判例評釈 |
冒認出願による意匠登録を受ける権利の喪失と不法行為責任 |
盛岡 一夫 |
<事実の概要> |
Y(被告・被控訴人・被上告人)は,自転車等の製造,販売,修理を目的とする会社であり,X(原告・控訴人・上告人)は,その嘱託社員であった。XはAと自転車用幼児乗せ荷台の意匠を創作し,意匠登録を受ける権利を有していた。Yは,昭和44年10月に新製品発表会を開催し,同月に本件意匠について創作者をAとした意匠登録出願をし,昭和46年2月17日に意匠登録を受けた。 |
<判旨> |
上告棄却
「意匠の創作者でない者あるいは当該意匠について意匠登録を受ける権利を承継したことのない者が,当該意匠について意匠登録出願をし,右権利の設定登録がされた場合には,当該意匠の創作者あるいは当該意匠について意匠登録を受ける権利を承継した者が,その後に当該意匠について意匠登録出願をしても,当該意匠は意匠公報に掲載されたことによって公知のものとなっているため,右出願は,意匠法3条1項の意匠登録の要件を充足しないから,同法4条1項の新規性喪失の例外規定の適用がある場合を除き,右権利の設定の登録を受けることはできない。 したがって,前判決の前記説示部分には,意匠法3条1項の解釈適用を誤った違法があるというべきであるが,原審は,Yが本件意匠について意匠登録を受ける権利を承継した者でないにもかかわらず本件意匠について意匠登録出願をし意匠権の設定の登録を受けたことによって,Xが右権利の価値相当の損害を被ったとしても,右不法行為による損害賠償請求権は既に時効により消滅しているとの認定判断をしており,右認定判断は,原判決挙示の証拠関係に照らし,正当として是認することができるから,原判決の前記説示部分の違法はその結論に影響しないものというべきである。」 |
<評釈> |
1 本判決は,冒認出願による意匠登録を受ける権利の不法行為責任を認めた最初のものである。
XがYの冒認出願により意匠登録出願をすることができなくなり,意匠登録を受ける権利を喪失したから,Yの冒認出願はXの意匠登録を受ける権利を侵害した違法な行為であるとの主張について,第1審は,Yの本件出願により意匠登録がされ,公知または文献公知となったとしても,Xは本件意匠につき意匠登録を受ける権利を有するものであるが,その意に反して新規性を失ったとして,6カ月以内にその意匠登録出願をすることができたはずのものであったとして,Yの本件出願により,Xが本件意匠について意匠登録を受ける権利を侵害されたものということはできないと判示している。 第2審は,冒認出願は正当な権利者の出願に対しては先願とはなり得ないのであるから,XとしてはYの先願を理由として拒絶理由通知がされた場合には,このことを争えばよく,また,Yの出願が登録された場合には,無効審判の請求をすればよいだけのことである。したがって,Yが本件意匠について登録出願したことがXに登録を受ける権利を喪失させることになるものではなく,もとより登録出願をすることの妨げとなるものでもないと判示している。 この判決は意匠法3条1項の解釈適用を誤った違法があるというべきであるとして,本判決は,冒認出願が設定登録された場合には,正当権利者がその後に当該意匠について意匠登録出願をしても,設定の登録がされた場合には意匠公報に掲載されたことによって公知のものとなっているため,右出願は意匠法3条1項の意匠登録の要件を充足しないから,同法4条1項の新規性喪失の例外規定の適用がある場合を除き,右権利の設定の登録を受けることができないと判示して,冒認出願による意匠登録を受ける権利の不法行為責任を認めている。 先に冒認出願がなされ,後日,意匠登録を受ける権利を有する者が出願した場合には,審査官は先願が冒認出願であるか否か知り得ないので,後願は拒絶査定される(意17条4号)が,この場合には,冒認出願は正当な権利者の出願に対しては先願となり得ない(意9条)から,冒認出願であることを理由に拒絶査定不服審判で争うことができるし(意46条),また,冒認出願が登録された場合には,無効審判で争うこともできる(意48条1項3号)。冒認出願による意匠登録について無効とする審決が確定すると,その意匠登録は初めから存在しなかったものとみなされる(意49条)。 特許庁によって,先願の冒認出願を無効であるとする審決がなされても,意匠登録を受ける権利を有する者の出願が必ずしも登録されるとは限らない。冒認出願された意匠が登録され,意匠公報に掲載されると公知になるので,新規性喪失の例外(意4条)に該当する場合を除いて,意匠登録を受ける権利を有する者が出願しても意匠登録を受けることができないことになる。冒認出願の後で正当の権利者が出願をしても,新規性を有しないとの理由により意匠登録を受けることができなくなることがあるから,冒認出願により意匠登録を受ける権利を喪失させることになる場合がある。 したがって,冒認出願は,原則として意匠登録を受ける権利を有する者に対する不法行為になる。本判決は,冒認出願された意匠が登録された場合には不法行為になるとして損害賠償請求を認めているが,冒認出願された意匠が登録されない場合であっても,冒認出願行為自体に原則として不法行為の成立を認めてもよいであろう(山中伸一・判例評論419号57頁参照)。具体的には,冒認者が意匠を知得した手段や方法,出願に至った事情等を総合的に勘案して違法性が判断されることになると解されている(中山信弘・工業所有権法上164頁以下参照)。 Xは上告理由として,YがXに対し新製品発表会前に本件意匠の譲渡契約の締結を申し入れておきながら,譲渡契約を締結せずに本件意匠を公開・発表し,冒認出願したと主張しているが,この点について本判決は判断していない。特許庁において,Yは本件意匠をXから譲り受けることなく出願したものとして無効審決が確定している。本件のような場合には,意匠法70条の詐欺行為の罪が成立するであろう(青木康・注解特許法〔第2版〕下巻<中山編>1589頁参照)。 2 Xは,YがXに対し本件意匠の権利を買い取る旨の申し出をしたので,新製品発表会での発表に同意した。Yが発表したことにより新規性を喪失したので,Xは損害を被ったと主張している。本判決は,意匠登録の結果とし意匠公報に掲載されることによって公知のものになったとしており,発表行為によって公知になったことについて直接判断していない。本判決については,無権限公表による権利消滅一般に損害賠償を認めたと解釈できる点で意義があるとの評釈がある(川口博也・平成5年度重要判例解説264頁)。本件のように詐欺的行為により発表することによって,意匠登録を受ける権利を喪失させる場合にはXに損害賠償請求を認めてもよいであろう。 第1審および第2審において,Xは予備的請求として,Yの無断実施による不当利得の返還を主張しているが,上告理由とはしていない。この主張に対し,第1審は,XはYの本件出願により本件意匠について意匠登録を受ける権利を侵害されたとはいえず,また,Xは本件意匠について意匠登録をしたものでもないから,本件意匠についてその実施をする権利を有しないものである。したがって,Xは本件意匠について実施料相当の損害を受けるものとはいえないと判示している。第2審は,これを訂正し,仮に,本件意匠の創作者がX1人であり,しかもYにおいて本件意匠を実施することによって何らかの利得があったとしても,Yの不当利得返還請求権は時効により消滅していると述べている。これは無断実施に対しては,不当利得返還請求権の行使ができることを前提としたものであろう。 冒認でない実施者に対しては不法行為にならない(紋谷暢男・注釈特許法90頁)。知得の手段や方法が著しく不当な場合に限り,その知得行為と並んで,実施行為も不法行為になると解されている(中山・注解特許法〔第2版〕上巻276頁)。知得行為に違法性があるときに不法行為となる。また,不当利得返還請求権の要件を満たすときには,XからYに対し不当利得返還請求も認められる。ただし,無断実施に対する不当利得返還請求権は認められないとの見解がある(山中・前掲58頁)。 3 本件では主張されていないが,意匠登録を受ける権利を有する者が冒認出願人に対して返還の請求をすることができるか否か問題となる。出願中である場合には,正当権利者は裁判所に意匠登録を受ける権利を有することの確認判決を請求し,確認判決を得て名義変更手続を行うことになる(東京地判昭和38年6月5日判例タイムズ146号146頁,東京地判昭和60年10月30日判例タイムズ576号88頁,中山・前掲工業所有権法166頁参照)。から,創作者の表示の補正について協力せよとの給付請求も行わなければならない(竹田和彦「特許を受ける権利の返還請求について」パテント34巻7号5頁)。 冒認出願人が権利を取得した場合に,正当権利者はその権利の返還を請求することができるかについては見解が分かれている。わが特許法は,ドイツ特許法8条のように返還請求権を認めた規定がなく,これを認めるには解釈論として困難な問題があるので否定的見解がある(竹田・前掲6頁以下,中山・前掲注釈特許法279頁)。しかし,正当権利者に何らかの救済方法を与えるべきであろう。 そこで,不当利得としての返還請求を認める見解(川口・前掲265頁・同・特許法の課題と機能74頁以下,黒田英文・特許管理36巻9号1142頁以下)や,権利自体に関する客観的瑕疵の場合は特許庁専属の無効審判によらしめるべきだとしても,権利帰属に関する主観的瑕疵の場合をも無効審判によらしめているのは立法論として問題があるので,主観的事由の場合には,法の予想する無効審判手続および登録出願手続という救済のほかに,解釈論として,違法者の無効名義の転換として正当権利者にその根拠を認め,さらに裁判所の確認を得て権利の移転を認めてもよいのではないかとの主張がなされている(紋谷暢男・商事判例研究昭和38年度319頁,これに反対の見解として,荒木秀一・特許判例百選〔第2版〕223頁がある)。 正当権利者から冒認出願人に対して,意匠登録を受ける権利の返還請求は認められているが、意匠権の返還請求が認められるか否かについては見解の分かれるところである。ドイツ特許法8条のような規定を設ける必要があろう。 |