発明 Vol.92 1995-5
判例評釈
特許の同一的侵害が認められた事例
(東京地裁平成2年11月28日判決,平成元年(ワ)第4033号特許権侵害差止請求事件,
無体裁集22巻3号760真,判例時報1395号135真,判例タイムズ771号252頁)
大瀬戸 豪志
<事実の概要>

 原告Xは,次の構成要件からなる「イオン歯ブラシ」に関する特許発明(以下「本件発明」という)の特許権者である(末尾添付の図面「本件発明」参照)。

ブラシ毛が植毛されたブラシヘッド部と,把持用柄部と,電源とを備えるイオン歯ブラシにおいて,

把持用柄部に対してブラシヘッド部を脱着可能に構成し,

把持用柄部には,

 導電性材料からなる支軸を突設するとともに,

 該支軸を電源の一方の電極に接続し,

 かつ把持用柄部の少なくとも一部外表面に電源の他方の電極に接続された導電性材料からなる端体を装着し,

ブラシヘッド部には,

 該ブラシヘッド部の長手方向に延在し,前記柄部に突設された前記支軸を受領する支軸挿入部と,

 前記ブラシ毛と支軸挿入部との間を連絡し,液体を媒体として前記ブラシ毛と前記支軸を電気的に導通可能とする液路を形成してある,

イオン歯ブラシ。
 本件発明の作用効果は,次のとおりである。「すなわち,本件発明においては,導電性材料の支軸や端体等の比較的高価な部材はすべて把持用柄部に設けられており,把持用柄部に対して脱着可能なブラシヘッド部は,ブラシ毛を植毛するとともに支軸挿入部や液路を一体成形すれば足り,例えば,合成樹脂等を使用すれば極めて安価に製造することができるから,このような構成をとることにより,構造の簡素化を達成するとともに,ブラシヘッド部を必要に応じて廃棄,交換してもそのコストは低<抑えられる。そして,使用にあたっては,使用者が把持用柄部を把持して歯をブラシ毛でブラッシングすると,液体,例えば,唾液等がブラシ毛を濡らすとともに液路を侵し,これにより電源→把持用柄部の端体→手→身体→歯→ブラシ毛→液路→支軸→電源という電気回路が形成され,電子の流れが発生して歯垢等を歯面から徐去し易く,ブラシ毛によるブラッシングの刷掃効果を更に向上させる。」
 被告Y1は,その製造に係る「イオン歯ブラシ」(以下「被告製品」という。末尾添付の図面「被告製品」参照)を被告Y2に販売し,被告Y3,同Y4は,Y2より被告製品を仕入れて販売していた。これに対し,Xが,被告製品は本件発明の技術的範囲に属するものであり,したがってY1らによる被告製品の製造販売行為は本件特許権を侵害するとしてその行為の差止めを求めたのが本件てある。
 Y1らは,次のように主張した。第一に,被告製品は本件発明の構成要件Dイを充足しない。けだし,先行公知技術の存在に照らし本件発明は無効であるから,本件発明の権利範囲を確定するにあたっては厳格に本件明細書の特許請求の範囲の項に記載された文言に制限されることになるところ,本件発明の構成要件Dイにおける「ブラシ毛」は,支軸を支軸挿入部に挿入した場合に,支軸と直接に連絡または少なくとも隣接する構造のものに限定されるものと解すべきであり,これに対し,被告製品におけるブラシ毛は,支軸挿入口または支軸と直接連絡していないことはもちろん隣接もしていないからであり,さらに,本件発明の構成要件Dイにおける「支軸挿入部」は上部が開口し下部が閉口されている細長い有底孔の構造のものに限定されるのに対し,被告製品における支軸挿入部は筒状の形状を有し,その先端のみが開口しているにすぎないからである(なお,被告製品が本件発明の他の構成要件を充足することには争いはない)。第二に,本件発明は,発明性を有しないから,本件特許は無効であり,Xの本件特許権に基づく差止請求権の行使は権利濫用として許されない。第三に,被告製品は,先行公知技術を実施するものであり,先行公知技術の実施は,万人が自由に実施し得る万人共有の財産であるから,本件特許権に基づく差止請求権の行使によりその実施を妨げられることはない,と。


<判旨>
上告棄却
 (1)「本件明細書の詳細な説明の・・・・・・記載に照らせば,本件発明の構成要件Dイの『前記ブラシ毛と支軸挿入部との間を連絡し,液体を媒体として前記ブラシ毛と前記支軸を電気的に導通可能とする液路』とは,唾液等の液体で浸されて装着時の支軸とブラシ毛とを右液体を媒介として電気的に接続させる機能を有するものであり,その構成としては,支軸挿入部の一部を形成するとともにブラシヘッド部の表面(ブラシ毛植毛面)のブラシ毛に隣接した位置に開口する孔ないし溝を意味するものと解するのが相当である。
 そこで,被告製品が本件発明の構成要件Dイを充足するかどうかを検討するに,・・・・・・被告製品における・・・・・・連通溝17は,ブラシヘッド部2において支軸7を受領するための支軸挿入部の一部を形成する(柄部1がブラシヘッド部2と一体化した場合には,支軸7はブラシヘッド部2のシャンク12に形成された挿入孔13内を延びて,その先端は連通溝17に達する)とともに,ブラシヘッド部2の表面に植毛されたブラシ毛10の後部(シャンク12に近い側)に隣接した位置に開口部を有するものであり,歯ブラシ使用時においては,ブラシ毛l0は唾液水分で濡れ,ブラシ毛10間及び連通溝17にも水分が入り込んで,装着時の支軸7とブラシ毛10とは右液体を媒介として電気的に接続されることが認められる。・・・・・・したがって,被告製品は本件発明の構成要件Dイを充足するものと認められる。」

 (2)「Y1らが権利濫用事由として主張するところは,要するに,本件発明は新規性ないし進歩性に欠けるから,本件特許は無効とされる蓋然性が極めて高いというにある。
 しかし,特許権の効力は,特許庁における無効審判手続によって争うべきものであって,仮に発明が新規性ないし進歩性に欠け,当該特許が無効とされるべきものであったとしても,当該特許につき無効審判請求がなされて,当該特許を無効とすべき旨の審決がなされ,右審決が確定しない限り,裁判所は当該特許権を有効なものとして取り扱わなければならず,単に,その必要がある場合に審決が確定するまで訴訟手続を中止することができる(特許法168条2項)に過ぎない。右のとおり,特許権に基づく差止請求訴訟の審理においては,特許の有効無効については,これを考慮すべきものではなく,本件特許の無効をいうY1らの主張は,すでにこの点において抗弁として理由がないというべきである。」

 (3)「Y1らが右抗弁として主張するところは,講学上いわゆる『自由技術の抗弁』と呼称されているものであるが,仮に,被告製品が本件発明の特許の出願前における公知技術と同一であるとしても,そのことから直ちに本件特許権に基づく差止請求権の対象とならないという結論を導くことができるものではなく,Y1らの右主張は,既にこの点において抗弁として理由がないというべきである。すなわち,Y1ら主張のようないわゆる『自由技術の抗弁』を肯定するときは,仮に被告製品が本件発明の技術的範囲に属するとしても,被告製品が本件特許の出願前の公知技術の実施である限り,その自由な実施を拒むことはできず,本件特許権に基づく差止請求権も認められないことになるが,このような結果を容認することは,本件特許権についてその本質的内容である差止請求権の行使を認めないこととなり,結局,特許庁における無効審判手続を経ずして特許権を無効なものとして取り扱うことに帰着するが,このような取扱いについてはなんらの実定法上の根拠もなく,かえって,特許法の予定する制度の趣旨に反するものであって,到底認められないものといわなければならない。」

<評釈>
 (1)本件は,特許の同一的侵害が認められた事例である。ここにいう特許の同一的侵害とは,特許発明の同一的な実施による侵害,換言すれば,クレームの用語の意味(語義)の範囲内における実施による侵害態様をいう。いわゆる等価理論(均等論)の適用が問題となる特許発明の等価的な実施による侵害,すなわち特許の等価的侵害の対応概念である(それぞれの概念と区別の意義について,詳しくは拙稿「特許侵害訴訟における自由技術の抗弁」パテント46巻7号17頁以下参照)。
 特許侵害行為の態様をこのように同一的侵害と等価的侵害に分割する方法は,ドイツ法やアメリカ法の傾向でもある。すなわち,ドイツ法上,クレームされている発明の対象のメルクマールが語義どおりに実現されている場合は「特許の同一的侵害」(Identische PatentverIet−zung)ないし「特許の語義どおりの侵害」(Wort−sinngemässe PatentverIetzung)となり,クレーム中の解決のメルクマールとは相違しているけれども,当該特許からみて同効の,すなわち等価的な手段が用いられている場合は「特許の等価的侵害」(Äquivalente Patentverletzung)ないし「内容上同一の侵害」(Inhaltsgleiche Patentverletzung)になるものとされている(詳細には,拙稿「ドイツにおける特許の保護範囲理論─最近の学説・判例」特許研究No.14, 4頁以下参照)。また,アメリカ法においても,対象物件がクレームを構成する各構成要件(element)の文言をそのまま具備するときの「クレーム文言上の侵害」(literal infringe−ment)と,対象物件がクレームを文言上侵害していなくとも,実質的にクレームされた発明と等価(均等)であると認められるときの「均等論(doctrine of equivalents)の適用による侵 害」とに分かたれている(詳細には,水谷直樹「米国特許判例における均等論」特許研究No.14,14頁以下参照)。
 わが国の判例上,等価的侵害を肯定したものは極端に少なく,そのことが諸外国との特許摩擦の一因ともなっているが,本件のように同一的侵害が認められた例はそれほど少なくはない。第一審の地裁判決であって,しかも最近5年間のものに限られるが,平成6年は4件,平成5年は3件,平成4年は12件,平成3年は11件,平成2年は5件(本件を除く)を数える(「知的所有権判決速報」No.235までの掲載分による)。その意味では,本件判決は目新しいものではない。

 (2)しかし,判旨第1点におけるクレームの解釈方法には注目すべきものがある。すなわち,Y1らは,本件訴訟の段階で新たに提出された数件の先行公知技術に照らし本件発明は無効であるから,本件発明の構成要件Dイにおけるブラシ毛と支軸との位置関係を前記のように限定的に解すべきであると主張したのに対し,本件判決は,上記の公知技術を考慮することなく,もっぱら明細書の記載に基づいて判旨第1点のようにクレームを解釈して,Y1らの主張を排斥している。
 通説・判例によれば,特許侵害訴訟におけるクレームの解釈に際し,当該特許の出願当時における公知技術(技術水準)を参酌することは許される。その際,特許庁の審査過程で考慮されたもののみならず,侵害訴訟の段階で初めて提出されたものも参酌できるものとされている(吉藤幸朔「特許法概説(第10版)」406頁以下参照)。
 しかしながら,上述の同一的侵害の領域内では,特許庁における審査過程で考慮されなかった公知技術であって,侵害訴訟の段階で初めて提出されたものは,クレームの解釈資料として用いることはできないというべきであろう。その理由は,以下のとおりである。すなわち,前述のように,同一的侵害はクレームの用語の意味にしたがった発明を実施する場合に成立するのであるが,この意味の発明は,特許要件たる新規性と進歩性に関する特許庁の審査の結果である。特許庁は,この審査を,特許査定の時までに特許庁に知られていた公知技術(技術水準)を基礎にして行う。特許の付与を特許庁の専権事項としているわが国の法制のもとでは,このような審査結果は,行政機関たる特許庁の行政行為として裁判所を拘束する。その結果,裁判所は,特許庁による上記の審査結果をそのまま承認し,自己の判断の基礎にして,それと矛盾しないように判断しなければならないのである。より具体的にいえば,特許庁の審査過程で考慮されておらず,侵害訴訟の段階で初めて提出された公知技術を参酌することにより,特許庁による特許付与行為を否定するようなことは許されないのはもとより,それと矛盾するような判断をなし得ないということである。言い換えると,同一的侵害を基礎づけるクレームの用語の意味にしたがった発明の確定に際しては,特許の付与の時に特許庁に知られており,明細書に記載された公知技術のみを考慮することが許されるのである。特許発明の同一的実施による侵害の判断に際し,侵害訴訟の段階で新たに提出された公知技術を参酌し得ないというのは,このような意味においてである。
 本件判決が,判旨第1点において,本件訴訟の段階で新たに提出された公知技術に関する資料を参酌せず,明細書の記載のみに基づいてクレームを解釈し,Y1らによる限定解釈の主張を排斥しているのは,その意味において正当である(なお,本件判決は,判旨第1点の説示の後で上記の公知技術を逐一検討しているが,そ の必要は全くなかったというべきである)。

 (3)判旨第2点および第3点は,本件判決においてはいわば傍論である。しかし,特許侵害訴訟におけるクレーム解釈の方法についてここで主張されている見解,特に公知技術(技術水準)の参酌という問題に関しては重要な事柄であるので,以下,この点を検討する。
 判旨第2点は,特許侵害訴訟における特許無効の抗弁に関する。判例は,大審院明治37年9月15日判決(刑録10輯1679頁)以来,一貫して特許無効の抗弁を認めていない。学説もまた,これを否定するのが通説であるとされてきた(中山信弘「工業所有権法(上)355頁)。その主たる根拠は,特許の付与とその無効処分(特許法123条)を扱う行政機関たる特許庁と,特許侵害訴訟を扱う司法機関たる裁判所との間の権限分配である。判旨第2点は,特許無効の抗弁が認められない理由についての説示を欠くが,従前の見解を踏襲したものである。
 これに対し,以前から全くなかったというわけではないが(紋谷暢男「無体財産権法概論」141頁,羽柴隆「公知技術と特許当然無効」企業法研究148輯12頁等),最近,相次いで特許無効の抗弁を認めるべきであるとの見解が発表されている(辰巳直彦「特許侵害訴訟における特許発明の技術的範囲と裁判所の権限」日本工業所有権法学会年報17号17頁,田倉整「歪められた権利範囲論─狭い解釈と広い解釈」パテント47巻5号44頁,羽柴隆「特許侵害訴訟における裁判所の特許無効についての判断権限(1)(2)」特許管理44巻11号1501頁,44巻12号1689頁)。これらの見解は,要するに,特許庁による無効処分は対世的効力を有するのに対し,侵害訴訟の場での裁判所による特許無効の抗弁の許容は当事者間でのみ効力を有する相対的無効であるから,特許庁と裁判所との間の権限分 配に反するものではないという点にその論拠をおくものである。しかしながら,裁判所による無効の抗弁の許容は,たとえそのような相対的効力を有するにすぎないとしても,実質的には,特許庁と裁判所との間の権限分配のもとで裁判所の権限外のものとされている特許権の存在そのものを否定することと同様の結果をもたらすものである。特許無効の抗弁の許容は,アメリカ法のように裁判所が無効の判断をなしうるとする明文の規定(同法282条)のあるところでのみ可能であって,特許の無効処分を特許庁の専権事項としているわが国の現行制度のもとでは解釈の限界を超えているものといわざるを得ない。

 (4)判旨第3点は,いわゆる自由技術の抗弁(公知技術の抗弁または自由な技術水準の抗弁とも称される)を否定している。自由技術の抗弁は,侵害形式が係争特許の出願日当時の公知技術(技術水準)そのものであるか,またはそれから容易に推考しうる技術ないしはそれと明らかに近似している技術であることを証明することにより,特許侵害の成立を阻止する被告の防御方法の一種である。実用新案権の侵害事件に関するものではあるが,従前の裁判例でこの意味の抗弁を認めたものとして,大阪地裁昭和45年4月17日判決(無体裁集2巻1号151頁)がある。同判決は,「出願時公知公用であった技術は万人共有の財産であるというべく,私権は公共の福祉に従うとの民法の大原則から考えても,それまで万人共有の財産であった技術について,実用新案権の名のもとに,一般にはその実施を禁止し,特定出願人にのみ独占行使せしめることがたやすく許されてよい道理はない。・・・・・・[したがって]単に出願時公知公用の技術を用いたに過ぎない商品を他人が製造販売する行為について,実用新案権者は右技術が自己が権利を有する実用新案の技術的範囲と一致する故をもって,右第三者に対し禁止権を行使することは許されない」と述べている。しかし,この事件の控訴審判決である大阪高裁昭和51年2月10日判決(無体裁集8巻1号85頁)は,これとは反対に,「右の意味における自由な技術水準の抗弁を肯認するときは,結局実用新案の全てが自由な実施に委ねられることになり,実用新案権は形骸のみが残って内容の全くないものとなることに帰着し,事実上実用新案権を無効として取扱うことになるので,右の意味における自由な技術水準の抗弁を肯認することはできない」と判示している。判旨第3点は,後者と同旨の見解を述べたものである。
 他方,学説においては,自由技術の抗弁を否定する見解(馬瀬文夫「公知事項を対象とする 特許の効力」工業所有権法の諸問題66頁)よりもこれを認めるべきであるとの主張が,次第に多くみられるようになっている(中山信弘「特許侵害訴訟と公知技術」法協98巻9号1115頁,松本重敏「特許発明の保護範囲」290頁,本棚照一「出願公告決定謄本の送達前の補正が要旨変更に当たるとされ,先使用の抗弁が認められた事例」発明91巻1号107頁,篠田四郎「いわゆる『自由技術の抗弁』の主張を排斥した事例」判例評論399号31頁,井関涼子「自由技術の抗弁を否定した事例」特許管理42巻5号651頁等―後二者は本件評釈)。その理由として述べられているところを要約すれば,公知技術を実施しているにすぎない者が,それを対象とする特許権が単に無効審判を経ていないという理由だけで侵害者とされるのはあまりにも不当であると いうこと,および自由技術の抗弁は特許権自体の有効・無効を問題とするものではなく,侵害形式と公知技術との比較によって判断されるものであるから,特許庁と裁判所との間の権限分配に反するものではないというところにある。
 しかしながら,上記のような見解に対しては,すでに,具体的妥当性を強調するあまり,特許庁と裁判所との間の権限の分配をどのように考えるかということを放棄してしまった便宜論にすぎない(高林克己「全部公知の特許・実用新案と侵害訴訟」特許争訟の諸問題725頁)とか,自己の実施している公知技術について認められる先使用による通常実施権(特許法79条)の上に,さらに他人の実施による公知技術について法律の規定なく自由技術の抗弁を認め,右規定を拡大する結果を承認することには疑問があり,また瑕疵を有するとはいえ,現に特許権として有効に存在していることを無視できない(竹田稔「知的財産権侵害要論」57頁)というような批判が加えられている。
 思うに,特許庁と裁判所との間の権限分配を前提とするときは,少なくとも特許の同一的侵害の領域内では自由技術の抗弁は認められないというべきであろう。前述のように,特許の同一的侵害を基礎づけるクレームの用語の意味にしたがった発明は特許庁による特許付与の結果であり,したがってその範囲内では裁判所は当該特許の無効を宣言することはもとより,実質的にも無効宣言と同様の結果をもたらすようなことはなし得ないからである。同一的侵害の領域内での自由技術の抗弁の許容は,確かに形式的には特許庁と裁判所との権限分配に反するものではないが,しかし,上記大阪高裁昭和51年2月10日判決が指摘しているように,当該特許を無内容なものとし,事実上無効として取り扱うに等しいものというべきであろう(この点については,さらに,前掲「パテント」誌掲載の 拙稿参照)。
 同一的侵害の領域内では自由技術の抗弁は認められないとする上記の見解に対し,無効審判手続に長期間を要する現状では,その手続きを経ていないというだけで特許侵害になるというのは,あまりにも硬直的な解釈であるとの批判がある(木棚照一・前掲書)。しかしながら,無効審判制度の存在そのものを問題視するのならともかく,その運用面のみの欠陥を理由として制度自体を実質的に否定しさるような解釈はとり得ないのである。そればかりでなく,無効原因を含むことが裁判所にも明らかとなるような特許権であるなら,特許庁で無効の審決を得ることにそれほど時間はかからないといわれている(高林克己・前掲書)。そうだとすれば,同一的侵害の領域内では無効審判の請求以外に侵害を免れる方途はないとしても侵害者とされる者にそれほど過剰な負担を強いることにはならないと思われる。
 なお,等価的侵害が問題となる場合には自由技術の抗弁を許容すべきことについては,前掲「パテント」誌掲載の拙稿参照。

(おおせと たかし:立命館大学法学部教授)