判例評釈 |
職務上創作,考案した意匠,実用新案 に基づく対価の支払いについて (補償金請求事件) |
東京地裁平成4年9月30日判決,平元(ワ)第6758号 |
山田 恒夫 |
<事実の概要> |
原告Xが被告Y会社の取締役在職中に創作,考案し,Y会社に帰属するに至った意匠,考案につき,意匠法第15条3項,実用新案法第9条3項により準用される特許法第35条3項にもとづき, その対価の支払いを求めるものである。 |
<判旨> | ||||||||||||||||||||||||||||
1.特許法第35条3項,4項における相当な対価について
「当事者に特段の合意のない限り,相当な対価の請求権は,特許を受ける権利又は特許権の譲渡の効力が生じた時に発生し,対価の額はその時点における客観的に相当な額を定めるべきものと解するのが相当であるが,譲渡の効力が生じた時より後に生じた事情,例えば,特許登録がなされたか否か,当該発明の実施又は実施許諾によって使用者等が利益を得たか否か及びその利益の額も,右時点における客観的に相当な対価の額を認定する資料とすることができるものと解するのが相当である」。 2.意匠登録を受ける権利,実用新案を受ける権利の譲渡に対する相当な対価算定にあたって考慮するべき事項である,創作又は考案により使用者等が受けるべき利益の額について (1)特許法第35条1項によりY会社は当然に無償の通常実施権を取得する。「使用者等が受けるべき利益の額」は,単にY会社が本件各意匠,本件各実用新案を無償で実施することにより得られる利益の額をいうものではなく,本件各意匠権者又は本件実用新案権者として本件各意匠又は本件各実用新案を実施する権利を専有することによって得られる利益の額を指すものといわなければならない。 そうしてみると本件各意匠及び本件各実用新案の実施品の販売によってY会社の得た利益から直接に「Y会社の受けるべき利益の額」が算定できるとするXの主張は採用できない。 (2)実施する権利を専有することによって得 られる利益の認定方法 本件各意匠権又は実用新案権者であることによって,各意匠,各実用新案を第三者に有償で実施許諾することが可能になることに着目すれば,意匠権設定登録の日から,あるいは実用新案出願公告の日から,各存続期間の終了までの間,それらを自らは実施せず第三者に実施許諾したと仮定した場合に得られる実施料相当額が職務創作又は職務考案の実施を排他的に独占し得る地位を取得したことによりはじめて受け取ることができる利益であるとみなすことができるから,右実施料相当額を基準としてY会社が受けるべき利益の額を認定することも許されるべきものというべきである。 この認定方法は,各権利をY会社が自らは実施せず,第三者に実施許諾したと仮定して,その場合の実施料相当額を基準とするものであるから,Y会社が現に有償で実施許諾しているか 否かにかかわるものではない。 (3)第三者に実施許諾した場合の,各権利の売上高についての検討 実施許諾された第三者は,Y会社が本件各意匠及び本件実用新案の存続期間内に各権利の実施品を売る売上高の少なくとも2分の1の売上を得ることができるものと推認できる。 (4)第三者に実施許諾したと仮定した場合の実施料率について 社団法人発明協会研究所の実態調査結果によれば,各権利の実施品が属する末端的な金属製品の頭金なしの場合の実施料率のバラつきは1%〜19%で,最頻値は3%,中央値4%,平均値4.51%となっている。本件は実施に特殊な技術を要しないから,実施料は2%と認めるのが相当である。 以下,各々の実施料を,意匠(一)について例示する方法で,計算している。
実用新案(一)(二)については,権利者は訴外A社であるが,Yがそれらの実施品を一手に製造しA社に納入している。けれども,それはYがそのような形態でそれらの権利を営業上の取引方法として利用したことによるものであり,実用新案登録を受ける権利をA社に譲渡しなければ,Yがそれらの実用新案権を取得し,A社に販売したのと同程度の売上を上げることができたものと推認することができる,として,実用新案(一)(二)についても,意匠(一)と概ね同様の計算方法で実施料を算定している。 3.使用者等が貢献した程度についての検討 XはY会社の営業担当の専務取締役の地位にあり,営業活動を通じ顧客のニーズを知り,それが本件各意匠の創作,本件実用新案の考案につながったものもあるが,Y会社は組織として新製品の開発に当たる部署はなく,創作,考案についてはY会社の従業員等の協力はなく,専らX一人の研究の成果であること,Xの創作,考案のための研究・思索はY会社の専務取締役としての職務時間内にも行われたが,その多くは出張の際の列車中,自動車の運転中であり,その他は昼休み,夜間の私的な時間が充てられたこと。 XはY会社から専務取締役としての報酬は得ていたが,特に本件各意匠,実用新案その他の創作,考案をしたことや,それらをY会社に承継したことによる加算,増額は行われていないこと。 試作品の強度試験を公的機関に依頼することについては,Y会社の名義で行い,10万程度の費用をY会社が負担したことはあったが,それ以外に研究費,試作費,材料費をY会社が負担したことはなかったこと。 本件各意匠の創作,本件各実用新案の考案にあたっては,X個人の努力,貢献が大きく,Y会社の貢献はさほど大きくないものと評価するのが相当であるから,Y会社が受けるべき利益の65%をもって,相当な対価と認めるのが相当である旨判示し,総額1295万円の支払いをYに命じたものである。 |
<評釈> | ||||||
判旨には必ずしも全面的に同意できるわけではない。その理由については以下に述べる。
本判決の位置づけについては,特許法第35条3項,4項における相当な対価について,従来の判決から一歩踏み込んだ判断をしているといえる。すなわち,相当な対価の請求権の発生するのは,特許を受ける権利又は特許権の譲渡の効力が生じた時であるし,その対価の額はその時点における客観的に相当な額であることは,従来の判決に従ったものであるが(東京地裁昭58.9.28判決,無体集15巻3号620頁,別ジュリNo.86,36頁以下参照。東京地裁昭58.12.23判決,無体集15巻3号844頁,別ジュリNo.86,38頁以下,「発明」81巻11号66頁参照),後に生じた事情も,上記時点における客観的に相当な対価の額を認定する資料とすることができることを,事情を具体的に例示している点が目新しい。 1.相当な対価について 特許法第35条3項,4項の解釈について従来の判例は「職務発明について,特許を受ける権利を使用者に承継させたときは,発明者である従業者は相当の対価の請求権を取得するが,特許法第35条3項の解釈上,右請求権の発生するのは,特許を受ける権利の承継の時であると解するのが相当である。これは,同法において,『特許を受ける権利』が特許権とは別個の独立した権利とされており(同法第33条)右の対価が『特許を受ける権利』を承継させることに対する対価である以上,当然のことであるというべきである」「原告は,この点に関し,対価を登録報酬と実施報酬とに分けて,種々論じているが,特許を受ける権利を承継した使用者が,特許出願するか否か,これを実施するか否かは,譲受人たる使用者の自由であるから,原告のような解釈をとると,出願も実施もしない場合には対価の請求をすることができなくなり,不合理である。また,特許を受ける権利という一個の権利の一回的譲渡の対価は,譲渡時において一定の額として算定しうるはずのものであるから,後に登録になったか否か,実施により利益を生じたか否か等の事情によって,対価の額がその時点で初めて定まると解するのは,相当でない。これらの事情は,後日になってから譲渡時における『相当の対価』を評定するに当たり参考とすることはできるが,これを直接の算定根拠とすることは妥当でない。特許法第35条4項は,対価の額の算定につき,『その発明により使用者等が受けるべき利益の額』を考慮すべきことを定めているが,右利益は『受けるべき利益』とされていることから,その発明により現実に受けた利益を指すのではなく,受けることになると見込まれる利益,すなわち,使用者等が当該権利承継により取得しうるものの承継時における客観的価値を指すものである」とし,この客観的価値については,「発明の実施を排他的に独占しうる地位を取得することにより受けることになると見込まれる利益を指すと解すべきである」「職務発明について特許を受ける権利を従業者から譲り受けてこれにつき特許権を得た使用者が,この特許発明を他者に有償で実施許諾し実施料を得た場合,得た実施料は,職務発明の実施を排他的に独占し得る地位を取得したことによりはじめて受け取ることができた利益であるから,この額を基準に使用者の貢献度その他諸般の事情を考慮して譲渡の対価を算定することは十分に合理的である」としてきている(東京地判昭58.12前掲)。 これに対しては,「独占的地位の利用を通じて取得することのできる利益の中には,実施料収入だけでなく,非独占的実施によっては取得することのできなかった売上高や営業利益の増加分も含まれるのではないかと思われる。元来法定実施権を有している使用者が権利承継によりいかなる追加利益を得るであろうか,という判旨の発想自体は正当として是認すべきだが,その具体的適用面において利益額を実施料収入に限った点については疑問が残る」(渋谷達紀「職務発明とノウ・ハウ」別ジュリNo.86,38頁以下,同旨,川口博也「発明」81巻11号66頁)等と評せられていたところである。 この点につき本判決は,「譲渡の効力が生じた時より後に生じた事情,例えば,
相当の対価は,特許を受ける権利等を譲渡した時点に支払われる場合もあるし,本件のように,そのずっと後に支払われる場合もある。後者の場合には,譲渡の効力が生じた後に生じた事情も勘案して,客観的に相当な対価の額を算定することができる。けれども,前者のような場合には,すなわち,譲渡の効力が生じた時に,然るべき額の対価あるいは補償金が支払われた後に,該特許で予想をはるかに超えた利益を得られたという事態も生じ得る。さらに本件では,実用新案(一)の実施中断も考慮に入れて,得られるべき利益の額を算定している。たとえ少額であっても,発明者と使用者との間で,相当の対価としての合意があれば,それで,特許法第35条3項の相当の対価は支払われたと考えるべきであり(染野義信,松居祥二,鈴木竹雄など,ジュリス卜選書「発明」476頁参照),相当の対価の支払いを受ける権利は放棄できるから,将来相当でなくなるかもしれないということがあるとしても,合意してしまえば,一種の放棄ということにもなる(吉藤,前掲「発明」477頁参照)から,相当の対価であることの合意をして,最初の補償金を支払ってしまえば,後から大きな利益が得られても,事情変更の原則でも働くと解せられる場合以外は,迫加請求はできないということになるであろう。 ドイツにおいては,使用料率も含めた補償額の算定方法が示されており,追加請求についての議論の生じる余地はない。なんとなれば,ドイツ従業者発明に関する法律(Gesetz über Arbeitnehmer−erfindungen vom 25. Juli 1957)§12Abs.3Satz 1は,使用者は,相当なる期間内に補償に関する合意が成立しないときは,補償額を確定する権利を有することを定めており, この期間の不相当な延長を防ぐために§12Abs.3Satz 2は確定した期限を定めているからである。 それによれば,無制限請求(unbeschränkten Inanspruchnahme (§§6,7Abs.1))の場合にあっては,確定した保護権付与後3カ月が終期であり,制限請求(beschränkten Inanspruchnahme)の場合は,利用権の受容後3カ月以内に確定されなければならない(Bartenbach/vo1.3Gesetz über Arbeitnehmererfindungen Kommentar 2. Auflage S.442ff.)。 事情変更はどのような場合に認められるかについては,観念的な議論よりもむしろ具体的判例の積み重ねが待たれるところである。 2.使用者等が受けるべき利益の額について (1)意匠法第15条3項は,職務創作について特許法第35条を準用することを明定している。けれども,意匠の職務創作に対する相当の対価の額の算定について,特許法第35条3項あるいは4項の特許や実用新案に対する解釈をそのまま意匠の場合にも適用することは別問題である。意匠には量産に適する意匠も多数存するが,クラフトマン的な意匠つまり少数で価値ある意匠も存するわけで,意匠を実施する権利を専有することによって得られる利益の額をもって,相当な対価の算出にあたって考慮すべき「使用者等が受けるべき利益の額」とすることは必ずしも適切でない。発明協会研究所の,工業所有権等の実施(使用)許諾契約件数に関する調査結果によれば,意匠の分野では,登録意匠の90%以上が実施許諾契約の対象となっていない(発明協会研究所編「技術取引とロイヤルティ−知的所有権の実施料評価ガイド」32頁以下参照)。 このような状況から,意匠にあっては,実施品の販売によって得た利益から直接に「受けるべき利益の額」が算定される場合があってもよいのではないかと思料する。ただし,本件にあっては,Xがこのような点を主張立証していないので,従来の算定方法に依拠したことも是としなければならないのかもしれない。 (2)本件各意匠又は本件各実用新案を実施する権利を専有することによって得られる利益の認定方法について この点について過去の判決は「特許法第35条3項にいう『相当の対価』とは『その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して定めなければならない』(同条4項)が,右使用者が受けるべき利益とは,従業者が職務発明たる特許を受けた際には使用者は無償の法定通常実施権を有するものである(同条1項)ことと対比すると,『当該発明の独占性に基づいて使用者が受けるべき利益の額』と解するのが相当であるところ,第三者に実施させた場合や譲渡の場合の利益が右に該当することはもちろん,自社実施の場合でも使用者が他社から製品を購入する際には,右購入価格には実施料が含まれているところ,逆に自社みずから実施する場合には右実施料相当額の支払を免れるのであるから自社実施の場合でも,右独占性に基づいて使用者が受けるべき利益が存するというべきである」(大阪地裁昭59.4.26判決)と判示しており,本判決も概ね同旨によって,Y会社が現に有償で実施許諾しているか否かにかかわらず,第三者に実施許諾したと仮定した場合の実施料相当額をもって,本件各意匠又は本件各実用新案の専用実施権設定の場合の利益と認定しているものと考えられる。 製品の一部に使われる特許や実用新案の場合には,該技術なくしては当該製品が完成しないのであるから,Yが受けるべき利益の額認定にあたって,自社技術のない場合は他社から購入しなければならないという前提条件も成り立つが,本件のように,意匠として独立的に自社製品を製作する場合には,この前提条件も必ずしも妥当とはいえないのではなかろうか? (3)第三者に実施許諾した場合の,各権利の売上高について 本判旨は,実施許諾された第三者は,Y会社が本件各意匠及び本件実用新案の存続期間内に各権利の実施品を売る売上高の少なくとも2分の1の売上を得ることができるものと推認できる,としている。この理由としては,Y会社が特別に著名な会社であるとか,特別に営業力があるとは認められないから,Y会社のみで実施して得られる売上高の2分の1を専用実施権許諾の場合の売上としている。これは恐らく,前掲東京地判昭58.12の判旨「・・・・・・自らは実施せず第三者に実施許諾し,この第三者が同発明を実施して・・・・・・製造しこれを販売したと仮定すると,右第三者は少くとも被告と同額の売上を得ることができたと推認でき,・・・・・・」に依拠したと思われる。専用実施権を他者に設定した場合の売上高の算定方法としては,他に適当な方法が見当たらなければ,このような方法によらざるを得ない。但し,2分の1とする明瞭な根拠は示されていない。 (4)実施料率について Xは,売上高の2%以上,実施料率を基準として算出するとしても,本件の場合の実施料率は売上高の5%を下回らない旨主張している。これに対し裁判所は,実施料率の2%と判断したのであり,この 3.使用者等が貢献した程度について 特許法第35条4項が「相当の対価の額は,その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して定めなければならない」と定めているので,意匠や実用新案の場合にも,補償額決定にあたっては,使用者等が貢献した程度を斟酌しなければならない。主として考慮すべき内容は研究条件であって,研究に好適の環境を与えられたか,多数の補助者が協力したか,特別の経済的裏付けがなされたか等である(滝野文三「使用人発明権論」240頁参照)。問題は,この貢献度というものを,単なる観念的なものから具体的な金銭の額にどのようにして移しかえるかということである(染野,特許法セミナー(1)「発明」490頁)。前掲東京地判昭58.9.28においては「被告が,原告らが本件考案をなすに当って,多額の研究費を出捐し,その研究設備,スタッフを最大限に活用させたことは原告も明らかに争わないところである」として,「右実績補償金につき他の2名の考案に対する原告の考案の寄与率は少くとも7割であると認められ・・・・・・」としている。この点について本件は,判旨に示したごとく,X一人の研究の成果であること,創作・考案には私的な時間が充てられたこと,本件の創作・考案にもとづく報酬の増額は行われていないこと,研究費,試作費,材料費をY会社は負担していないこと等を認定して,本件の創作・考案にあたっては,X個人の努力,貢献度が大きく,Y会社の貢献はさほど大きくないと判断している。にもかかわらず,結果的にはY会社の受けるべき利益の65%が相当な対価であると認定している。この率の妥当性に若干の疑問が残る。 本件は,意匠・実用新案ともに,専用実施権を設定したわけではなく,すべてY会社のみで製作,販売したにもかかわらず,第三者に実施させた場合の売上高を,自社実施の場合の2分の1と査定し,実施料率も2%とかなり低く見積もっている。そして,さらに,ほとんどすべてを原告一人で創作・考案したことは認定しているにもかかわらず,寄与率を65%としている点は根拠不十分と断じざるを得ない。けれども,この点についても,Xの主張,立証がほとんどなされていないことも看過できない。 4.まとめ 職務発明等に関する補償の問題は,訴訟になるケースは比較的少なく,社内の問題として処理されているのが一般的であるように見受けられる。発明・創作等に従事する被用者は決して少なくないのであるから,補償の点も十分考慮した社内規定が整備されることが望ましい。工業所有権法だけでなく,プログラム等のかかわる著作権法,就中,職務著作にかかわる補償についても,法の規定を超えて,社内規定で然るべき補償がなされることが望ましい。 |