発明 Vol.86 1989-2
判例評釈
商標登録出願により生じた権利を自己名義に変更すべき
ことを請求しうる契約上の請求権を有する者が,請求に応
じない出願名義人に対し求めることができる請求の内容
〔東京地裁昭和63年6月29日民29部判決,昭和56(ワ)10034号,同14279号,商標移転登録請求
事件,同反訴請求事件.本訴および反訴一部容認(確定),判例時報1278号〕
川口博也
<事実の概要>

 X(本訴原告・反訴被告,イタリア法人)とY(本訴被告・反訴原告,日本法人)との間で,Xのハンドバッグその他皮革製品を日本で販売するため,「チエレーザ」商標の使用を含む独占的販売代理店契約が締結された。「チエレーザ」商標は,イタリアにおいては,X名義で,日本ではY名義で登録されている(ただし,出願商標の一部は未登録である)。
 本件契約の締結後,Yは「カッチヤトーレ」商標を作成し, 日本においてその登録出願をし,その一部について登録を得た。他方,イタリアにおいては,「カッチヤトーレ」商標に対応する商標は,X名義で登録されており,Xは,第三者に下請製造させた製品にその商標を付して,その製品を日本に輸出しYに供給していた。
 その後,Yが,《1》「チエレーザ」商標の使用料を第三者から受領しながら,これをXに支払わなかった,《2》「カッチヤトーレ」商標の付された製品をXを通さず輸入した,《3》Xを退社した訴外Gの製品を販売した,の3点において本件契約に違反したので,Xは,本件契約解除の意思表示をするとともに,損害賠償および不正競争防止法1条1項1号に基づく差止請求と並び,「チエレーザ」商標・「カッチヤトーレ」商標について「移転登録手続をせよ」,前記「各商標登録出願について出願人名義変更手続をせよ」(主位的請求),それが認容されない場合「各商標登録出願により生じた権利を有することを確認せよ」(予備的請求)との判決を求めた。
 他方,Yも,XがYの注文に応じなかったのは本件契約の違反であるとして解除の意思表示をするとともに,得べかりし利益の賠償を請求した。


<判 旨>
 Xの請求のうち,「チエレーザ」商標の使用料相当額の賠償請求,「チエレーザ」商標とその出願により生じた権利の移転請求,および,同商標に基づく不正競争行為の差止請求が認容された。
 Yの反訴請求については,Yの解除の意思表示による合意解除を認定し,損害賠償請求が認容された。以上の判旨のうち,工業所有権法に係る部分のみを評釈の対象とするので,次に,その部分のみを引用する。

 1. 「チエレーザ」商標出願により生じた権利の返還請求について
 「主位的には出願人名義変更手続を,予備的には商標登録出願により生じた権利を有することの確認を求めている。しかし,出願人名義変更手続は,商標登録出願により生じた権利を譲受けた者自身が単独で,承継人であることを証明する書面を添付して特許庁長官に届出ることによりするものであって(商標法13条2項,特許法34条4項,商標法施行規則3条の3,様式第7),いわゆる双方申請主義が採られているわけではないから,譲受人から譲渡人に出願人名義変更手続の履行を求める余地はなく,これを求める請求は失当といわなければならない。また,商標登録出願により生じた権利の移転は,これを特許庁長官に届出なければ効力を生じないから(商標法13条2項,特許法34条4項),右届出以前において,譲受人が商標登録出願により生じた権利を有することの確認を求めることは,許されないことになる。しかし,原告の請求は,要するに前記様式第7にいう『承継人であることを証する書面』に代わるものとして,右趣旨に沿う内容の判決を求めるという点にあると解されるところ,そうであるとすれば,原告が被告に対し,商標登録出願により生じた権利の移転請求権を有することの確認を求めれば足りるものである。」
 2.「カッチヤトーレ」商標および同商標登録出願により生じた権利の返還請求について
 本件契約の解除を理由にする返還請求については,本件契約の締結後に作成された「カッチヤトーレ」商標には本件契約の効力は及ばないとの理由により,また,パリ条約6条の7第1項または条理に基づく返還請求は,「本件全証拠によるもカッチヤトーレ商標権等が原告に帰属することは,これを認めるに足りない」との,被告の主張をほぼ全面的に認めた事実認定により,棄却されている。「すなわち,原告は,イタリアにおいてカッチヤトーレ商標に対応するイタリア商標が原告名義で登録されていること,カッチヤトーレ商標は原告がイタリアのドミナ社に下請け製造させ,被告に輸出していた製品に付されていたことをもってカッチヤトーレ商標権等が原告に属することの根拠とし,被告においてカッチヤトーレ商標権等が被告に属することを証するため提出した乙第65,第66号証を種々論難している(乙第65号証は,YがXに対し,イタリア商標の使用を許諾したことの証拠として提出された,XあてのYの書簡であり,乙第66号は,これ対するXの返信であるが,Xは,それらの真正さに疑問があると主張している−カッコ内は筆者が補充したものである)。しかし,カッチヤトーレ商標が日本においては被告の名義で商標登録出願され,このうちカッチヤトーレ商標権にかかる商標について被告名義に登録されていることは当事者間に争いがないところであり,・・・・・・,カッチヤトーレ商標は被告が製作したものであることが認められるのであって,以上の各事実に照らして考えると,必ずしも原告のあげる根拠のみでカッチヤトーレ商標が原告に属すると認定することはできず,他にこれを認めるに足りる証拠もない。」とされる。
 3. 不正競争防止法に基づく差止請求
 チエレーザ商標に基づく差止請求については,それが「原告の商品表示として日本国内において周知となったこと」等の要件事実を認定し,これを認容しているが,カッチヤトーレ商標に基づく差止請求については,「カッチヤトーレ商標権・・・・・・が原告に帰属するとは認められないことは前記・・・・・・で説示したとおりであり,結局,カッチヤトーレ標章が原告の商品であることを示す表示であることを認めるに足りる証拠はないから,同標章に関する差止請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。」との理由でこれを棄却している。

<評 釈>
 1. 判旨第1点は,名義人変更手続を履行せよとの給付の訴えを棄却し,確認の訴えの範囲内で請求を認容しているが,むしろ,当事者間における権利移転を求める給付の訴えと解して,請求を認容すべきであったと思われる。また,判旨がこのような結論に達したのは,商標法13条2項について届出がないと当事者間においても権利移転の効力を生じないとの解釈を前提にしているためと思われ,この点の再検討も必要である。  届出を効力発生要件とする商標法13条2項の規定を,当事者間における権利移転の効力発生をも禁ずる趣旨を含むと解すると,権利移転を求める給付の訴えは利益を欠くことになるし,したがって,出願により生じた権利がXに帰属することを届出以前に確認することは不可能であり,同権利の移転請求権の確認が,本件請求の趣旨の範囲内では,唯一可能な判決形式とならざるを得ない。しかし,このような判決によっては,Yの任意の履行(権利移転の意思表示)がない限り,権利はXに移転しないから理論上は,紛争が最終的に解決されているとはいい難い。ただ,本件判決が確定したことから推測すると,確認判決によりYが任意に譲渡証を作成したか,あるいは,特許庁が本判決謄本を譲渡証に代わるものとして受理したのか,いずれかの方法で本件紛争が事実上は解決されたもののようである。  これに対して,前記規定を,当事者間における権利移転を禁ずる趣旨を含まず,届出以前においては権利移転を特許庁に対し主張しえないとの意味に解すると,「名義人変更手続をせよ」との主位的請求を,釈明により,当事者間における権利移転を求める趣旨を含むと解するか,あるいは,同趣旨にXによる請求の趣旨の変更がなされると,権利移転の意思表示に代わる給付判決をなしえたこととなる。そして,この判決の確定により,出願により生じた権利はXに帰属し本件紛争は終局的に解決され(民執173条《1》項),また,名義人変更手続に譲渡証の提出を求めている特許庁実務にも的確に応えることが可能となる。もっとも,不動産登記につき,登記請求権の確認判決により単独申請が許されるとの説もあり〔注解民事執行法(5)・第一法規,120ページ(町田顕氏執筆,ただし,執筆者の見解として書かれているわけではない)〕,当該機関が請求権確認判決を受理する実務が確立されればそれでよいとも考えられるが,請求権の確認により権利移転の効果が発生するわけではないので,理論的には,権利移転の意思表示に代わる給付判決が優れているといえよう。
 前記のように,届出を効力要件とする規定(商標法13条2項,特許法34条4項)については, 2通りの解釈が可能であるが,下記の理由により,当事者間における権利移転の効果の発生を禁ずる趣旨までは含まないと解すべきであろう。《1》同規定は,特許庁が,新旧いずれかの出願名義人を相手に手続を進めることの正当性を担保するものであって(特許法21条),《2》他に,私人間の権利移転を規制または無効とすべき特別の事情が存在するとは考えられない。《3》登録が専用使用(実施)権の効力発生要件とされているが(商標法30条4項,特許法98条1項2号),登録がない場合,独占的通常使用(実施)権として,当事者間の意思表示の効果が認められている等の例がある。
 2. 判旨第2点は,カッチヤトーレ商標権等はXに帰属しないとの事実認定により,パリ条約6条の7第l項のその他の要件につき判断を示すことなく結論を出しているが,所与の事実認定を前提とする限り,もとより正当である。しかし,仮に,Xの主張どおり,同商標権等がXに帰属するとの事実認定がなされたとすると,その国の国内法が認めるときは商標権等の返還請求をなしうるとの,パリ条約同条同項の規定の趣旨との関係で,わが国商標法に返還請求を認める規定はないが,不当利得(民703・704条)に基づく返還請求の可否について判断が下される可能性があった事案である。
 3. 判旨第3点は,不正競争防止法1条1項1号を適用して「チエレーザ」商標に基づく差止請求を認容しているが,同規定で周知性が差止請求の要件とされている点は,パリ条約10条の2第3項1号との関係で問題がある。パリ条約の同規定は,個人の権利義務に関する実体規定で,しかも,直接適用が可能な形式の規定であるから.同条約締約国の裁判所は直接これを適用する義務があると解されている〔Bodenhausen,Guide convention de Paris (PIRPI 1969) p.13〜15,151〕。パリ条約の前記規定においては周知性は要件とされていないので,わが国不正競争防止法の前記規定は,周知性の要件を加重している限度において条約に違反していることになろう。しかし,Xは,条約違反の論議を避けるためか,「チエレーザ」商標の周知性を証明したため,わが国不正競争防止法の条約違反性についての裁判所の判断を知りうる機会が失われた。
 また,X−Yの関係からいって,差止請求の根拠としては,不正競争防止法1条1項1号よりも, むしろ,同法1条2項がより適切ではなかったか,という疑問が残る。同法1条2項は,商標権者と代理人間の信頼関係違反に対する救済を目的としており,「代理人」はひろく解すべきであり〔豊崎=松尾=渋谷・不正競争防止法,283ページ(渋谷教授執筆)〕,本件判旨においても,「チエレーザ」商標のXへの返還請求,同商標の使用料相当額の賠償請求等が認容されていることからいって,X−Y間に信頼関係が存すると考えてよいと思われる。同法1条2項の適用があるとすると,差止請求の要件として周知性は必要とされていないので,その意味においても,本件「チエレーザ」商標の周知性を証明する必要はなかったものと思われる。


(かわぐち ひろや:香川大学教授)