発明 Vol.86 1989-6
判例評釈
特許請求の範囲に記載の設計的事項が具体的実施例と
して発明の詳細な説明に記載されていないことを記載
不備として出願を拒絶した審決が維持された事例
〔東京高裁昭和63年10月13日判決,昭和61年(行ケ)
第197号審決取消請求事件,特許と企業240号19頁〕
久々湊 伸一
<事実の概要>

 原告Xは,昭和52年3月18日「浮消波堤」にかかわる発明について特許出願をし,昭和56年1月12日拒絶査定を受けた。同年3月24日審判請求をしたが,昭和60年9月27日付で拒絶理由通知を受けたので,昭和60年12月13日全文補正明細書を提出したが,昭和61年6月19日審判請求は成り立たない旨の審決を受けた。
 全文補正明細書の特許請求の範囲によれば,「海底に繋留されるポンツーン型浮体としての浮浦波堤において,前記浮体における二重底構造の外底板及び内底板にそれぞれ下部開孔及び上部開孔が形成されて,前記下部開孔付き外底板と前記上部開孔付き内底板とを含んだ上下揺れ軽減型タンクと,前記内底板上において前記上下揺れ軽減型タンクの上部を兼ねる左右揺れ軽減型タンクとが一体的に設けられ,これらのタンクに作動水が収容されて,沖側からの入射波に対する前記浮体の上下揺れの位相差と,前記入射波に対する前記浮体の横揺れ及び左右揺れの連成運動の位相差とをほぼ一致させるべく,前記上下揺れ軽減型タンク内における作動水の水面の面積と,前記下部開孔の外部水面からの深さと,前記の下部開孔及び上部開孔の各開孔面積とが,それぞれ所要の大きさに設定されるとともに,前記左右揺れ軽減型タンク内の作動水の幅及び深さが,それぞれ所要の大きさに設定されていることを特徴とする,浮消波堤。」と記載されている。
 以上の構成を有する本件発明の浮消波堤は,海底に繋留されるポンツーン(浮舟の意)型浮体としての浮消波堤に関するもので,単なる断面方形で底板にも孔を持たない従来のものに対して,外底板と内底板を有し,その両方に開孔を有し,これによって上下揺れ軽減型タンクと左右揺れ軽減型タンクを形成したものにおいて,タンクの作動水の水面の面積,上下部開孔の各面積および水面からの各深さを所要の寸法に設定したことを特徴としており,形状により消波条件へと調整できない従来の構造に対して極めて簡素な構成で,消波効果を大幅に向上させることが可能であり, また減揺タンクに収容される作動水がバラスト水(船を安定させる底荷のことをバラストという)として兼用できる利点を有する。
 請求は成り立たないとする審決の理由によれば,全文補正明細書によっても,特許請求の範囲に記載された設計事項の中で,「下部開孔の外部水面からの深さ」,「下部開孔および上部開孔の各開孔面積」および左右揺れ軽減型タンク内の「作動水の幅および深さ」について設定すべき相互の寸法比を示すにとどまり,具体的な設計数値は全く開示されておらず,不明瞭な点は依然解消されていないとするものである。
 Xは,審決取消事由において,顧客から設計上の条件が与えられたときは,「各部の寸法が明細書記載の寸法比で構成される浮消波堤については」,第6図により縦軸の所要の透過率を示す点から水平に延びる直線を引いて曲線Nとの交点を見いだし,その横軸上の値からλ/Bを得,要求する入射波の波長λによって堤幅が決定できる。堤幅が決定されるとその他の数値の決定も容易である。その際作動水の水面の面積は,単位長さ(1 m)につきB平方メートルとして直ちに求められる。したがって本願明細書は願書添付の別紙第6図と相まって,顧客の要求に沿う浮消波堤の各部の寸法を開示したことになるので,当業者が容易に本願発明を実施し得る程度にその構成を記載していると主張した。
 これに対し被告Y(特許庁)は,図示された本願発明の浮消波堤の透過率曲線Nを得るに当たっての具体的な実験条件が具体的な数値に基づいて記載されていないので,明細書記載の寸法比を有するどの程度の大きさの浮消波堤を,それぞれ何個作成し,どのような条件の下で,どのようにして,何回実験し,その結果どのようなデータを入手し,そしてどのように評価することによってグラフ化したものであるのか等の具体的な実験の内容を把握できない。したがって第三者はこの浮消波堤を作ることができないとともに,述べられた作用効果を奏するかどうかを客観的に判断できず,実施不能である。設計的事項の技術的範囲を明らかにするためには異なった複数の実施例の開示が必要であると抗弁した。


<判 旨>
 『Xは,別紙第6図には,本願発明の浮消波堤の各部の寸法が明細書記載の寸法比の場合について,λ/Bに対する波の透過率H/HがN曲線として図示されているから,顧客から浮消波堤の設計条件が与えられれば,別紙第6図を用いることにより,右設計条件を満たす各部の寸法を算出し得ると主張する。




 @ しかしながら,仮に,X主張のように,λ/Bと波の透過率H/Hの下限が設計条件として与えられれば,別紙第6図を用いて各部の寸法を算定することが可能であるとしても,本願明細書には,λ/Bと波の透過率H/Hの下限とから各部の寸法を算出することは記載も示唆もされていないのであるから,右のような設計条件から各部の寸法を算定すること(例えば,上下揺れ軽減型タンク6内の作動水の水面の面積Aは,原告の主張によれば,堤幅Bの値から算出するというのであるが,本願明細書の記載からこのような面積の算出方法まで想定すること)は,当業者において容易に実施することができるとはいえない。
 A さらに,たとえ別紙第6図を用いて各部の寸法を算出することが容易になし得る技術的事項であるとしても,そのことは,本願発明の浮消波堤一般について,各部の寸法を本願明細書に基づいて容易に算出し得ることを意味しない。
 すなわち,本願発明の浮消波堤が,その各部の寸法を明細書記載の寸法比とするものに限定していないことは,その特許請求の範囲の記載から明らかであるところ,別紙第6図は,本願発明に係る浮消波堤の各部の寸法が明細書記載の寸法比である場合の消波性能を図示しているにすぎないことは前記認定のとおりである。そうすると,各部の寸法を明細書記載の寸法比としない浮消波堤については,たとえλ/Bと,求められる波の透過率H/Hの下限が設計条件として与えられても,別紙第6図を用いることによって右設計条件を満たすような各部の寸法を算出することはできないことになる。もっとも,浮消波堤の各部の寸法の比が特定されたときには,その寸法比のもので実験を行うことによって,λ/Bとそれに対応する波の透過率H/Hの関係を示す図(別紙第6図に相当するもの)を得れば,所与の設計条件を満たすような各部の寸法を算出することが可能と考えられる。しかし,その場合は,各部の寸法の比が特定されたものによる実験を行い,かつ,その結果に基づいてλ/Bとそれに対応する波の透過率H/Hの関係を示す図を作成することが不可欠であるのにかかわらず,本願明細書にはそのような記載は存しないから,発明の詳細な説明には当業者が容易にその実施をすることができる程度にその発明の構成を記載しなければならないとする特許法第36条第4項の規定の趣旨に反することは明らかである。
 B したがって,本願明細書の発明の詳細な説明には,特許請求の範囲に記載されている「沖側からの入射波に対する上記浮体の上下揺れの位相差と,上記入射波に対する上記浮体の横揺れおよび左右揺れの連成運動の位相差とをほぼ一致させる」ために各部の寸法を「それぞれ所要の大きさに設定」することが,当業者において容易に実施できるように記載されているとはいえない。』


<評 釈>
 1 明細書記載充実の要請
 特許出願の審査促進は,わが国に課せられた緊急の課題である(米国は公開制度を採用せずに,むしろ審査促進に努力し,現在は出願後1年以内で許可になるケースも少なくない)。有用技術利用の独占権とその技術情報の公開が関係している。しかしこの審査促進は審査の質の向上あるいは維持という条件の下に達せられなければならない。そこで権利を求める側と付与する側のゲームの理論に支配され,公正なルールが確立されなければならない。特許明細書は,権利書であるとともに技術文献であると言われる。技術文献としてはその内容の質と量に対する要求は際限がない。また権利を要求する側の利益追求にも熾烈なものがある。この両者の要求を調和する接点,そのための合理的な解釈が特許明細書作成に課せられた課題である。
 以上の点において,特許法第36条特に第4項および第5項(現行法では第3項および第4項)が問題となる機会はますます多くなり,そこにゲームの理論を参考にして合理的かつ迅速な事務処理をさらに追求するよう要請されている。第36条を取り上げた理由もそこにあり,類型化や特徴の把握が要請されよう。
 2 技術上の争点
 審決に至った争点は,不透明な要素を持っていて把握が容易でないように思われる。発明の構成と効果の関係およびその効果を実証する実験結果のグラフの意義が論理的な整合性をもって述べられていない。外底板と内底板に上下開孔を設けた特徴がこれらのものが何もない公知の構造に対して技術上の効果を与えているように明細書の説明からは判断できるにもかかわらず,その効果を立証するグラフに内在する問題点に影響されて,末梢的な設計事項上の数値が発明の構成要素であるかのように錯覚しているところから,本筋に論議を戻すことができない程の迷路に入ったものであろうか。
 足立理論(特許請求の範囲にも記載されている沖側からの入射波に対する浮体の上下揺れの位相差と同じく浮体の横揺れおよび左右揺れの連成運動の位相差を一致させれば,消波は完全に達成されるという理論)の技術的解決としての両底板と各開孔という発明の構成が,その足立理論との関係でもうひとつ明確にできなかった点が見受けられると同時に,上記構成に対応する効果を立証する第6図の成立条件に不明なところがあり,これを解消することができなかった。この解消はむしろ論証によるべきではなかったか。
 化学物質とその製法に関する発明の場合には,組成物の配合比,温度および圧力条件について発明の構成の内容としての数値が問題となるのが通常であるが〔化学物質の発明における実施例の具体性について,社本一夫「実施例と発明未完成・考」杉林古稀記念「知的所有権論攷」403頁以下。物質発明では,最下位の実施態様である個々の物質を開示する必要ありとする(408頁)〕,機械や構造物の発明について数値が発明の構成要素となるのはまれであると考えられる。もちろんそこには発明の概念に対する観点の相違によって数値の意義も異なってこよう。しかし一般に機械の発明が数値になじまない理由を正確に認識すべきである。端的に言って発明を構成する単なる1つあるいは2つの要素についていくら厳密な数値が処理されても,その他の多数の構成要素の数値が不明な状況では技術的な意味を捉えることはできないからである。本発明において述べれば,問題にされた浮体の寸法の技術的意味は,他の部位の寸法を変えないである1つの部位の寸法を変化させることによって初めて認識できるものであり,また問題にされていない材料の密度や,引っ張っている綱の要件なども影響してくると思われる。本件において本筋に引き戻すことができるかどうかの鍵は,第6図のグラフによって当業者が見れば容易に実施できるかどうかを当該技術の専門家に鑑定させることではなかったかと思われる。
 3 発明未完成と明細書の記載の不備
 本件は,特許法第36条第4項および第5項が問題とされているが,特に特許法施行規則様式第16(第24条関係)[備考]14ロに「その実施例は,特許出願人が最良の結果をもたらすと思うものをなるべく多種類掲げて記載し,必要に応じ具体的数字に基づいて事実を記載する。」という要請が問われ,その要請に答えていないことが,「発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に,その発明の目的・構成及び効果を記載」していないものとされた(実施例の意義については,特に化学物質に関して,社本・前掲書)。
 本件は発明未完成として論ぜられてもよい事例であるかどうか〔明細書の記載不備と発明未完成について,大場正成・特許判例百選(第2版)16頁,荒垣恒輝・同書14頁〕。明細書の記載不備を発明未完成として特許法第29条第1項柱書きの「産業上利用することができる発明」の要件の欠缺を理由に処理できるとした最高裁の判決(昭和52年10月13日判決民集31巻6号805頁以下)は,それ以来むしろ特許庁に対し,もっぱら第36条第4項を適用するようにうながす結果になったと推測する。というのは,その判決が,発明の未完成を定義して,第36条第4項と同趣旨の「当該の技術分野における通常の知識を有する者が反復実施して目的とする技術効果を挙げることができる程度にまで具体的,客観的なものとして構成されていないこと」と判示しているからである。
 4 特許庁と裁判所の技術に対する観点の相違
 本件は審決を容認した事例であり,審決およびこれを支持するYの主張の根拠を否定していないが,一方裁判所は独自の判断を付加している。実験結果を示す第6図に対応する構成要件の一部をなす寸法比の問題はさておき,Xの説明する具体的な実施方法が明細書に記載されてない点を強調した。Yは実験上の文献としての資格を論難したのに対し,裁判所は実験結果と実施の具体的関係が不明瞭である点を指摘した。
 さらに特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の関係については,Yは基本的な表現でこれを指摘するにとどめているのに対して,裁判所はこれを具体的に第6図に示すグラフの条件が特許請求の範囲に示された条件の一部にしか過ぎない点を指摘している。本件の場合には,Yの判断をそのまま認めてこれを判決として権威化したほうが,第36条第4項に対する権威的な判断の確立に寄与し得たことと思うが,本件に対する判決としてはやむを得なかったかもしれない。
 5 第4項および第5項の関係
 明細書の発明の詳細な説明と特許請求の範囲は,それぞれ重要な役割を果たしている。新規かつ有用な発明を奨励する目的で,発明者にその発明を一定期間独占的に利用する権利を付与する代わりにその発明の技術内容を明瞭に記載させてこれを公表することにしている。そしてこの役割を果たすため権利書となる特許請求の範囲と技術文献としての役割を果たす発明の詳細な説明に一定の要件を課し,これを審査させている。
 技術文献としての発明の詳細な説明は,できるだけ詳細に記載されるべきであるが,その最低限の要件として法第36条第4項では「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が」この記載を見て「容易にその実施をすることができる程度に,その発明の目的,構成及び効果を記載しなければならない」としている。この記載はまた権利書としての特許請求の範囲に示された発明の内容を明確に把握するためにも不可欠である。なぜなら,特許請求の範囲は,付与する権利の内容を要領よくできるだけ圧縮した形で表現することを要求している。特許請求の範囲には構成のみを書くことを要求されるが,その構成に対応する発明の目的と効果が示されないと十分に発明を把握することができない場合が少なくない。
 本件は実施例の例数が少ないことが問われた事例として,「スピノーダル分離型磁性合金」事件(東京高裁昭和59年2月28日判決・判時1128号119頁)に近似する。この事件では第36条第4項のみが問題とされ,関連事例を含めて許容される程度の例示があるとして審決が取り消されている。第4項のみが問題とされたおそらく唯一の事例であるが,出願を拒絶した審決を容認してはいないので,第4項のみの適用が成立するかどうかはまだ不確定である。本件ではXが第4項のみを争ったから主として第4項の問題に論点が集中したが,全体としては第4項および第5項が問題となる通常の事例ということができる。第4項のみの違反の事件は,絶対にあり得ないとは言えないが,通常は第4項における記載不備は何らかの形で第5項における特許請求の範囲の内容に関係している。
 第5項のみの適用は,発明の要旨を記載すべき特許請求の範囲が同項所定の要件を明確に欠く場合として,当然考えられる(「金属屑の処理法」事件,東京高裁昭和58年6月30日判決・判時1091号132頁)。
 6 論証の問題
 先に本件では論証を用いて技術的効果をより明確にすればよかったのではないかと述べた。グラフの結果を得たときの模型の寸法は,これを提示しないと審判官の疑問を解消できない。しかし寸法比は本件発明の構成ではないとし,外底板の外に内底板を設けそれぞれに開孔を設ける技術的効果,技術的意味を論証することによりグラフの実験による証明の不十分な点を補強できるのではなかろうか。底に開孔がなければ,入射波が大きければ浮体は綱に支持された高さのある点を中心にした左右の角運動を強めるが,開孔があると,綱の反作用により浮体は水の浸入を受けて下降し,入射波を上下の運動のエネルギーに消費させたことになろう。また内底板とその開孔の意味は,その開孔が外底板の開孔より小さくするというところに意味があり,浮体の上下運動も大きくなりすぎて海面下に潜ってしまっては何もならないので,内底板の開孔を外底板の開孔より小さくすることにより急激な強い波に対してはある抵抗力を生ずるようにしたこととして理解できる。かかる論証は私の私的な判断であって,当該技術においてはより正確な論証があると思うが,かかる論証によって発明の構成が発揮する効果の意味が説明されると,そこにその構成に基づく効果のある蓋然性が得られることになる。
 この蓋然性は,本件のように実験の結果が不十分でその蓋然性が少ない場合に,これを補って特許能力ありとされる蓋然性にまで高められることが多々あるはずである。


(くくみなと しんいち:東洋大学法学部講師)