知的所有権判例ニュース |
均等論適用の要件 |
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神谷 巖 |
1 事件の概要 |
原告Xは,発明の名称を「ボールスプライン軸受」とする発明について特許権を有しており,この特許権をYに侵害されたとして,特許権侵害差止等請求事件を東京地方裁判所に提起しました。
第一審では,構成要件が充足されておらず,置換容易性もないとして均等論の適用も否定され,Xが敗訴しました。しかし,東京高等裁判所での控訴審では,被告製品は特許請求の範囲記載の構成要件を文言通りに充足するものではないが,以下の要件が満たされているとして,均等論を適用し,Xが勝訴しました。 《1》解決すべき技術的課題,その基礎となる技術的思想,効果が同一であること, 《2》置換可能性があること, 《3》特許出願時における置換容易性があること《4》相違点に特段の技術的意義が認められないこと これに対して,Yは最高裁判所に上告しました。要するに争点は,均等論の適用があるかないかという点です。 |
2 裁判所の判断 |
最高裁判所は,平成10年2月24日に判決を言い渡し,原判決を破棄し,本件を原審である東京高等裁判所に差し戻す旨の判決を下しました。但しその理由は,均等論そのものを否定したのではなく,均等論自体は認められるが,均等論を適用するための要件について,東京高等裁判所とは異なる判断を下したものです。即ち,均等論を適用するには,次の要件が満たされていなければならないとし,東京高等裁判所において,それらの要件が満たされているか否か,再度審理すべきことを命じたのです。
a 相違する構成要件部分が,特許発明の本質的部分ではないこと, b 相違する構成要件の部分を対象製品におけるものに置き換えても,特許発明の目的を達することができ,同一の作用効果を奏すること, c 置換が,当業者が対象製品の製造の時点において容易に想到することができたこと, d 対象製品が,特許発明の特許出願時における公知技術と同一または当業者がこれから出願時に容易に推考できたものではないこと, e 対象製品が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外する等の特段の事情がないこと。 このような均等論を認めることについて,最高裁判所は理由としてさらに次のように述べました。 A 特許出願の際に将来のあらゆる侵害態様を予想して明細書の特許請求の範囲に記載することは極めて困難であり,相手方において特許請求の範囲に記載された構成の一部を特許出願後に明らかになった物質・技術に置き換えることによって,特許権者による差止め等の権利行使を容易に免れることができるとすれば,社会一般の発明への意欲を減殺することとなり,発明の保護,奨励を通じて産業の発展に寄与するという特許法の目的に反するばかりでなく,社会正義に反し,衡平の理念にもとる結果となる。 B 特許発明の実質的価値は第三者が特許請求の範囲に記載された構成からこれと実質的に同一なものとして容易に想到することのできる技術に及び,第三者はこれを予期すべきである。 C 特許発明の特許出願時において公知であった技術及び当業者がこれから右出願時に容易に推考することができた技術については,そもそも何人も特許を受けることができなかったはずのものであるから,特許発明の技術的範囲に属するものということができない。 D 特許出願手続において出願人が特許請求の範囲から意識的に除外したなど,特許出願の側においていったん特許発明の技術的範囲に属しないことを承認するか,または外形的にそのように解されるような行動をとった者について,特許権者が後にこれと反する主張をすることは,禁反言の法理に照らして許されないこと。 |
3 検討 |
均等論については,既に多くの学説が肯定的に解し,また均等論を適用した判決も幾つかの数に上っています。しかし,最高裁判所の判例は数が少なく,その態度が注目されていました。ただ一つ均等論の適用に肯定的な判決であった昭和62年5月29日の判決も,下級審が均等論を適用して権利範囲を拡張して解釈した事例について,結論において是認できる,と述べたのにとどまり,真正面から均等論の是非を論じたものではなかったので,最高裁判所の新しい判例が待たれていました。今回の判決は,この均等論を正面から論じ,その適用の要件を明確に述べたという点で,大変に大きな意味を持っています。
さて従来,均等論の適用を認める要件としては,効果の同一性,置換可能性,置換容易性の3点が挙げられてきました(例えば,有斐閣発行,吉藤幸朔著,熊谷健一補訂,特許法概説第12版523頁以下)。控訴審では,さらに踏み込んで,相違点について特段の技術的意義が認められるか,という前記の《4》の点も考察し,均等論を適用したのです。これに対して本件判決は,均等論が適用される要件を見直し,要件を明示しました。それらの要件をひとつひとつみていきます。 まずaの要件ですが,これは特に要件としては掲げられていなかったものの,前掲の教科書でも取り上げられています(524頁)。bの要件は,東京高等裁判所が示した《1》の要件,即ち同一の作用効果を要求するものです。cの要件は,表現は違いますが,実質的には東京高等裁判所が掲げた《2》《3》の要件,即ち置換可能性,置換容易性と同じものです。d,eの要件は,これまた特に要件としては論じられてはいなかったものの,上記教科書に,均等論を適用すべきではない場合として既に述べられている,自由技術及び意識的除外の議論と同じものです(525頁)。 結局のところ,最高裁判所は原判決を破棄して原審に差し戻したものの,その要件として掲げた事項は既に学説で論じられていたものであって,均等論適用の要件を明確に示したものであり,均等論自体を否定する学説すら存する状況の下で,積極的に均等論を肯定したものとして,将来の基準となる判例です。そしてその要件として掲げる点も妥当だと考えます。 |