判例評釈 |
著作権・著作者人格権侵害事件 (改訂薬理学等事件) |
〔東京地判平成2年6月13日,昭和57年(ワ)11321号,判例 時報1366号115頁,判決速報No.182−5152〕 |
久々湊 伸一 |
<事実の概要> |
原告Xは,A大学薬学部薬理学教室の助教授であった当時,同教室の教授であった被告Y1の推薦により,薬理学関係の書籍3冊,「薬理学」「生物試験法」「薬理学重点講義」(以下まとめて旧書籍という)のおのおのの一部分を,Y1を含む6名ないし14名の執筆者とともに分担執筆し,これらの書籍は,出版社Y1の子会社Y3の企画,編集により,昭和51年から52年にかけて逐次Y1から発行された。昭和55年6月,日本薬局方の改訂に伴い旧書籍の改訂が必要となったが,執筆担当者が一部変更になりXはY1の意向により執筆担当から外された。昭和56年から57年にかけて逐次「改訂薬理学」「改訂生物試験法」「薬理学重点講義10局新版」(以下まとめて新書籍という)が発行された。ところが新書籍には旧書籍のXの執筆部分と同一あるいは類似の部分が認められた。
Xは,新書籍中の上記部分はXの著作物の複製物であり,これらの複製が執筆陣からXを排除してなされ,複製権,氏名表示権,同一性保持権の侵害により損害賠償および慰謝料の請求ならびに差止・廃棄の請求の訴えを提起した。 |
<判旨> |
一部認容
1.執筆部分の確認について 「各執筆担当者が執筆した原稿は,他の執筆者から加除訂正されたりした部分があるとしても,その程度は,部分的な誤り等の指摘の類にとどまり,いずれも元の執筆者に戻され,その者の判断に基づいて,確定原稿が作成されたものであるといわなければならない。もっとも,《証拠略》によれば,原稿の中には,右認定の程度の加除訂正にとどまらず,内容や表現が大幅に書き換えられたものも存在することが認められるが,他方, このような場合は,訂正者と元の執筆者の了解を得たうえで訂正されるものであることが認められる。このような個別的な話合いもないまま,内容や表現を実質的に訂正することができる旨の申合せがなされ,これに基づいて訂正が行われたとの事実をうかがわせるような証拠はない。」 「本件旧書籍,少くとも本件旧書籍中前記認定のXが執筆した部分については,当初の原稿を執筆したXのほかに他の者が創作に関与したと認められるほど加筆訂正がなされた形跡はなく,また,そのような程度にまで加筆訂正がなされることが申し合わされた事実も認めることができず,更に,加筆訂正の程度にかかわらず各書籍について執筆者全員の共同著作物とする旨の合意があったというような事実もうかがうことができない。以上によれば,右・・・・・・認定したXの執筆部分については,執筆者全員の共同著作物ではなく,Xの単独著作物であると認めるのが相当である。」 2.侵害の認定 本件新書籍についてそれぞれ判断をしており,「改訂薬理学」に対するものを以下に掲げるが,他の2点も同じ内容である。すなわち, 「別表第1−乙記載(1)及び(2)の各剽窃箇所欄記載の部分は,同表記載(1)及び(2)の各旧版との対比欄記載の部分と同一の表現であることが認められ,右認定によれば,前者は後者を複製したものというべきである。次に,・・・・・・別表第1−乙記載(5)ないし(9)及び(13)の各剽窃箇所欄記載の部分を,同表記載(5)ないし(9)及び(13)の各旧版との対比欄記載の部分と対比してみると,(5)においては,・・・・・・(いくつかの)相違点があるものの,その余の表現は,同一であり,右の相違点にしても,各表現全体の中ではいずれも極めて微細な部分にとどまり,右各剽窃箇所欄記載の部分と各旧版との対比欄記載の部分の表現との同一性はほとんど失われていないものと認められる。したがって,前者は,後者を複製したものというべきである。 次に,・・・・・・同表記載(4),(10),(11)及び(12)の各剽窃箇所欄記載の部分と各旧版との対比欄記載の部分との間には,部分的に類似している表現が存在していないとは言い切れないものの,全体として表現に類似性はなく,明らかに別個の創作的表現であって,単におおむね内容的に同様の事項が記載されているにとどまるものと認められる。この点について敷えんすると,・・・・・・旧薬理学及び改訂薬理学は,いずれも,薬学系大学において薬理学を学ぶ学生に対する講義,学習のための教科書ないし参考書として,また薬剤師国家試験受験のための参考書として企画,発行されたものであって,その記載は,右の目的に応じた薬理学の標準的な内容を解説しているものであること,各執筆担当者による原稿の執筆に先立ち,Y3の担当者と執筆予定者によって行われた編集会議において,右の目的が確認され,章立てや目次の概略,各執筆者の担当部分と予定分量等が決められ,各執筆者が所属する大学において薬理学の講義を担当している経験に基づき,前記目的に沿って執筆すること等の申合せがなされたことが認められる。そうすると・・・・・・同種の内容が取り上げられて解説されていたとしても,そのことから直ちに前者は後者の複製物であると即断することはできないところ,前認定のとおり,両者は,全体として表現に類似性はなく,別個の創作的な表現と認められるのであるから,前者は,後者を複製したものということはできない。」 以上のように認定し,Y3が本件新書籍を企画,編集し,Y2がこれを発行したことが認定されるとして,「以上の事実によれば,Y2,Y3は,共同して,(以上で)認定した限定において,Xがその執筆部分について有する複製権を侵害したものといわなければならない。また・・・・・・右の複製物には改変部分があるほか・・・・・・本件新書籍にはXの氏名を表示していないことが認められるから,Y2, Y3はXがその執筆部分について有する同一性保持権及び氏名表示権を侵害したものといわなければならない。」とした。 3.差止請求および廃棄請求の理由不存在 「日本薬局方の改訂があった場合には,これに対応した内容の改訂が必要になること,本件新書籍は,昭和56年4月の日本薬局方の改訂に合わせて本件旧書類の改訂版として企画され発行されたものであること,その後,同61年4月に右の日本薬局方が更に改訂された結果,本件新書籍は教科書,参考書としての市場価値が極めて減少したこと,以上の事実が認められる。右認定の事実によれば,本件新書籍は既に需要者に対して販売されていないのみならず,今後販売される可能性もほとんどないものといわねばならない。そうすると,現在及び将来本件新書籍の販売によってXの著作権及び著作者人格権が侵害されるおそれはないものといわねばならないから,Xの差止請求及び廃棄請求は理由がないものというべきである。」 4.編集者の注意義務 「本件新書籍は,いずれも本件旧書籍の改訂版であるが,それぞれの執筆者が必ずしも同一ではないのであるから,業務としてこれを編集,発行する者は,改訂前の表現が改訂版書籍にも使用される可能性があることを当然予測すべきであり,特に,両者の執筆担当者が異なる場合には,その執筆部分について,改訂前の表現の無断利用が行われないように,予め執筆者に対して注意を促し,更に,執筆済み原稿を照合して表現の利用の有無を確認し, これがあった場合には被利用表現の執筆者の同意の有無を確認するなど,改訂前の執筆者の有する著作権,著作者人格権を侵害することを回避すべき措置を講じるべき義務があると解するのが相当である。」 |
<評釈> |
1.本件は,学術論文あるいは教科書が複数の者の関与により創作され,そのうちの1人の氏名が表示されなかった事件であるが,学術著作物に関する事件が多いということは,その内容が法理論上の困難な問題を提示しているというよりは倫理的に一見明瞭なものであってみれば,そこに学術出版における危機的な状況を読み取らねばならないのではないかとも思う。
学術著作物の事件で本件に近似するものとしては,まず医学専門書事件(東京高裁昭和55年9月10日判決,無体集12巻2号450頁)がある。執筆者の1人の氏名が表示されなかった点と内容も改変された点が共通している。一方,この事件は持ち込み企画であったため出版者が編集に関与していないが,本件では出版者が企画を指揮している点と,本件は,最初は氏名表示があったが,改訂版の際に著作者の地位を降りた場合であり,それにもかかわらず,その執筆部分が改訂版においても使用されたことが問題となっている。「Y子の症例」事件(大阪地裁昭和60年5月29日判決,無体集17巻2号281頁)は,「心理療法入門」の著者が弟子の研究報告の症例を許可を得て該書に引用したが,引用方法を誤って, 自己の症例として示し,氏名表示権と同一性保持権を侵害したとするものである。 2.本件では事実関係においてそれほど混み入った点はないと思われるが,問題は,Y1らが「本件書籍が共同著作物であって,各執筆者は,寄与度に応じた持分を有しているにすぎない」と主張したのに対し,判決が本件著作物は共同著作物でなく単独著作物であると認定し論証している点である。この点は不可解であって納得できない。Y1の主張それ自体は間違っておらず,本件の対象は共同著作物であってよいのである。批判すべき点は,「寄与度に応じた持分を有しているにすぎない」とすると,Xの主張の何が不当なのかという点である。本件における判決の認定は,正にXの寄与度に応じた持分の認定に全力を傾注したのであって,共同著作物においても可能である。判決が共同著作物を認定せず,Xの執筆部分の単独著作物の認定に固執したのは,著作権法第2条第12号の「共同著作物」の定義中,「各人の寄与を分離して個別的に利用することができない」という要件を,寄与が単に分離できないことと同一視し,分離できるが個別的に利用できない場合を共同著作物としている点を見逃したとしか思えない。「個別的に利用できない」とは一般にその部分のみで商業的に利用不可能な場合を指し,本件のXの執筆部分は,極めて断片的で個別的に利用できないものに該当することは明らかであると考える。 本件書籍が共同著作物であることは一般的に認められる。反対に判決が単独著作物と認めた部分は,到底それ(各人の寄与)のみを分離して個別的に利用することができるとは思われず,結合著作物のうちの単独著作物と認めることはできない。共同著作物の要件としては共同に著作する意思が必要であるが,Y3が編集会議を開き,担当部分と執筆条件を確認したことで十分に共同の意思は存在し, その執筆条件に従った執筆が著作の共同に該当する。Xの執筆部分に他の者が創作的に関与し,加筆言丁正をしなければ共同著作とは認められないというのは独断である。本件の場合,Xの執筆部分の間にY1の執筆部分が挟まっていることが認定されているのであるから,かかる細分された執筆部分の1つが判決のいうように単独著作物とされるならば,少なくとも言語著作物においてはおよそ共同著作物などというものが考えられないことになろう。判決が単独著作物と認定したものは,X単独の執筆部分すなわちXの寄与部分であるとすべきである。 共同著作者の関係を認めたものとしては,「英訳平家物語」事件(大阪高裁昭和55年6月26日判決,無体集12巻1号266頁)があるが, Xの役割はYの訳文の文法上の間違い,用語の訂正,ぎごちない英文,堅苦しい英文,退屈平板な英文を変更し,その変更部分を両者で再検討することであった。商業広告事件(大阪地裁昭和60年3月29日判決,判例時報1149号147頁)では,素材の大部分を提供し環状の鎖のデザインや波ないしは海洋を表現する暗色の指示,素材の配置について意向を開陳したAと,広告デザイナーとしての芸術的感覚と技術を駆使して,鎖の図案を自らデザインし,素材の大きさや配置を効果的に決定したBとの共同著作を認めた。 3.判決が共同著作物について,とまどいを見せているのは,著作権法の共同著作物に関する規定が,共同著作者の対外関係を定めているのみで,対内関係を定めてはいない点にあったかもしれない。文献によれば,「持分の割合は共同著作者の間で協議により定めるべきであるが,それがない場合には各共同著作者の持分は相等しいものと推定される(民法250条)。」(半田正夫「著作権法概説」第5版63頁)。これを本件に適用すると,協議内容が認定されなかったとすれば,持分均等とされることになる。持分均等は本件において妥当であるとは考えられない。これに対して,わが国の著作権法第64条・第65条の母法的規定はドイツ著作権法第8条と認められる。これによれば,その第3項において,「著作物の利用から生ずる収益は,共同著作者の間に特約がない限り,著作物の創作に対する各自の協力の範囲(大きさ)に応じて,共同著作者に帰属する。」としている。本体判決のXの持分の認定は,正に厳密に,「著作物の創作に対する各自の協力の範囲(大きさ)に応じて」行われたものである。そしてかかる方法で持分の割合を決定できないときは,ドイツにおいても民法第742条に従って均等とされる(Fromm/Nordemann, Urheberrecht 7 Aufl.1988 S.97;Schricker/Lowenheim, Urheberrecht Kommentar 1987 S.215参照)。 4.またドイツの文献には,グループ著作物(Gruppenwerk)というものを認める。これは,複数の著作者が刊行者の委託または指揮の下に協力して創作された著作物をいい,法改正の際にかかる著作物についてその刊行者に特別の著作権を認める制度の提案があった。この提案は著作権法の基本原則に反するとして制度化されるに至らず,文献でもそのことが是認せられているが(Ulmer, Urheber−und Verlagsrecht,3Aufl.1980 S.190;Schricker/Löwenheim,前掲書S.209f),ここで取り上げたのは,本件のような場合が,ちょうどこのグループ著作物を該当し,共同著作物の一種と認められている点を指摘するためである。 5.それ以外のドイツの文献による情報を示せば,共同著作物の種類として,水平的作業分担の場合と,垂直的作業分担の場合とがある。前者が通常の場合で,後者は,その成立が「私は貝になりたい」事件(東京地裁昭和50年3月31日判決,判例タイムズ328号362頁)で否定されたが,ドイツでは皇太子妃ツェチリーI事件(ケルン高裁1952年10月14日判決,GRUR 1953,S.499ff.)で認められている。 6.特に学術の場合共同著作, しかもその関与者の数も増大する傾向にあると思われる。これは研究分野が細分化されていく点と,より創造性の高い研究が求められているため,異なる分野の共同作業が増加し,その成果の期待も高まることから予想がつく。従って共同著作のシステム・メカニズムを正確に認識して,この関係が成果に至るまで安全に維持されることが重要である。 7.侵害の認定については,3つの態様に分けている。対比判断により同一を認定して複製を確認した部分と,相違点は極めて微細な部分にとどまり表現において同一性がほとんど失われていないとして複製を確認した部分と,部分的に類似した表現が,全体として表現の類似性はなく,別個の創作的表現と認めて,複製はないとした部分である。認定方法が明確で妥当と考えられる。 前掲商業広告事件においては,広告2が広告1からある程度の示唆を受けて作成されたものとしても,広告1の著作物としての表現形式上の本質的な特徴は,広告2の独自の創作性の陰に隠れて直接感得できないとして侵害を否定している。比較的同一性が薄いにもかかわらず,侵害を認めた事件としては,陶壁画事件(東京地裁八王子支部昭和62年9月18日判決,判例時報1249号105頁)があるが,複製物(著作権法上複製〔無形利用を除く〕と判断されなければ侵害はないのであるが)とまでは認められないけれども,対比判断によって認められた多くの共通性に基づき,原著作物を土台としてこれを変形した作品に著作権侵害を認めた。 本件においては,Y1は学術著作物の特徴を挙げ,自然科学上の事実は多彩な言い回しが用いにくく,ほぼ一定の言い回ししかできず,表現が類似している部分の多くが公知・定説となっている自然科学的事実の記載部分では,類似した言い回しがあるからといって複製したものとなるわけではないと抗弁している。これについて判決は直接答えていないが,Xの分担部分以外の著作物性も問題にすることになり矛盾してくることになろう。 8.本件においては,複製権の侵害について損害賠償のほかに慰謝料の請求を,また氏名表示権および同一性保持権による慰謝料の請求がなされており,判決における認定によれば,Xは,不本意ながらY1の意向により改訂版についてXの氏名を表示しないことを了承していた。しかし改訂版にXの執筆部分が利用され複製されることまで同意してはいないという判断に立っていると思われる。そうすると氏名表示権は主張し得ないという見解も成立する余地もあるが,また旧書籍のXの執筆部分を残存する新書籍はXを含む執筆者の共同著作物と考えるのか,Xを含む執筆者による共同著作物である旧書籍の違法な改訂とも考えられ,氏名表示権および同一性保持権の位置付けに困惑する。Xは旧書籍の共同著作者であり, その改訂に同意するかしないかがXにまかされている。 そもそも著作者人格権に対する判例上の解釈は,母法たる欧州諸国の著作権法上の通念に反して賛成できない。著作者人格権の例えば氏名表示権の侵害が,著作権法上のほとんどの訴訟において認定されている。そしてわが国の判例は,著作権の侵害と著作者人格権の侵害の算定を各別にする〔モンタージュ写真事件,最高裁(第二小法廷)昭和61年5月30日判決,民集40巻4号725頁〕。しかし著作権法の母法であるドイツ法あるいはフランス法によれば,著作者人格権は著作権よりも歴史的に後に認識され制度化されたものであって,著作者人格権が制度化される以前より,著作者の氏名が表示されない著作物の利用による著作権の侵害があり,また海賊行為は,著作者でない者が著作者の氏名を表示した著作物を不正利用するので,著作権侵害であるが,同時に無断で著作者の表示が使用されている。従って著作者人格権は著作権侵害のないところで問題にされるべきである〔半田正夫,判例評論340号48頁(判例時報1227号194頁)も最高裁判決に批判的である〕。 なお本件については,既に大家重夫氏の判例研究〔特許管理42巻2号(1992)191頁以下〕がある。 |