発明 Vol.97 2000-12
判例評釈
出版物におけるパブリシティ価値の利用
−キング・クリムゾン事件東京高裁判決−
〔東京高裁平成11年2月24日第17民事部判決,原判決取消し(上告),
判例集未登載,東京高裁平成10年(ネ)第673号損害賠償等請求控訴事件〕
三浦正広
<事実の概要>

 本件は,原告Xがリーダーを務める世界的に著名なロックグループ「キング・クリムゾン」のグループ名をその題号とし,X,キング・クリムゾンおよびそれに関係する音楽家の肖像写真やアルバムジャケット写真が掲載された書籍(『キング・クリムゾン』定価1400円,発行部数5000部,平成7年10月20日発行)を,被告Y(FMラジオ放送局)が出版したことに対し,Xは自己の有するパブリシティ権を侵害され,財産的損害を被ったとして,Yに対し,不法行為にもとづく損害賠償(210万円),本件書籍の印刷および販売の差止め,ならびにその占有ずる本件書籍の廃棄を求めたという事案である。
 キング・クリムゾンは,現在までに十数枚のアルバムレコードを発表し,世界的に熱狂的なファンを有する,著名なロックグループである。Xは,キング・クリムゾン結成以来のリーダーであるとともに,キング・クリムゾンにおける活動以外にも,その本名であるロバート・フリップ個人ないしはその名前を冠したグループにおいて,ソロアルバムや他の音楽家との共演アルバムを発表するなどの活動を行なってきたものであり,ロバート・フリップの名称によっても著名な存在である。
 また,当該ロックグループ名「キング・クリムゾン」を題号とする本件書籍の表面のカヴァーデザインおよび背表紙には,グループの第1アルバム「IN THE COURT OF THE CRIMSONKING」のジャケットデザインが,裏面カヴァーデザインには第6アルバム「LARKS’TONGUES IN ASPIC」のジャケットデザインが使われている。本件書籍は,上質紙を使用した新書判サイズで,全体の15パーセントがカラー印刷の頁であり,182頁の本文で構成され,そのほぼ90パーセントを,レコード等のジャケット写真と収録楽曲の題名を掲げ,これに2行から30数行程度の解説文を付したディスク・ガイドが占めており,いずれもキング・クリムゾンないしロバート・フリップ関連のもので占められている。そのほかにも,11枚の音楽家の肖像写真が1頁の全体あるいは章の扉部分に大きく使われており,そのほぼ全部にXが写っている。
 原判決は,パブリシティ権の内容理解について,「固有の名声,社会的評価,知名度等を獲得した著名人の氏名,肖像を商品の宣伝・広告に使用したり,商品そのものに付した場合には,当該商品の宣伝,販売促進に効果をもたらすことがあることは,公知のところである。そして,著名人の氏名,肖像から生ずるかかる顧客吸引力は,当該著名人の獲得した名声,社会的評価,知名度等から生ずる独立した経済的な利益ないし価値として把握することが可能であるから,これが当該著名人に固有のものとして帰属するというべきであり,当該著名人は,その氏名,肖像から生ずる顧客吸引力の持つ経済的利益ないし価値(以下「パブリシティ価値」という。)を排他的に支配する財産的権利,すなわち,パブリシティ権を有するものと認められる」と判示し,とりあえず,パブリシティ権の内容については従来の判決と同様の理解を示したうえで,さらに続けて,「ところで,パブリシティ価値の本質は,著名人が有する顧客吸引力にあるから,氏名,肖像がその主要なものであることは,争いがないところであるが,必ずしもそれに限定する必要はなく,著名人が獲得した名声,社会的評価,知名度等から生ずる経済的価値,顧客吸引力があると認められる場合には,それをもパブリシティ権の内容に含まれると解すべきである」として,人の氏名,肖像に限定されてきたパブリシティ権の対象を拡大した。
 そして,このような理解を前提として,本件書籍は全体として,Xに排他的支配が認められているXのパブリシティ価値を利用するものであるから,YがXに無断で本件書籍を出版し,Y(Yの代表取締役)がXに無断で本件書籍の出版に関与した行為は,Xのパブリシティの権利を侵害するものであり,結論として「Yらは,本件書籍を販売することについて,あらかじめXの許諾を得る必要があると考えていないから,Yらは,将来もXの許諾を得ることなく,その占有する本件書籍を販売するおそれがあるものと認められる」として,40万円の損害賠償ならびに本件書籍の販売の差止めおよび廃棄を認めた。
 そこでYは,本件書籍は正当な表現活動の成果物であり,その出版は商業的利用行為に該当しないから,本件書籍の出版はXのパブリシティ権を侵害するものではないと主張して,控訴した。


<判旨>原判決取消し
 本判決は,パブリシティ権の内容の理解については,原判決と同様の理解を示したうえで次のように判示した。
 「著名人は,自らが大衆の強い関心の対象となる結果として,必然的にその人格,日常生活,日々の行動等を含めた全人格的事項がマスメディアや大衆等(以下「マスメディア等」という。)による紹介,批判,論評等(以下「紹介等」という。)の対象となることを免れない。また現代社会においては著名人が著名性を獲得するに当たってはマスメディア等による紹介等が大きく与って力となっていることを否定することができない。そしてマスメディア等による著名人の紹介等は本来言論,出版,報道の自由として保障されるものであり,加えて右のような点を考慮すると,著名人が自己に対するマスメディア等の批判を拒絶したり自らに関する情報を統制することは一定の制約の下にあるというべきであり,パブリシティ権の名の下にこれらを拒絶,統制することが不当なものとして許されない場合があり得る。
 したがって,他人の氏名,肖像等の使用がパブリシティ権の侵害として不法行為を構成するか否かは,他人の氏名,肖像等を使用する目的,方法及び態様を全体的かつ客観的に考察して,右使用が他人の氏名,肖像等のパブリシティ価値に着目しその利用を目的とするものであるといえるか否かにより判断すべきものであると解される」。
 「本件書籍の発行の趣旨,目的,書籍の体裁,作品紹介欄の構成等からすると,これらのジャケット写真は,X本人や『キング・クリムゾン』の構成員の肖像写真が使用されているものを含めて,いずれもが各レコード等を視覚面から表示するものとして掲載され,作品概要及び解説と相まって当該レコード等を読者に紹介して強く印象づける目的で使用されているものとみるべきであって,X本人や『キング・クリムゾン』の構成員を表示ないし印象づけることを主たる目的として使用されているとみることはできない」。
 「以上を総合してみると,本件書籍に多数掲載されたジャケット写真は,それぞれのレコード等を視覚的に表示するものとして掲載され,作品概要及び解説と相まって当該レコード等を読者に紹介し強く印象づける目的で使用されているのであるから,X本人や『キング・クリムゾン』の構成員の氏名や肖像写真が使用されていないものはもちろんのこと,これが使用されているもの(これがわずかであることは前記のとおりである。)であっても,氏名や肖像のパブリシティ価値を利用することを目的とするものであるということはできない」。
 「著名人の氏名,肖像等はもともと著名人の個人識別情報にすぎないから,著名人自身が紹介等の対象となる場合に著名人の氏名,肖像等がその個人識別情報として使用されることは当然に考えられることであり,著名人はそのような氏名,肖像等の利用についてはこれを原則的に甘受すべきものであると解される。もちろん,そのような場合でも著名人の氏名,肖像等の顧客吸引力が発揮されることは否定できないから,顧客吸引力という一面において,氏名,肖像等の顧客吸引力がその余の紹介等の顧客吸引力を上回る場合も考えられるが,顧客吸引力の観点だけで紹介等の部分の価値の軽重を判断することはできないし,氏名,肖像等の顧客吸引力が認められる場合でも全体としてみれば著名人の紹介等としての基本的性質と価値が失われないことも多いと考えられるから,その場合には右紹介等は言論,出版の自由としてなおこれを保護すべきである。
 したがって,判断基準の異なる氏名,肖像等の顧客吸引力と言論,出版の自由に関係する紹介等とを単純に比較衡量することは相当でなく,パブリシティ権の侵害に当たるか否かは,他人の氏名,肖像等を使用する目的,方法及び態様を全体的かつ客観的に考察して,右使用が専ら他人の氏名,肖像等のパブリシティ価値に着目しその利用を目的とする行為であるといえるか否かにより判断すべき〔である〕」

<評釈>
1.本判決の位置づけ
 本件は,出版物におけるパブリシティ価値の利用がパブリシティ権を侵害するものであるか否かが争われた事例である。これまでパブリシティの権利が争われた事例は,俳優,スポーツ選手や芸能タレントなどの「有名人」の氏名や肖像が広告や商品に無断で利用されたケースがほとんどであり,本件のように,ミュージシャンの音楽活動やレコード作品などを紹介する目的で出版された書籍のなかで,その氏名や肖像が無断利用され,パブリシティ権の侵害が争われたケースはこれまでには見当たらない。しかも原審は,パブリシティ権の侵害を根拠として本件書籍の出版差止めをも認容した。パブリシティ権の内容の理解については,本判決も原判決と同様に従来の判例理論にしたがったものであるといえるが,本判決と原判決とでは,パブリシティ価値の利用に関する事実認定において認識が異なる部分があり,結果的に本判決は原判決とまったく逆の結論を導くことになる。すなわち,原判決はパブリシティ権の本質を「顧客吸引力」であるととらえながら,従来の解釈を拡張し,パブリシティ権の対象を人の氏名・肖像に限定せず,顧客吸引力を有するレコードのジャケット写真にまで拡大したうえで,パブリシティ権の侵害を認め,本件書籍の出版差止めを認めた。パブリシティ権の内容理解について,従来の判決より一歩踏み込んだ判断を示したといえる。
 これに対して,本判決は,ジャケット写真の利用は顧客吸引力の利用にはあたらず,しかもXらの氏名,肖像の利用はごくわずかであるので,パブリシティ価値の利用を目的とするものではないと認定し,パブリシティ権の侵害を否定した。
 本稿では,パブリシティ権に関する判例理論や学説の動向を踏まえ,原判決と本判決を対比しながら,出版物におけるパブリシティ価値の利用に関する問題点について検討する。

2.パブリシティ権の内容と顧客吸引力
 判例法上,パブリシティ権は,「著名人がその氏名,肖像その他の顧客吸引力のある個人識別情報の有する経済的利益ないし価値を排他的に支配する権利」であると理解されており,本判決も,パブリシティ権の内容の理解については従来の判決と同様の理解を示している。ところが,原判決は,パブリシティ権の「本質」を,「氏名・肖像から生ずる経済的価値」として把握するのではなく,経済的価値を生じさせる「顧客吸引力」として理解することにより,直接的に氏名や肖像が利用されていなくても,「顧客吸引力」があると認められるものはパブリシティ権によって保護されるべき利益があると認識している。すなわち,パブリシティ権の内容を拡張し,顧客吸引力ないしパブリシティ価値が認められれば,本来的な意味におけるパブリシティ権の客体であると理解されてきた人の氏名や肖像そのものではなくても,それをパブリシティ権によって保護される価値であると把握しようとするものである
 一般的に,顧客吸引力という場合には,人の氏名・肖像によってもたらされる経済的価値に比例し,その経済的価値が高くなるほど顧客吸引力も大きくなり,経済的価値が低くなるほど顧客吸引力も小さくなるものである理解される。その場合,「顧客吸引力」とは,氏名・肖像のもつ経済的価値をひとつの基準とした付随的な効果を意味することになる。
 しかも,この「顧客吸引力」という概念は相対的なものであり,顧客吸引力があるといえるか否かの判断基準もきわめて不明確なものとならざるをえない。また,経済的価値が認められないからといって,パブリシティの権利が認められないということもない。顧客吸引力が低いということは,ただ単にパブリシティ価値が低いということを意味するにすぎず,パブリシティ権が認められないということとは異なる
 とりわけ原判決は,「顧客吸引力」こそがパブリシティ権の「本質」であるとまで言い切っている。人の氏名や肖像の商業的利用によってもたらされる顧客吸引力は,パブリシティ権の重要な構成要素であり,顧客吸引力によって生じる財産的利益が侵害されないかぎり,パブリシティ権の侵害があったとは認められない場合もあるであろう。しかし,その場合の「顧客吸引力」は,パブリシティ価値の有無を評価するうえできわめて重要な判断要素であるということは可能であろうが,少なくともパブリシティ権の「本質」をなすものとまではいえない。たしかに顧客吸引力が大きければ大きいほど,パブリシティ価値も高くなり,そこにパブリシティ権を「権利」として認める意義も見出されようが,先に述べたように,顧客吸引力がなく,パブリシティ価値が低いからといってパブリシティ権が成立しないとしたのでは,顧客吸引力の有無の判断基準がきわめて曖昧なものとならざるえず,妥当とはいえない。顧客吸引力がないということはパブリシティ権を主張する実益がない,あるいは少ないということを意味するにすぎない。顧客吸引力をもつ俳優やミュージシャン,スポーツ選手などのいわゆる「有名人」だけがパブリシティ権を有し,そうでない者は,権利を主張する実益がないからパブリシティ権を行使することはできないと構成することは法理論的に不可能である。なぜなら,パブリシティ権は,原則的にはプライバシー権と同様に,人の氏名や肖像といった人格要素をその対象として認められてきた権利であり,自然人であればだれにでも認められなければならない権利であるからである。特許権者が発明によって,あるいは著作権者が著作物の創作によって,それぞれ特許権および著作権という排他的な財産権を取得するのとは異なり,自然人であればだれもがプライバシー権を有しているように,パブリシティ権も自然人であればだれもが有している自然権的な権利であると理解することができよう。

3.パブリシティ権とマス・メディア
 本判決は,パブリシティ価値の利用を目的としているか否かの判断基準を考える前提として,パブリシティ権はマス・メディアとの関係においては一定の制約の下にあることを言明している。すなわち,現代社会においては有名人が著名性やパブリシティ価値を獲得するにはマス・メディアによる紹介が大きく影響していることは否定できず,そして,マス・メディアによる有名人の紹介は,言論,出版,報道の自由として保障されるものであるから,そのような状況においてパブリシティ価値を有するにいたった有名人は,マス・メディアとの関係において,自己に対する批判を拒絶したり,自己に関する情報をコントロールすることは一定の制約の下にあり,パブリシティ権を行使することができない場合もありうると述べている。これは,パブリシティ権の法的性質をどのように理解するかによって考え方が異なってくると思われるが,通説的見解が示すように,パブリシティ権とプライバシー権が一枚のコインの裏表の関係にあるとすれば,パブリシティ権は純粋な財産権として把握されるから,パブリシティ価値の獲得にマス・メディアが関与しているとしても,あるいは,マス・メディアの操作によってパブリシティ価値生み出されていたとしても,有名人がそのパブリシティ権を行使するに際して,一定の制約を受ける理由はまったく存在しない。たとえ有名人が,現代情報社会におけるマス・メディアの影響力のもとにパブリシティ価値を有するにいたったとしても,マス・メディアとの財産的な関係においてなんら影響を及ぼすものではないことは,いうまでもないことである。むしろ,マス・メディアとの関係において問題となるのは,マス・メディアによる有名人に対する名誉毀損やプライバシー侵害行為であり,従来の判例理論をみても,有名人がそのパブリシティ性ゆえに,一般人と比較して,プライバシーが制約を受ける場合があるのはやむをえないと考えられていることからも理解できるところである。
 マス・メディアとの関係において制約を受けざるをえないのは,パブリシティ権ではなく,むしろプライバシー権である。もっともパブリシティ権といえども,その対象は基本的には有名人の氏名や肖像であり,プライバシー権とも密接な関係にあるために,厳格に境界線を引くことが不可能な場合もありえよう。
 わが国におけるリーディング・ケースであるマーク・レスター事件判決以降,パブリシティ権に関するケースは,俳優,ミュージシャン,スポーツ選手や芸能人などの有名人の氏名や肖像が広告あるいは商品に利用されたという事例がほとんどであり,書籍のような出版物においてミュージシャン(芸能実演家)の氏名・肖像の無断利用が争点となった事例は,本件が初めてのケースである。営利を目的として利用される広告や商品の場合とは異なり,出版物の場合は,憲法21条が保障する表現の自由および言論・出版の自由との関連において利益衝突の問題が生じる可能性がある。個人のプライバシー権と表現の自由とが衝突する場合は個人の人格的利益を保護すべきか,あるいは公共の利益を保護すべきかというきわめて困難な問題を生じさせうるものの,財産権であるパブリシティ権については,文学的価値をもつ伝記や評論の分野に属する出版物の場合には,それらに公共性,公益性が認められれば,言論・出版の自由の範囲に含まれると考えられるので,パブリシティ権が制約されてもやむをえないものと判断されるであろうが,有名人の氏名や肖像が明らかに商業目的に利用されていると認められる場合には,言論・出の自由との利益衝突の問題は生ぜず,原則的にパブリシティ権が優越すると考えることができる
 本判決が述べるように,パブリシティ価値は,憲法が保障する「言論,出版,報道の自由」を前提に成り立っていることは否定できないが,それらの権利の行使が「公的領域」にとどまる場合は,プライバシー権やパブリシティ権も,そのほかの私権が公共の利益との比較において一定の制約を受けざるをえないのと同様に,権利の行使が制約を受けることはやむをえないであろうが,「言論,出版,報道の自由」の行使が公的領域にとどまらず,「商業的領域」に足を踏み入れた瞬間から本来的な機能を喪失し,いったんその矛先が「私的領域」に向けられれば,個人の人格的利益をも踏みにじる諸刃の剣になることは周知のとおりである。これも線引きはかなり困難であるが,言論・出版の自由は「商業的領域」と密接な関係にあることは否定できず,言論・出版の自由を標榜する団体などが,憲法が保障する本来的な枠組みを逸脱し,営利活動を主たる目的としている場合も少なくない。言論・出版の自由は,パブリシティ権との関係においては,それが商業的領域に足を踏み入れたときに「公共性」が希薄化し,優越性を喪失して初めて対等な関係になると考えられ,またプライバシー権との関係においては,原則的にプライシー権の保護が優越することになる。

4.パブリシティ価値の利用
 有名人の氏名や肖像などのパブリシティ価値が保護されるべき理由は,それらが第三者によって無断利用されることにより,本来その正当な利用によって得られるべき財産的利益が失われるからであり,そのような財産的利益を保護するのが「パブリシティの権利」といわれる排他的な権利である。元来,パブリシティ権の保護の対象は,財産的利益を生じさせる人の氏名および肖像であった。しかし,現代におけるような情報社会においては,人の氏名や肖像にとどまらず,個人情報にまでパブリシティ価値が生じている。パブリシティ権によって保護されるか否かは別としても,その保護の対象は,人の氏名・肖像に限定されることなく,個人情報にまで拡大する可能性を秘めているといえる
 パブリシティ価値の利用について原判決と本判決を比較すると,本件書籍に掲載されているレコードのジャケット写真のパブリシティ価値の利用の有無について対照的な判断をしていることがわかる。まず,原判決は,パブリシティ権の本質は,有名人の氏名,肖像等が有する「顧客吸引力」にあるという前提に立ち,パブリシティ権の対象は,顧客吸引力があるものであれば,人の氏名や肖像に限定されるものではなく,本件書籍の主要部分を構成するジャケット写真のようなものでも顧客吸引力をもちうるものであると認識している。そこで,本件書籍は全体として,キング・クリムゾンおよびXを含むグループに関連する音楽家の氏名,肖像およびそのジャケット写真の有する顧客吸引力を重要な構成部分として成り立っていると解釈したうえで,本件書籍におけるXの氏名,肖像の利用と合わせて,キング・クリムゾンのジャケット写真の利用が,Xのパブリシティ価値の利用にあたり,Xのパブリシティ権の侵害にあたると判断している。
 これに対して,本判決は,ジャケット写真は,レコードの附属物であり,レコードと密接な関係にあるから,レコード自体やその作品を連想させるものではあっても,Xやキング・クリムゾンを連想させるものではないという事実認識にもとづき,本件書籍に掲載されたジャケット写真は,それぞれのレコードを読者に強く印象づける目的で使用されているけれども,X本人やキング・クリムゾンのメンバーを印象づけることを主たる目的として使用されているとみることはできないと判断し,さらに,Xおよびキング・クリムゾンのメンバーの氏名や肖像写真が使用されているものについても,「氏名や肖像のパブリシティ価値を利用することを目的とするものであるということはできない」と判断し,本件書籍がXらのパブリシティ権を侵害するものではないと結論づけている。
 パブリシティ権の対象である人の氏名や肖像を利用することにより,とりわけ経済的利益をもたらす有名人の氏名・肖像を利用することは,その程度にかかわらず,パブリシティ価値を利用することであり,したがって,パブリシティ権の侵害を構成することについては疑念の余地はない。ただ,利用の方法,態様,目的や程度によっては,不法行為の成立要件との関係において,その違法性の判断に影響を与えうるにすぎないといってよい。
 ところが,本判決は,事実の認定に際して,本件書籍へのジャケット写真の掲載は,その作品概要や解説とともに,レコードを読者に紹介し強く印象づける目的で利用されているとみるべきであり,Xやキング・クリムゾン自身を印象づける目的として利用されているとみることはできず,氏名や肖像が使用されていても,パブリシティ価値の利用を目的とするものではないと述べ,さらに,本件書籍へのXの肖像写真の利用はごくわずかであり,Xおよびキング・クリムゾンの紹介の一環として利用されているにすぎないのであるから,Xの氏名・肖像のパブリシティ価値を利用することを目的とするものではないと判断して,パブリシティ権の侵害を否定し,不法行為の成立を否定した。
 極端にいえば,結果的にパブリシティ価値が無断で利用されていても,利用する者がパブリシティ価値の利用を目的とさえしていなければ,パブリシティ権の侵害にはならないという理論構成を採っていることになる。本件書籍の内容を見れば明らかなように,本件書籍は音楽グループ「キング・クリムゾン」とその作品を紹介する目的で編集出版されたものであり,パブリシティ価値そのものを対象とし,Xを含む「キング・クリムゾン」という音楽グループにパブリシティ価値があるからこそ本件書籍が成り立っているといってよいであろう。これは,事実認識の問題ではあるが,どうみても本件書籍がXおよびキング・クリムゾンのパブリシティ価値を利用しているのは明らかであり,パブリシティ価値の利用を目的としていない,などとは到底いえないであろう。
 そのような意味において,本件ケースは,従来の事例に現れているように,広告や商品に氏名や肖像が利用された場合と同様に考えることが可能であり,YによるXおよびキング・クリムゾンの氏名・肖像およびそのジャケット写真の利用は,究極的なパブリシティ価値の利用形態であると考える。たとえば,いくつかの音楽グループを紹介する書籍のなかで,特定のグループのメンバーの肖像写真が無断で利用されたときは,場合によっては,パブリシティ価値の利用の程度が低く,パブリシティ権の侵害とはいえない場合であるといえるかもしれないが,これはあくまで例外である。本件の場合は,原審と本判決における事実認定の相違がそのまま判決の結論の相違に現れたといえなくもないが,少なくともパブリシティ価値の利用の有無については,現実的にパブリシティ価値が利用されているか否かという客観的事実を基準として判断すべきであり,パブリシティ価値の利用を目的とするものであるか否かという主観的な要素を基準として判断すべきではない。

5.パブリシティ権にもとづく出版差止請求
 本件は,出版物におけるミュージシャンのパブリシティ価値の無断利用がパブリシティ権の侵害となるか否かが争点となっていた。通説的見解および判例の解釈によると,パブリシティ権は,自己の氏名や肖像などから生じる財産的利益を排他的に利用することのできる権利であるから,権利が侵害された場合には,権利の実効性を確保するための救済方法として,損害賠償はもとより差止請求も認められる。しかし,出版物においてパブリシティ価値が無断利用された場合における出版差止請求は,憲法21条が保障する表現の自由,言論・出版の自由との関係において利益衝突の問題が生じる。
 先に述べたように,言論・出版の自由は,その矛先が公的領域に向けられている場合にはパブリシティ権はいうに及ばず,個人のプライバシー権などの人格的利益との関係においてさえ優越性をもちうるものであるが,商業的領域における出版,すなわち明らかに営利を目的としてなされる出版は,言論・出版の自由の範囲には含まれないものと考えられる。
 本件Xらは,本件書籍が言論・出版の自由の範囲に属するものではないことを主張するために,「著名人に関する評伝的出版物(著名人やその業績について伝記的ないし評論的な観点から書かれた作品)については,その評伝的著述が氏名,肖像等の情報の有する顧客吸引力を下回らない価値を有する場合には,正当な表現活動の成果物として,当該著名人の許諾なくして出版することが正当化されると考えられるが,右出版物が,主として著名人の氏名,肖像等の情報の有する顧客吸引力に依存している場合には,それを正当な表現活動の成果物であると評価することはできない」ということを述べているが,本件書籍が,Xらが有する顧客吸引力に依存しているか否かに関係なく,文学的価値を有する伝記や評論などのジャンルに含まれない出版物であると認定されれば,それは少なからず営利を目的として出版されていると認められ,言論・出版の自由の範囲に属する出版物であると認めることはできない。したがって,その場合は,少なくとも理論的には出版の差止請求を認容しても,憲法上の問題を生ずることはなく,むしろパブリシティ権の実効性を確保するためには必要不可欠な救済方法ということになる。
 しかしながら,本判決は,言論・出版の自由とパブリシティ権との関係について,まず「顧客吸引力の観点だけで紹介等の部分の価値の軽重を判断することはできないし,氏名・肖像等の顧客吸引力が認められる場合でも全体としてみれば著名人の紹介等としての基本的性質と価値が失われないことも多いと考えられるから,その場合には右紹介等は言論,出版の自由としてこれを保護すべきである」と述べる。本件において,当事者および判決理由が用いている「紹介」という概念は必ずしも明確ではなく,パブリシティ価値を利用する行為とどのように異なるかは不明である。結局,本判決は言論・出版の自由との関係においても,パブリシティ価値の利用の目的を判断基準として設定したうえで,「したがって,判断基準の異なる氏名,肖像等の顧客吸引力と言論,出版の自由に関係する紹介等とを単純に比較衡量することは相当でなく,パブリシティ権の侵害に当たるか否かは,他人の氏名,肖像等を使用する目的,方法及び態様を全体的かつ客観的に考察して,右使用が専ら他人の氏名,肖像等のパブリシティ価値に着目しその利用を目的とする行為であるといえるか否かにより判断すべきもの」であるとし,しかも,「氏,肖像等を使用する行為は営利目的の有無を問わず発生し得るものであって,紹介等の行為の営利性とパブリシティ権の利用とは直接関連しないから」,本件書籍の発行が営利行為にあたるからといって,パブリシティ価値の利用を目的とするものではないと結論づけている。本件書籍がパブリシティ価値の利用を目的とするものではないと認定する以上は,このような結論を導くことも可能となろう。
 たしかに,本判決が述べるように,言論・出版の自由にもとづいた有名人の「紹介」という行為の営利性とパブリシティ価値の利用とは直接には関連しないかもしれないが,少なくとも営利を目的とした商業主義的な出版行為における有名人の「紹介」はパブリシティ価値の直接的な利用にあたると考えるべきであろう。出版物のなかでパブリシティ価値の利用があったとしても,商業主義的な出版行為ではない場合にはじめて言論・出版の自由が優越し,パブリシティ権の侵害とはならない場合がありうるにすぎないのである。
 また,パブリシティ権の侵害は,原状回復が困難なプライバシー権侵害の場合とは異なり,精神的利益に対する侵害というわけではなく,あくまで財産的利益に対する侵害である。したがって,言論・出版の自由との関係において利益衝突が生じうる場合には,出版差止めのような事前救済の方法は必ずしも必要ではなく,事後的に金銭賠償による解決方法が妥当である場合もあろう。出版物の場合は,パブリシティ権だけの侵害ということよりもプライバシー権の侵害をも含む場合があると考えられるが,本件のような書籍の場合は,Xらが主張するように純粋にパブリシティ権だけの侵害であり,場合によっては出版の差止めを認める必要性は必ずしも強くはなかったかもしれない。


(みうら まさひろ:岡山商科大学助教授)


1 東京地判平成10年1月21日判時1644号141頁。
2 本件第一審の評釈として,三浦正広「パブリシティの権利における『顧客吸引力』−キング・クリムゾン事件−」岡山商科大学論叢35巻1号167頁(1999年)。
3 マーク・レスター事件判決(東京地判昭和51年6月29日判時817号23頁)をリーディング・ケースとして,その後も下級審判判決が続き,おニャン子クラブ事件の高裁判決において,財産権としてのパブリシティ権が再認識される(東京高判平成3年9月26日判時1400号3頁)。下級審判決については,三浦,前掲〔註2〕)「パブリシティの権利における『顧客吸引力』−キング・クリムゾン事件−」岡山商科大学論叢35巻1号167頁以下〔註3〕参照。
4 阿部浩二「不当利得とパブリシティの権利」新版注釈民法(18)564頁(有斐閣,1991年),同「パブリシティの権利とその展開」打田シュン一先生古稀記念論集『現代社会と民事法』第一法規出版,1981年),牛木理一『商品化権』(六法出版社,1980年),田代貞之・内藤篤『パブリシティ権概説』(木鐸社,1999年),三浦正広「パブリシティの権利と『有名人』概念」青山社会科学紀要22巻1号1頁(1994年)など参照。
5 パブリシティ権の意義を明確にしたおニャン子クラブ事件の東京高裁判決は,固有の名声,社会的評価,知名度等を獲得した芸能人の氏名・肖像を商品に付した場合には,当該商品の販売促進に効果をもたらすことがあり,その場合,「当該芸能人は,かかる顧客吸引力のもつ経済的な利益ないし価値を排他的に支配する財産的権利を有する」と述べているにすぎず,必ずしもパブリシティ権の本質をなすのは「顧客吸引力」であるという表現はしていない。この点について,三浦・前掲〔註2〕「パブリシティの権利における『顧客吸引力』−キング・クリムゾン事件」岡山商科大学論叢35巻1号167頁以下参照。
6 阿部浩二・判例評論411号29頁(判時1449号191頁)<横浜地判平成4年6月4日〔土井晩翠事件〕判時1434号116頁に関する評釈>。
7 言論,出版,報道の自由と営利目的による利用との関係については,著作権法41条における時事の事件の報道のための利用をめぐる問題と同様に考えることがきる。著作物が報道記事において利用されている場合には41条が適用され,その範囲内において当該著作物の自由な利用が認められるが,報道的な性格の認められない広告記事における利用については,41条の適用は認められない(東京地判平成10年2月20日〔「バーンズ・コレクション展」事件〕判時1643号176頁,および三浦正広「時事の事件の報道のための利用−著作権法41条と報道の自由−Window’99〕コピライト1999年2月号(社団法人著作権情報センター)参照)。
8 三浦正広「芸能人タレントのプライバシーとそのパブリシティ価値−パブリシティの権利の射程範囲−」岡山商科大学社会総合研究所報20号179頁(1999年)参照。