判例評釈 |
学習参考書の出版契約における出版社の著作 者に対する右参考書の販売義務及び同種類の 書籍を出版しない義務の解釈に関する一事例 |
〔福岡地裁平成8年1用31日民5部判決,平成3年(ワ)2792号損害賠償請求事件,一部認容,一部棄却(確定)〕 |
石川 明 |
<事実の概要> | ||||||
一 Xは高校の社会科教師を定年退職後は学習参考書の著述を行っていた者であり,Yは高校用教科書や学習参考書の出版を業とする会社である。XとYとの間で,Xの著作した地理の参考書(本件書籍)をYが出版する旨の出版権設定契約が締結され,右参考書が出版された。右契約においてYはXに対し,本件書籍と同種類の性格の書籍を出版しない旨約したが,その後にYが出版した地理の学習参考書(地理白地図ワーク)を巡ってXとの間に紛争が生じた。すなわち,Xは,後にYの出版した地理白地図ワークはXとの間の約定に違反する「同種類の性格の書籍」であるとし,また,Yは契約に基づき本件書籍を販売する義務を負っているのに,同種参考書である地理白地図ワークを出版後は本件書籍の積極的な販売を怠ったとして,これらYの行為によりXの被った精神的苦痛に対する慰謝料の支払いを請求した。本件出版契約第3条は「本契約に係わる同種類の性格の書籍を甲(本件ではX)がほかの出版社から編集刊行したり,また乙(本件ではY)が別に編集刊行したりしない。」と規定している。
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<判旨> |
一 争点1について以下のごとく判示している。
諸事情,本件書籍と地理白地図ワークとが同じ高等学校用の地理の学習参考書であり,その内容が類似してくるのは避けられないこと及び原告が本件出版契約締結当時有していた前記記載の意図には合理性が認められることなどを総合考慮すれば,「同種類の性格の書籍」とは,本件書籍に関して原告が創作した着想を利用し,重要な部分において本件書籍と類似する書籍であると解するのが相当である。 そして,具体的に地理白地図ワークがこれに該当するといえるか否かは,本件書籍と地理白地図ワークの客観的な類似点を確定する一方,本件書籍と世上出版されている同種類の書籍を比較し,書籍全体の構成や紙面の構成について原告の創作した着想を見極めたうえで,これを判断すべきである。 そこで,まず本件書籍と地理白地図ワークとの類似点について検討する。 ≪証拠略≫によれば,次の各事実を認めることができる。 (1)本件書籍は,世界地理を中心とし,高等学校において授業する地理学の範囲を34の項目に分けて掲載している。 また,地理白地図ワークも,世界地理白地図ワークを中心とし,高等学校において授業する地理学の範囲を35の項目―中略―に分けて掲載しているほか,9項目の完全な白地図を掲載している。 (2)本件書籍は,1項目に見開き2頁を当て,当該項目を理解するための学習の視点及びその項目を理解するために必須の基本事項を「視点」欄に記載している。また,地理白地図ワークは,1項目に1頁を当て,当該項目において理解すべき着眼点を「着眼ポイント」欄に記載している。 (3)本件書籍は,すべての項目の中心に白地図(ただし,地形図に関する4つの項目については地形図)を配置し,「作業」欄の指示に従い,教科書,地図帳,「視点」欄及び「資料」欄を参考にして,書き込みや色分けなどの作業をすることによって知識の整理及び定着を図ることを狙いとしている。 また,地理白地図ワークも,すべての項目について白地図(ただし地形等に関する9つの項目については地形図,気候に関する1項目についてはグラフ)を配置し,「作図してみよう」欄の指示に従い,白地図に記載されている記号や凡例及びグラフ等の指示に従って,書き込みや色分けなどの作業をすることによって知識の整理及び定着を図ることを狙いとしている。 (4)本件書籍の白地図の周辺には,当該項目に関係する統計資料等が記載された「資料」欄が豊富に配置されているほか,基礎的な問題が設けられた「基本問題」欄が配置され,余白には罫線が入り,ノートとして利用できるようになっている。 これに対し,地理白地図ワークは,各項目に,作業に関連した問題が設けられた「質問コーナー」欄が配置され,作業後の知識の定着が狙われているとともに,全体で9カ所にわたって「ちょっと寄り道」欄が設けられ,基本的事項及び生徒の興味を引きやすい事項の説明等が記載されている。 以上の検討によれば,本件書籍と地理白地図ワークとは,その全体及び紙面の構成において,当該項目について学習の視点を明示し,白地図の作業と基本問題の流れで当該項目の知識の定着を企図している点で,極めて類似しているものというべきである。 次に,前記の類似点が,本件書籍に関して原告が創作した着想といえるか否かについて検討する。 (1) ≪証拠略≫によれば,本件出版契約当時,本件書籍のように項目ごとに学習の視点を明示して作業の意味を生徒に理解させ,その後の白地図の作業及び関連問題を解答することによって知識の定着を図ることを狙った地理の学習参考書は存在せず,また,現在においても,明確に「視点」といった項目を明示して,学習の視点を提示しているものは存在しないことが認められる。 したがって,前記の類似点は,本件書籍に関して原告が創作した着想というべきである。 −中略− 以上によれば,地理白地図ワークは,本件書籍に関して原告が創作した着想を利用し,重要な部分において本件書籍と類似するものであるというべく,「同種類の性格の書籍」に該当するものと解すべきである(したがって,地理白地図ワークの出版は本件出版契約第3条に違反する。)。 二 争点2について以下の判示をしている。 原告は,本件訴訟において被告が提出した証拠に貼付されたメモの記載が,原告の名誉を著しく毀損するものである旨主張するので,この点について判断する。 ≪証拠略≫によれば,被告が本件の証拠として提出した乙第3ないし第16号証において,被告が原告の本件書籍の原稿に関し,「他社本の流用」,「他社本の盗用原稿」,「他社の盗作」,「盗作の地図原稿」「著者の力量が窺える」,「著者の頭の混乱ぶりが窺える」,「著作権の理解など,全くないと思える」,「地理の教師でありながら,こんなラフな地図にいい加減な領域を示した原稿には,驚きを覚える」,「手抜きの仕事をし」,「他社本からの盗用のままの原稿には,呆れかえる」,「著者の手抜きを,生徒に押しつけているようなものである」,「全く教育的配慮に欠け」などと記載(以上併せて「本件各記載」という。)したメモを原稿に貼付していることが認められ,本件各記載は,一見して妥当性を欠く表現といわざるを得ない。 しかし,一般に,弁論主義及び当事者主義を基調とする民事訴訟法のもとでは,当事者が自由に忌憚のない主張や立証を尽くすことが重要であるから,これらが一見妥当性を欠いた表現でなされたとしても,それが相手方の名誉を著しく誹謗,中傷するため,主張や立証に藉口して故意になされたなどの事情のない限り,違法性を有するとはいえないと解すべきである。 そこで,被告が本件各記載をしたメモを原稿に貼付したことについて,右事情があるか否かについて検討する。 ≪証拠略≫によれば,次の各事実を認めることができる。 (1)原告の本件書籍の原稿には,原告の手書きによる原稿の代わりに,印刷物のコピーが貼付されている部分が相当程度存在する。 (2)原告から本件書籍の原稿を受け取った河野は,原告に対し,右印刷物のコピーの出典を明示するように依頼したが,原告は右印刷物のコピーの多くについて出典を明示しなかったため,石井次長及び河野は右印刷物のコピーが他社の著作物のコピーてあると認識した。 (3)本件各記載は,本件訴訟が提起された後,原告の作成した本件書籍の原稿を証拠として提出するに際し,原告の独創性を否定し,ひいて地理白地図ワークが「同種類の性格の書籍」に該当しないことを示すべく,石井次長と河野が相談のうえ,同人らの当時の右認識を記載したものである。 右に認定した各事実を照らせば,被告が本件各記載をしたメモを原稿に貼付したことについて,前記事情を認めることはできないから,名誉毀損が成立するとの原告の主張は理由がない。 三 争点3について以下の判示をしている。 原告は,被告が本件出版契約に反して,本件書籍につき積極的な販売活動を行わず,本件書籍の見本を営業所に置かなかったとして,本件出版契約に基づく販売業務の不履行を主張している。 「前記事実及び≪証拠略≫によれば,本件出版契約第5条において,被告は本件書籍の発行及び販売の責任を負う旨定められているところ,被告は本件書籍を昭和63年度には6479冊,平成元年度には7878冊,平成2年度には6735冊,平成3年度には5141冊,平成4年度には2805冊,平成6年度には3351冊(ただし,同年7月当時の販売冊数であって,増減数調整前の冊数。)販売していることを認めることができる。 そうすると,本件書籍の販売数は平成2年度以降減少傾向にあるものの,平成6年度にはやや持ち直しているから,右現象の事実をもって直ちに,被告の販売義務違反があったということはできず,そのほか,被告が販売義務に違反したことを認めるに足りる証拠はない。」というのである。 四 精神的損害の賠償のみを請求しうるところ,本件に顕われた一切の事情を斟酌すると,原告の精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は,金50万円をもって相当と認める。 そうすると,原告の本訴訟請求は,金50万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日てあることが記録上明らかな平成3年12月29日から支払い済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由がある。 |
<評釈> |
一 まず初めに,本件判決の本件契約第3条の解釈を取り上げたい。著作者と出版社間で著作物の出版につき契約が締結されるが,それが著作権譲渡契約,出版許諾契約,出版権設定契約のいずれであるかという問題がある。書籍の出版の場合は出版権設定契約が,雑誌等の出版の場合は出版許諾契約が利用される場合が多いといわれている(半田正夫・著作権法概説〔第7版〕209頁,同・著作権法のノウハウ〔第5版〕155頁)。
わが国の出版業界において,対抗要件を具備させるために出版権設定の登録(著作権法88条)がされることは少ないといわれている(判時,本件解説128頁)。また,一般的には「出版契約」と呼ばれているように,出版権設定契約か出版許諾契約かが当事者間においてあまり意識されていないともいわれている(判時,本件解説128頁)。 出版権設定契約か出版許諾契約かが問題となった事例として,太陽風交点事件〔東京高判昭和6年2月26日判時1201号140頁,無体裁集18巻1号40頁〕がある。太陽風交点事件については,斉藤博・判批・特許管理38巻1号(1988)33頁以下,美作太郎「高裁判決が示唆するもの」新文化昭和61年3月20日付1面,谷井清之助・解説別冊ジュリスト91号160頁,佐藤恵太・判批・ジュリスト950号128頁以下(1990)等があるので参照されたい。 本件契約にあっては,契約文言上出版権設定であることが明示されている。従って,本件契約によって出版に関する権利を出版社が専有し,著作者といえども約定なくしては当該著作物を出版できないこと(著作権法80条)や,出版権者は当該著作物の出版や販売の義務を負うこと(同81条)は法定されている。前述のような変更前の本件の約定文言は著作権法80条の趣旨を記載したものであるのに対して,本契約3条は,右80条の規定をさらに拡大的に変更したものである。 そこで,本件では著作権法80条の解釈ではなく,本契約3条の解釈が問題となる。本件判決が3条にいわゆる「同種類の性格の書籍」を「原告が創作した着想を利用し,重要な部分において本件書籍と類似する書籍」と解し,《1》原告が創作した着想を利用したこと,《2》重要な部分において本件書籍と類似する書籍てあることの2つの要件を分析抽出した点は正当であろう。若干注意すべき点を挙げるとすれば,(イ)右《1》《2》は相互に無関係ではなく,《2》の類似性を有する重要な部分が原告の創作部分てあるという関連性がなければならないという点である。(ロ)また,本件では本件書籍の白地図と地理白地図ワークの類似性が問題となっていることは既述のとおりである。ただ,本件書籍の白地図が本件書籍と結びついて独創性を有する場合と,本件書籍の白地図それ自体が独創性を有する場合とは一応区別して考えられる。従って,前者の場合は,地理白地図ワークは「同種類の性格の書籍」とはいえないということである。しかし,本件は後者の場合に当たるので,被告による地理白地図ワークの出版は本件出版契約3条に違反する旨判示した本件判旨は正当と評すべきであろう。 二 次に名誉毀損の点について考察してみよう。 判旨はこの点について,「一般に,弁論主義及び当事者主義を基調とする民事訴訟法のもとでは,当事者が自由に忌憚のない主張や立証を尽くすことが重要であるから,これらが一見妥当性を欠いた表現でなされたとしても,それが,相手方の名誉を著しく誹謗,中傷するため,主張や立証に藉口して故意になされたなどの事情のない限り,違法性を有するとはいえないと解すべきである」と述べているが,この点は評価できる。 現に法廷にれする供述は,ある程度強調された表現であっても正当なものとして許容される場合があるとの一般論が判示されている判例(東京高判平成7年2月27日判時1534号49頁),また,「民事訴訟における弁論活動に相手方,その代理人の名誉毀損に当たるところがあっても,正当と認められる限り違法性は阻却され,かつその範囲は広いと解するのが相当である」とする判例(大阪高裁昭和60年2月26日判時1162号73頁),「当事者主義・弁論主義を基調とする民事訴訟では,当事者が自由に忌憚のない主張を尽くすことが重要であるから,特に悪意をもってなされた発言でない限り原則として違法性を阻却する旨の判例(千葉地裁館山支部昭和43年1月25日判時529号65頁)等がある(その他東京地判昭和26年9月27日下民集2巻1138頁,同地判昭和31年11月5日下民集7巻3129頁等参照)。本件訴訟における原告の主張における前記諸表現は,独創性を否定するための間接事実の主張であって,いささか言葉が過ぎる面がないではないが,前記大阪高裁判決にみられるように,許容の「範囲は広い」と解した場合,右表現は許容の範囲にとどまるとみられる。 三 最後に,被告の販売義務違反について検討してみたい。 この点に関する本件判旨について,若干疑問に思うのは以下の点である。すなわち,被告の販売義務を誠実に履行すれば販売部数はもっと上がったことが証明されれば,販売義務違反があったとはいえないことはない。単に部数が持ち直したことの一事をもって販売義務の履行があったといえるかという問題である。義務違反は原告が立証責任を負担するのであるから,裁判所としてはこの点の立証を促す釈明をすべきではなかったかという疑問は残る。この点で本件判決は若干の問題を残しているように思われるのである。なお,本件判決が平成5年度分について冊数を挙げていないのは,いかなる理由によるのか必ずしも明らかではない。 |