求が認められてよいはずである。
 ところが,本判決は,「物のパブリシティ権が経済的価値を取得する権利にすぎないことを考慮すると,現段階においては,物についてのパブリシティ権に基づく差止めを認めることはできない」と述べて,差止請求を否定した。差止請求が認められることによって侵害される利益の大きさを考慮し,法律上の規定のない物のパブリシティ権を,物権,人格権,知的所有権と同様に解することには,それ相当の社会的必要性や許容性が求められ,慎重に考える必要があるとする立場である。
 本来的なパブリシティ権の場合も,権利の性質としては経済的価値を把握する財産権であり,物のパブリシティ権が「経済的価値を取得する権利」であるからといって,物のパブリシティ権について差止請求を認めないのは理論的にも妥当とはいえない。本判決の場合は,物のパブリシティ権の効果として,はなから物のパブリシティ権について差止請求は認められないと判示した点は大きな問題であると思われる。本件の場合,そこまでいう必要はまったくなく,ただ単に,本件事例においては差止請求を認める理由がないとすれば足りたケースではなかったかと思われる。もっとも,本判決も「現段階においては」という留保をつけて,物のパブリシティ権に基づく差止請求を否定したにすぎず,将来的には差止請求が認められる余地があることを示唆しているといえよう。
 たしかに,本判決が述べるように,パブリシティ権を排他的支配権であると構成したからといって,なにもすべてを杓子定規に考える必要はなく,さらにいきなり財産権として認められたからといって,あらゆる効果を与える必要もなく,効果は必要な範囲内で認められれば足りる。伝統的な法理論からいえば明らかに不合理であり,権利として認められた以上は,本来的に完全な効果が生じるはずであるが,物のパブリシティ権に関しては,生成途上の権利として,例外的にそのような段階を踏むこともやむをえないであろう。本判決のようなきわめて柔軟な発想もときには必要である。

6.物のパブリシティ権侵害の成否
 これまで述べたように,本判決は,物のパブリシティ権を積極的に肯認し,その要件論,効果論を展開した。そして,本件ゲームソフトにおける競走馬の馬名の使用が物のパブリシティ権の侵害として不法行為を構成するか否かについて,「物についての名称,肖像等を使用する目的,方法及び態様を全体的かつ客観的に考察して,右使用が物の名称,肖像等のパブリシティ価値に着目してその利用を目的とするものであるといえるか否かにより判断すべきである」として,本来的なパブリシティ権の場合と同様の判断基準を示した。そして,本判決は,中央競馬におけるいわゆる重賞レース(G1,G2,G3を含む。)に出走したことがある本件各競走馬のうち,G1レースに出走したことがある競走馬について,いわゆるスポーツ新聞以外の一般新聞においても取り上げられているため,大衆がマスメディアを通じて認識し,これに関心,好感,憧憬等の特別な感情を抱くこともありうるという理由で,G1レース出走馬に限定して「顧客吸引力」を認め,これら競走馬の馬名の無断使用は物のパブリシティ権の侵害となると結論づけた。
 本件では,「オグリキャップ」「トウカイテイオー」「ビワハヤヒデ」「ライスシャワー」などの具体的な馬名の使用が問題となっているが,生命ある動物とはいえ,競走馬は人の所有権の客体としての「物」であり,馬の名前は,物のパブリシティ権における「物」のアイデンティティであるから,そのような馬の名前のゲームソフトへの無断使用はパブリシティ価値の利用にあたり,パブリシティ権侵害を構成するのは当然の帰結といえよう。
 本来的なパブリシティ権に関する議論についてもいえることであるが,「顧客吸引力」の有無をパブリシティ権の成否に関連づけるのは問題である10。パブリシティ権を有するか否かの判断基準として「顧客吸引力」を持ち出すことは,客観性の乏しい不合理な判断を招くことになる。本件についていえば,G1レースに出走した経験があるかないかという基準は滑稽といわざるをえない。「顧客吸引力」という要件に引きずられると,どうしても顧客吸引力の有無の基準を明確にする必要があり,本件の場合もどこかで線引きをする必要が出てくる。最近の裁判例の傾向にしたがえば,顧客吸引力の有無をG1レース出走馬に限定した本判決の判断基準もやむをえないということになろう。
 しかし,そもそもパブリシティ権の成否を顧客吸引力にかからしめるのは不自然であり,顧客吸引力の有無にかかわらず,パブリシティ権を認めるべきであろう。そうすれば,G1レースに出走した経験があるかないかという奇妙な判断基準を持ち出す必要もない。顧客吸引力の程度に関係なく,本件各競走馬すべての所有者にパブリシティ権の存在を認めたうえで,本件においてはパブリシティ権の侵害は認められなかったという結論を導くか,あるいは,パブリシティ権侵害を認め,不法行為の成立を認容したうえで,顧客吸引力の大きさに応じて損害額を算定すれば,少なくとも理論的な不合理さからは回避されることになろう。 〔図省略〕


(みうら まさひろ:岡山商科大学助教授)

(注)

 本件は控訴されている。
 本件に関する解説および判例研究として, 内藤篤「パブリシティ権一競馬ゲーム判決をめぐって−」法学教室235号2頁(2000年),新井みゆき・本件判例研究・知財管理50巻11号1749頁 (2000年)がある。
 物のパブリシティ権に関する文献は多くなく,主なものとして伊藤真「物のパブリシティー権」田倉整古稀論集知的財産権をめぐる諸問題」507頁(発明協会,1996年),同「物のパブリシティ権」著作権研究26号23頁(1999年),田代貞之・内藤篤『パブリシティ権概説』(木鐸社,2000年),作花文雄『詳解著作権法』132頁以下(ぎょうせい,2000年),新井みゆき「物のパブリシティ権」同志社法学52巻3号148頁(2000年)など参照。
 東京地判昭和52年3月17日〔広告用ガス気球事件(第一審)〕判時868号64頁。
 しかしこの事例では,被告らは,ガス気球の写真の利用を含めてポスターが適法に製作されたものと信じていたことが推認されるので,原告の権利を侵害することになることについて予見可能性がなかったとして,結果的に原告の請求を棄却した。
 高知地判昭和59年10月29日〔長尾鶏事件〕判タ559号291頁。
 神戸地伊丹支判平成3年11月28日〔クルーザー事件〕判時1412号136頁。
 東京地判平成10年1月21日〔キング・クリムゾン事件(第一審)〕判時1644号141頁。
 所有権と著作権の関係について争われた「顔真卿自書建中告身帖」事件における最高裁判決は,「第三者が有体物としての美術の著作物の原作品に対する排他的支配権能をおかすことなく原作品の著作物の面を利用したとしても,右行為は,原作品の所有権を侵害するものではない」と判示しているように,所有権とパブリシティ権の関係についても,所有権がパブリシティ価値の利用についての排他的支配権能を内包し,所有権の一内容としてパブリシティ権を認めたのと同様の保護を与えられることになると解することができないのは当然の帰結といえよう(最二小判昭和59年1月20日民集38巻1号1頁,判時1107号127頁)。
 三浦正広・判例研究「パブリシティの権利における『顧客吸引力』−キング・クリムゾン事件−」岡山商科大学論叢35巻1号167頁(1999年)および同・判例研究「出版物におけるパブリシティ価値の利用−キング・クリムゾン事件東京高裁判決−」発明2000年12月号100頁参照。