判例評釈 |
特許請求の範囲の記載文言自体は訂正されていなくても発明の詳細な説明および図面の訂正により特許請求の範囲の減縮があったとされる場合 |
〔最高裁第三小法廷平成3年3月19日判決,昭和62年(行ツ)109号,民集453号209頁〕 |
盛岡一夫 |
<事実の概要> |
X(原告・上告人)は,商品に値札を取り付ける等の用途に用いられるクリップの取付具に関する発明について,昭和47年11月30日,同年5月25日にアメリカにおいてした特許出願に基づく優先権を主張して特許出願し,同52年6月2日に出願公告され,同54年4月27日に設定登録がなされた。本件特許発明の特許請求の範囲は「目的物0と係合させられるように各々適合させられた複数の一緒に固定された取付け具から成るクリップであって,該取付け具の各々が目的物貫通部分2と,拡大部分4と,該両部分を結合している該貫通部分2から伸長した細長い区分6と,該貫通部分2を相互に平行的に間隔を置いて結合している切断されうる部材8,10とから成るクリップにおいて,該拡大部分間に介在してそれらを結合している容易に切断されうる固定部材22を備え,該固定部材は該切断されうる部材より隣接する該拡大部分がねじり力により相互に手操作で分離されうる程充分に弱いことを特徴とするクリップ」であり,明細書の実施例に細いプラスチックフィラメントによる固定の態様をいくつか説明しており,そのほかに接着剤により拡大部分を接着しておく態様も記述されていた。 |
<判旨> |
「上告代理人提出の特許庁昭和58年審判第6902号事件審決謄本及び本件記録によれば,本件特許については,Xの訂正審判請求に基づき,原審口頭弁論終結後の昭和62年3月31日,本件明細書及び図面から接着層に関する第12図及び第13図を削除し,併せて発明の詳細な説明の右図面に関連する説明部分を削除する旨の訂正を,特許法126条1項3号の明瞭でない記載の釈明として認める旨の審決がされ,右審決謄本が同年5月20日Xに送達され,右審決が確定したことが認められる。右審決には,明瞭でない記載の釈明に相当するものとしてXの申立てを認める旨の記載があるが,Xは明瞭でない記載の釈明又は特許請求の範囲の減縮としての訂正審判を申し立てたものであり,また,右審決も,同条1項1号の特許請求の範囲の減縮を目的とする訂正審判請求を認めるための要件である同条3項に規定する訂正後における特許請求の範囲に記載されている事項により構成される発明が特許出願の際独立して特許を受けることができるものであったか否かについても検討を加えた上で,Xの本件訂正審判請求が右要件を具備している旨の判断をもしている。
原審は,本件明細書の接着剤(接着層)に関する発明の詳細な説明の項の記載や図面などを参酌して,固定部材には接着剤(接着層)が含まれるものと認定判断したものであり,原審の右認定判断は,特許請求の範囲の記載文言の技術的意義が一義的に明確とはいえない場合の発明の要旨の認定の手法によったものとして首肯し得るものであるが,訂正を認容する審決の確定により,特許請求の範囲の記載文言自体が訂正されたものではないけれども,接着剤(接着層)に関する記載がすべて明細書及び図面から削除されたことによって,出願時に遡って,本件明細書の特許請求の範囲の固定部材に接着剤(接着層)が含まれると解釈して本件発明の要旨を認定する余地はなくなったものと解するのが相当である。 したがって,本件特許につき訂正を認容する審決が確定したことにより,本件発明の特許請求の範囲の固定部材の構成は,出願の当初に遡ってこれに接着剤(接着層)を含まないものに減縮されたものと認められるから,原判決の基礎となった行政処分は後の行政処分により変更されたものであり,原判決には民訴法420条1項8号所定の事由が存するといわなければならない。このような場合には,判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背があったものとして原判決を破棄し,更に審理を尽くさせるため事件を原審に差し戻すのが相当である」。〔最高裁昭和58年(行ツ)第124号,同60年5月28日第3小法廷判決・裁判集民事145号73頁参照〕 |
<評釈> |
1 本件で問題となったのは,特許請求の範囲の固定部材に接着剤(接着層)が含まれるか否かという点である。本件発明であるクリップに関し,特許請求の範囲には「該拡大部分間に介在してそれらを結合している容易に切断されうる固定部材を備え,該固定部材は該切断されうる部材より隣接する該拡大部分がねじり力により相互に手操作で分離されうる程充分に弱いことを特徴とする」との記載しかなく,発明の詳細な説明や図面には,接着剤をもって固定部材とした実施例について記載されていた。原審は,本件発明は接着剤(接着層)をもって固定部材としたものを含むと判断し,本件特許を無効であるとした審決を是認した。
そこで,Xは,無効理由に該当する部分,すなわち,本件発明の詳細な説明や図面中の接着剤をもって固定部材とした実施例に関する記載をすべて削除する旨の訂正審判を請求し,特許庁によってこの訂正を許す旨の審決がなされた。本判決は,特許請求の範囲の記載文言自体は訂正されていない場合でも,特許請求の範囲に記載されている固定部材の技術的意義が一義的に明確とはいえず,発明の詳細な説明および図面から接着剤(接着層)をもって固定部材とする記載をすべて削除する訂正審決が確定したときは,特許請求の範囲に記載されている固定部材は,接着剤(接着層)を含まないものに減縮されるとしている。 2 本判決は,特許請求の範囲に記載された文言自体は訂正されていなくても,発明の詳細な説明および図面を訂正する訂正審決がなされた場合には,特許請求の範囲の減縮があったと述べており,妥当であると考える。ただし,発明の詳細な説明や図面を参酌して判断するのは,特許請求の範囲の記載文言の技術的意義が一義的に明確といえない場合であると限定している点については疑問がある。 本判決の直前に言い渡された最判平成3年3月8日(民集45巻3号123頁)は,発明要旨の認定は「特段の事情のない限り,願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか,あるいは,一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照して明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って,明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない」と判示している。最高裁の見解によると,発明の詳細な説明や図面の記載が参酌されるのは,例外として,特段の事情がある場合に限られることになる。 特許請求の範囲は,出願人が特許を請求する範囲であり,登録後は他人に対して自己の権利として主張するものであり特許発明の技術的範囲の解釈基準となるものである。特許法70条は「特許発明の技術的範囲は,願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない」と規定している。 特許請求の範囲には,特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること,特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみ記載した項に区分してあることを要し(特36条5項1号・2号),発明の詳細な説明には,従来の技術との関連において目的,構成,効果を記載することになっており(特36条4項),また,特許請求の範囲で用いる用語の意味を明確にする等,特許請求の範囲の解説欄的機能を果たしている。 特許請求の範囲に記載された発明の内容は,発明の詳細な説明の記載によって基礎づけられていなければならないから,発明の詳細な説明の記載は,特許請求の範囲の解釈において常に参照することが必要であるとの見解がある(牧野利秋・裁判実務大系9工業所有権訴訟法99頁)。また,欧州特許条約69条(1)は,明細書の記載および図面はクレームを解釈するために使用されなければならない旨規定している。 前述のように,特許請求の範囲の記載は,発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項のみが簡潔に示されているにすぎないものであるから,一般に,その記載のみによって特許請求の範囲の意義を明確に理解することは困難であろう。従って,特許請求の範囲の意義を解釈するに当たっては,発明の詳細な説明や図面を参酌すべきであり,また,参酌しなければならないであろう〔吉藤幸朔・特許法概説<第8版増補>382頁,高林克巳・判例評論393号47頁,角田政芳・特許研究12号58頁以下,塩月秀平・ジュリスト982号100頁,東京高判昭和45年4月15日無体集2巻1号135頁,東京高判昭和57年4月27日無体集14巻1号276頁,東京高判平成2年12月18日判例時報1378号109頁等〕。 3 訂正審判の請求をするには,《1》特許請求の範囲の減縮,《2》誤記の訂正,《3》明瞭でない記載の釈明の3つの場合に限定され,そのうちの《1》の場合には,訂正後における特許請求の範囲に記載されている事項により構成される発明が特許出願の際,独立して特許を受けることができるものでなければならない(特126条1項・3項)。 本件明細書および図面から接着層に関連する部分を削除する旨の訂正について,特許庁は,明瞭でない記載の釈明として認める旨の審決をしているが,本判決は,Xは明瞭でない記載の釈明または特許請求の範囲の減縮としての訂正審判を申し立てたものであり,また,右審決においでも特許請求の範囲の減縮を目的とする審判の要件である訂正後に独立して特許を受けることができるか否かについても検討しているので,本件訂正審判請求は特許請求の範囲の減縮を具備するものと判断している。 本件においては,特許請求の範囲の減縮を目的とする訂正であると解することもできるが,むしろ審決のように,明瞭でない記載の釈明を目的とする訂正であると解するほうが妥当であろう(高林克巳・前掲48頁参照)。審決が訂正後に独立して特許を受けることができるか否かについて検討しているのは,念のために判断したものと思われる。 本判決について,次のような批判がある。特許請求の範囲は詳細な説明に記載されている発明の構成に欠くべからざる事項のみから成り立っているので,その記載中の文言に一義的な解釈不能な個所があれば,その解釈を可能にするために, この文言を訂正するか,あるいはこの請求の範囲中の解釈不能をもたらしている文言自体の削除による減縮という一定の手続きを講じなければならないが,それをしないで詳細な説明や図面中の実施例や一部記載部分の削除を許可するとした訂正審決があっても,それはその部分だけの削除効果しか生じないので,特許請求の範囲のそのものが減縮されるという判断には賛成できないとの見解である(染野義信・民商法雑誌105巻3号404頁以下)。 また,特許請求の範囲の文言自体は一字一句も訂正されていないのに,特許請求の範囲の減縮であるとすることには,いささかの疑問がある(高林克巳・前掲48頁)とか,特許請求の範囲の記載をそのままにしておいて,単に明細書中の文言から該当する技術事項を削除したからといって,技術的範囲が小さくなるというのも落ち着きの悪い解釈である(田倉整「訂正審判と破棄判決」発明88巻8号123頁以下)との批判がある。 しかし,特許請求の範囲そのものは訂正されなくても,発明の詳細な説明や図面の記載を変更したり追加することにより,特許請求の範囲に記載された技術的事項の意義が実質的に変更することがあるといわれている〔橋本良郎・特許法<改訂版>100頁,荒垣恒輝・注解特許法<第2版>下巻(中山信弘編)1051頁以下,高林龍・ジュリスト982号101頁参照〕。特許請求の範囲に記載された文言自体は訂正されなくても,単に発明の詳細な説明の項の記載を訂正する訂正審決がなされた場合であっても,特許請求の範囲を正確に理解するためには,発明の詳細な説明や図面を参酌することになるので,発明の詳細な説明や図面の記載が削除されることによって,特許請求の範囲が減縮することがあると考える。 4 本判決は,特許請求の範囲の減縮を認める訂正審決が確定した場合には,原判決の基礎となった行政処分は後の行政処分によって変更されたものであり,原判決には民訴法420条1項8号の再審事由が存し,ひいては結論に影響を及ぼすこと明らかな法令違背があるとして原審に差し戻している。これは,再審事由があるとして取り消す立場をとっている最判昭和60年5月28日(判例時報1160号143頁)等の判決に沿うものであり,これも一つの考え方であろう〔土肥一史・注釈特許法(紋谷暢男編)282頁参照〕。 しかし,訂正審決の確定により特許は初めから訂正された明細書および図面の内容のものとして査定され,登録されたものとみなされる(特128条)のであるから,特許を無効とした審決の特許発明の内容は必然的に誤ったものとなり,その誤った認定を基礎とした審決およびこれを是認した判決はいずれも違法となるという理由でこれを取り消すべきものであるとの考え方が(高林克巳・前掲49頁),より妥当であると思われる。 訂正認容審決の確定により遡及効をもたらすのであるから,接着剤(接着層)に関する記載が発明の詳細な説明や図面から削除されたことによって,本件特許発明の範囲の固定部材の構成は,出願の当初に遡って接着剤(接着層)は含まないものに減縮されたものとみなされることになった。 従って,訂正前の発明の詳細な説明や図面に基づいて特許請求の範囲の固定部材の構成に接着剤(接着層)が含まれるものと解釈して判断した特許無効審決およびこれを維持した原判決は,違法であって取り消されるべきものであると解する(東京高判昭和50年7月16日判例タイムズ330号310頁参照)。 |