判例評釈 |
他人に無断で実名と酷似する氏名を著作者名として 使用して、政界の内幕を暴露する書籍を出版した行為 が、氏名権および名誉権を侵害するとして右書籍の出 版、販売等の差止めを求める請求が認められた事例 |
〔東京地裁昭和62年10月21日民34部判決,昭和58(ワ)9422号,謝罪広告等請求事件, 一部認容(控訴)〕 |
斉藤 博 |
<事実の概要> |
X(参議院議員の元秘書,病院事務長)の氏名に酷似する著作者名を付し,その奥書にもXと合致なり酷似する略歴を付した書籍「政治家の夜と昼−議員秘書のブラック・ノート」(以下「本件書籍」という)がY1(出版社)より出版,頒布された。Y2はY1の代表取締役,Y3出版社)は企画協力者であり,Y4は本件書籍の執筆者でありY3の代表取締役であった。Xは,Y1らの行為により氏名権および名誉権が侵害された旨主張する。すなわち,著作者名の「村田栄一」は,Xの氏名「村田栄」に酷似し,奥書の略歴も「元参議院議員第一秘書。・・・・・・病院事務長」とあり,一般読者をして本件書籍の著作者はXであると誤認させることは明らかで,右著作者名の表示はXの氏名を冒用するものであり,本件書籍中,Xの何ら関知しない事実を,あたかもXが体験した事実であるかのように摘示した記述があり,また,Xは秘書時代に知り得た事実を平気で暴露して秘密を守らない人間であり,他人の人格,名誉を平然と誹謗,毀損する人間であると評価され,その名誉を毀損された旨主張し,それにより,国会議員,議員秘書,友人等との間に培われた信頼,友情を破壊され,Xの勤務する病院所在地の地元の人々にはその人格を疑われて好奇の目で見られ,病院職員のXに対する信頼も危うくなるなど,その精神的苦痛は甚大であるとして,Y1およびY3に対して本件書籍の印刷,製本,販売および頒布の禁止を求め,Y1らに対し,各自,慰謝料2000万円の支払いと,謝罪広告の掲載を求めて訴えを提起した。 |
<判 旨> |
Y1は,Y4からXとY4とは非常に親密な関係にあり,本件書籍の出版に関してはY4が一切を任されており,著作権もY4側が有していることについて再三説明を受けていたことや,Y3から本件書籍および著作者にかかわるすべてについてはY3およびY4が責任を負う旨念書を徴し,その出版に及んだこと,証言によれば,Y1とY3との間において過去に同様の形態で書籍を出版し,何ら問題を生じなかったことが認められるが,「元議員秘書が退任直後実名と同視し得る著作者名を表示して政界の内幕を暴露するという,前記のような本件書籍の特異な体裁やその記述内容に加えて,証人Aの証言によると,出版打合せの際,Y4がXから預かっている日誌のような秘密資料に基づいて執筆する旨話したので,Aが再三その資料を見せてもらいたい旨要求したが,結局,Y4から提示がなかったことが認められること,更に,前示のとおり,Y1は,本件書籍の原稿を印刷に回す段階になってY4からXが実名で出版することは困ると言っている旨聞いていることをも考えると,前記の事実によっては,いまだY1においてXが明らかに本件書籍の出版を承諾していたと考えるのが相当な特段の事情があったとは認め難く,他に右特段の事情があったことを認めるに足りる証拠はなく」,「Y1には本件書籍の出版によるXの氏名権及び名誉権の侵害につき過失があったものといわざるを得ない。」
「本件書籍の出版はXの氏名権及び名誉権を侵害するものであるが,氏名権及び名誉権はいずれも人格権の一種として,これを侵害された者は,それぞれの権利それ自体に基づき,加害者に対し,現に行われている侵害行為を排除し,又は将来生すべき侵害を予防するため,侵害行為の差止めを求めることができる場合があると解されるところ,本件は,Xの氏名を冒用することを通じて同時にその名誉を毀損するものであり,その権利侵害の態様にかんがみれば,Xは,本件書籍の発行所であるY1及び本件書籍の著作権者で,本件書籍の出版を企画してY1と本件出版契約を結んだY3に対し,本件書籍の印刷,製本,販売及び頒布の禁止を求める権利を有するものというべきである。」 「Y11は,本件書籍の原稿を現在も保管し,印刷のための版も保存していることが認められ,・・・・・・現在Y1が本件書籍の販売を任意に中止しているからといって,直ちに,本件書籍の販売等の差止めを求める必要性がないとはいえない。」 「Xが本件書籍の出版により多大な精神的苦痛を被ったことは十分推認することができる。そして,本件に顕れた一切の事情を考慮し,かつ,本件において後記のとおり謝罪広告の掲載を命じることによってXの名誉は相当に回復され,その精神的苦痛も相当程度慰謝されることを勘案すれば,Xの右精神的苦痛に対する慰謝料としては100万円が相当であると認められる。」 「Xの氏名を冒用することを通じてその名誉を毀損するというその権利侵害の態様及び本件書籍は全国に販売されたものであることその他本件に顕れた一切の事情を考慮すれば,Xの名誉を回復するためには,Y1らに対し,別紙(二)−二記載の謝罪広告を朝日新聞朝刊に別紙(二)−二記載の掲載条件で一回掲載することを命じるのが相当である。」 |
<評 釈> |
1. 本判決は,他人の氏名と酷似する氏名を著作者名として表示した書籍の出版につき,氏名権,名誉権に基づく差止請求を認め,慰謝料の支払等請求との関連で出版社の注意義務についても基準を示している。そこには多くの論点を見るが,本判決についてはすでに判例評論(判時)1252号108頁)が拙稿を載せているので,本稿においては,それとの重複を避けるかたちで,氏名権なり名誉権に基づく差止請求,出版者の注意義務,それに,氏名の冒用と競争法の3点について述べようと思う。
2. まず,氏名権なり名誉権に基づく差止請求から眺めよう。本判決は,「氏名権及び名誉権はいずれも人格権の一種として,これを侵害された者は,それぞれの権利それ自体に基づき,加害者に対し,現に行われている侵害行為を排除し,又は将来生すべき侵害を予防するため,侵害行為の差止めを求めることができる場合があると解されるところ」と,一般論に言及した後,本件においても,「氏名を冒用することを通じて同時にその名誉を毀損するもの」とし,「その権利侵害の態様にかんがみれば」Xは本件書籍の印刷等の禁止を求める権利を有する旨判示する。 そこに示されている一般論のほうから吟味しよう。たしかに,氏名にしても名誉にしても,個々の人格と不可分のものであり,人格価値の一つひとつの側面とみることができ,ここに,氏名権や名誉権も人格権の一種と認識することができる。人格権を包括的な権利とみるとき,氏名権などの個々の人格権はその包括的な人格権の内容となる。わが国判例は,ドイツのように一般的人格権でなく,単に「人格権」の語を用いながら,その意味するところは包括的なものである。もちろん,なかには違法性論の影響であろうか,「これを氏名権というかどうかは別として」という具合に,権利の語を用いることに躊躇を示すときもあるが,人格権なり氏名権,名誉権,肖像権などの個々の権利にしても,今や判例において定着しているといえよう。次に,差止請求についてはどうか。一般に,権利が侵害され,損害が生じたとき,その損害を填補し,あるいは,利益を調整するために賠償請求がなされるが,その一方で,権利内容の実現が妨げられ,あるいは,妨げられんとしているときは,権利内容を実現するために妨害行為の差止めを求めることができる。前者については民法は不法行為の規定を設けているが,後者についてはそのように整備された規定を設けていない。その種の差止請求は私権を保護しようとする近代市民法にとっては当然のことであり,あらためて規定を設ける必要がなかったのであろう。その当然の前提に基づき学説判例は所有権などの保護のために徐々に差止請求の制度を確立してきた。まずは物権の妨害予防をも含めた物権的請求権が定着した。やがて,人格価値を侵害する事例も多くなり,それにつれて人格権も認識されるようになり,同時にその人格権の円満な実現を保持することも求められてくる。 人格価値を侵害する事例の頻出というとき,侵害される人格価値にはさまざまな側面のあることを知る。生命,身体,健康,自由,名誉,氏名,肖像をはじめ,私生活をも含む私的領域に至るまで,その側面は多様である。これらの一つひとつの側面について個々の人格権が認識されることになる。本件においても,氏名権および名誉権の語を見る。そして,それらの権利が侵害され,または,侵害されんとして,その円満な実現が妨げられんとしているとき,妨害の排除なり予防を求めることができるはずであるが,古くから独立して保護されてきた名誉は格別,氏名の保護,それも,氏名権に基づく差止請求となると,もう一つ歯切れの悪い面もないではなかった。その際,民法710条が,賠償請求についてではあるが,身体,自由とともに名誉の毀損を挙げていることもあってか,たとえ氏名なり肖像を侵害する場合であっても,侵害行為の差止めは「名誉」を保護するために認められる嫌いがあった。その点,本判決は,氏名権に基づく差止請求をも認めていることは高く評価できよう。もちろん,本判決にも,「氏名を冒用することを通じて同時にその名誉を毀損するもの」とするくだりは読みようによっては氏名の冒用を名誉毀損の一部に含めているようにも解されなお歯切れの悪さは残るものの,氏名権の語も名誉権と並べて示している点に,氏名権を独立した権利として扱おうとする姿勢を見る。人格価値のさまざまな側面は,それが古くから認識されてきたものであろうと,比較的最近認められるようになったものであろうと,その本質に変わりがないのであるから,法的にも等しく保護されなければならず,侵害の差止めを含む救済の方法についても差異があってはなるまい。 ところで,本件においては,本件書籍の頒布等の中止を求める仮処分申請が先行し,これを受けてY1が本件書籍の販売を任意に中止したため,さきの仮処分申請は保全の必要性がないとして却下された経緯がある。この販売中止が本件差止請求の必要性にどのような効果を与えるのか。権利を侵害する行為が現に継続しているわけではない点に注目すれば,差止請求の必要性は存しないともいえようが,Y1がなお本件書籍の原稿を保管し,その版をも保存しているとすれば,侵害の蓋然性を論ずる余地はある。本判決も,「差止めを求める必要性がないとはいえない」とする。妥当である。 なお,通常,わが国においては,氏名なり氏名権の語が言い習わされ,これからもそのままでよいであろうが,文字通りの「氏名」に限定されるものではなく,厳密には,名前なり名称,名称権というところであろう。 3. 次に,出版者の注意義務について考えることにしよう。出版者が著作物等を個々に出版する際にはさまざまな関与の仕方がある。大きく分けると,出版者が自らの固有の企画で出版をなす場合と,企画は他の者が行い,編集,整備された原稿の持ち込みを受け,これを出版する場合がある。両者の間には,出版に際しての注意義務の程度に差異を認めることはできよう。しかし,後者の持ち込み企画においても,単に印刷,製本を引き受ける委託出版の場合は格別,出版者が自らの名で発行するとなると,それなりの吟味も必要となろう。そこには何がしかの注意義務が存するはずである。医学部助手の論文が医学書の中でその氏名を表示されず,改変されて利用されたことに対し著作者人格権の侵害が吟味されたケースで,裁判所は,企画を立て,原稿を持ち込んだ教授についてはその過失を認めたものの,出版者についてはその過失を認定しなかったが(千葉地判昭和54年2月19日),微妙なところであろう。本件において,Y3は自らの企画でその準備を進めたわけであるから,その過失を認めることは容易であるとしても,Y1については,一見,企画を持ち込まれただけのようであるが,Y1の社員が能動的に関与しているところを見ると,委託出版の範疇に納まりそうもない。となると,本件においては,Y1についてもその過失を吟味しなければならないところである。 通常,著作物を出版物のかたちで世に出そうとする場合,原稿を手にした出版者は,その著作物が他人の著作権または著作者人格権を侵害していないかどうかについて精査しなければなるまい。それは企画会議や編集会議で吟味されることもあろうし,その他の方法によることもあろう。ところが,本件のような場合には注意義務の範囲がさらに広がる。さきのように著作権なり著作者人格権を侵害することのないよう吟味するというのではなく,Xの氏名と酷似する著作者名が表示されていることについて,Xの氏名権なり名誉権を侵害することにならないかどうかをも吟味しなければならないことになる。本判決は,Y1,Y2がY3,Y4と共謀して本件書籍の出版をなした旨の主張は認めなかったが,Y1,Y2の過失については,著作者として表示されるXの出版意思を確認しなかったとして,Xの氏名権,名誉権の侵害につき過失があったとしている。「著作者の出版意思」の確認を過失認定の尺度としたことは興味のあるところである。もちろん,その種の確認を出版者の過失認定のすべての場合に持ち出すことには「問題のあるところ」としているが,本件のように,内幕物で,その記述中には著作者と目されるXの品性,徳行,名声,信用などその人格的価値に対する社会的評価を損ない,その名誉を毀損する内容が含まれ,これを出版した場合Xの名誉を毀損することが明らかな場合には,Xに直接その意思を確認しなければならないとする一方,出版を承諾しているものと考えるのが相当な特段の事情が認められる場合はその限りでないともいう。そして,Xより直接確認を得ていない本件においてはこの「特段の事情」の有無が吟味されることになるが,Xから預かっているという日誌のような秘密資料の提示がなかったこと,Y1は原稿を印刷に回す段階になってY4からXが実名で出版することは困ると言っている旨聞いていることなどから「特段の事情」をも認めなかった。このように,本判決が,内幕物の出版について,原稿を持ち込まれた出版者の注意義務について具体的な尺度を示したことは評価できる。なお,付言すれば,内幕物の場合,本件のように著作者名が用いられたときに限らず,その記述中に登場する人物の名誉などが侵害されるときもあろう。ここでは,著作者の出版意思を確認するのではなく,個々の登場人物についてその意を確かめることになるのであろうか。東京地判昭和63年10月13日は内幕を暴露した書籍について,名誉毀損の成立を認めて,その販売,広告の差止めを命じている。 4. 最後に,氏名の冒用と競争法について考えよう。氏名には自らを他から識別する機能がある。しかし,その一方で,同一または類似の氏名を有する者が複数存することもたしかである。そして,それぞれの氏名が個々の人格と不可分のものであるだけに,自らと同一または類似の氏名を有する者に対してその氏名を変更することを求めることもできず,反対に,他から氏名の変更を求められてもそれに忘ずる必要はない。生活の日常の場面に関する限りそれでさしたる支障はないが,生活の場面によっては混同のおそれを生じさせることにもなる。 本件のように,書籍に表示された著作者名が同一または類似する場合もその一つである。著作者名として書籍に自らの氏名を表示しようとするとき,すでに先行する書籍に同一または類似の著作者名が表示され,頒布されているとすれば,混同の生ずるのを避けるために別の氏名を表示しなければならないのであろうか。そこまで求めることはできまい。後行の書籍にしても,どのような著作名義で公表するかはひとり著作者自身の決めることがらである。そこには自らの氏名と異なった名義で公表する義務はない。しかしながら,著作物(無体物)を化体する書籍には「商品」としての側面もある。同一の著作名義を付けながら,その実,異なった著作者によって著された複数の書籍が発行されることもあろう。その際,両書籍がそれぞれ全く異なった専門領域を扱っているときはなお「商品」の混同は生じないであろうが,同一または隣接の領域を扱っているとなると,混同も生じうる。しかし,ここにおいても,それぞれの著作者は自らの氏名を著作物上に表示する権利を有しているわけであるから,混同を理由に一方が他方に対して著作者名を変えるよう求めることはできない。それでは,著作名義が変名(ペンネームなど)のときはどうか。そのような場合であっても,たまたまそのような重複が生じ,結果として混同が生じたときは,双方ともその名義を変える必要はなかろうが,すでに発行されている書籍の著作者名と同一または類似の変名が後行の書籍に付けられ頒布されるとなると,実名を表示するのとは意味合いが変わってくる。新たに変名を選ぶ過程には他と混同を生じさせないように注意する義務があるからである。とりわけ専門領域を同じくするときは,同一または類似の変名選択に善意無過失を認めることは難しい。そこには不正競争の意図を感得できる。そうであると,後行の書籍の著作者はその氏名表示権を競争法理によって制限されるのであろうか。「商品」としての書籍を全面に出すとき,そのように制限と見る余地もあるかもしれないが,それよりも,不正競争を意図した変名の表示は氏名表示権の濫用と考えることもできよう。 書籍を「商品」として眺めるとき,もう一つ興味ある問題がある。書籍に表示された著作者名も「商品」の属性を表すものではないのか,その品質を表示するものではないのか。とりわけ,元議員秘書などの肩書をも表示しているときには,さきに触れたような,著作者名が重複したという場合と違い,ずばりと特定の者の名を表示するわけで,それに惹き付けられて購入する場合もあろう。商品表示の機能は,出所表示の機能から広告宣伝の機能に重点を移しているという(豊崎光衛,松尾和子,渋谷達紀「不正競争防止法」110頁)。本件書籍についても,それを「商品」として眺めるとき,Xの氏名に酷似する著作者名の表示は不当な品質表示と見ることができよう。 |