判例評釈 |
試験研究委託契約に関連した発明の特許紛争の際に締結された和解契約の対象となった特許と本件特許は異なるものとされ,この契約に基づき本件特許の専用実施権の登録を求めることができないとされた事例 |
〔東京地裁平成元年5月31日判決,昭和60(ワ)8040号,無体裁集22巻1号291頁〕 |
木棚照一 |
<事実の概要> |
Xは,ゲルマニュウムその他の元素の化合物に関する開発研究と製造販売等を目的として昭和50年に設立された株式会社であり,それ以前から浅井ゲルマニュウム研究所の名称でなされていたAの個人事業(以下浅井研究所という)があったがその全資産を承継して法人組織としたものてある。浅井研究所は,自らGe132と名付ける有機ゲルマニュウムの合成に成功し,昭和43年3月29日に同物質の製造方法に関する特許出願をするとともに,その薬効等の研究を続行した。この出願が公告された後の昭和46年7月1日に,浅井研究所は,Bが代表取締役を務めるC社とGe132の薬効の動物実験に関する研究委託契約を締結した。ところが,Bは,昭和50年(1975年)10月23日に「3−トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類並びにその製造方法」に関する特許出願をベルギーで行い,この特許出願に基づく優先権を主張して同一内容の特許出願をアメリカ合衆国,日本,西ドイツ(編集部注:以下すべて当時),フランス,イギリスに行い,特許権を得た。 |
<判旨>控訴棄却 |
1「化合物の同異は,化学構造式,物理的あるいは化学的性質,さらには製造方法の同異によって決定されるのが相当であるところ,米国特許の最終目的物である『3−トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類』とバイオジトン8が化学構造式において区別し得る・・・・・・ことは明らかである。のみならず,物質の同定に用いられる赤外線吸収スペクトルにおいて明確に相違しており,さらに,米国特許のクレーム2に記載されている製造方法とバイオジトン8の製造方法は,加水分解の条件において明らかに相違することが認められる。それゆえ,『3−トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類』とバイオジトン8は, たとえ医薬品として投与される状態においては実質的に同一の化学構造を示すとしても,別個の化合物と認定するのが相当である。」
2「本件研究委託契約によってC社に委託された事項は,特定の有機ゲルマニュウムのラットに対する薬理作用を明らかにすることであったと認められるから,契約当事者間において,競合的な医薬品の開発及び得られた発明の特許出願の避止義務が黙示的にせよ合意されたと推認することはできず,まして,C社の代表者であったB個人がそのような避止義務を負うと解することは到底できない。」 3「本件和解契約がBから原判決別紙目録7及び8記載の特許出願が既になされている事実を明らかにされないまま締結されたとしても,『3−トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類』とバイオジトン8は別個の化合物と認定すべきものである以上,本件和解契約に言う『米国特許と同一内容のもの』を,Xが主張するように拡張して解しなければならない理由はない。」 |
<評釈> |
1 本件判決は,試験研究委託契約に関連して生じた発明の帰属・利用に絡み締結された和解契約の解釈に関するきわめて珍しい事件の控訴審判決である。原審判決は,おそらくこの点に関する判例集に収録された最初の事案に関するものであると思われる(原審判決の紹介としては,山本豊・民事判例レビュー,判例タイムズ722号41頁以下がある)。
新しい技術や製品を開発するために,外部の研究開発機関に試験や研究を委託することがある。委託する理由はいろいろ考えられる。たとえば,その問題に関する施設や研究員が充分でない場合や,緊急課題の早期解決を目指している場合などである〔委託研究契約については,小林健男『委託研究契約の実際と手続』(ビジネス教育出版社,1984年)を参照〕。本件の場合は,おそらく自社内でも試験研究をしているが,並行して外部機関に試験を委託した事例に当たるであろう。これは,自社内で行うのが困難な試験を外部機関に委託することによってより詳しいデータを得,客観的な結果を得るとともに,そのような外部機関と知識や経験を交流することによってより優れたアイデアを得ることを期待して行われることが多い。そのために研究委託契約においては,研究成果や技術資料の帰属,管理,守秘義務などに関する条項のほか,試験研究の過程で得たすべての技術的知見をみずからも利用せず,他人にも利用させない旨の特約を定める条項を置くことも少なくない。 本件の研究委託契約は,委託者が合成に成功した有機ゲルマニュウムであるGe132について,高血圧ラットの血圧および動脈硬化に及ばす作用,2カ年のラットの慢性毒性試験,ラットの老化に対するゲルマニュウムの作用に関する研究,マウスラットの6カ月慢性毒性,催奇性,および, カドミュウム,メチル水銀の中毒に対する作用に関する試験研究を行うことを内容としていた。しかしながら,この契約は前述のような特約を定めたものではなかったので,受託機関の代表者Bが後に委託研究によって得た技術的知見をも利用して新たに有機ゲルマニュウムに関する特許出願を,まず当時物質特許を認めていたベルギーでし,次いで優先権を主張してアメリカ,日本などに出願したため委託者と受託者間で紛争が生じ,本件和解契約が締結されたが,この和解契約の対象となっている特許発明に関連してさらに紛争が生じたのが本件の事例である。 和解契約を締結するおよそ3カ月ほど前に,バイオジトン8と称する有機ゲルマニュウムに関する物質特許および製法特許を出願していたので,これも本件和解契約の対象となる特許発明に含まれるかが問題となった。その際争点となったのは,和解の目的となった米国特許の最終目的物とバイオジトン8は実質的に同一物であるかどうか,本件の研究委託契約あるいは和解契約の解釈としてバイオジトン8についても和解契約の対象となった特許と同様にXに専用実施権設定登録をする債務がY1等に生じるかどうかである。 2 本件和解契約書の別紙に和解契約の対象となる特許を「アメリカ合衆国特許4066678と同一内容のもの」と特定しているので,この中にバイオジトン8に関する特許(目録7−26)も実質的に同一の発明として含まれるかどうかが問題となる。この点に関する論点は,次の3点に分けることができる。(1)米国特許と同一内容の日本特許が存在するのに,日本でバイオジトン8に関する特許出願が公告されている場合に,特許異議の申立て(特許法55条〜62条),特許無効の手続(123条〜125条,178条,181条,184条の2)によらずに,これらの特許出願の内容が実質的に同一であると主張することができるか。(2)薬剤として使用される化学物質に関する発明の同一性がどのような基準で判断されるべきであるか。また,本件和解契約の解釈として発明の同一性が問題となる場合と出願公告手続などで問題となる場合で基準を異にするか。(3)本件和解契約は,日本人間で日本で締結されたものであるが,和解契約の対象となる特許が外国の特許を含み,しかも,「アメリカ特許4066678と同一内容のもの」という形で特定されているので,アメリカ法を準拠法とするものとみることができるか。また,契約の準拠法自体は日本法としても,その対象の範囲については,いわば補助準拠法としてアメリカ法と解することができないか,である。以下これらの問題は相互に関連しているが,便宜上分けたうえで,順次考えることにしたい。 3 (1)の問題に関して,Y1等は,原審で行政行為の公定力を援用して,本件のような和解契約に関連した専用実施権登録等請求訴訟で特許法上定められた手続によらずに特許の無効をと主張したり,実質的に同一であるとすることができないものと主張している。原審判決も,バイオジトン8が別個に出願公告されている点を重視するとともに,和解の対象となった特許の発明とバイオジトン8に関する発明が実質上同一内容のものと主張しながら,これに関する特許登録を条件に専用実施権の登録を請求することの矛盾をあげている。Xは,控訴理由の中であくまで和解契約の解釈問題であり,異なる面をもつ点を強調しながら,そのような特許の無効を主張する。 この点で参照すべきであるのは,特許侵害訴訟における公知技術であることを理由にした特許当然無効の主張あるいは「公知技術の抗弁」の許否などに関する議論の展開である〔たとえば,中山信弘「公知技術の抗弁の許否」馬瀬古稀記念『判例特許侵害法』(発明協会,1983年)305頁以下参照〕。特許権の発生や消滅については,特許庁が専属的に管轄し,特許庁の行為については,必要な場合には異議申立や無効とするための手続が定められ,これらの手続が特許無効訴訟等の前提とされている。わが国の伝統的な判例・通説は,特許出願のクレームが公知技術と一致したとしても,特許無効確認の訴えを提起することができないことはむろん,特許侵害訴訟で特許の無効を主張することもできないもの,としてきた(刑事事件の中で損害賠償等も審理する付帯私訴の事例について大審院明治37年9月15日判決,刑録10巻1679頁等)。しかし,このような見解は,無効審決の確定まで特許権という排他的な独占権を与えることになり,具体的妥当性を欠く結論となる。侵害事件において訴訟手続を中止し(特許法168条),まず無効審判を得た後侵害についても判断を求めるのでは余りにも多くの時間を要し,技術が陳腐化してしまい実際の要請に適合しないものになるおそれがある。このような場合に,異議申立や特許無効の審判の手続によって争うのが本筋であるとしても,一定の場合に例外を認めておかねば妥当な解決が得られず,ひいては特許制度の健全な発展も期待できないことになろう。最近では,特許侵害訴訟においても端的に「公的技術の抗弁」を認め無効を主張することができるとする学説が有力になっている。判例も,侵害訴訟における権利範囲の確定に関連して公知部分除外説と呼ばれている見解をとっている(最高裁昭和39年8月4日判決ほか)。 先行する公知技術と実質的に同一であり,無効であると考えられる場合には,審決取消訴訟においてだけではなくその他の訴訟においても特許無効等の主張をすることは許されるべきであろう。 本件の判旨1も,そのような主張を認めることを前提として,同一性について判断したものと解される。もっとも,Xは,Ge132とバイオジトン8の実質的同一性を主張しているのに対し,原審の判旨は,両化合物の同一性を問題にして,結局,同一性がないものとしており,本件判旨も基本的に同旨と解される。ところで,本件発明は医薬品に関するものであり,医薬品に関する発明については,発明の同一性を判断する場合に単に物質的な同一性だけではなく,その物質の用途が重要な意義を有する。のみならず,むしろ医薬品については用途発明がその中心をなし,公知の物質であっても用途に新規性があれば別個の発明とみなされるのである。たとえば,従来爆薬として公知の物質であったニトログリセリンにつき臓薬としての用途を発見すれば,新しい医薬品の発明とみなされる。Xが,「実質的に同一のもの」とか,「極めてまぎらわしい程度の同一性ないし競合性を有しているもの」と主張しているのは,用途の同一性を主張しているとも考えられる。本件判旨がこの点について全く検討していないのは問題が残る。しかし,いずれにせよ,本件の場合には,Xの主張するようにバイオジトン8に関する特許が無効であるとすれば,そのような特許に関する専用実施権の登録請求も認められるべきではないことになるであろう。したがって,Xの主張はあくまで和解契約の解釈として意義をもつ。 4 (2)の問題については,本件判旨は,「化合物の同異は,化学構造式,物理的あるいは化学的性質,さらには製造方法の同異によって決定される」ものとする。化合物の同一性が問題となる場合として,特許要件のうちの新規性の判断の際のほか,優先権主張の場合における要件の一つとしての第一国出願と第二国出願における発明の同一性や生産方法の推定の要件としての「同一の物」(特許法104条,なお,この点に関して,たとえば,馬瀬古稀記念・前掲書551〜573頁参照)などがある。これら各場合において,化合物の同一性を決定する趣旨は必ずしも同一ではないのであるから,同一性の判断基準もまた詳細にみれば重点の置き方に異なることがあり得るであろう。しかし,それでも一応の基準は大きく異なるものではないともいえよう。 化学物質は,化学構造式が同一であれば,他に特別の事情がなければ同一の物質と認めることができるのが原則である。化学構造式が異なっていても,現在の化学的な常識からとくに実質的に異なる物質とみない場合があり,このような場合には,その物質の物理・化学的な性質が重要となるであろう。しかし,本件のような医薬品として利用される化合物の場合には,前述のように用途つまり薬効が異なるかどうかが重要な基準となるように思われる(なお,化学物質の同一性については,岩田弘,土居三郎,渥美勝忠『物質特許の知識』〔通商産業調査会,1975年)68頁以下,197頁以下,498頁以下,社本一夫『物質特許・多項制−その理論と運用』(化学工業日報社,1976年)131頁以下,283頁以下,372頁以下など参照〕。とりわけ,本件で問題となっているのは,和解契約の対象についてであり,前述の一応の基準とは別に,当事者の意思解釈に絡むものであるだけに,本件和解契約さらには試験委託契約の締結に至った事情などを考慮して客観的に当事者の真意を探求する必要がある。 X側からみれば本件訴訟の提起について次のような事情があるのではあるまいか。つまり,Xは,受託者のC社の代表取締役Bが「3−トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類並びにその製法」等の特許出願(本件特許目録1−6)にそのデータが使われていることを知り,本件研究委託契約がGe132の新たな薬効の開発を目指していたものだけに,誠意ある善処を求める催告をしたところ,Bが本件和解契約を締結することに応じた。しかし,これらの特許出願には,Xが委託した動物実験に関するだけではなく,かなりの部分の人体投与試験を含んでいた。ところが,それ以上に動物実験に依拠した「有機ゲルマニュウム重合体」等の特許出願(本件特許目録7以降)に委託契約に基づく実験結果を利用している以上, これらの特許も前の特許と同一の取扱いをされるべきである,と。 しかし,和解契約の解釈は,契約書の文言の解釈によって定まることはいうまでもない。文言の解釈に当たっては,使用されている文字だけにとらわれることなく,和解契約の締結に関する事情を考慮して,当事者の真意を探求し,その真意が表示されているかどうかを判断することになる。本件和解契約の文言からみれば,米国特許4066678と同一内容のものに限られており,バイオジトン8に関するものは含まれていないことは明らかである(ちなみに,バイオジトン8は,ベルギーに出願されてはいない)。また,前述の事情から,Xの代表者がGe132と類似するすべてのゲルマニュウム化合物を対象とすると考えたとしても,Bがバイオジトン8をもその対象としたと考えるべき事情はないように思われる。というのは,特許公報等からみると,Ge132,3−トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類,バイオジトン8は,それぞれ化学構造式が異なるだけではなく,その物理・化学的性質を異にし,薬効の点では重なる部分が多いが,かなり異なった部分もみられるから,本件和解契約締結の動機としてY1等が述べていることに説得力があるからである。のみならず,B等の発明の動機がGe132の薬理活性にムラがあるのを克服する点にあったことにも留意する必要がある。これらの点は,日本の特許庁ばかりではなく,アメリカ,西ドイツ,イギリスの特許庁でそれらが独立の発明と認められたこととも対応する。 5 以上は,本件和解契約の準拠法が日本法であることを当然の前提として論じられている。しかし,この契約は,外国の特許(出願)を含むのであるから,渉外性をもったものであり,法例7条を適用して準拠法を定めるべき性質をもつ。本件契約には明示の準拠法約款は存在しない。それでは,本件契約が,「アメリカ合衆国特許4066678と同一内容のもの」とその対象を明示している点から,黙示的にアメリカ法が準拠法として指定されたとみることができるであろうか。しかし,本件和解契約は,日本人間の日本で締結された契約であり,かつ,その解釈について日本の裁判所で争い,当事者間の争いもさしあたり日本の特許(出願)に向けられているように見受けられる。そうとすれば,前述の文言のみから本件契約の準拠法をアメリカ法とみることは妥当でないであろう。 しかしながら,本件和解契約の対象となる特許(出願)の範囲を前記の通り表示している以上, いかなる範囲の特許が本件和解契約の対象となるかについては,アメリカ特許のクレームを参照するだけではなく,アメリカ特許法によって決定すべきではないかとも考えられる。クレームの書き方,要件などは各国特許法により微妙に異なり, その解釈の原則も異なることは言うまでもない。国際私法上,契約準拠法とは別に貨幣や履行の態様などにつき補助準拠法が認められるのが一般的である。そうとすれば,本件のような場合も,和解契約の対象の確定についてのみは,一種の補助準拠法として,アメリカ特許法が適用されるとみることもできよう。アメリカ合衆国特許4066678の特許公報をみる限り,これに対応する日本特許出願公告(本件特許目録1)と対比すると,部分的により一般化した点もみられ,アメリカ法の全要素考慮の原則や均等性の理論からみて, 日本のクレームより広く解される可能性がある点もみられる〔たとえば,青山葆・佐藤義彦監修・比較法研究センター編『国際特許侵害争訟』<法研出版,1991年>31頁以下,川口博也『アメリカ特許法概説』<発明協会,1990年>77頁以下参照〕。しかし,それでも,バイオジトン8がそのクレームに含まれていると解するべきではないであろう。バイオジトン8については, これと別にアメリカ合衆国特許4271084として特許されていることもそれを裏付けるものとして援用することができるであろう。しかし,そうとしても,この点について全く触れず,日本法の観点のみから同一性を論じている点は妥当と言い難い。 6 原審では,Xは,民法646条および656条を援用して,受託者の果実引渡義務の内容として試験結果をXに引き渡すだけではなく,そのような試験結果を自らも薬品開発等に利用せず,他人にも利用させない義務を負うことを主張した。確かに,試験研究委託契約の場合には,試験結果を委託者に引き渡したとしてもその過程で得られた受託者の技術的知見は受託者側に残ることになる。また,Bは化学物質特許に関する各国の法制の相違を巧みに利用して,和解の対象となった特許発明がまず日本で出願されているのではなく,最初の出願国がベルギーになっている点などが認められる。おそらくBが和解契約を締結する気になったのは何かそれ相当の理由があったのではないかとも考えられる。さらに,和解の対象となった特許発明にだけではなく,バイオジトン8の特許発明にどの程度その委託研究の成果が使われたのかも必ずしも明確になってはいない。しかし, いずれにせよ,これらの規定から直ちに受託者側にその後自ら開発した特許発明について専用実施権を設定すべき義務を課することができるものではないといえよう。原審の判決でもXのこの点に関する主張はとりいれられていない。 また,本件のような研究委託契約において明示的な特約がなくても受託者に競合的な製品の開発や特許出願の避止義務が生じるかどうかが問題となる。委託研究契約に関するこれまでの学説を見ると,資金提供者である委託者に研究の成果である特許発明が吸い上げられてよいとか,研究についての危険を負担している委託者がその成果である知的所有権を取得してしかるべきであるとする見解も見られる〔Fritz Störi,Forschungs−und Entwicklungsverträge(1979)S.178〕。 しかし,これらの学説も,委託の内容が医薬品の研究開発自体にあることを前提とした議論である。本件のようなある化合物の薬効に関する動物試験研究のみを委託した場合には,契約で定められた受託者の報酬はそのような試験を行うことの範囲に限られ,委託者は新たな化合物の発明に関する危険を負担するわけではないのが通常である(山本・前掲43頁)。 Xは,競合的医薬品の開発とそれによって得られた発明の特許出願の避止義務に関する黙示的合意があると主張している。これまでも,特許権についても黙示の実施許諾の成立を認めた判例はある(東京地裁昭和37年5月7日,下民集13巻5号972頁等)。しかし,それらはそのような合意が黙示的になされたといえるような具体的事情がある場合に関する。確かに,試験研究委託契約においてもその結果や試験の過程で得たすべてのデータを委託者に引き渡すだけではなく,その経験を交流して協力して新製品の開発に取り組むことを前提とする契約もあるであろう。しかしながら,本件においてはXはこのような黙示的な合意があると認めるべき具体的事情を何ら証明していないので,このような黙示的合意の成立を認めることは困難であろう。 さらに,商法の介入権ないし奪取権に関する制度(商法41条2項,48条2項,264条3項等)の精神をより一般化して民法理論として構築するという観点から,Xの主張を理論づけることができないか,とする問題提起も見られるが(山本・前掲44頁),この点については,問題点の指摘にとどめる。 このようにみると,若干疑問の残る点もあるが結論的には判旨に賛成せざるをえない。 研究会では紋谷教授をはじめ若干の会員から判旨に疑問ありとの観点から大変示唆的なご意見を賜ったのであるが,本稿で十分生かすことができなかった点をおわびし,今後の課題とすることをお赦し願いたい。 |